絶飯巡礼 ― JKが『日本一飯のマズイ店』を追い求める 作:隼
【葵視点】
「……ほんとに、今回は普通のお店なんだよね?」
「うん。ちゃんとラーメンって書いてあるし、レビューも“印象深い”って書いてあるし」
「“美味しい”とは書いてないんだ……」
くれはに連れられてやってきたのは、繁華街の裏手。
そこだけ時間が止まったように静かな通り。看板はなく、黒い暖簾にうっすら“無銘”と白筆で書かれているだけ。
「“無銘”って何……無名の仲間?」
「違う。“名前すら要らない味”ってことだよ。たぶん」
「いや、怖い怖い怖い」
でも、気づけば足が動いていた。
くれはがそういう時にだけ見せる、狂気混じりの好奇心に、私はなぜか逆らえない。
カラン、と鈴の音が鳴る。
***
【店内】
中は――ラーメン屋にしては異様な静けさ。
BGMなし。話し声なし。厨房も、ほぼ無音。
木のカウンターに灰色の壁。壁紙なし。ポスターなし。ラーメンの写真すら貼っていない。
券売機すらなく、注文は口頭らしい。
「いらっしゃい」
店主は、無地のTシャツにバンダナ。
無表情でメニューを出してきた。
> 無銘ラーメン ¥800
無銘ラーメン(白) ¥850
無銘ラーメン(黒) ¥900
ごはん ¥100
「ふつうの、にする……」
「店員さーん! ふたりとも“黒”で」
「ちょっと待って、絶対“黒”が地雷じゃん!?」
「黒を選ぶ人間になりたいって、言ってたじゃん前に」
「言ってない! 一度も言ってない!」
なんとか注文を取り消すことに成功した。しかし未だ危機を脱した訳では無い。
私は震える手で、水を飲んだ。水はぬるかった。
***
【ラーメン登場】
「……来た……」
店主が置いたその一杯――
スープが“透明”だった。いや、正確には“白濁でもなく、茶でもなく、色がない”。
そして湯気が、ない。完全に常温。
くれはの“黒”に至っては、スープの表面に黒い脂が円を描いて浮き、麺がほとんど見えない。
焦げの匂い、ではなく、“プラスチックの焼けたようなにおい”がうっすら立ち上っていた。
「え……ちょ……あの、あのさ」
「大丈夫。見た目で判断するのはもったいないよ」
「前もそれ言ってたよね!? で、あの焦げ鳥が……!」
「信じて」
「信じる材料ゼロだよ!!」
でも私は、やっぱり箸を持った。
なぜかというと――
くれはが、めちゃくちゃうれしそうに麺をすすってたから。
***
【実食】
一口、麺をすする。
ぬるい。まず温度がぬるい。
麺は固い。けど、コシじゃない。冷蔵庫で一晩放置された麺を、そのまま戻したような硬さ。
スープをひと口。
…………味が、しない。
いや、わずかに何かある。
何だろう……水にごま油を数滴落としたような……でも後味に“石鹸”みたいな苦味がある。
「くれはぁ……」
「いい感じだね」
「いい感じじゃないよ!? このラーメン、完全に気を失ってるよ!?」
くれはは“黒”を真剣な顔で食べている。
「こっちは……うん、表面の脂の厚みが2ミリある。レンゲが沈まない」
「沈んでよ! それスープじゃないよ!」
他の客(会社員らしき男性)が、途中で箸を置いてボソッと言った。
「無理だ……これ、ラーメンじゃねぇ……俺が知ってる何かじゃねぇ……」
もう一人の女子学生も、眉間にしわを寄せていた。
「なんか……食べてるっていうより、試されてる感じ」
「わかる!!」と思わず叫びかけたけど、隣を見ると――
くれはが、完食していた。
「ごちそうさまでした。……今回、塩分がほぼゼロなのが逆に良かった」
「……マジで食べきったの?」
「うん。たぶん、今日のは“未完成の完成”だと思う」
「どういう哲学!?」
店内の全員が、くれはの空になった器を見つめていた。
「……この店、ファンいないと思ってたけど……すげぇの来たな……」
「女の子で、あれ完食って……なんなの……?」
店主が一言、ぽつりとつぶやいた。
「……あんたみたいなやつ、久しぶりに見たよ」
くれははにっこりと笑った。
「“味の無さ”にも個性がある。今日、それが分かりました」
私は、黙って残ったスープを見た。
……正直、無味でありがたかった。
あの唐揚げのトラウマと比べたら、“何もない”は、少しだけ優しかった。
でも、私にはまだ、完食の勇気はなかった。
***
【帰り道】
「……くれは、ほんとにあれ全部食べたの?」
「うん。食べたよ。“無”を食べるって、意外と力いるんだよね」
「なにそれ……怖……」
「でも葵ちゃんも、途中まで食べてた。前よりすごいよ」
「やだ……それって“耐性”ついてきてるってこと……?」
くれはは、にやりと笑った。
「ようこそ。味の地獄の、その先へ」
私は、うつむきながら思った。
――今度こそ、絶対にマック行く。マックは裏切らない。