隣に住んでるウェアウルフは距離感がバグっている 作:エヴォルヴ
「碧、もしかしなくても徹夜明けだろ」
「……正解」
うつらうつらと舟を漕ぐ碧に声をかけたのは、湿っているような質感の肌が特徴的な少年であった。
声をかけたのは数年来の友人であるイモリの亜人、
「どこまで行ったよ?」
「トロフィー半分……」
「めっちゃ進めてんじゃん!?」
話しかけ続けなければ間違いなく机を枕にして眠りについてしまうであろう友人の意識を保ち続けるため、恵は会話を続ける。
「序盤のボス、あれどんな感じで攻略した? 俺、火炎壺投げまくったんだけど」
「三十回くらい死んだ後……何かパリィできそうな攻撃ばっかりだったから……パリィで………………」
「碧? 碧ぃいいいい!? まだ寝るな! まだ昼休みは始まってないんだぞおおお!?」
「冷たい……痛い……起きた、起きたから」
ベチベチと両生類特有の湿った手で往復ビンタされれば、徹夜明けの碧であれど意識を覚醒させることくらいはできる。
「で、何だっけ? 大体三人の陰キャ王子様の簡単パリィ攻略だっけ?」
「それも気になるけど違うからな? 熱中し過ぎだろ……課題は終わらせてるのか?」
「ゲームを楽しむために、渡された当日に終わらせた」
ゲームのためなら何でも本気で取り組む。碧はそういう男である。
そんな友人を呆れたような、尊敬したような眼差しで見る恵は、自分のゲームプレイを撮影してきたのか、スマホでゲームの動画をスタートさせた。
「昨日ランクマ行ってきたんだけどさ、タンクさんマジで上手いのなんの……」
恵の話を聞きながら、友人のプレイを見る碧は、恵のプレイが少し前に見た時以上に洗練されており、対戦相手を撃破するスピードや、隙を刈り取る手際の良さに舌を巻く。
「あ、それ当たるんだ。恵は遠距離系のキャラとか上手いよな。俺はちょっと苦手だ」
「俺に合わせて遠距離タンク使ってMVP取ってるやつが何か言ってらぁ」
恵との会話で眠気は消え始めているが、油断すればまた睡魔が襲ってくるであろう状態。鞄に入れてあるエナジードリンクを飲もうか迷いが生じていた。
「ところでこれ話したっけ、碧」
「聞いたかもしれないけど、覚えてないから聞いてないことにする」
「いや、話したからな? 聞いてるはずだからな?」
苦笑交じりに呟いた恵は、ニヤリと笑って動画を再生していたスマホのアルバムを開き、写真を見せてきた。
写真を見ると、楽しそうに笑う恵の隣で楽しそうに笑っている人間の少女の姿がある。
「……ゲーム仲間?」
「違ぇよ。俺の彼女。彼女できたんだよ、俺!」
彼女。
三人称視点で女性を示す言葉。
話し手、聞き手以外の女性を示す言葉。
前述から転じて、愛人、恋人などを示す名詞。
幸せですというオーラを放つ友人を見る限り、名詞としての彼女が恵にできたのだろう。
「おめでとう……?」
「何で疑問形なんだよ。普通に祝福してくれよ」
「新作のエナドリをあげよう」
「おお、これが新フレーバー……って、祝福アイテムこれかよ」
「これしか手元になかったもんで」
今度飯を奢るとかしてくれよ、と笑う恵は新フレーバーのエナジードリンクを鞄に仕舞う。
仕舞った後も、写真を見せながら幸せオーラ全開だ。
「可愛いだけじゃなくて、料理も上手くてさぁ……もう胃袋掴まれちゃったよ」
「へえ。グルメな恵の胃袋を掴むなんて凄いね」
「本当に美味いんだよ。ほら、この弁当、俺の彼女作!」
「おお……」
鞄から取り出された、大きめの布に包まれた弁当箱。恵が持っていなさそうな可愛らしい布によって包まれているそれは、恵の彼女が作ったという弁当だ。
彼女がいない者が見れば、視線だけでリア充を殺せそうな嫉妬の視線を向けるだろう────というかもう向けられているが、恵は意に介した素振りを見せず、自分の彼女がいかに可愛らしい人なのかを数年来の友である碧に力説していた。
「よかったな、恵」
幸せそうな友人に、小さく笑みを浮かべて祝福すると、恵は嬉しそうに頷いた。
「お前も彼女作れよー。いいもんだぜ、彼女がいるって」
そんなことよりトロコンしたい、と口にすることはしなかった。
幸せそうな友人に水を差すようなことは無いだろう。いくらゲームに傾倒している碧であっても、そう考えることができる良識くらいは残っていた。
「んー……今は、いいかな? ほら、まだ色々ごちゃついてて……」
「いや、お前んちは伽藍洞過ぎるだろ」
恵の指摘の通り、碧が住んでいる部屋はとても伽藍洞だ。リビングには冷蔵庫、レンジ、ゲーム用のモニターとゲーム機、そして小さなテーブルしかない。
自室はというと、ベッドとベッドに連結できるタイプの勉強机と教科書、小型冷蔵庫程度しかない。
ミニマリストというわけでもないが、本当に人間が住んでいるのかと首をかしげたくなる程度には、物がないのだ。
これに関しては、碧が整理整頓をあまり得意としていないことが起因している。あれもこれもと買ったり、揃えたりすれば部屋がゴミ屋敷になってしまうことは分かっていたため、あまり家具やら服やらを購入していないのだ。
食べるものも適当に冷蔵庫に入っているものを茹でるか焼くか、炒めるか────酷い時には炊飯器に食材を放り込んで出来上がったスープを食べるという暴挙に出る。
とにかく食べられるのなら何でもいいというスタンスなのだ。QOLもへったくれもない、むしろQOLが泣いて逃げ出すような生き方をしている碧のある意味での不摂生具合は、恵の両親が心配して煮物などを恵に持っていかせるレベルであった。
「やっぱりお前も彼女作ろうぜ? ご飯作ってくれる彼女とかさ」
「意外と健康なんだけど、俺」
「なんであんなカオス極まりない飯を食って健康なんだよ」
「蛇だから?」
「いや、お前蛇の亜人じゃねぇだろ。しかも蛇だからって答えになってねぇよ」
思い出すだけで白目を剥きそうになってしまうあの混沌とした炊飯器スープを思い出して、顔を引き攣らせた恵の疑問を答えになっていない答えで返した碧は、恵の話を聞きつつ、ゲームの攻略ルートについて思考を巡らせた。
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徹夜明けの頭痛に耐え抜いた放課後、碧は一人マンションへと歩みを進めていた。
いつも途中まで一緒に帰っていた恵は彼女と帰ると言って先に帰ってしまったため、今日は一人での下校となっている。
下校途中、人間だけではなく様々な亜人とすれ違う。
犬の亜人、猫の亜人、ナマズの亜人など、多種多様な生物の特徴を持った亜人にすれ違いながら、碧は帰り道を進む。
エナジードリンクは先日購入しているし、冷蔵庫の中に食材が残っているのも朝確認した。近くのスーパーやコンビニに向かう必要がないため、寄り道をせずにマンションに辿り着いた碧は、ふと、たまには階段も使ってみるかとマンションのエレベータ────―その横にある階段に目を向けた。
別に、恵に健康について色々と口うるさく言われたからとか、掲示板に掲載されていた体調管理や運動を促すポスターに感化されたわけではない。
ただの気まぐれ、試しに上ってみようという試みだ。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
そんな言い訳を心の中でしたためつつ、碧は長い階段を上り始める。
一階から二階、二階から三階……どんどん上っていく中、やっぱりエレベーターを使うべきだった、と後悔し始める自分が心の中に生まれる。しかし、そんな自分を追い出すように首を振り、マンションの階段を上っていく。
普段あまり運動をしないことも相まって、呼吸が荒くなり、足が震えそうになる。エレベーターに乗り込みたくなる衝動を何とか抑えつけて、階段を上っていく。
「つ、ついた……」
肩を上下させながら壁に寄り掛かった碧は、自分が住んでいる部屋がある階に辿り着いたことに安堵しつつ、二度と階段など使うかと決意した。
息を整えつつ、今にも崩れ落ちそうな足で部屋の前まで歩こうとした時、軽快な音と共にエレベーターの扉が開く。
愚かな自分とは違って文明の利器に頼った人は賢明だと思いつつ、その賢者の御尊顔を拝もうとエレベーターの方を見ると────狼がいた。
正確には、狼の亜人がいた。先日一度だけ話をして、少々変わっている人だと思った、狼の亜人。
可愛らしい顔がきょとんとこちらを見ている。
スポーツができるなら、様々な部活から引っ張りだこだろうに帰宅部だったのか、と思いつつ、不思議なものを見たと言わんばかりにきょとんとしている月宮美歌に会釈して、自分の部屋に向かう。
しかし、急いで帰ろうとしたからか、足がもつれて転んでしまった。
「ふぎゅっ……!」
「大丈夫?」
そう言って近付いてきた美歌は、立ち上がって呼吸を整える碧の顔を覗き込んで苦笑する。
「全然大丈夫そうじゃないね? 具合悪いの?」
「いや……ただの、息切れ……体力不足……」
だから問題ない。碧はそう言いたかったが、未だ整っていない呼吸と、汗ばみ、赤らんだ顔を見た美歌は納得したように頷いた。
「階段使ったんだ? 一番下からここまで」
「笑えよ……」
「笑う? 何で?」
なぜ笑えと言ってくるのか本気で分からないと首をかしげた美歌は、不思議そうに碧を見ている。
「いや、笑うだろ、普通。エレベーターがあるのに階段使うなんて」
「えー? んー……私は笑わないよ。凄いと思うし」
今度はこちらがきょとんとする番だった。
凄い。凄い? 階段を使ってここまで辿り着くのが、凄いこと?
エレベーターを使った方が無駄に体力を消費することもなくとても楽だし、効率的だし、階段を使うなど馬鹿がやることだ。
ましてや運動不足な碧のような人間が上るなど。大人しくエレベーターを使うべきだろう。
そう思っていたからこそ、碧は美歌に向かって笑えよ、と自分を貶めるような言葉を使ったというのに、美歌はそんなこと考えもしていなかった。
「ここから一番下までって、階段使ったら凄く長いでしょ? それを上り切るのは凄いことだと私は思うよ?」
ひょい、と不意に美歌が碧の体を持ち上げる。
亜人は人間よりも身体能力が高いことが多い。しかし、まさかこうも軽々と持ち上げられるとは思っていなかったので驚いて目を見開いた碧は、自分を持ち上げた美歌がニコニコと笑っているのを間近で見て、少しだけドキリとした。
花より団子、恋愛よりもゲームな少年であっても、美少女の笑顔を間近で見れば、心臓は少しだけでも高鳴るのである。
「こんなに軽くて体力無さそうなのに、凄いね!」
「体力無さそうなのは事実だが何か釈然としない……降ろしてくれ」
「あ、ごめんごめん! 女子の皆からよく持ち上げてって言われるからその癖でつい」
「あなたの目は節穴でいらして?」
「なんでお嬢様口調? 似合ってないよ?」
自分は男なのに、美歌は自分を女として認識しているのか、と遠回りに聞いたら、ストレートな批評が飛んできた。
ちょっとグサッと来つつ、降ろしてもらった碧は、興味深そうに覗き込んでくる美歌から少しだけ離れる。
すると美歌が碧の顔を覗き込むような姿勢でまた近付く。
それに対して碧が離れる。また美歌が近付く。
離れ、近付き、離れ、近付き、離れ、近付き……何度も何度も繰り返し、気付けば碧は壁に追い詰められていた。
「……何か、あった?」
「目」
「は?」
「目、綺麗だなぁって」
美歌の言葉に今度はこちらがきょとんとする番だった。
どうやら彼女は、目を見たいがためにこちらを覗き込むような動きを見せていたらしい。
碧は髪を少々長く伸ばしているため、前髪で目が隠れていることが多いのだが、持ち上げた時に目が見えたのだろう。
その目をもう一度見たいがために、美歌は碧の顔を下から覗き込むような動きをしていたようだ。
「赤い目、初めて見たかも! ね、どうして前髪で隠してるの?」
綺麗なのに勿体ない。美歌はキラキラと黄金の瞳を輝かせて呟いた。
「特に理由は無いけど……」
「無いの!?」
「髪、切りに行くのが面倒だからこうなってるだけ」
特に理由がないと言えば、衝撃を受けたように美歌の耳と尻尾がピン、と上に伸びる。
そう、特に理由はない。この目は嫌いじゃないし、どうにか隠そうとして前髪を伸ばしているわけではないのだ。
単純に髪が伸びてきても散髪しに行っていないだけで、それといった特別な理由はないのである。
「ヘアピンあげようか?」
「いらない」
「えー……」
なぜ接点がほぼ存在しない人間に対して、こうも距離を詰めてくるのだろうか。
碧がそんな疑問を浮かべていることを察したのか、美歌は可愛らしい笑みを浮かべて聞いてもいない理由を口にした。
「君も亜人でしょ? 亜人同士仲良くしたいなって。そう思っただけだよ」
「……そっか。じゃ、俺は仲良くなる対象じゃないと思う」
それを聞いた碧は蛇のように隙間を抜けて部屋に向かう。
拘束されているわけでもなかったので簡単に抜けることができたが、美歌は少し驚いたように固まっていた。
硬直している少女を尻目に、碧は部屋の鍵を開けて中に入る……前に、こちらを見ている美歌に対して一言。
「俺、亜人じゃないよ」
「えっ」
「目が蛇目なだけで、亜人じゃない。……じゃ、そういうことで」
ドアを閉めて、鍵を閉める。
「……勘違いされるくらい、蛇っぽいか?」
玄関で靴を脱ぎながら呟く。
蛇ノ目碧、早生まれのため十五歳の彼は、蛇の亜人夫婦の間に産まれたが、亜人として生まれていない。
唯一引き継がれているとすれば、前髪で隠れている蛇のように瞳孔が縦になっている赤い瞳だ。これだって両親や兄とは違う。両親も兄も目の色は黄緑色である。
鱗も無ければ、蛇のような舌も持ち合わせていない。先程見せた蛇のような動きだって、兄の後ろをついて行くうちに自然と身に付いただけ。
そこにコンプレックスのようなものは────あるにはあるが、もう飲み込んだものだ。
ただ、今日は寝不足もあってか、美歌から放たれた言葉に少しだけ心がささくれ立った。あんな別れ方をしたのだから、もう話す機会は無いだろうが、話す時があれば謝るべきだろう。
「………………ねむ……」
寝不足で頭が痛い。こんなことになるなら徹夜なんてするものじゃなかった。
徹夜明け、いつもそうなるというのに学習しない碧は制服を脱ぎ、明日が休日なのをいいことにベッドにダイブする。
(風呂は……夜中に目が覚めた時に入ればいいや…………ゲームも……明日でいいや……寝よ……)
そんなことを考えて、碧は意識を手放す。
どこまで行っても碧はゲーム以外のことは本当に無頓着というか、適当な男であった。