隣に住んでるウェアウルフは距離感がバグっている   作:エヴォルヴ

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グッドモーニング、距離感バグ

「……む」

 

 碧が目を開けた時、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。

 自分のキャパシティーを超えた出来事の影響もあって、自室のベッドに身を投げ出てそのまま、気付かないうちに眠っていたらしい。

 

 自室にある小型冷蔵庫に入っているエナジードリンクではなく、炭酸飲料を取り出し、レモン果汁を少量投入してコップに注ぐ。市販のレモンスカッシュよりも甘くないそれを、碧は気に入っていた。

 

 数ヶ月に数回やるかやらないかの贅沢な朝の一杯を一気に飲み干し、炭酸の刺激によって意識を強制覚醒させる。

 

「…………はぁ」

 

 意識を覚醒させたことで昨晩の出来事を思い出し、小さな溜め息を一つ。

 昨日、美歌を家に入れた碧は何も考えることなくシャワーだけ浴びてすぐに自室へと逃げ込んだ。恋愛よりもゲームが大事な男である碧であっても、母親以外の女性が家にいるという状況に何も感じないわけではなかった。

 

 しかしもう朝になっているし、このマンションの大家も起きている時間帯だ。美歌はもう帰っているだろう。

 

 全部夢だったということにして、忘れてしまおう。そう思いながらドアを開け、リビングに向かうと、キッチンに見慣れない銀色が見えた。

 

「あ、おはよ」

 

 見慣れない銀色の正体は、昨晩無理矢理この部屋に押しかけて来た美歌であった。

 

「なぜまだここにいる」

 

「お風呂もベッドも借りちゃったし、ご飯作ってるんだー。一宿一飯の恩ってやつだよ」

 

 ま、食材は君のやつだけど。

 楽しそうに尻尾を揺らしながら呟く美歌は、悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、フライパンに入った黄色い物体をひっくり返す。

 

 皿に盛りつけられたそれは、碧が作るとことごとく失敗するオムレツである。

 

「……料理できるんだな」

 

「む、失礼だなぁ。オムレツくらい誰でも作れるよ」

 

「作れないやつがお前の目の前にいるんだが?」

 

「なんかごめんね?」

 

「憐れむような目を向けるな。俺だってある程度は作れる」

 

 まぁ、面倒だから大体炊飯器に任せてしまうが、と呟くと、美歌が変なものを見るような目で碧を見た。

 

「君、結構ズボラ?」

 

「まぁ、そうだな。可能ならこれを一日一回食べて暮らしたい」

 

「げっ、それ買ってる人いるんだ……」

 

 ガサゴソと、兄と碧の共有ボックスから取り出したそれは、亜人向けに販売されている栄養ブロック。

 

 人間よりもエネルギー消費が多いとされる亜人のために製造、販売されているそれは、人間が一つ食べるだけで一日の栄養を摂取できるという凄まじいブロック食品である。

 

 しかし、この栄養ブロック、とてつもなく不味い。製造会社も企業努力を惜しんでいないのだが、死ぬほど不味いから寒気がするくらい不味いレベルにまでしか到達できていない。

 

 人間と亜人が共に歩んできた長い時間の中で、未だ解決していない栄養ブロッククソマズ問題。解決まではまだ時間がかかりそうだ。

 

「兄さんが試しに買って不味かったらしくてさ。もらった」

 

「もらったの!? そんなクソマズブロックを!?」

 

「意外と好きなんだよな、これ」

 

「君一回病院行った方がいいよ、絶対。味覚狂ってるよ」

 

 碧の悪食を垣間見た美歌がジト目を向ける中、碧はコップに注がれたレモンスカッシュモドキを飲み続ける。

 

「よーしできた! 運ぶの手伝って!」

 

 皿に盛りつけられたオムレツの他に、大皿に乗ったシーザーサラダ。冷蔵庫に入っていた炊き込みご飯モドキではなく、炊き立ての真っ白なご飯と味噌汁。

 碧は絶対に作りもしない豪華な朝ご飯が完成していた。

 

「おー……って、こんな野菜冷蔵庫に入ってたか……?」

 

「入ってたよ。冷蔵庫の奥底にラップでグルグル巻きになってた」

 

 ラップにグルグル巻き、という言葉を聞いて碧は誰のものかピンと来たのか苦笑する。

 

「あー……多分兄さんだな。俺、野菜はカット野菜しか買わないから」

 

「便利だよねぇ、あれ。でも普通に野菜買った方が良くない?」

 

「余るよりはいいだろ」

 

「まぁねぇ」

 

 テーブルに置かれていく朝食を眺め、向かい合って席に着いた二人は、ほぼ同時に手を合わせて食事を始めた。

 

 まず手始めに口にしたのは、小皿に取り分けたシーザーサラダ。ポーチドエッグではなく、温泉卵が乗ったそれを口にすると、まろやかながらパンチのある味わいが口に広がった。

 

 小松菜の味を邪魔せず、しかし強く主張してくるドレッシングとカリカリに焼かれたベーコンの風味。それをくどいと感じさせないのは、温泉卵が全体の味付けをまろやかにしているからだろう。

 

「……美味いな」

 

「ふふん、でしょ? 結構料理できるんだよ、私」

 

 気を良くした美歌が自慢げに笑う中、次に口にしたのはオムレツだ。

 

「……ん? これ、出汁巻き?」

 

「卵焼きの仲間だけど、オムレツだよ? まぁ、確かに出汁は入れたけど」

 

 焦げ目が一切存在しない黄色いオムレツは、バターの香りの奥に出汁の味を感じさせる和洋折衷の不思議な味わいであった。

 

「美味しくなかった?」

 

「いや、そういうわけじゃない。美味い」

 

 不味いわけではなく、食べ慣れない味に少し驚いただけで、本当に美味しい。味が濃いわけではないのに、ご飯が進む味である。

 

 オムレツを一口食べて、ご飯を口にする。一口だけでご飯の三分の一を食べきってしまった碧はもう少し味わって食べるべきかと、口直しに味噌汁を口に含む。その味噌汁もまた素晴らしい出来栄えで、出汁の旨味をしっかりと感じた。

 

「凄いな、月宮」

 

「どうせなら毎日美味しいもの食べたいでしょ? 一杯練習したんだー」

 

「へー……」

 

 学校の誰も知らないような情報が美歌の口から出たが、碧は聞き流す。

 そもそも美歌がカードキーを忘れなければ、こんなことにはなっていないのだ。この朝食が済んだらただの同級生の御近所さんに戻る。

 

 変な縁が少しだけできただけで、この先彼女と何度も関わることはないだろう。

 そう思い、ふと学校で耳にした話を口にした。

 

「そういえば月宮」

 

「ん、何?」

 

 ご飯のおかわりを済ませたらしく、大盛のご飯を口にしている美歌が碧を見る。

 

「月宮って彼氏とか作らないのか?」

 

 これを聞いたのは、変な縁ができたことで思い出した、単なる興味だ。

 美歌はこれまで、同級生、先輩を含めた多くの男子から告白されては、興味がないと言って断っているという。

 

 普通、恋人というのは、欲しいものではないのだろうか。でなければ碧の親友である恵があそこまで幸せそうに笑っていないだろうし、それを見て嫉妬の眼差しを向ける男子生徒は存在しないだろう。碧のように色恋よりも夢中になれるものがあるなら、話は別だろうが。

 

 単純な興味を以って問いかけた碧に対して、美歌は不思議そうに首をかしげた。

 

「彼氏ってそんなに欲しいものかなぁ?」

 

「いや、まぁ……欲しい人は欲しいんじゃないか?」

 

「まぁ、確かに友達も彼氏欲しいーってぼやいてたけど……私はいいかなぁ」

 

「そりゃまた何で?」

 

 言い方はあれだが、美歌のような美少女ならば、男の一人や二人、容易く作れるだろう。

 

 誰にでも分け隔てなく元気に、明るく接する可愛らしい少女。スポーツや勉強中など集中している時はまさに狼のように鋭い、クールな顔付きとなるギャップもある。

 

 少し背が高く、健康的な起伏のある体付き。成績優秀、スポーツ万能、天真爛漫。人気でモテるのも頷ける。

 

 噂によれば、男子だけではなく、女子からも言い寄られていたという噂もあるし、恵曰くクラスにも美歌に好意を抱く男子生徒は多いそうだ。

 

 そんな少女がどうして恋人を作ろうとしないのか。

 碧の問いに、美歌はニコリと笑って答えた。

 

「だって、怖いもん。知らない人と一緒になるの。怖くない? 興味のない人とか、知らない人からいきなり好きだって言われるのって」

 

 なるほど、確かにそれはそうかもしれない。

 碧も、知らない人からいきなり好意をぶつけられたとしたら、何らかのドッキリや罰ゲームなどを疑うだろうし、呼び出されたとしても絶対に恵を連れていく。そして恵を盾にしつつ、いつでも逃げられるように準備する。その後恵にハンバーガーを奢るまでがセットだ。

 

 いきなり好意を向けられたら、驚きと同時に困惑と恐怖を感じる。

 

「……その論理で行くと、俺の部屋に泊まったのはなぜだとなるんだが?」

 

「君はあんまり……というか全然怖くないんだ。そういうの興味ないからなのかな?」

 

 何だそりゃ、と呟きながら残りの朝食を食べる。他の人が怖いというのに、碧だけは怖くないと感じるのはなぜなのか。お互いに首をかしげることしかできない。

 

「しかしまぁ……月宮とこのくらい関わるのはこれが最後だし、気にする必要はないか」

 

「え?」

 

「何だよ。実際こうして関わるのはこれで最後だろ」

 

 イレギュラーによって作られた縁がこうして妙な関係を作ったが、この関係も一時的なものだ。学校で大きなイベントがあればある程度関わるかもしれないが、それ以上に深く関わる機会はもう無いだろう。

 

 そんな思いを込めた言葉を聞いた美歌は驚いたような視線を、前髪でほぼ見えていない碧の瞳に向けていた。

 

「飯も作ってもらったし、泊めたのはこれでチャラ。関わるにしても普段の挨拶くらいだろ」

 

「そうなの?」

 

「……別に、用が無ければ関わりはしないだろ」

 

「何か、変わってるね君」

 

 変わっている自覚はある。ただし、目の前の少女よりはまともな思考を有していると思う。

 そんな思いはおくびにも出さず、食事を終えた碧は自分の食器を洗い場へ持っていく。

 

「あ、そういえば今日土曜日だから、大家さん十時くらいまで寝てるよね」

 

 このマンションの大家は休日、長い時間眠っている。美歌の家の鍵を開けてもらえるのは、大家が目を覚ますであろう十一時以降だろう。

 

「…………それまでは適当に時間潰せ」

 

「そうするー! ゲームやってもいい?」

 

「死にゲーくらいしか持ち合わせてないんだけど」

 

「じゃあそれやる! やり方教えてね!」

 

 距離感がバグっているとしか思えない美歌に根負けしたように呟いた碧。

 初心者の美歌がゲームは面白くないものという認識をしないように、比較的難易度が低い────と言っても、死にゲーは高難易度ゲームなのだが────ゲームを脳内で選出中……ふと、ゲーム初心者でも楽しめそうなアクションゲームの新作を購入したのを思い出す。

 

「月宮、無限ループするゲームでもいいか?」

 

「何がループするかによるよ?」

 

 難しいのは嫌、と言わんばかりに訝し気な表情を浮かべる美歌の尻尾はゆらゆらと揺れている。

 

「大丈夫、職業が無限ループするだけだから」

 

 そんな悪魔の囁きに首をかしげつつ、美歌も洗い物に参加した。

 

 

 

 

 

 ────────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 美歌が人生初のゲームを時間を潰すために始めてから、自身の家に帰るまで、本来の倍以上の時間を要した。

 

 原因はプレイしたゲームの中毒性だ。もちろん、悪い意味での中毒ではなく、いい意味で中毒性である。

 

 そのゲームは、自分がやりたいことをやれる。武器が欲しいなら鍛冶師になり、武器を作るためのインゴットが欲しいので採掘師となって、インゴットの素材となる鉱石を掘りにフィールドに出て、武器を作ってモンスターに挑み、その素材を使って新しい防具を作るために裁縫師となり。時には釣り竿のために大工になったり、木材が欲しいので木こりになったり。

 

 自分がやりたいことをやるために様々な職業を転々とするアクションゲームに、美歌は魅了されてしまったのだ。碧が声をかけなかったら、間違いなく夜になっても止めていなかっただろう。沼に嵌まるというのはまさにこのことであった。

 

 碧にもう時間だと言われ、グルルルル、と不満げな唸り声を上げながら碧の家から出ていった美歌は、本当にゲームにハマってしまったらしい。

 沼に沈めた本人としては少々申し訳ないところもあったが、追い出さなければ今日も泊っていくと言い張り、リビングを占拠せんとする勢いだったのだ。

 

『碧、何かあったか?』

 

「何って何? あ、そこ危ないから避けな」

 

『オアァアアッ!?』

 

 美歌を追い出して静かになった夜。恵と共にFPSゲームをプレイしていた碧は、恵が操作するキャラクターが近くにいる壁に爆弾をぶん投げていた。

 

『グレ投げるなら言えよ!?』

 

「投げた」

 

『事後報告じゃねぇか!? って倒してるぅうう!』

 

 爆弾を投げて敵チームの誰かを撃破したことで、ゲームのマッチが終了する。

 チャットで互いのプレイを讃えてゲームを終了した二人は、プレイ後の余韻に浸りながら会話を始める。

 

「で、何かあったって何が?」

 

『いや、何か疲れてるのに楽しそうだったからさ』

 

 美歌がこの部屋でゲームをやっていたので、その横で軽くアドバイスしながら、初心者のプレイに冷や冷やしていました────。なんて、言っても信じられないだろう。

 

「まぁ、昼間からゲームやってたから」

 

 嘘は言っていない。自分がプレイしていた訳ではないが、ゲームは昼間からやっていた。

 

「恵こそ、今日は昼からログインしてなかったよな」

 

『俺はデート行ってきたんだよ』

 

「ああ、例の彼女さんと」

 

『おう。滅茶苦茶緊張したけど楽しかったぜ』

 

 声からも幸せオーラがひしひしと伝わってくる恵に対して、碧は純粋に楽しかったのならよかったと呟く。

 親友の幸せを祝福しないような腐った人間性は持ち合わせていないのである。

 

『ま、デートの感想は学校で嫌って程聞かせてやるよ』

 

「ああ、うん。多分忘れるけど」

 

『ひっでぇ』

 

 ケラケラと笑う恵に笑みを浮かべ、次の試合のマッチングが完了するまで昨晩から今日にかけてまでのことを思い出す。

 誰にも言えない、言うつもりもない美歌との関わり。

 いわゆる二人の間だけの秘密、というやつに碧はらしくもなく小さく笑う。

 

「まぁ、知り合いをゲーム沼に沈めただけだよ」

 

『おっと、そりゃあ学校で根掘り葉掘り聞かせてもらおうか』

 

「俺が忘れてなければね。……っと、始まるよ。次は……げ、このマップかぁ……盾捨てよろしいか」

 

『おいコラメインタンク』

 

 休み明け────というかもうただの同級生なのだ。何か特別感を感じる必要もない。

 心の中でそう呟きながら、碧は苦手なマップでの試合に備えた。

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