島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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第15話 悪夢

 

 瞼を上げたら、そこには大好きなあの子がいた。いつになっても鮮明なあの子は幼いながらに美しい顔立ちをゆっくり笑みに変える。

 

「大好きだよ」

「ひ、」

 

 閉じた喉の奥から悲鳴が漏れた。死人みたいに冷たい腕が、あたしの頬を撫でる。艶やかな黒髪に纏わりつかれ、喉がひくついてしまう。

 

「あたしの大切な」

「ごめんなさっ、」

 

 真後ろで彼女とは真反対の、凶悪な笑みを浮かべる巨大な影が伸びていた。温度の感じられない小さな体に向かって膝をつき、幼児のように縋りつく。

 

「初めてできた、友達だもんね」

「ノエル、ごめん!ごめんっ、あたしは…!あたしが!」

 

 彼女は取り乱すあたしに優しく触れた。いいわけがないのに、許されるはずないのに。これが夢だとどこかでわかっていながら、罪を叫ぶ。

 

「殺した。ノエルを殺したの!」

「許すよ」

 

 駄目。許さないで。そしたら、あなたが死んでしまう。

 

「いやだ、やだやだ!ゆるさないで、だめ。いかないで」

「ゆるすよ」

 

 わたしに、殺されてしまう。

 

「ああ……ああ、ぁ」

 

 後ろにいた巨人の手が伸びてくる。その影に覆い尽くされてもあなたはずっと笑みを崩さない。まるで、そう、まるで、女神のような微笑みで。あたしを許すだけ。

 

「大好きだよ、――――」

「あああ……」

 

 小さくて華奢な体を追いついてきた巨人が虫みたいに摘み上げる。彼女の笑顔がこわばり、大声を上げることしか出来ないあたしへ視線をおくった。絹糸のような髪の下から、潤んだ瞳がゆるりと慈愛の色を滲ませる。穢らしい巨人の手が彼女の腹を締め付け、耳元でゴキリと嫌な音がした。目を見開いて前に倒れ込んだ彼女は締められた鳥のように手足を脱力している。

 何もできない。瞬きをすることすら許されず、息を吸うたびにむせ返るような鉄の匂いが充満して、何度もえずく。

 

「やめて!いやだ!やめて!」

 

 幼子に似た純粋さを宿した気持ち悪い目が、あたしを向く。ぼってりとした腹、分厚い唇。お楽しみの獲物を前にしてるからか、口角は吊り上がっている。歯の隙間に遠くからでも分かるぐらいのどす黒い染みが挟まっていた。

 

「ひッ!!来ないで」

 

 あたしが注意を惹けば、あの子だけ助かるかもしれないのに。あたしはいつの間にか拒絶の言葉を口にしていた。澱んだ目であたしを品定めしていた巨人が、まるで興味を無くしてしまったかのように目を逸らし、獲物を捕まえた手を口へ近づける。

 

「だいすき」

 

伸びていた彼女の体が小さく動いた。か細い声で微笑んだ彼女に手を伸ばす。体の感覚がなく、動けない。必死に名前を呼んで、呼び続けているあたしの前で、巨人があんぐりと大口を開ける。脱力した彼女を頭から丸齧りした。りんごを食べているみたいに、巨人が咀嚼する度、パキパキと彼女が削れる音がする。綺麗だった彼女の顔がすっかりなくなって、胴体だけになった。細い内臓を垂らした体を巨人が折り畳むようにして腹へ詰め込む。お人形みたいな体がびくびくと痙攣しながら口の中に消えた。指で彼女の体を消化している腹を撫でた巨人は、血溜まりを置いて去っていく。元気で頼れる親友が、綺麗な宝物が、赤黒い水溜まりと小さな肉塊に変わった。

 

「大きくなったらね。調査兵団に入ってたくさんの人を救うんだ!」

「――はッ、はッ、は、は」

 

 冷えた空気に触れて目が覚める。洗い呼吸を繰り返しながら、びっしょりとした嫌な汗の感覚がした。頬をつたい、流れていく涙を乱雑に拭う。息を整えつつ、左右を見渡した。慣れていない目では太刀打ちできないような闇夜だ。朝方の仄白い光も囀りも聞こえない。寝床に入ってからそれほど経たないうちに起きてしまったみたいだけど、まるで丸一日眠っていたような倦怠感だ。魘されていたかもしれないので、隣にいるアニの様子を覗き込んでみる。背を向けられているものの、規則正しい呼吸音がしてほっとした。他のルームメイトも目を覚ましている様子はない。

 なるべく、みんなを起こさないようにベッドから抜け出した。あたしができる最大限の隠密行動で寝ているみんなの間を通り、部屋から出て扉に手をかける。寮は古くて閉めるだけで軋む箇所も多い。一気にやると音を立ててしまうので、ほんの少しづつ扉を動かした。閉じきれなかったけれど、たいして変わらないだろう。廊下も抜き足差し足で進んでいく。向かう先は、外。アニと一緒に夜空を見た場所だ。規律に逆らってでも、無性にあの空が見たくなってしまった。夜空の上で踊っている星々を見れば、眠たくなるだろうし。額に滲んだ汗を拭い取る。あの夢を見て、眠る気分にはなれなかった。寮の扉を片手で開けると、夜風が頬を撫でる。少しでもバレないようにしっかり締め、木の階段を降りた。ジャリ、地面へ足をつけたあたしを中途半端に欠けた月が照らしている。隣には散りばめられた宝石たちが光を放っていた。ここでもいいけど、きっとすぐ見つかってしまう。月に背を向け、寮の裏に向かおうとして男子寮の方で体が止まった。今が深夜だなんてことはすっかり忘れて駆け出す。

 

「ノエル?」

「ベルトルト!」

 

 暗闇から呼びかけられたベルトルトは左右を見渡して、驚いている。暗くても、背格好だけですぐに分かった。深夜の時間帯、誰もいないはずの外でベルトルトは男子寮の踊り場で頬杖をついていたのだ。

 

「どうしてここに?」

 

 ベルトルトが訝しんだ様子で問いかけてくる。当たり前の反応だろう。真夜中の、それも寮の外に出て堂々と規律違反している所でバッタリ出くわすとは。偶然に内心胸を踊らせながら、静かに段差を上る。

 

「久しぶりに嫌な夢を見ちゃってさ。ここ最近は良かったんだけど……」

 

 ベルトルトが体を預けていた柵に背中を合わせ、こめかみを揉む。あたしの言葉でベルトルトはハッとしたような顔をした。

 

「例の、悪夢?」

「……うん」

 

 気の毒そうにおずおずと聞き返したベルトルトの言葉を肯定する。訓練地でこのことを知っているのはライナー、ベルトルト、アニ。開拓地から一緒にいる三人だけだ。ここ最近魘されないと話したばかりだから心配させてしまっただろうか。

 

「開拓地でも迷惑かけてばっかりだったのに、これ以上はね。抜け出してきた」

 

 あたしは開拓地で散々喚いて三人の安眠を邪魔してきた。まあ、開拓地に回された大半はあの地獄を経験した人で魘されてる人はたくさんいたから珍しくなかったけれど。幸いにも今日はみんな深い眠りについていたようだが、また魘されて迷惑をかけるくらいなら徹夜を選ぶ。ジットリとした汗の感覚、引き攣るような呼吸。あの感覚も随分久しぶりだった。悪夢を見る頻度は少なくなって、すっかりなりを潜めていたのに。眉を顰める反面、ほっとしている自分もいる。悪夢はいつ見ても同じ内容で、拭いきれない罪の記憶を思い出させてくれるから。どんなに隠し通しても、取り繕おうとも、悪魔はただ一人だと教えてくれるのだ。罪を償うために生きているのだと。

 

「ごめんね、ノエル」

「なんで、ベルトルトが謝るの?」

 

 度々、ベルトルトはあたしに向かって謝る。そのきっかけは曖昧で、いつも唐突だから、あたしにはさっぱり訳がわからない。ベルトルトの表情だけが、また同じように曇ってる。

 

「うん。そうだよね……」

 

 聞き返してみたものの、そうやって誤魔化すベルトルトの笑みは力無い。きっと寝ぼけていたんだろう。こんな深夜に問い詰めるのも憚られるので勝手に決めつけて、ベルトルトの分までにっこり笑う。

 

「堂々としてるけど、誰かにみつからないの?」

「見回りは殆どないから。規律違反は名前だけなんだ」

「えぇ!?」

 

 規律違反真っ只中にも関わらず、ゆっくりできるわけだ。生真面目に規律を守っていたからこそ、大きな声が出てしまい、慌てて口を塞ぐ。それじゃあ、泥棒みたいにこそこそとお手洗いへ行っていたあたしがばかみたいだ。

 

「規律違反なんて。あたしたち悪い子だね」

「ノエルもそうだよ」

「ふふ、おあいこだ」

 

 不名誉なおあいこだけど、ベルトルトと一緒なら嬉しいくらいだ。ベルトルトの顔に差していた影が薄れて、ほっとした。懸念が晴れたところで秩序のない森の声に耳を傾けながら、ベルトルトを真似て頬杖をついてみる。

 

「ベルトルトも、あたしとおんなじ悩み?」

「うん。なかなか寝付けなくて、ね」

「珍しい。あんなにグッスリ寝てたのに」

 

 開拓地でもベルトルトは寝付きが良過ぎる方だったので、たまらずそう溢してしまう。訓練兵になってから、寝床を共にしていないので実際どうなのかは知らない。寝相占いをしているジャンやコニーの様子を見るに、ベルトルトの寝付きが悪くなっているとは思えなかった。

 

「今日は……寝ようとしてるうちにすっかり目が冴えちゃったんだ」

「困ったね。明日も訓練あるし……」

 

 これが休暇前ならのんびり駄弁っている余裕も生まれたが、訓練は無くなってくれない。トロスト区に赴くことも多くなったから、最初より訓練が多くなっている気がする。

 

「もう少しくらい休暇を増やしてくれたっていいのに。ねー、ベルトルト」

「まあまあ、ないよりはいいよ」

 

 不満をぶちまけるあたしに対して、ベルトルトは模範的だ。ライナーの影に隠れがちだけど、なんでもそつなくこなすベルトルトからしてみればどうってことないんだろう。羨ましい限りだ。

 あたしは燃費が悪いので、大した成果も出していない癖して今から寝ても万全の体調にならない。もちろん、短時間の睡眠で動けるような人間でもない。今から睡眠をとっても焼け石に水。明日の訓練は普段の二倍辛いのを覚悟している。

 

「これでアニは平気なんだから凄いなあ」

「アニ?」

「夜な夜な、部屋から出ていっちゃうから」

「ああ……」

 

 一人でぼやいたつもりが聞き返されたので、言葉を継ぎ足す。何も言わないうちに一年目よりいなくなる回数が減り、体調面でも無理のない範囲みたいだからいいけれど、心配には変わりない。

 

「ほんと、何やってるんだろう」

 

 隠れてやりたいこと。一人でひたすらトレーニングするとか、仕事してお金貯めてたり?はたまた、恋人と会ってるとか。そうなったら、付き合ってることを知られてはいけない貴族が相手だったりして。まさかね。

 本当に、何にも知らないから妄想ばかり膨らんでいく。

 

「ベルトルトも、ライナーも知らないんだもんね」

「……うん、何をしてるんだろう」

 

 おそらく、訓練兵を卒業しても謎のままだろう。いつか、教えてもらえる日がくるといいけど。夜空に浮かぶ無数の星空、その中で一番強い光を放つ星へさりげなく願ってみる。

 

「きれい。飲み込まれちゃいそう」

「そうだね。すごく、綺麗だ」

 

 同調するベルトルトの声を尻目に、視界いっぱいの星空をみつめた。目に痛いくらいの眩い光が、真っ黒な空に散りばめられている。

 

「あのさ、ノエル」

「ん?」

「ノエルは。もし、友達が裏切り者だったら……どうする」

 

 眠くなるまでこうしていようかな。頭の片隅でそんな考えが浮かんできた頃、なんの前触れもなくベルトルトは言った。

 

「裏切り?」

「……そう。君をずっと騙していたとしたら」

「うーん、わかんないな」

 

 ベルトルトの投げかけた問いはあまりにも突然で、適当な答えを探り出すことができず頭を捻る。裏切りもの。半分寝ぼけている頭で思考するには重い内容だ。

 

「……そうだよね。変なこと言ってごめん」

「わからないけど、きっと好きなままだと思う」

 

 ベルトルトにとって、こんな一言で片付けていいのか疑問だけど、あたしの中で最終的な結論をつけるとすればこうだろう。あまりにも適当だからか、予想外だったのか。ベルトルトはあたしの答えに目を丸くして、狼狽するように続けた。

 

「えっ、それは……君を裏切ったんだよ?ずっと利用されてたとしても、そう言えるの?」

「うん、好き。好きでいたい」

 

 ベルトルトは念を押すように言うけれど、あたしの意思は全くもって揺るぎそうにない。知らない人が裏切るとか、裏切り者が大切な人を傷つけるとかならまだしも、大切な人があたしを騙していたとしたら。周りの人にどれだけ怒られようが、受け入れてしまうんだろう。罪を犯したあたしに、他の人を捌く権利はない。

 

「どうして、そんなに優しくなれるんだ」

「やめてよ、ベルトルト。あたしを優しいなんて言っちゃだめ」

 

 ベルトルトが淡々と呟くけれど、その言葉だけは受け入れられない。あたしとは真反対の言葉、あたしになんか使ってはいけない言葉だ。すぐに首を振って否定する。だって、こんなのはすべてあたしの。

 

「全部、ただの我儘なんだから」

「そうなの、かな……」

 

 腑に落ちていない様子のベルトルトに「そうそう」と隣から拍車をかける。あたしのやることは、嘘偽りなくそのまま。優しい、はクリスタやライナー、マルコのような人にかけられるべき言葉だ。決してあたしじゃない。

 

「ベルトルトはどうしてこんなこと聞いたの?」

 

 どちらかと言えば静かなベルトルトがこんな話をし出すなんて。今日は珍しいベルトルトがたくさん見れる日のようだ。うなされるのも悪くないかもしれない。ベルトルトを見上げると難しい顔で、しばらくしてからつぶやいた。

 

「……ふと、考え込んじゃったんだ」

「そっか」

 

 それっきり、腕を柵の上に戻して星を目に映す。爛々と輝く星たちは、蝋燭の光より遥かに眩しい。ずってみていたら、目の奥が焦げそうだ。

 

「聞かないの?」

「だってベルトルトは聞いて欲しくないでしょ」

「……うん」

「じゃあ、聞かない」

 

 「ありがとう」小さく声が聞こえたけれど、返事はしなかった。なぜだか、そうした方がいいと思えたから。

 しばらく、静寂があたしたちの身を包んだ。とは言いつつも、爽やかな夜風がどこからともなく自然の騒めきを運んでくる。眠気を誘うには十分で、手で仰ぐより前に欠伸が出た。

 

「ふあ……」

「ノエル?」

「なんだか、眠くなってきちゃった」

「ここで寝たらだめだよ」

 

 ぐらり、頭を揺らすとベルトルトが肩を支えてくれた。欠伸をしたせいか、全身に睡魔が回っているかのように気怠く重い。

 

「分かってる。二人で芋剥きも独房もいやだもん」

 

 ベルトルトにいつまでも寄りかかってはだめだ。あの地獄のような芋剥きの記憶を呼び覚まし、どうにか体制を立て直す。

 

「ベルトルトはどう、寝れそう?」

「うん、そろそろベッドで横になってみる」

 

 あたしばっかり、と心配だったが、ベルトルトも丁度欠伸をしているところでお互いにくすりと笑ってしまった。

 

「ベルトルトのお陰ですっかり眠れそうだよ。ありがとう」

「ううん、僕も話ができて良かった」

 

 名残惜しいけれど、そろそろお開きだ。まだおかしさが抜け切らないうちに言い合って、それぞれの寝床へ向かう。

 

「おやすみ、ベルトルト」

「ノエル、また明日」

 

 ベルトルトが男子寮の中に入っていくのを見送って、あたしも女子寮へ歩き出す。体にまとわりついた眠気を背負ったまま、もう一度欠伸したら背筋が伸びて気持ちが良かった。

 部屋に戻ってきて、出て行った時と同じように細心の注意を払い、ベッドまで辿り着く。小さな物音ひとつに冷や汗をかきながら、アニの隣に潜り込んだ。

 

 今度こそ、眠れたらいいな。

 

 小さく願ってから、生暖かい布団の中でゆっくりと瞼を閉じた。

 

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