島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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第27話 慟哭

 

 頬にぶちあたってくる風が生ぬるく纏わり付いては去っていく。約束を果たすと決めて、何分経ったんだろう。太陽は遠くて輝いたまま、あたしたちを木漏れ日の中で囲っている。あれから何か計画を伝えられたわけでもなければ、ライナーとベルトルトが動く様子もない。こんな沈黙もぶち破ってくれそうなユミルは、さっきからずっと怖い顔であたしを見ている。ユミルの目的が何かはわからないが、先ほどの会話を聞かれた以上警戒されているに違いない。あたしもユミルの立場ならそうするだろう。人間でありながら、巨人の味方をした本物の裏切り者と話したりしない。あたしは口を引き結んで、木の幹にもたれかかった。

 

「おう、エレン。起きたか」

 

 ライナーがあたしに向けていた視線を外す、その方向には上体を起こしたエレンの姿があった。相変わらず蒸気は立ち上り続けていて、止む様子はない。皺の寄った皮膚が内側を覆い隠し、再生しようと蠢いていた。巨人の力によって体が再生しているのをこう直接見たのは初めてだ。人類の構造に抗うような、別の生き物が息づいているような光景に、眉をひそめる。どうも、苦手だ。エレンが気持ち悪いわけじゃない。人智を超えた力に、本能が厭忌しているようだった。同時に、羨望の眼差しを向ける。あたしにもその力があれば、どんな無茶だって躊躇わずにできただろう。

 

「エレン、やめろ!!」

 

 ベルトルトの叫びで、視界が現実に切り替わる。容赦無く自分の腕へ歯を立てようとするエレンを制止しようとして、喉が詰まる。「まあ、待てよエレン。周りをよく見てみろ」あたしが言い淀んでいる間に、ユミルが自傷に走ろうとするエレンを止めた。周りにいる巨人の脅威をユミルに説得され、エレンがようやく腕を下ろす。

 

「二人だけ立体機動装置をつけてやがる……ライナーのはお前が着けてたヤツだよ」

「っ、ノエルか?ノエルが、なんでここにいるんだ……?」

 

 冷静になって、あたしという異質な存在に気がついたのだろう。そっと息を吐こうとした胸が大きく跳ねる。エレンと目を合わせようとして、無理だった。合わせる顔がない。呼吸すら自分には烏滸がましいものに思えて、抱えた足に顔を押し付ける。

 

「あ?ああ……確かに、私たちがここで巨人化したらソイツは終わるな」

「てめぇら、ノエルまで攫ったのか?!」

「そうだ」

 

 偽りの夢で共感を得て、挙げ句の果てには人類を裏切った。同じ境遇でありながら、あたしは故郷を蹂躙した仇を選んだ。どう説明したって、エレンが納得してくれるはずない。そもそも、あたしがエレンと顔をあわせる資格はない。あたしのことなんか無視して、このまま。そんな願いはよそに、エレンは捲し立てた。

 

「人質のつもりか?さっさとノエルを解放しやがれ!」

「それはできない」

「じゃあ、何の為だよ!」

「約束の為だ」

 

 腕を組んだライナーが、あたしの方へ視線を寄越した気がした。淡々と告げているライナーに対して、エレンの荒々しい呼吸が聞こえてくる。

 

「は……?誤魔化してんじゃねぇぞ」

「落ち着け。そこの野郎がなんであんな出来損ないに執着してんのかは知らねえが、今は現状を見るべきだ」

 

 ユミルによって話題の矛先が変えられ、内心安堵する。ユミルやライナーが交わす声に耳を下たけながら、じっとその時が来るのを待った。立体機動装置を装備している二人、眼下を彷徨いている巨人たち。エレンからしてみれば、どうにもできない状況に歯噛みする他ないのだろう、エレンも気付けば喋らなくなっていた。これが数ヶ月前だったら、こんな重苦しい空気は流れていなかっただろうに。訓練兵の頃は幸せだったな。毎日訓練をこなしていれば、仲間と過ごせて、何も考えなくたって明日が来た。ミーナ、トーマス、マルコだって、食堂に行けば会えた。その頃と比べたら、状況は一変してしまっている。

 

「ライナー、水はないのか」

 

 停滞した空気を破ったのはユミルだった。パタパタと体から出ている蒸気を仰ぎながら、喉の渇きを訴える。「この状況じゃ手に入れるのは無理だ」ライナーはその場に座り込んだまま、ユミルの要求を却下した。悪態を吐くユミルに続いて「そういや、昨日の午前からだったか……」たった今思い出したのかのようにつぶやく。

 

「巨人が沸いてからずっと働き詰めじゃねえか……ろくに飲まず食わずで何より寝てねぇ……」

 

 日常会話のような声色で話し続けているライナーの背が、どくりと揺らぐ。「ライナー」ベルトルトが横から割って名前を呼ぶけれど、ライナーは話を続けた。「兵士としてそれなりの評価があってもいいと思うんだがな……」それこそ、訓練兵の時のように。少し前ならなんの引っかかりも感じず受け入れられていたであろう会話が不穏に歪み始めていた。ライナーの言葉は聞き取れているのに、現実とまるで乖離している。

 

「ライナーさんよ、何言ってんだあんた…?」

「別に今すぐ隊長に昇格させろなんて言ってないだろ」

 

 上部の批判だけを汲み取ったような返答は、答えになっていない。ユミルの表情で察したのか「なあ、ノエル?」あたしが状況を理解しないうちに話を振られ、全く身の入っていない返事をする。

 

「ぁ、う、うん……?」

 

 ライナーとあたし達の間にある齟齬の存在が浮き彫りになってきて、冷や汗が頬にじっとりと垂れてきた。それが顎まで伝い落ちていくのを、拭う余裕はない。

 

「そんでもって、後のクリスタなんだが……ありゃあ、どう見ても俺に気があるよな?今すぐどうこうって訳じゃないが……ノエル。お前も見ただろ」

「てめぇ。ふざけてんのか?」

 

 ライナーの独り言に終止符を打ったのはエレンだった。エレンの咆哮にあてられたライナーは意味がわからないと言った様子で「何、怒ってんだよ。エレン?俺が……何かまずいことでも言ったか?」困惑を露わにして見せる。

 

「ライナー、君は兵士じゃないだろ。僕らは……戦士なんだから……」

「あぁ……そう、だったな……」

 

 ベルトルトの一言によって、ライナーはその場で膝をついてしまった。顔を手で抱え込み、苦悶の表情を噛み殺しているライナーの姿を見るのは、今日だけで二度目だ。

 

「すげえな……お前の実直すぎる性格じゃそうなっても――」

「黙れ」

 

 ユミルが指摘した人格の歪みは、恐ろしいくらい腑に落ちた。三人で話している時に、ベルトルトだけが一人焦燥感を滲ませていることがよくあったからだ。あれは、自分を兵士だと思い込んでいたライナーが暴走した結果なんだろう。ライナーの反応からしても、おそらく間違いない。

 

「口を、閉じろ」

「……悪かったよ、詮索が過ぎたよな」

 

 ライナーの冷たい声が、ユミルの言葉を中断させる。近くで見ずともわかる震えを抑えきれていないライナーへ、近づくことはしなかった。人格が二つあるとしたら。あたしが約束をしたのはどちら、なのか。ふいに思いついた考えを、胸の奥に追いやって蓋をする。今じゃない。それを聞いてしまったら、全てが崩壊してしまうような。悪い予感がした。

 

「お前らができるだけ苦しんで死ぬように努力するよ……」

 

 激昂したエレンと触発されたライナーの口論の末、エレンが憎悪に濡れた声を出した。深緑の瞳が木漏れ日の中でギラギラと獰猛な輝きを見せている。確固たる決意の吐露を前に、あたしは腕を手繰り寄せて、じっと蹲った。

 影に溶け込むよう息をして、緩く開いた瞼の先で落ちかけている太陽が映り込んだ。もう少し、あと何十分が経てば太陽は徐々にかけていくだろう。あの後、エレンは何度もユミルに敵の正体を問いかけていたけれど、結局答えが返ってくることはなかった。最初こそ中立か、むしろエレン側だったはずのユミルはクリスタの話で立場を変えることにしたらしい。すっかり黙り込んでしまっている。

 

「ノエル!」

 

 だから、あたしも答えなくていいはずだ。解けた指を絡め直して、立てた足に顔を押し付ける。エレンが何度も叫ぼうと、あたしが返事をする義務はない。部外者を騙って、ただ座っていれば、それでいいんだ。

 

「なんで、お前まで無視すんだ!?起きてんだろ!」

「……いい加減諦めろって、エレン」

 

 ついに耐えかねたのか、ユミルがぽつりと溢した。「は、諦めるって、何を」肘までしか形成されていない腕を垂らし、エレンが聞き返す。ユミルはわざとらしく大きなため息をついてみせてから、その鋭い眼光であたしを貫いた。

 

「ソイツはもう決めたんだ。生まれ故郷も仲間も捨てて、アイツらと駆け落ちするってな」

 

 「は……」エレンの愕然とした息遣いがそっと、耳に入ってくる。耳を塞いで仕舞えば、楽だろうに。あたしの手のひらは小さく震えたままで何もしなかった。ユミルが語っているのは、事実だ。ここで有耶無耶にしようが、エレンはすぐに知るだろう。

 

「ノエルが、本当に……そう言ったのか」

「あの様子を見りゃわかるだろ」

 

 困惑を滲ませるエレンに向かって、ユミルが嘲笑混じりに答えた。裏切り者の二人は、あたしのすぐそばにいる。エレンだったら、飛びかかっていそうな位置だ。今腰掛けている木の幹は足場として不安定だから、全力でぶつかりでもしたらライナーを地面に落とすことだってできるかもしれない。けれど、あたしは動かずに静観し続けてきた。エレンならその意味がわかるだろう。

 

「ノエル」

 

 エレンが再び名前を呼んで、あたしはゆっくりを顔をあげる。そばで揺れている葉っぱと似たような色をした、緑色の瞳と目が合った。さっきまでライナーたちに向けられていた瞳が、真正面に裏切り者を映している。

 

「お前……本当、なのか?オレたちを、裏切るって……」

「……うん」

 

 溜まっていた唾を嚥下して、あたしは新たに重ねた罪を告白した。エレンの眉間に皺がよって、顔が俯く。怒りか、幻滅か。エレンの肩がわなわなと小刻みに顫動している。

 

「……人類を、みんなを助けたいって、言ってたよな。だから、調査兵団に入るって……」

 

 一拍置いてから、エレンが地を這うような声で言った。あたしがいつかに吐いた言葉だった。幻想ばかり抱いていた、呑気な頃の自分だ。今聞いてしまうと、笑ってしまいそうな夢ばかり。唯一叶えられたのは、調査兵団への入団だけだ。

 

「周りにそんな奴はいなかったから。すげぇ嬉しくて……特訓にも付き合ってやったっけ」

 

 エレンが肘から先のない腕を顔の近くに動かした。手のひらまで修復されていたら、その拳は固く握られていたことだろう。エレンがあたしに仲間意識を感じてくれていることは知っていた。調査兵団志望を公言している人間などそう簡単に見つかるものではないから。

 

「なのに、ここまで来て……コイツらの味方してどうすんだよ!!」

 

 知っていて、あたしは信頼を捨てた。

 

「オレたちより、そこのクソ野郎の方がいいってことなのか……?」

 

 全てを吹き飛ばさんとばかりの怒号がなりを顰め、エレンは自問自答するかのように訴える。エレンが視線をずらした先には、ライナーとベルトルトがいるのだろう。視界に入ることすら妬ましいかのように目の色が変わり、あたしへと戻ってくる。

 

「お前がそんな馬鹿みてぇなことをするせいで。オレは、お前も殺さなくちゃなんねぇんだぞ…?!」

 

 エレンが大きく目を見開いたまま、確かめるように聞いてくるけれど、口を開かなかった。あたしはエレンの望む答えを返せない。これは全部決まったことだ。今さら、約束を破ろうとも思えない。あたしはノエル・ジンジャーとしてやるべきことをやるだけだ。

 ユミルのようにだんまりを決め込んでいれば、流石のエレンも折れてくれるだろうか。長丁場を覚悟で、その場に座り直そうとした。

 

「お前を探してた親父は、こんな結末望んでねぇだろ……!!」

 

 あんたの親父、死んだよ。告げる男の臭い息が鼻腔から体に入り込んで内臓を腐らす。通り過ぎる人はみんな観ていて、親を殺したあたしで笑ってた。ひとりぼっちにしない。誰がそんな馬鹿なことを言ったんだ。そうか、あたしか。あたしが、全部。

 

「うるさい!」

 

 時が、止まってるみたいだった。ぬるい風が顔に纏わりついて、消えていく。腹から迫り上がってくる圧迫感を吐き出したくて、強張った指ですぐ側の幹を掴んだ。木屑が爪の間に挟まり、微かな痛みを生じさせる。ふらつく足で立ち上がれば、みんなの視線が自分へ向いているのがわかった。口を開いたままこちらを見上げているエレンに向かって、喉に詰まった衝動を吐き出す。

 

「あたしのパパは、家の下敷きになって死んだ……!言ったでしょ、ただの人違いだったって!」

「……どっちにしろ、お前の親父を殺した犯人はソイツらだ。お前も親殺しに加担したいのか?!」

 

 少しの間を空けてから、エレンが叫ぶ。胸元を引っ掻いた手のひらが、服に従い落ちていく。親殺し、なんて。とっくにあたしは親殺しだ。パパの娘を勝手に殺して、パパ自身まで殺したのはあたし自身。考えることを放棄して、幸せに暮らしているんだろうと自分よがりな理想を押し付けた。最愛の人を壁の外で失って。あの人が、どれだけ孤独を恐れていたか知っていたはずなのに。あたしはパパを孤独に追いやり、苦悶の中で死なせたんだ。

 

「ッエレンに何がわかるの!なにも、なにも知らない癖に……!!」

 

 あの日。ライナーたちは大勢の人を殺した。あたしは生きるために親友を殺した。あたしたちは、自分たちのために他人の命を奪った。奪われた側のエレンに、あたしたちが理解できるはずない。もし、あたしがエレンたちと同じ立場で、ライナーたちを仇だと憎むことができていたら、世界はどれだけ単純で正しく動いていたのだろう。だけど、その時に肩を並べているのはきっと"あたし"じゃない。そんな世界で自分も息をしたかった。

 

「たった数年過ごしただけで、あたしのことを知った気にならないで!」

 

 全てを言い切って、焼けるような痛みを訴えている喉に手を添える。「はぁっ、はあ、はぁっ……」眩む視界のまま、ずるずると木に背を預けた。添えた手から、荒い振動が伝わってくる。あんな風に叫ぶのは、初めてだった。残った気怠い余韻をどうするのかわからず、ただ空を仰いで呼吸する。

 

「ノエル」

 

 節ばった手が、ぼやけた視界に入り込んできた。長い指がするりと頬に添えられ、あたしは怠慢に瞬きをする。昂っている体の熱に冷えた手のひらが気持ちよく馴染んで、目元が緩んだ。

 

「疲れただろ……仮眠でもしとけ」

 

 ライナーの腕に導かれるまま、膝を折った。一度座り込むと、気怠さがあっという間に引いていく。押し潰されているみたいな息苦しさも薄れ、代わりとでもいうように眠気が襲ってくる。前髪をサラサラと指が通っていき、手のひらが頭を撫でた。

 

「ごめんね、エレン」

 

 独り言みたいに溢し「……謝るんなら、最初からすんじゃねえよ……!」どこかから、エレンの声が耳に入ってきた。瞼を強く閉じて、あたしは今度こそ返事をしなかった。

 

 

――――

 

 

 夕焼けを背に浴びながら、ライナーとベルトルトは同じ枝の上に集まっていた。話し合いをする二人の影を、エレンが憎々しげに睨み続けている。そばで膝をついたユミルの手足は生えそろい、出発の準備が整い始めていることを知らせていた。

 

「俺たちの任務はまだ終わらない。そんな時にクリスタがこっちにいれば今よりずっと探しやすくなるはずだ」

「……ライナー、それと」

 

 ライナーが話し終えてから、ベルトルトは口を開いた。その視線が見下ろした先には、すぐそばで小さく寝息を立てているノエルの姿がある。ライナーもベルトルトを追って、二人の目線がノエルへ向けられる。二人の脳裏に思い出されるのは、つい先ほどの姿。普段は滅多なことにも声を荒げないノエルが、取り乱して叫んでいた。五年間寄り添ってきて、一度もなかった光景に二人は言葉を失うことしかできなかった。今は、半ば気絶した形で眠り込んでいる。

 

「ああ。ノエルにはわりぃが、そろそろ起きてもらわんとな……」

 

 すやすやと眠りこけているノエルを前に、ライナーは頭を掻いた。さっきの姿を目にしてしまった以上、このまま眠らせてやりたくなるが、そういう訳にもいかない。熟睡している人間を叩き起こす。それも、ノエルを。ばつの悪さにライナーが躊躇っていると「そういうことじゃなくて……」ベルトルトが言い辛そうに横から声を出した。

 

「巨人がいないとこで、俺の口に放り込む。さっきはどうにかなったんだ、いけるだろ」

「……本当に、ノエルを連れていくの?」

 

 痺れを切らしたベルトルトがライナーへ問いかける。それを耳にしたライナーはノエルの肩に伸ばした腕を止め、軽く振り返った。

 

「今さら何言ってんだよ、それ以外にどうすんだ」

「君は……ノエルを捕虜として引き渡すつもりなんだろう。確かに、故郷へは連れて帰れるかもしれない……でも、いつまで生かしておけるか……」

「ベルトルト。約束は、約束だ」

 

 言い淀んだベルトルトの肩をライナーが軽く叩いた。ライナーから向けられた瞳を映し、ベルトルトの胸の内にどうすることもできない倦怠感が襲ってくる。

 ノエルは、ベルトルトたちにとって特別だ。壁の中でなんの気兼ねなく言葉を交わせる、ただ一人。常に潜入調査で気を張っている三人にとって、その存在が特別なものへ変化するのに時間は掛からなかった。

 ノエルは特別になりすぎた。関係を断ち切るべきだと理解していながら、全員が今日まで放置した。その結果がこれだ。ライナーは心の軋轢をノエルで埋めるようになり、叶えられるはずのない約束まで結んでしまった。

 

「お前だって、故郷でノエルと……四人で暮らしたいだろ」

 

 まるで全て叶うことのように言うライナーへ、ベルトルトはなんの言葉も返せない。空想を語るライナーに対して、ベルトルトは現実を見据えていた。魚が陸で生きられないように、ノエルが故郷で過ごすことはできない。独房に押し込まれ、鉄格子越しの空を眺めるだけだ。それを、四人で暮らせると言っていいのだろうか。ノエルは順応しようと足掻くだろうが、根本は変えられない。ノエルだけが苦しみ出して、ある日パタリと事切れる。そんな未来を想像するのは容易かった。

 

「わかった」

 

 ベルトルトは頭の中で思い描いた未来をライナーに告げることなく、頷いた。ノエルをライナーが任務をやり終えるまでの精神安定剤として利用する。それが、ベルトルトの出した結論だった。

 とは言え、ベルトルトも例外になくノエルを大切に思っている。身長を羨ましそうに見上げてくる目線、自分に何度負かされようと立ち上がる意志の強さ、こうやって自分たちを許してしまうほどの慈悲深さと愛。全てに触れて、卑劣で穢れた民族と一言で片付けることが、誰にできるのだろうか。

 アニも、ノエルの隣にいる時だけはいつもの顔が嘘みたいに生き生きとしていた。二人は気づいていなかったが、第三者からしてみればあからさまだった。アニを目で追っていたベルトルトにとっては、尚更だ。

 こんな世界で出会わなければ、本当の幼馴染になれたかもしれない。ただ、そんな希望に縋ったとして現実は無常に流れていく。選択の時は来てしまった。

 ベルトルトの本心も知らず、返答に納得したライナーが、ノエルの肩に手をかける。ベルトルトは胸の内でそっと謝罪すると、それに呼応するようにノエルが閉じていた瞼を開いた。

 

 

――――

 

 

 遠くで打ち上げられた信煙弾を視認したあたしたちは、迫り来る調査兵団から逃げるように森を抜けていた。一つ残っていた立体機動装置をユミルが身につけ、ベルトルトはエレンを背負っている。残るあたしはライナーの体に腕を回し、振り落とされないようにしがみついていた。ユミルが口論の末に巨人化し、信煙弾の上がった方面へクリスタを探しに向かったのが少し前だ。あたしたちは森の端まで辿り着き、太い枝の上でユミルの帰りを待っていた。エレンは背中に括られたまま、すっかり気を失っている。

 

「ユミルが戻ってきたら、お前は俺の手に飛び乗れ」

 

 「居心地は悪いだろうが、安全だからな」不気味なほどの静けさを湛えていた先ほどとは打って変わり、騒がしい森の奥を見つめていたら、ライナーはそう言って自分の手を広げてみせた。意識が途切れていたから気が付かなかったけれど、あたしは巨人となったライナーの口内で運搬されていたらしい。それにしては服が乾き過ぎている。口内が人間と同じ作りなら、涎でぐちゃぐちゃになっていてもおかしくない気もするけれど、ライナーたちが知らぬ間に拭いてくれたんだろうか。

 

「口の中に人を入れるって、どんな感覚なの?」

「どんな、って。そりゃあ、もの食ってる時と同じだろ」

 

 何気ない疑問を口にすると、ライナーが不可解そうに答えてくれる。どこまで人間と同じつくりをしているのかはしらないが、ライナーの言い方から推測するに舌と食感くらいはあるんだろう。

 

「どんな味だった?」

「何がだ」

「あたしの味」 

「は、……い、や。お、おま!なにを言い出すかと思えば……」

 

 何もおかしなことは聞いていないはずが、ライナーがあからさまに目を泳がせ始めた。「あ、味……か。ぃ!いや、あれは……」味の感想が聞きたかっただけなのに、ライナーは頬を赤くして一人でぶつくさと溢している。ベルトルトなら原因がわかるかと思ったが、怪訝そうな顔で首を横に振るだけだった。

 

「来たぞ、ライナー!」

 

 何か言いたげなライナーの視線を掻い潜りながら待ち続けていると、小柄な影が木々の間から飛び出してきた。組んでいた腕を解いたライナーが、あたしを一瞥するなり地面へ飛び降りていく。見慣れ始めた雷鳴が落ち、突風の中に鋼鉄の鎧を背負った巨人が現れる。

 

「ライナー!」

 

 今度は自分から身を投げ出した。赤身のでている手のひらが、体を包み込む。大きく手を広げて無傷な体を主張すれば、あたしを乗せた手が口元に近づいていく。あたしは大きく息を吸い込んで、巨人の口内に転がり込んだ。予想通りの粘液が体にまとわりついてきて、意味もなく拭う。歯の隙間から差し込んでいた光が徐々に失われ、闇になる。体に伝わってくる振動が走り出したことを告げた。真っ暗な空間で体を起こすような体力は残されていない。どろりとした唾液と生暖かい熱に包まれたまま、自分の意思で目を閉じた。

 

 

――――

 

 

 壁外を徘徊する巨人を押し除け、調査兵団は鎧の背まで辿り着いた。その首元に集まった仲間たちは、エレンと共に手の内側へ潜むベルトルトに語りかけていた。偽りの日々と使命の中でベルトルトは悲痛な叫び声を上げた。しん、と静まった空気の中で頬に汗を垂らしたミカサがエレンの返還を要求するが、意思は変わらなかった。やはり、分かり合えない。ミカサが手の中の刃を握り直したところで、ジャンが鎧の指に手をかけた。

 

「……ヘタクソはどこに隠した」

 

 顔でも拝んでやりたいと、ジャンの思惑は固く閉じられた指によって遮られる。声を聞いたエレンはその居場所を答えようと喉を動かすが、布に塞がれた口はくぐもった音だけを漏らした。

 

「アイツにゾッコンなお前らのことだ。まさか、殺せないよな……?」

 

 同じく連れ去られたはずのノエルをさっきから一度も見ていない。ジャンは最悪の可能性を潰すように吐き出すが、ベルトルトが返事をすることはない。

 

「あのヘタクソを連れ去ったって、なんの利益もないぜ。邪魔なだけだ、なあ。それなら、置いてったっていいだろ」

 

 エレンにユミルの二人に対して、ノエルだけ明らかに浮いている。共謀者の可能性を提示したハンジへ、真っ先にあり得ないと声を荒げたのはジャンだった。ジャンは訓練でノエルに散々足を引っ張られてきた、だからこそ言える。ノエル・ジンジャーは兵士をするのがヘタクソで、諦めの悪いただのバカだ。

 

「俺はアイツを見守る義務があんだ!!それを果たせなくなったやつの……ッ代わりにな!!」

 

 なにより、一番の親友が心底惚れていた。

 あの日。何もできずに引き離される二人と、それを止めることしかできない自身を恨んだ。いつものアホ面を歪めて、しゃがみ込んだノエルの背に親友は手を添えてやれない。その時に、ジャンは決めたのだ。誰のものかもわからなくなった骨の燃え滓に誓ったのは、一つだけじゃない。

 

「ノエルはお前らに頼らなくたって、生きていけんだよ!」

「無理だ!僕たちが、生きていけない!」

 

 圧迫された影の内でベルトルトが叫喚した。ぐっと唇を噛もうとしたジャンは予想外の返答に、動きを止める。エレンの抵抗によって、体を押し付けられながら、ベルトルトは歯を痛いくらいに食いしばった。

 

「決断が遅すぎた……このまま、連れていくしかない!」

 

 トロスト区で、開拓地で、いや。もっと前、出会った時に、殺していれば。この苦しみを感じる必要はなかった。出来ることなら、今すぐにでも解放されたい。今実行することだって、できるだろう。それをしないのは、ライナーが壊れるからだ。これ以上、ライナーの精神を揺さぶれば、何が起こるかわからない。アニを失い、ライナーまで使い物にならなくなれば、ベルトルトは終わりだ。

 

――ノエルは。もし、友達が裏切り者だったら……どうする

 

 だから、ライナーには夢をみさせて、ノエルには緩やかに死んでもらう。最初の予定通り、自分たちの知らないところで。

 

――わかんないけど、きっと好きなままだと思う。

 

 こんな世界でなければ。立場が、故郷が違っていたら。ライナーの言うように、四人で暮らせていたのだろうか。

 

「誰かがやらなくちゃいけないんだよ……誰かが、」

 

――好き。好きでいたい

 

「誰かが、自分の手を……血で染めないと」

 

 何の迷いもなく言えるノエルが、ずっと。眩しくて仕方なかった。

 

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