島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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マーレ編
第28話 波音


 

 心地よい振動に身を任せながら、微睡を揺蕩う。過ぎ去っていく風が気持ちよくて、寝こけてしまいそうだった。振り落とされないように手をつき、薄く目を開く。何もせずとも流れていく地面、米粒みたいな大きさの巨人。そいつの体は巨大な足に飲み込まれて、すぐ見えなくなった。壁外調査で巨人の脅威に怯えていたことが嘘みたいだ。悠々と走っている鎧の首元。あたしは岩のように硬い皮膚へ頬を擦り寄せた。

 大きく開かれた口に飛び込んで、次に意識が覚醒したのは満点の星空の下だった。話し声で目を覚ましたけれど、憔悴しきった三人を前にして、ただ寝ていただけのあたしは何も言うことが出来なかった。夜闇に包まれた壁上で周囲を見渡しても、クリスタの影は見当たらない。自分がいない間に、重大なことでも起きたのだろうか。あれだけクリスタを求めていたユミルは、地面に寝転んだまま空を仰いでいる。抵抗も、要求もしない。ただ、夜空へ手をかざすユミルの横顔は、満ち足りていた。

 すっかり荒れ果てていたシガンシナ区の壁上で、一晩を明かしてから、あたしたちは再びライナーの背に乗って移動を開始した。行き先は、二人にしかわからない。壁外の先に、何があるのか。恐る恐る腕の間から目をやっては、見慣れた光景に息をついていた。

 

「やっと。やっと、着いた……」

 

 ベルトルトの感嘆で顔をあげる。真っ先に飛び込んできたのは、見慣れているものの半分の高さしかない壁だった。散々壁を見上げてきた自分からすれば、特に物珍しくもない光景に拍子抜けする。ユミルの反応でも伺ってみようと顔を動かしたら、何か嫌なものでも思い出したかのように歯を食いしばっていた。

 

「わ、ぁ……」

 

 鎧の指から足を下ろすと、青が視界を覆い尽くした。頬を撫でるような風が、髪を揺らしている。いつもと何ら変わりのないそれは、何故か潮の匂いを含んでいた。太陽に反射した波の煌めきが、永遠に途切れなく続いている。調査兵団が求め続けていた壁の先、"海"が広がっていた。

 

「ノエル、いくぞ」

 

 鎧の頸から出てきていたらしいライナーが、呆然とするあたしの肩を叩く。少し間を開けてから、声のした方向に視線を動かした。隣にいたライナーがぎょっと目を丸くする。

 

「な、泣いてるのか?」

「え、あ。あ、はは……何で、だろう」

 

 指摘されて、頬を流れるものの存在に気がついた。慌てて目元を擦り、それを拭い去る。「こっちだ」ライナーに誘導されるがまま、あたしたちは壁上の側に備え付けられていた階段を下がっていく。一段、また一段と足を動かしながら、あたしの目は海から離せなかった。

 アルミン、海はあったよ。全部、あなたの言う通りだった。いつかあなたもここへ来て、この光景に息を呑むのだろう。ひと足先に望んだ海は、想像よりずっと広くて美しかった。もし、この海をみんなで見られていたら。違う、その未来を拒んだのはあたし自身だ。

 

「ごめんね」

 

 一人でこっそりと息が漏れる。手の甲に透明な滴が落ちて、流れていく。真っ先に伝えることができなくて、ごめんなさい。

 

「敵の内情を知り、利用することが出来れば、壁内の制圧がやり易くなるはずです」

 

 不安定に揺れる地面が微かな吐き気を誘ってくる。ライナーが椅子に座りながらあたしについて話しているのを、どこか他人事みたく聞いていた。

 長い階段を降り切ったら、ライナーとベルトルトたちは船着場のようなものに停泊している船へ近づいていった。知っているものより一回り大きいそれに、小さく息を呑んだ。そばに立っていた人間のうち、ひとり。形の眼鏡をかけたブロンドの男が連れ添っライナーとベルトルトの肩に片手ずつ添え「おかえり」と告げる。その男はユミルとあたしの姿も目にして、何か言いたげにしながらも船内へと手を招いた。あたしとユミルは奥から出てきた白い制服の人たちに腕を拘束されてから、要塞みたいなそれの内側へ足を踏み入れた。

 

「え?、いやいや。何言っちゃってんの」

 

 今までライナーの話を傾聴していた男が困惑の声をあげる。「捕虜?そんなの聞いてないんだけど……ベルトルト。お前もだよな」冗談でもされたかのように聞き返し「……はい」ライナーのそばでベルトルトは首を縦に振った。

 入り口からほとんど強制的に歩かされ、あたしは軽く机と椅子が置かれただけの狭い船室に押し込まれていた。廊下を進んでいく中で同じく拘束されていたユミルとは引き離され、先ほどからジークと呼ばれている男と、ライナー、ベルトルト。あたしと銃を背負った男が部屋に残った。ライナーは此処に来るまでの経緯を話し終えてから、明らかに異物であるあたしの説明を始めた。

 

「じゃあ、ライナーの独断ってことか」

 

 ベルトルトの返答を受け、ジークはため息混じりにつぶやく。ライナーが上官であろうジークに提言したのは、あたしを捕虜とすることだった。まだ推し量れていないが、ライナーとベルトルトが何らかの組織に所属しているのは確実だ。その組織は、戦士と呼ばれるもの。ここに来る廊下でジークが「戦士長になったんだ」と言っているのを聞いたし、ベルトルトが度々口にしていたのも"戦士"だ。それがあたしたちの兵士と似たような存在なら、他にも戦士が存在するのか。

 埃っぽい床を睨みつけながら考え込んでいると、「いやさ」ジークが口を開いた。

 

「顎の保有者を連れてくるのはわかるよ、まあ。元々ウチのだけど」

 

 ずり落ちていた眼鏡を指で持ち直し、ジークは沈黙に沈んでいた場を仕切り直すように手を広げる。ジークの話が真実ならば、ユミルはライナーたちから巨人の能力を奪ったということだろうか。巨人の力が外から持ち込まれたものと仮定して、エレンの力は誰から。唇を開きながら顔を上げた先で、眼鏡の向こうの目と目が合った。

 

「で、なんの力も持ってない人間を命懸けで連れてきてどうするんだよ」

 

 その瞳からは何を考えているか読めない。何も映していないようで、確実にこちらを探ってきている。掴みどころのなさそうな男に、あたしは胸の内で警戒の色を強めた。

 

「悪魔なんじゃなかったの?」

「は、……そ、れは」

 

 最初の単語を強調しながら言ったジークに、ライナーの顔色がサッと悪くなる。ベルトルトはそんなライナーを前にして、眉間へ皺を刻んだ。黄の瞳が頼りなさげに揺らいで、あたしで止まる。

 

「ら、」

 

 口にしようとした声が、そのまま空気に溶けていく。ずっと後ろで拘束されている手がいまさら痛みを訴えてきて、心臓の鼓動が耳元まで迫ってくる。一度も向けられたことのないようなそれ。一緒に過ごした時間を忘れてしまったみたいな、木の上で幹に強く押し付けられた時と同じ。

 

「別に、いいけどさ」

 

 重苦しい空気の中で、ジークの声がする。ライナーが明らかに異常をきたしているのはわかるはずだけれど、気にする素振りは一切見せない。まるで興味がないみたいに、平然と話の続きを始めた。

 

「情報源ねえ、……お前らがいるから充分だと思うけどな」

 

 手を顎につけ、髭を弄びながらジークは二人を流し見た。正直言って、あたしも自分の有用性について自信があるわけじゃない。むしろ逆だ。売り込めるような力や技術も、頭脳でさえ。能力のない自分が恨めしくてたまらない。本物のあの子なら、全て持っているのに。

 

「壁内には未知の資源があり、技術面、文化面共に独自の発達を遂げています……生きた情報源を尋問するのは、他国相手にも有効だったと記憶していますが」

 

 顔を覆い隠していたライナーが、その手を外して問いかける。その隙間から見えた瞳はいつもの色をしていて、胸をほっと撫で下ろした。何かの迷いがあるんだろうか。わからないけれど、さっきから汗が止まらなかった。ほんの僅かに目を合わせただけなのに、体が何かを伝えようとしてくる。もう、あたしにはライナーしかいないんだから、信じるしかないのに。

 

「確かに、捕虜が吐いた情報でどうこうってのはあったよ。だけど、この子が使いものになる?」

「座標の幼馴染を除けば、コイツと始祖は同期の中で一番親密でした。俺たちの知らない情報を得ている可能性があります」

「じゃあ、その幼馴染を連れてくればよかったじゃん」

「そ、それは……」

 

 最もなことをジークから指摘され、あたしのために都合の良い方便を立ててくれていたライナーが言い淀む。ジークの意見は真っ当だ。あたしはこの場でちっぽけな小娘でしかない。大砲の球くらいにはなるだろうが、砲弾を使った方がよっぽど威力も高いだろう。あたしを生かそうと努力しているライナーに申し訳ない。

 裏切り者を生かすために使われているエレンにもそうだ。結局、一方的に怒鳴ったばかりでまともな謝罪もできなかった。同期のみんなも。置いてきた愛馬も、死んでいった仲間たちも。エレンは奪い返されてしまったようだから、今頃あたしたちを殺そうと息巻いているんだろう。 

 想像して、まだ全てを捨てきれない胸が被害者面でわざとらしく傷んだ。

 

「まあ……もう連れてきちゃったなら、勿体無いよな。オレに決定権はないし、好きにしろよ」

 

 相手をするのが面倒になったのか、ジークはライナーの提案を呑むことにしたようだった。一先ず、緊張の糸が解けてその場に倒れ込みたくなるが、拘束されているのでただ深く息を吐く。ライナーもあからさま過ぎるくらいに反応して、再び口を開きかけた。「ただし」それを遮ったのは、ジークだ。

 

「その子連れてく代わりに、アニちゃん救出は先延ばしな?」

「わかり、ました」

 

 ライナーが歯切れの悪い返事をしている隣で、今度はベルトルトの表情に影が落ちる。ジークの言い方だと、壁内でアニが捕えられているみたいだ。あの期間の、一体どこで。真相はわからないけれど、ベルトルトの反応からして捕まっているのは確実だろう。知らぬ間に噛み締めていた奥歯がぎちぎちと軋んでいる。また、あたしは。親友を生贄にして、生き延びるのか。どうして、いつも「ノエルちゃん」手に食い込んだ爪が熱くなり始めたところで、男の声がした。導かれるままに首を動かすと、ジークがこちらをみていた。

 

「良かったね。俺が優しくてさ」

 

 最初からそうだったとでも言いたげな口ぶりだ。選択権がなかったのなら、こんなところで話をする必要もなかったはずなのに。

 あたしの処遇を取り決めたジークは、ライナーとベルトルトを退出させた。監視をしていた兵士までも、追い出した。その男はあたしの脱走や攻撃を危惧していたが、ジークは「俺一人でどうにかなる」と丸め込んでいた。不本意だが、自分も同意見だ。こんな狭い部屋の中、あたしの力でこの男から逃げ出すことは不可能だろう。あたしの見てくれで納得してくれたのか、拘束が解かれて一人ずつ退出していく。ライナーの不安げな瞳を最後に、扉は重く閉ざされた。

 

「で、ライナーとはどこまでいったの」

「え、」

 

 部屋に残ったのは二人だけ。打ち寄せてくる波音だけの空間で、その一言はやけに大きく響いた。何をされるのかと身構えていた体が、驚嘆と拍子抜けで緩む。「いやさあ」その反応を受けてか、ジークは言い訳でもするような口調で喋り出した。

 

「ここにくる前のライナーはあんなんじゃなかったんだぜ。穢れた民族がなんとかって、いつも煩くて困るくらいにな」

 

 全く想像ができない。どうやら、あたしの記憶の中にいるライナーとジークの中にいるライナーの印象は大きく乖離しているようだ。

 

「人は見かけによらないっていうか。大人しそうな顔をして結構やるんだな。ノエルちゃん」

 

 つまり、あたしがライナーを惑わせたと、そう言いたいのだろうか。動きを止めるかのように、ジークの手が肩に触れる。そのまま、近所のおじさんがするような軽い手つきで二度叩かれた。

 

「あたしは、何も……」

 

 なにか重大な勘違いをされているようだ。あたしに人を惑わせるほどの魅力があるとは、到底思えない。そうだと決めつけて話を進めてくるジークにどう言えばいいかわからず狼狽していると、「ま、そんなことはどうでもいいんだけど」ジークは一人で切り上げてきた。窓から差した光がジークの顔に影をつくっていた。あたしは眩しさを感じながら、正面からジークの姿を見据える。

 

「エレン・イェーガーの父親について、何か知ってることは?」

 

 振り返ったふたつの双眸は、色の濁った氷のように冷え切っていた。想定外の問いかけと、気を抜いたら押しつぶされてしまいそうな圧迫感に息を詰まらせる。椅子に拘束されていなければ、逃げ出していただろう。

 

「ライナーの言っていた通り。五年前……壁が破壊された日から、行方不明だと聞いています」

「他には?」

 

 いつかの記憶を頼りに言葉を選びながら話し始めると、ジークはその単語に反応して聞き返してくる。食堂で交わしたエレンとの会話を脳裏に蘇らせつつ、あたしは続けた。

 

「地下室の鍵は、その日に父親が託したものだと」

「やはり、そうか……」

「あとは……昔、町を流行り病から救って英雄視されていていました」

 

 シガンシナ区で評判の町医者が、エレンの父親だった。何かの流れで自分たちの親の話になった時、エレンは誇らしげに言っていた姿を思い起こす。あたしのパパも、数えるほどだけど足を見てもらいに行っていた。親切な医者なんだと、パパも気に入っていた。診療代が決して安くはなかったので、何度も訪問はしなかったけれど。退屈だからと遊びに出ることを選んでいなかったら、あたしはもっと早くエレンと出会っていたのだろうか。

 

「英雄、ねえ」

 

 思わず、とでもいうように口角を上げてからジークは自分の表情を隠すように身を屈めた。

 

「どうして、父親のことなんか」

 

 エレンの情報を探りたいならまだ理解できるが、ジークが知りたがったのはエレンの父親だ。エレンの父親が重大な秘密を抱えていることは確かだが、あたしと一対一になってまで探るほどのことだろうか。ライナーたちを退出させたのも、不可解だ。まるで、過去に因縁を知られたくないようだった。ぽつりと漏らした一言に、ジークの眉がぴくりと反応した。

 

「ノエルちゃん」

 

 その可愛げのある響きは、その裏にある異質さを塗り隠しているようだった。底の知れない恐ろしさに、本能が体を後退させ、背もたれにくっつく。その姿を見たジークが、ふっと鼻を慣らす。あからさまに萎縮しているあたしがおかしく映ったのか、自分の行動に向けたものかはわからない。

 

「俺は優しいみたいだからさ、教えてあげるよ」

 

 呼吸すら精一杯のあたしとは対照的に、ジークが悠々とした態度のまま懐に手を差し入れる。古ぼけた布を取り出して、かけていた眼鏡を怠慢な手つきで拭っている。曇りを取るための所作ではない。

 

「世界は……壁の中と違って単純じゃないんだ」

 

 何も知らない子供に常識を教えているかのような物言いで、ただ淡々と。自分でも心の底からうんざりしているような、そんな響きだった。

 

「そうやって不思議に思っているうちは、何もわからないんだろうな」

 

 ジークはそう自分へ言い聞かせるみたいに溢して、眼鏡を元の位置に戻す。透明な硝子越しにある瞳が、あたしを捉えた。表面上のものではない。やっと向けられた感情のかけらは、哀れな生き物を見たような目つきをしていた。

 

 とぷん、と波のぶつかる音がする。わずかに上下している視界と揺れ動く地面のせいで、平衡感覚が悲鳴をあげていた。風にでもあたれば、この言いようのない気持ち悪さが解消されるんだろうが、あたしは太い鉄格子に自由を奪われている。キツく締められた縄のおまけ付きだ。あたしの細腕では解く気も沸かないような縄が何重にも巻かれてしまっている。

 

「そっちは、何の話をしてたんだ」

 

 あたしの隣にある牢屋から、ユミルが声を投げかけてくる。隣の牢屋に入っているユミルはあたしと比べものにならないほど、厳重に捕えられていた。壁についた鎖の先で両腕の自由を奪われ、左右の足首には人の頭と同じくらいの大きさの重しをつけられている。身じろぎのひとつも許さないとでもいいたげに、ユミルの体はその場に固定されていた。

 

「別に……なんでもないよ。あたしを捕虜にするって話をしてただけ」

「……残念だな、そっちにいればライナーがお前のために必死こいて言い訳してんのをみれたのに」

 

 そうは言っているものの、その声色が惜しんでいるようには聞こえない。ジャラ、鎖の擦れる音がして静寂が舞い戻ってくる。あたしは自由に動かせる首をユミルに向けた。

 

「ユミルは……?」

「私は、ただ……手紙を書いてただけだ」

 

 ユミルは拘束なんて関係ないように壁へ背をつけたまま、素直に答えた。好奇心が顔をみせるが、あたしは詮索せずに「そっか」とだけ返す。そのまま、鉄格子へ体を横たえた。壁の上部に取り付けられたごく僅かな窓の光が少し前の床を照らしている。

 

「こうやって、話するの。はじめてだね」

「あ?」

 

 少しばかりの間を置いてから、頭の中に浮かんだことをそのまま口に出す。すぐさま、低い声の返事が返ってきた。ユミルの横にはいつもクリスタがいたから、こんな風に一対一で言葉を交わすことはなかった。何よりも、あたしはユミルに嫌われていると思っていたから、避けるのがお互いのためだと思っていた。

 

「もっと早く話してみればよかった」

 

 話す機会はいくらでもあったのに。こんなところに押し込まれてやっと、まともな対話をするなんて。自分がどれだけユミルと距離を取っていたのか。無意識を剥がされ、その愚かさに恥ずかしくなる。過去の後悔を滲ませるあたしに対して、ユミルは何も言わなかった。

 

「なあ。お前は約束のため、とか言ってたよな」

 

 しばらくの間を空けてから、ユミルが唐突に声をあげた。鋭い瞳が間違いなくこちらに向けられていて、あたしは小さく首を縦に振ってみせる。

 

「言っておくが、お前らのは"約束"なんて高尚なもんじゃねぇよ」

 

 自分で言いながら可笑しくなってきたみたいに、ユミルは皮肉混じりの笑顔を浮かべた。

 

「お前はただ、ライナーの自己満足に付き合わされただけだ」

「それは違うよ。ユミル、あたしは」

 

 ライナーの名前が耳に触れてすぐ、鉄格子にもたれるのをやめた。そんな言い方は違う。ライナーはあたしに、ノエルでいられる権利をくれたのだ。

 

「あたしが、付き合わせてるんだよ」

 

 今こうして息をしていられるのも、ライナーが計らってくれたからだ。救うとは言ったものの、あの子のような力のないあたしには、どうしたらいいかわからない。これが、本当に正しい救いの形をしているのかも。

  

「本気か?それもまた、嘘だろ。なあ、そろそろ本性をみせてくれたっていいんじゃねえのか?」

 

 あたしが必死になって搾り出した言葉をユミルが一蹴する。聞き取れているはずなのに、話している意味がわからない。足で床を掻いて、地面に倒れかけながらユミルのすぐ側まで近づいた。

 

「ほ、本性?何言ってるのユミル。あたしは、あたしだよ……?」

 

 むしろ、それ以外に何があるというのだろう。鉄格子の隙間からそう問いかけると、ユミルはしばらくの間固まってから「ああ、なるほどな」首を動かしてあたしを見た。

 

「やっぱりお前、大嘘吐きだよ。それも、タチの悪い」

 

 ユミルが全ての確信を得たみたいに言って、あたしは小さく口を開いたまま、何も返せない。事実だからだ。これまでユミルに言われた時もそうだった。ノエル・ジンジャーは、純真無垢な存在でなければならない。エレンの前でしてしまったような失態は、もっての外。あたしは目を伏せてから、口を引き結んだ。

 

「お前みたいな奴には何言っても無駄なんだ。何かの拍子に、自分で気づかない限りは。な」

 

 ユミルはあたしの様子を一瞥してから、吐き捨てるように言った。こつ、と背後の壁に頭を預けたユミルがため息をついている。同時に、牛の鳴き声のような鈍い音が船内を震わせた。出航だ。

 

「せいぜい、嘘つき過ぎて死なないようにしろよ」

 

 床が意図しない方向に引っ張られ、なりを潜めていた吐き気が蘇ってくる。「もう、手遅れだろうが」不均等に揺れ出した視界の中で、ユミルがそう口を動かして瞼を閉じた。

 

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