島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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第3話 哀誤

 他の誰でもない。私たちの攻撃によって地獄に落とされた人々の間で、地獄を作った張本人が歩いていた。人混みへ紛れ、壁内に侵入したのが昨日のことだ。大殺戮に加担した体は、愚かにも疲労を訴えていた。避難民の嘆き声が反響して、頭を直接ゆさぶる。顔を上げる気力はなかった。

 

――成さなければならないことは何があろうと成さなければならない。

 

 説教臭い言葉を馬鹿みたいに思い浮かべて、現実を正当化する。その言葉が、今だけは言い訳のようにしか聞こえない。もう疲れた。何も、何も考えたくない。辺りに漂う鉄の匂いも子を探す親の叫び声も、全て退けて眠ってしまいたい。小さな広場を見つけ、壁に全体重を預ける。周りには小汚い見た目の子供が膝抱えて、呆然と何かをつぶやいていた。

 こんな場所、いたくないのに。私の代わりに配給所へ向かっていった二人はまだ帰ってこない。軽くお腹をさすり、俯いていると、視界の端に痛々しい足首が映り込んだ。

 

「なに」

 

 顔をあげたら、近づいてきた人間を突き飛ばすつもりだった。頭に靴跡のあざを残して血を流し、無理やりあげた口角からは血が流れていた。同じ人間とは思えないほどギラギラした獣のような瞳が呼吸を荒くして、私を見ている。何かあれば、息の根を止めるつもりで口を開く。混乱した状況下で、身寄りのない子供同士が殺し合っても気にかける人間はいない。

 

「あ、あなたは。わた……あたしはノエル。あなたは」

「気持ち悪い。近寄らないで」

 

 私は近づいてくる女の手を叩き落とした。女の手から小さいパンのかけらが落ちる。女は地面のパンを呆然と見つめると、不気味に笑った。引き攣った笑顔は元の顔もわからないほど腫れ上がっていて、不細工で、鼻から血を垂れ流していた。

 

「ごめん、ね。あたし、こんなのしか……」

 

 微笑んだまま女は私の手に小さい粘土みたいなパン屑を握らせる。今度は叩き落とせなかった。謝る意味が、理解できなかった。女は怪我を負っていて、閉じられない口から涎がこぼれ落ちていた。

 

「あんたが……食べたいんじゃ、ないの」

「あ、れ。あ……あははっ。は、恥ずかしい」

 

 啜り泣く音や怒号が反響しているこの場所で、女の乾いた笑い声は妙に響いた。開いた口の涎を女は拭ったが、今度は血が滴り落ちていく。

 

「お腹、空いてるんでしょう?お、落としちゃったから……砂っぽいけど」

 

 女が砂埃のついたパンをはたきながら、差し出してくる。もう一度、地面に落とすのは簡単だ。重力に従って落ちたパンを靴で踏みつけてやればいい。唇を噛み締めた末に、私は。

 

「……ほら」

「いいの?だって……あなたは」

 

 パンの半分を女に押し付けた。大人の目が怖かった、だとか。目をつけられてしまうかもしれなかった、だとか。面倒だった、とか。言い訳はいくらでもできた。

 

「元々、あんたのでしょ……」

 

 ただ、私は。故郷、平穏、日常。全てを奪った元凶に、食べ物すら与える馬鹿を哀れんだ。哀れんで、しまった。

 

「アニ、こいつはなんだ」

 

 食糧を片手に帰ってきた二人が、肩を並べる私たちを前にして愕然と呟いた。乾いたパンを互いに口へ詰め込んで、一方的な話を聞き逃して。惨めな生き物は厚かましく肩を押し付けたまま、瞼を閉じて寝息を立てている。その指先が肌に触れた時。引き剥がしてやろうかと思ったけれど、私の体はそうしようとしなかった。

 

「ごめんなさ…い……ごめ…ん……」

 

 女は眉を顰めながら、謝り続けていた。壁を破壊され、故郷を蹂躙された被害者が何を謝ることがあるのだろうか。よりによって壁を破壊した張本人に。私たちには謝り続ける姿が目に焼きついて離れなかった。悪夢の元凶とは知らず、愚かにも一人で許しを乞う姿が惨めで、愛おしい。身を焦がすような罪悪感が、薄れていく。私が子供の手をゆっくり手に取って、優しく握ると震えていた子供の体から汗が引いていく。子供が僅かに目を開いて、潤んだ瞳から涙をこぼした。

 

「この女を利用しよう」

 

 能天気で、鈍臭いバカ。私が抱いている女──ノエル・ジンジャーの印象は最初から何も変わっていない。目を覚ましたノエルに私たちは故郷から追われた身だと嘘をついた。疑いの目を一切持たずに彼女は信じた。一緒に連れて行ってくれ、と懇願するので許してやれば、馬鹿みたいに尻尾を振ってついてきた。感謝をされて戸惑っているライナーの顔が、あからさまに善人を気取っていて腹が立ったのを覚えてる。

 島の悪魔は。ノエル・ジンジャーは何も知らない子供だった。壁内の一般的な常識は開拓地で馴染むのに役立ったが、目的についての情報は何も持っていなかった。壁内で呑気に暮らしていたのに、私たちのせいでどん底に落ちた。ただの子供だ。

 

「い、痛ッ」

「平気か?ゆっくりでいいぞ、ノエル」

 

 真っ先にノエルを排除しようとしていた奴が、今や一番の世話焼きとなっていた。何がきっかけだったのかはわからないが、マルセルの代わりを演じるのには丁度いい相手だったのだろう。すぐに飛んで行ったライナーの背中を睨むと、眉を下げたノエルが見える。足のあざが完全に治っていないせいで動かす度に痛むらしい、と無理矢理聞き出した。そうでもしないとノエルは何も話さない。普段はお喋りで、私たちの力になろうと空回りしてる癖に。ノエルは自分の事となると口を閉ざす。

 

「どうでもいい、早く下ろしてやるぞ……」

「あ、アニ……わ、わたし。おじさんにロープを、あげたの……欲しいから用意してくれないか、って」

 

 開拓地で男が首を括った日。死体を前にして、私は肩を叩かれた。ノエルは魂の抜けた体を凝視して、独り言のように呟いていた。男が勝手に自殺しただけ。なんで涙を流す必要があるのか。関係ないあんたが罪悪感を感じて動揺しているのか。理解できない。

 

「わ、わたし。またやった……殺した」

 

 「ごめんなさい」謝罪の言葉がノエルの口から滑り落ちるより先にその場を離れた。意味がわからなかった。首を吊ったのはあいつ自身の意思で、ノエルが手を下した訳でもない。むしろ、その原因を作った私たちが殺したようなもので。

 

「ごめん、ごめんなさい……」

「……君のせいじゃないよ。ノエル」

「ほら、これで涙を拭け。落ち着くんだ」

 

 背後から偽善者たちの安らぎの言葉が聞こえる。ノエルはいつも二人に許されると安定するようだった。遠くで聞こえる荒い息が小さくなっていく。

 

「早く戻るぞ、凍え死んじまう」

 

 薄っぺらい善意の言葉で哀れな存在を許す。あの時間が私たちは、特にライナーは大好きだ。壁内人類の平穏を奪った私たちが、ノエルの前でだけは善人でいられる。三人から距離を取るように歩を早めた。苛々する。なにより、ノエルを哀れな存在に仕立て上げた自分たちが。

 

 このお人好しは訓練兵になると伝えたら、二つ返事で私たちを追ってきた。元々入るつもりだったとか馬鹿なことを抜かしていたが、一体何を目的にしてるのやら。結局聞き出せはしなかったが、見慣れた阿呆ヅラをまだ拝める。ほっとした気持ちには気づかないふりをした。

 

「この手で、人類を救うためです!」

 

 通過儀礼の最中、私からはノエルの表情がよく見えた。鈍臭い彼女が敬礼をちゃんとこなせるか監視してやろうと目をやって。ほんの僅かに、耳を疑った。あの、正義面のクソ野郎と同じ言葉を吐いていたからだ。訓練兵になると言い出した時には、理由を仄めかすばかりで答えなかったくせに。私の知らない横顔で教官に向かうその姿が耐えきれなくなり、目を逸らした。

 通過儀礼を終え、私たちは食堂へ移っていた。窓側の席に座っていたノエルが外を眺めている。外にいるのは一人しかいない。大抵予想がついて、パンに手をつけずにいるノエルの口にパンを突っ込んだ。

 

「んぐぐっ!ち、窒息しちゃ……」

「あんたのパン、カビ臭いから交換してあげる。私があげたのをまさか他人にあげたりしないよね」

「うう、でもぉ……」

 

 モゴモゴと口を動かし続けているノエルにパンをさらに押し込む。苦しげな顔になったノエルは、机を叩いて降参を訴えた。

 

「っぷはぁ!パンで窒息死なんて洒落にならないよ……」

「あんたにはお似合いでしょ」

「アニが冷たい」

 

 涙目になりながら、文句を言ってくる彼女はようやく諦めたようだった。窓の外を気にしながら両手でパンを食べはじめるのを見て、ノエルから顔を逸らす。昔は謝ってばかりで人の顔色を伺っていたのに。今じゃすっかり生意気になった。

 

「――だから、見たことあるって」

 

 食堂の真ん中に集まった人だかりが何やら騒いでいる。肘をついて、無意識にそちらへ目をやった。様子見でもしていたのか、同じように目を向けているライナーがいる。私の視線を目で追ったのか、ノエルは嬉しげな声を上げた。

 

「あ!ライナーは何見て…」

「普通の巨人は?」

 

 集団の中から聞こえた声が耳に飛び込んできた途端、ノエルの言葉が途切れた。あの日に何があったのか。私は知らない。聞こうとも思わなかったし、言わなかったからだ。分かるのは、あの日の出来事がノエルにとって文字通り地獄だったと言うことくらい。唇を真っ青にしたノエルは手を止め、輪の中心にいる男をじっと見つめている。

 

「あの人、見たことがある。あの日、同じ船にいた」

 

 私の視線に気がつくと、ノエルは言った。気持ち悪いくらいに目を輝かせた例の男は、落としたスプーンを拾い上げてスープをかき込みはじめる。

 

「知り合い?」

「ううん。覚えてないみたい」

 

 ノエルはほっとした表情で食事の残りを食べはじめた。私はノエルの過去を知らない。不必要な情報だから、詮索もしなかった。なのに、胸がじくりと痛む。唇を開いて言おうとした言葉は、いつの間にか空気に溶けていた。

 

 訓練兵としての一日目を終えて、割り当てられた宿舎の部屋に帰ってくる。入り口付近では別の部屋の女子も集まって、自己紹介をしていた。当然、混じる気はなかったけれど、あることが気に掛かった。普段なら飛び込んでいるはずなのに、ノエルはベッドの淵で膝を抱えている。脳裏に過ぎるのは、通過儀礼で叫んでいた大層な夢だ。即席で用意した言葉にしても、馬鹿が過ぎる言葉だった。真意を問おうとしていると、言い聞かせるようにノエルがつぶやいた。

 

「みんな、助ける」

 

 声を聞いて、反射的に手を上げていた。集まっていた集団の視線が突き刺さるけれど、関係ない。ノエルの瞳になにか、悍ましいものが這い上がっているように見える。何度も見てきた、生を諦めた表情をノエルの中に見つけた気がして、恐ろしかった。

 

「目は覚めた?身の程を弁えな」

「……うん、そうするよ」

 

 ノエルが頷いても違和感は完全に払拭されなかった。ぼーっと空を見始めたノエルを置いて外に出る。ノエルは昔から、宙を仰ぐことがあった。空虚な瞳で別人みたいな横顔になるその時間が、大嫌いだ。

 ノエルの頬を叩いた手を眺める。こんなことなら、もっと昔に殺すか、無視して仕舞えばよかったのに。そうすれば、ノエルから感じる死臭に怯える必要もなかったのに。

 

「そういえば、ノエルはどんな様子だった?」

 

 星空の見える屋外で、私たちは報告会を行なっていた。初日ということもあり、早めに切り上げるつもりだ。と言い出したのはライナーなのに、初っ端の質問内容がこれだ。

 帰って寝たくなりつつ、食堂での出来事を思い返すと、また胸が疼いた。意味もなく手のひらを眺める。誰が、ノエルをあんな表情にさせたのだろう。少し考えて、やめた。元凶である私が、言えることではない。

 

「別に。教官に怒鳴られたからくよくよしてただけ」

「そうか。アイツは鈍臭いから、お前と同室で助かった。俺も安心して眠れる」

 

 私の報告を聞いて、ライナーが満足そうに頷いた。何が安心だ。これまでの報告会で散々、ノエルは悪魔の末裔なんだ、と釘を刺してきた癖に。大きく舌打ちをする。隣のベルトルトは口を閉じているが、諦めたような顔を浮かべていた。

 

「まさか、ノエルがあんな大胆なことを言うとはな……教官の前で正直に言っちまうのは相変わらずだが……」

 

 無理しないように俺が見てやらないと、ライナーは私たちの視線に気づかず、茶番を続けている。呆れて声も出なかった。ライナーの一人劇場が淡々と続く。今回も報告会が意味もなく終わりそうなところで、「時々。思うんだ……」ベルトルトが独り言のようにつぶやいた。

 

「ノエルなら、僕らを見つけてくれるんじゃ。ないかって…」

「見つける?何言ってんだ、ベルトルト。奴等は悪魔だろ」

 

 先程と一転してベルトルトを見つめたライナーは乾いた笑いを漏らす。あっちでは至極当然な事実なのに、この男に言われるのは腹立たしかった。

 

「あの穢れた悪魔の末裔に、何をされたいってんだよ」

「私、帰る」

 

 言っている言葉は信じられないくらいに正しかった。ただ、普段からあの子の兄貴面をして聞いてもいない心配をペラペラ話しているお前が言うのか。水を頭からかけられたような気分だ。馬鹿馬鹿しくて付き合ってられない。くるりと体の向きを変えて、兵舎に向かう。引き止める人間はいなかった。

 

 女子寮の廊下は静まり返っていた。当たり前だ。初日から夜間の外出禁止をする人間が多いとは思えない。ライナーの言葉が頭の中で浮かんでは消えた。文句も言わないで流されたままのベルトルトにも腹が立つ。気配を殺して月明かりが照らす廊下を歩いた。割り当てられた部屋の前まで来ると、ゆっくりと扉を開ける。

 部屋は真っ暗になっていた。複数の規則正しい呼吸音が聞こえてくる。自分のベッドに目線を向けて、驚いた。かくんかくんと首で船を漕いでいるノエルが膝を抱えて、ベッドの前で座っていたのだ。

 

「…んん。アニ?おかえり」

 

 落ちる影に気がついたのか、膝から顔をあげて目を擦ったノエルは緩やかに微笑んだ。私からの反応がないと、取り繕おうように慌てだす。

 

「たっ、たまたま眠くなくて待ってただけだから!」

 

 ノエルが弁解するように両手を振りながら小声で声を上げる。先程までの自分を忘れたのだろうか。無言の私を恐る恐ると言ったように見上げているノエルの顔は間抜けだった。

 今日はもう疲れた。馬鹿なことをするなと言っている所だが、そうしようとは思えない。膝を抱えたままのノエルを置いてベッドに寝転ぼうとする。

 服を何かに引かれた。つんのめった感覚に眉を顰めて原因を見る。服の端を指先で摘んだノエルは眉を下げて、言いにくそうに喋り出した。

 

「なんか緊張しちゃって……今日だけでいいから添い寝してくれない?」

 

 お願いにしてはあまりにも幼稚だったが、ノエルの手は小刻みに揺れている。答える必要も義理もないお願いだ。恩を売ったって期待できない。

 答えずにベッドで横になる。服を掴んだ手首はそのままに。

 

「ありがとう」

 

 暖かいノエルの体が擦り寄って、囁く。それが合図かのように瞼が重くなる。いつか殺すかもしれない温もりに包まれて、目を閉じた。

 

 翌朝。二人で寝ていた私たちは先に起きた同室の人間に目撃された。寝起きで関係性を根掘り葉掘り聞かれ、最終的に恋仲まで疑われて誤解を解くのに時間がかかった。やっと解放された私は朝から疲労感を抱えて、食堂に向かう。追いついてきたノエルの顔が満更でもなさそうだったので脇腹を突いた。

 脇を抑えて入ってきたノエルにライナーが駆け寄ってくる。

 

「遅かったな」

 

 昨日とは一転、兵士の皮を被って出てきた男の顔を見て反吐が出るかと思った。朝からの質問責めの恨みも込めて足を踏みつけた。踏んだ足からグキ、と小気味いい音が鳴る。

 

「えっ!?アニ?」

 

 痛みに悶絶している男を置いて席に向かう。ノエルは痛がるライナーに足が止まったものの、私に続いて隣に座った。その姿を見て、虫の居所が良くなるのを感じる。

 

「…なんか、アニに恨み買ってたっけ?」

「いいや、何も」

「そ、そっかあ…」

 

 戸惑いが隠せていないノエルは不安げな顔でライナーを見ている。それを避けるように目を伏せた。

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