島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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第3話 自惚れ

 常に漂ってくる死臭、いつ何時飛び出してくるかも分からない巨人の影。手綱を離してしまったら、少しでも息を詰まらせてしまったら、全てが崩れてしまいそうだった。

 周囲の風景に気を配り、伝達された煙弾通りに進路を変える。青々とした長閑な草原、丘を越えて、あたしたちは巨人の領域を突き進んでいった。一体どこまでやってきたのか。地図通りの場所にちゃんと存在するのかさえ疑い始めて、ようやく見えてきた。遠くからでも存在感を放つ、巨大樹の森が。

 ハンジ分隊長の話では、この中にライナーたちがいるはず。森を眼前にして、大木の根元に集まっていた巨人たちもこちらを捉えたらしい。蠢き、歩き出した群れに、ドクリと心臓が跳ねる。駄目だ。こんなところで怯んでる場合じゃないのに。臆病な自分を叱咤して、こちらに向けられる嫌な笑顔と視線を断ち切る。あたしが今意識を割いていいのは、ひとつだけだ。言い聞かせ、巨人たちの背後に向かって目を凝らす。

 

「光った!?」

「今、森の奥の方で……一瞬光が見えました!」

 

 そうすると、生い茂る森から、鮮烈な光が漏れた。見間違いようのない、二人が巨人化した時と同じものだ。アルミンの報告を耳にしながら、心拍数が上がっていく。いるんだ、二人がすぐそこにいる。

 

「総員散開!!エレンを見つけ出し、奪還せよ!!」

 

 団長の号令で前方を走る背中が四散し、構えていた巨人たちが突っ込んでくるのも同時だった。巨人になすすべもなく食われていく悲鳴に唇を噛みながら、横を並ぶジャンに追従する。アンカーが届く距離まで馬を近づけて、不均衡な背を蹴った。立体機動装置で飛び上がり、巨大な木々同士を繋ぐように移動していく。

 訓練兵の頃に散々やったから、森での立体機動は慣れっこだ。順々に高さを上げていけば、地面は遥か下になった。前屈みになってガスを強く蒸せば、壁外独特の空気が全身にぶつかってくる。息苦しいようなそれを肺一杯に吸い込みながら、正面に照準を合わせる。とっくに体を安定させているジャンたちが、どんどん先に進んでいく。すると、示し合わせたかのように巨人の咆哮が響いてきた。大地を揺るがすようなそれに、隊列が森の奥へと進路を変える。ジャンたちが追従していくのを目に映しながら、あたしはその背中とは逆方向に次点のアンカーを射出した。

 

「おい!ヘタクソ、何やってんだ!」

 

 舵を切ってすぐさま背後から呼び止められる。あたしが振り返らずとも、ジャンはあっという間に追いついてきていた。

 

「違うの!ライナーたちは、きっと別の場所にいる」

「はあ!?何でわかんだよ!」

「ただの勘!」

 

 最高速度を保つのに必死で顔すら見れないが、ジャンが根拠のない憶測に愕然としているのだけは伝わってくる。無理もない。あたしだって何をしているのかわからないんだ。確かに巨人の叫び声は続いていて、誰かしらがそこにいるのだろう。だけど、違う。壊れそうなくらい脈動している胸が、そう訴えていた。

 ライナーたちとは、五年間。今日まで、ずっと一緒だったから、どこにいたって見つけられる。願望にも似た自分の直感を、信じてみたかった。

 

「ッ無駄骨だったら許さねえからな!」

 

 自由の翼を背負った後ろ姿が、あたしの斜め前に躍り出る。ジャンは、あたしの曖昧な予想に付き合ってくれるらしい。熱い信頼に応えるよう頷き返して、立体機動に尽力する。この機に及んで、枝葉に引っかかって迷惑をかけるのだけはごめんだ。二人で幹の間を縫うように潜り抜け、森を突っ切った外側を目指す。慎重かつ大胆に。順よく立ち並んだ木を追い抜いてくと、巨体が視界の端に飛び込んできた。

 

「あの巨人はっ!?」

「ユミルだよ!きっとすぐ近くに」

 

 見覚えのある巨人の正体を叫び、周囲に視線を走らせた。ユミルがいるってことは、ライナーたちもきっと近くにいるはずだ。斜め後方から、ユミルはぐんぐんと距離を詰めてきている。あたしたちに向かって来ているんだろうか。その進行方向を辿ろうとして、ある一点で留まった。

 森との境目に位置する大木。その幹に浮かんでいるのは、人の形をした二つの影。

 

「ライナー!ベルトルト!」

 

 名前を呼んだら、遠くのそれが反応するよう、僅かに動く。目さえ合ったような気がして、ガスの残量などお構いなしにトリガーを引いた。あと、ちょっとで届く。無我夢中で手を伸ばして、すぐ隣をユミルに追い抜かれた。耐え難い突風に煽られる。崩れそうになった体制を立て直した時には、手遅れだった。

 

「待ってよ!!」

 

 広げた指の隙間から、目も開けられないような閃光が迸る。現れた鎧の巨人は土埃を上げ、走り去っていった。その肩に巨人化したユミルが乗って、エレンを背負ったベルトルトが反対側にいる。

 

「はぁッ……はあ、はあ」

 

 飛び乗った枝に手をつき、鉄の味が口内に滲んでくる。ついさっきまで、二人がいたはずなのに。悔しさを木の幹に拳でぶつけ、手の甲が痛む。あたしの立体機動がもう少し早ければ、と。無力さに打ちひしがれる余裕はない。

 どうにかして持ち上げた視界には、悠々と離れていく鎧の巨人。開けた平野にアンカーを刺せるような障害物はなく、足踏みをする。

 

「まずい、エレンが連れていかれる……!!」

「止まるな!」

 

 後から来たアルミンが焦燥を滲ませると、背後から声が上がる。弾かれたように顔をあげれば、見知らぬ駐屯兵の人が「馬を使って追うぞ!」とあたしたちを先導した。一箇所に纏められていた馬へ跨り、道を急いで引き返す。幸いにも、森を抜けてもライナーたちはまだ景色の中にいた。あと、ほんの少しだけ。あたしの願いに応えるかのように、ライナーたちとの距離が縮まっていく。

 

「追いつけない速度じゃない!間に合うぞ!」

 

 耳元の鼓動が煩いくらいに波打っている。このままいけば、辿り着く。二人にまた会えるんだ。どこか浮ついていた心が満たされていく。胸を打ち震わせるあたしの隣で「今度は……」先頭を走るミカサが言った。

 

「躊躇うことなく、奴らを……必ず殺す!」

 

 確固たる決意を見せるミカサに、あの時の光景が呼び起こされる。肉と骨の断面をみせ、落ちた腕。ベルトルトの首に深く刺さっていた刃は、二人を死に至らしめるまでにはいかなかった。今のミカサは、もうそんなヘマをしないだろう。爪が食い込むほど強く、手綱を握り締める。話さなきゃ、ミカサが二人を殺してしまう前に。

 そう言い聞かせていれば、二人はもう目と鼻の先にいた。最前列の駐屯兵が立体機動に移り、ミカサも倣うようにして飛び出していく。柄を持ち直し、降ろしていた靴底を馬の背につける。かつてないほどの熱が体内を暴れているのに、落馬する不安はなかった。

 

「ちょっ、待て!ヘタクソ!」

  

 込み上がってくる衝動がまま、アンカーを鎧の背中へと突き刺す。確かな手応えを頼りに浮かび上がった体が、引力に引きづられる。ぶつかってくる風に逆らって、鎧まで目前というところで。大きな手に払われた。ガクン、と視界が下へ落ちる。

 

「がは、ッ…」

 

 全身を襲った鈍痛に、喉奥から唾が溢れた。回転する景色。ごろごろと地面を転げ回って、止まる。鼻先に、頭。削れた箇所が痛みをあげているが、嘆いている暇はない。地面の冷たさが頬へ馴染むより早く立ち上がり、土くれが落ちる。バラバラにならずに済んだ体を持ち直せば、鎧の首元に複数の人影が見えた。

 あたしも、遅れちゃいられない。鼻の奥から垂れてくる液体を袖に擦り付け、駆け出す。そばにあった木へアンカーを刺し、空中に飛んだ。投げ出されるがまま腰を捻り、軌道に身を任せれば。靴底にあたる硬い皮膚の感触。

 

「ノエル……!」

 

 そうすれば、今度こそ。赤い体に足がついていた。 

 

「げほッ、はあっ、はぁ」

 

 遅れて到着したあたしに、みんなの視線が突き刺さってくる。けれど、酷使された乱れた息は止まらなかった。首筋のなだらかな急斜面によろけた足を滑らせ、鎧の首元を囲っている指へ手をつく。じわり、と汗の垂れてくる額を預ける。

 

「あ……」

 

 今、聞こえた。阻まれた向こう側から、短い吐息。間違いない、いるんだ。

 

「ベルトルト、ライナー」

 

 そっと口にして、泣きそうになった。やっと、戻って来れた。その事実が熱を持って、用意していたはずの問いを溶かしていく。

 

「あたし、を……」

 

 内側から溢れた出たものが、口端から落ちて。抑え切れなかった。

  

「あたしを、置いていかないで……!!」

「おまっ、何を」

 

 ジャンの驚嘆を耳にしながら、硬い皮膚に拳を擦り付ける。ライナーが退かしてくれればいいのに。首元を覆う指は、あたしたちを拒否するように不動のまま。ベルトルトの顔すら見せてくれない。

 

「一人じゃ、わかんないよ。あたし、何にもできない。みんながいないと、なにも……!!」

 

 最初から、そうだった。みんながいなきゃ、あたしは騙ることすらできず、野垂れ死んでいただろう。それが単なる情けじゃなかったとしても。そんなのはお互い様で、どうでもよかった。

 

「お願い……おねがい」

 

 添えていた手が、ずるり、と落ちる。みんなに頼り切りだったあたしは、無力なままだ。

 あたしを引っ張っていってくれるライナーがいなかったら、支えてくれるベルトルトがいなかったら。あたしは、何も分からない。息の仕方も、どこへ行けばいいかも。だから。

 

「いかないで、戻ってきて……」

 

 祈るようにつぶやいても、答えは返ってこなかった。不気味な沈黙が長引くほど、息がだんだんと詰まっていく。耐え切れずに重ねようと唇を開き、「ノエル」渇望していた音がした。

 

「君とは……いられない」

「っな」

 

 待ち望んだ末に言い渡されたのは、明確な拒絶。ガツン、と頭を殴られたような心地になって、視界が歪んでいく。

 

「ど、どうして。あたしはっ……」 

「無理だ!」

 

 困惑をぶつけようとして、悲鳴にも似た叫びに割り込まれた。普段のベルトルトでは考えられないほどの大声に、言葉すら忘れてしまう。あたしが言えば、少しは耳を傾けてくれるはずだ、と。浅はかな期待が、無情な現実を前に砕かれていく。

 

「なんで……?」

 

 開閉するだけだった口端から、ぽつりと溢れていた。意味がわからない。こんなにもすぐ近くにいて、話さえできているのに。どうして、そんなことを決められないといけないのか。感覚のない手を、赤く剥き出しになった繊維へ伸ばそうとして。

 

「無理なんだ。君が――悪魔だから!!」

 

 触れる前に、落ちた。

 

「殺さなきゃいけない!殺さなきゃ、いけなかったんだ……でも」

 

 ベルトルトが嗚咽混じりに言い淀んで、何か言わなければいけないのに。指ひとつ、動かせない。狂ったように鳴っていた鼓動が止んで、熱も抜けていって。やけに研ぎ澄まされた感覚が、頬をつたう雫の存在を拾った。

 

「ベ、ベルトル――」

「やめてくれ!!」

 

 助けを求めるつもりで言って、遮られた。中途半端に途切れた口が、開いたままになる。

 すぅ、と。奥から聞こえるのは、大きく息を吸い込むような音。さっきまでは待ち望んでいたはずのそれが、心臓を鷲掴みにしてくる。聞きたくない。あたしのどこかで悲鳴が上がって。

 

「もう、もうッ……これ以上、僕たちを狂わせるのはやめてくれ!!」

 

 駄目、だった。

 

「あ……」

 

 中途半端に浮いた腕。届くはずだった手のひらが、下へ垂れていく。妙に冴えた脳みそが何かを囁き、びゅうびゅう、と風を切る音だけが残った。

 

「なんだよ、それ」

 

 ジャンの乾き切った笑い声が、遠くの方でする。膝を打つ痛みで、自分が体を保てなくなったのだと知った。地面に擦れてできた擦り傷が、今さら痛みをあげて。途切れそうな意識を繋ぎ止めていた。

 

「お前ら!そこから離れろ!!」

「ヘタクソ!離脱だ!!」

 

 宙を見つめていたら、肩が強く掴まれる。導かれるように顔をあげた先に、爛々と目を輝かせた巨人たちがいた。「今すぐ飛べ!!」投げかけられる合図に、反応ができない。「チッ」聞こえてきた舌打ち。硬直したままの腰に手が回され、つま先が浮き上がる。

 

「あ……」

 

 潤んだ視界の向こう、遠ざかっていく鎧の背中を映して。

 それからは、あまり覚えていない。

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