島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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第5話 空っぽ

 ただでさえ乾いた喉に張り付くような。埃っぽい空気が肺を満たして、抜けていく。少しでも気ぃ抜いたら、くしゃみが止まらなくなりそうだ。むず痒くなってくる鼻をマスクの上から抑えつつ、掃除の手を緩めない。

 裏切り者共の元を脱し、壁内へ戻って来れたのが一週間ほど前になる。あの騒動から数日と経たず、オレたちに下されたのがこの山奥での隠居生活だ。

 オレとヒストリアを守りつつ、ウォール・マリア奪還への実験を行うため、と説明を受けたはずが、オレは今のところ掃除しかしていない。こんなことしてる場合なのか。時折そんなことを疑問に思っては、途切れた意識を持っている箒に集中させる。さっきからずっと、その繰り返しだった。

 人里から離れた、と称するのに相応しいこの山小屋は、どこかしこが埃塗れだ。新リヴァイ班として同行している同期の連中は、まだリヴァイ兵長の掃除に対する恐ろしい執着を知らない。朝の馬野郎なんか、間一髪だった。オレが率先してやらねぇと、後の大惨事は目に見えている。

 

「ふぅ……」

 

 ひと段落ついたとこで、何気なく額を擦る。こんだけやっても、半分か。あとオレが掃除しなきゃならねぇのは、コニーがいる居間と物置だ。台所周りは汚ねぇだろうし、真ん中に置かれていた机も相当古そうだった。前は掃除に熟練したリヴァイ班の先輩たちがいたんでどうにかなったものの、今回は一人。考えれば考えるほど間に合う気はしないが、弱音を吐いてる場合じゃねぇんだろう。

 それに、明確に言えば一人ではない。アルミンたちが買い出しに行き、ミカサたちが薪割りに行ったとこで余った俺たちは場所を分担して掃除にかかった。俺が一階で、二階はノエルの担当だ。

 掃除を始めてそれなりの時間が経った。信頼してねぇ訳じゃないが、二階の進捗も気がかりになってくる。一階はどうにかするとしても、二階までこなすとなったら絶望的だ。一度、見に行ってやるべきなんだろうか。立体軌道術でよく枝に絡まってた鈍臭いノエルのことだ。バケツひっくり返してたりしなけりゃいいんだが。

 一抹の不安を抱え始めたとこで、天井からギシギシと木の軋む音がした。二階に繋がる階段のある方からそれは響いて、段々と近づいてくる。

 

「エレン」

 

 数秒と待たずして、その音の主が扉の木枠から顔を覗かせた。ノエルは、オレと同じように髪を布で纏め、首からマスクを引っ提げている。少しばかり薄ごれたようなそれに手をかけたまま、ノエルがゆるく首を傾げた。

 

「上の階は一通り終わったから、確認してくれない?」

「もう終わったのか?」

「一応……だけど、エレンにちゃんと見て欲しくて」

「分かった。今行く」

 

 あまりの速さに面食らいつつも、集めていたチリや埃を脇にそらし、箒を置く。待っていたノエルを追って、階段に足をかけた。

 一階よりかは少しばかり狭いと言っても、二階は二階で寝室もある。それを全部この短時間でこなすってのは、どのくらいの綺麗さかが心配になってくる。訓練兵ん時の寮の清掃ならまだ軽くでいい。問題は、あの兵長が納得できるかどうかだ。

 この杞憂が現実にならなきゃいいんだが、と。頭ん中で回していた疑念は、すぐさま打ち破られた。

 

「どうだった?」

「すげぇよ、ノエル。完璧だ」

 

 一通り部屋を確認して――当然、兵長流のやり方でだ。不安げに伺ってくるノエルへ、オレは感嘆を漏らした。

 部屋は、文句なしの綺麗さだった。雑に積んであったはずの毛布やら布団は畳まれ、一箇所にまとめられている。神経質なまでに確認しても、床の溝から窓枠に至るまで埃ひとつなかった。むしろ、土足で歩き回るのが申し訳なくなってくるくれぇだ。

 

「そっか……よかった」

「ああ、これなら兵長も文句はねぇだろ」

 

 安堵している肩を軽く叩いてやると、ノエルは瞳を丸ませて、力無い笑みを浮かべた。訓練兵の頃よりか溌剌さを失っているそれに、腹の底がざわつく。釈然としないそれを口にする間もなく、「下の階も手伝うよ」と、ノエルが申し出てきた。

 

「本当か?助かる」

「うん」

 

 ノエルにはわりぃが、全員纏めて兵長に絞られる方が不味いだろう。オレは有難い提案に感謝を告げ、二人で一階の掃除へ取り掛かった。

 

「なんか、意外だったな」

「え?」

 

 半端なとこで止まっていた床掃除をすぐさま片付けて、残る窓拭きを一枚ずつこなしていく。その傍で呟けば、ノエルが不思議そうに反応してきた。窓硝子を磨く手は止めず、オレは続けた。

 

「言っちゃ悪りぃけど……お前はもっとガサツな奴だと思ってた」

 

 派手につまづいては転げ、呆れ顔のライナーに立たされていたり、技巧の授業で部品を無くして青ざめていたり。こういうのはもっぱら駄目なタチなんだと勝手に決めつけていたので、正直なところ驚きだ。そうなるとなんで立体機動術があの有様だったのか逆に気になってくる。

 

「あはは……こういうのは得意なんだ。小さい頃に、よくやってたの」

「家の手伝いでか?」

 

 控えめな笑い声がした方向を見遣れば、ノエルはオレより一足早く窓を拭き終えたところらしかった。「……そう。お手伝い」と、これまた覇気なく相槌をうったノエルが水の入ったバケツのそばへ腰を下ろす。

 

「それに。あたしは……こんなことしかできないし」

 

 言いながら、ノエルは手に持っていた雑巾を絞った。汚れを吸った布から灰色の水が溢れ出して、既に汚水となっているバケツの中身を濁らせていく。それを何度か繰り返し、ノエルが立ち上がったところで、オレは動かしていた手を止めた。

 

「まだ……あいつらのこと引きずってんのか?」

 

 は、と溢された短い息は、静かな室内によく響いた。ここへ来てからずっと俯きがちだった顔が、真正面からオレを捉えてくる。こんだけあからさまにされれば、答えは聞かずとも分かった。僅かに目を見開いているノエルの瞳が揺れ動いて、地面へ落ちる。予想通りなそれに罰の悪さすら覚えつつも、途切れさせはしなかった。

 

「責めてるとか、そういう訳じゃねぇけど……ただ」

 

 視線を彷徨わせたとこで上手い言葉が見つからず、口籠もる。一週間前の一件を経て、ノエルの様子がおかしくなった。ヒストリアみてぇに別人かってほどでもないが、意気消沈とまではいかない。ずっと受け答えの端々あるざわつきが、気持ち悪かった。

 普段通りにしろ、なんて言うつもりはねぇ。性根の腐ったクソ野郎共が、オレたちの中に平気な顔をして紛れ込んでいたんだ。オレもアニが巨人だと知った時は、素直に現実を認めることができなかった。四六時中奴らと一緒にいたノエルなら、尚更だろう。

 

「……あんな奴ら、お前が気にする必要ねぇよ」

 

 木の上で交わしたやりとり。あの腑抜け面が蘇ってきて、窓を強く擦る。オレがこんな風に言ったって、気休めにもならねぇことくらい知ってる。それでも、黙ってられねぇのは。

 窓を拭き終えて、再びノエルへと目をやる。暗い影を纏った表情は相変わらずで、下手くそな微笑が口角を無理やり上げていた。取り繕うようなそれに、またあの騒めきと苦々しさが蘇ってくる。あんな奴らのことで、お前がそんな顔する必要はねぇんだ。 

 本当はそう言ってやりたかった。お前を騙して、利用した挙句。鎧の手ん中で聞いた、あの声。お前を悪魔――だとか、あんな巫山戯たことを抜かすような奴らなんかに。

 

「ううん、エレン」

 

 腹の底で燻る粗熱を殺していたら、ノエルは首を小さく揺らした。横から差してくる太陽の光が、ノエルの目元に沈んだ影をくっきりと刻んでいる。

 

「違うの。あたしはずっと……こうだったんだ」

「こう、ってなんだよ」

「それは……」

 

 はっきりしない答えに聞き返せば、ノエルはオレから逃れるように目を逸らした。ノエルの腕が力無く垂れていって、雑巾から水滴が落ちていく。

 ぽた、ぽた。滴っているそれが数秒だけ時を刻んで、硬く閉じられていた唇が動いた。

 

「エレンには……あたしが、何に見える?」

 

 突拍子もない言葉に、瞬きをする。ギ、と床が鳴って、ノエルが軽く振り返っていた。冗談にしては恐ろしく平坦な瞳の色が、オレを見つめ返してくる。

 

「何言ってんだ。お前は、お前だろ」

 

 静まっていたはずの騒めきが、心臓を急かす。鬱陶しいぐれぇのに耐えきれず言おうが、ノエルは口元を引き結んだままだ。大切なものを見落としているような、居心地の悪りぃ感覚だけが渦巻いている。

 

「どうしたんだよ、急に」

「……ね。本当だよね。ごめん。なんでもない」

 

 ノエルは自嘲して、先ほどまでの雰囲気を誤魔化すかのように言った。オレが口を挟む隙もなく「水、変えてくるよ」と、灰色の水で満杯になったバケツを手に持つ。その重みでふらついた体、ノエルの手首を咄嗟に掴んでいた。

 

「お前。ずっと……何に謝ってんだ?」

 

 ちゃぷん、とバケツの不均等な揺れだけが伝わってきた。時が止まったような沈黙が落ちる。それがこの場を支配し始めたとこで、「な、んで?」ノエルが声を震わせた。

 

「ほんとに、何でも……」

「前も、言ってたよな。ごめんなさい、って」

 

 帰還した直後、移動する馬車でもそうだった。あん時は、憔悴し切っているんだと思って何も言わなかったが、違う。ずっと受け入れてきた違和感は、これだ。

 

「誰に、言ってんだよ」

 

 謝らなきゃならねぇ相手なんか、どこにもいねぇはずなのに。誰が、お前をそんな顔にさせてんだよ。その正体を突き詰めようと問いかけて、掴んでいた腕が払われた。

 

「ごめん」

 

 驚嘆が滲むより先に、ノエルが苦しげにつぶやいた。残されたオレの手が、意味なく空を掻いた。背を向けられていて、どんな顔をしているのかは窺えない。その余韻に縛られているうちに、ノエルは歩き出していた。

 

「早く、掃除終わらせちゃおう」

 

 去り際の横顔は、やっぱりあの歪な笑顔だった。オレの返事も待たずに。いや、もう話す気がねぇのか。ノエルは足早に部屋を出て行っちまって、一人残される。

 

「……雑巾」

 

 すっかり洗い損ねていたそれを、手のひらで仰ぐ。

 オレは、ノエルとそれなりの関係を築いてきたつもりだった。奴らほどまではいかずとも、同じ調査兵団を志す仲間で、アホっぽくて。いい奴で。

 奴らなら、知っていたのか。あいつがあんな作り笑いをすることを。ノエルが謝っている理由を。考えたとこで、答えが出るはずもねぇ。直接聞き直したとこで、ノエルがオレに打ち明けることはないだろう。

 仲間として、何をやってやるのが正解なのか。どうしようもない無力さに歯噛みして、雑巾を硬く握り締めた。

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