島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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第7話 無駄話

 意味なく目を凝らしても、あたりに広がるのは鬱蒼と生い茂った木々だけだった。撤収の合図で飛び出してきたが、人の痕跡なんてもんは一つも見当たらない。商人の馬車も遠らねぇような、禁猟地の山奥だ。これ以上先まで見回っても、同じ結果になるだけだろう。前へ進もうとしていた愛馬を諌め、俺は来た道を引き返した。

 

「南側、目撃者はいませんでした!」

「北側も異常なしです」

 

 森の真ん中だけくり抜かれたような広場。中途半端に残っていた巨人の体は、僅かな蒸気と肉を纏うのみになっていた。白骨化しているそれを尻目に、上官へ報告をする。同じく周辺を見回っていたノエルの方も俺に続くが、問題はなかったらしい。

 

「よし、お前らは山小屋に帰れ。俺たちの方はエレンの体が完全に蒸発してからトロスト区に向かう」

「了解です」

 

 兵長たちは、トロスト区の兵舎で待機している団長に実験の結果を伝えるのだろう。残る先輩たちを残し、馬をまた別の方向へと切り返す。エレンとヒストリアが乗った馬車を護衛するように追従し、山小屋へ戻ってくるのはすぐだった。下馬するなり、蓄積していた尻の痛みから解放される。一日中酷使してしまった愛馬の鼻筋を撫でてやり、柵に繋いだとこで「うわぁ……」と背後から悲鳴がしてきた。

 

「……思ったよりひでぇ面だな」

 

 青ざめたサシャが目を向けているのは、荷馬車を降りてきたヒストリアと、もう一人。文字通り顔がなくなっている状態の死に急ぎ野郎だ。いつもの鬱陶しい眼光を眼球ごと失い、肉か骨かも分からねぇようなとこが細長い蒸気を上げている。下半身は無事だが、支えなしでは歩けないようで、脇をミカサに抱えられていた。毎度毎度ミカサに世話ばっかさせやがって、と。いつもなら苛立っていたであろうそれを差し引いても、同情が僅差で勝るくらいには悲惨な有様だ。

 

「面ってか、ぐちゃぐちゃってか……ちゃんと治るのかよ。これ」

「治る」

 

 エレンは、半ば抱き上げられるようにして運ばれている。コニーが正直な感想を述べるも、ミカサは立ち止まりもせず言って、スタスタと歩いていく。そんな様子を見ているノエルは、俺の隣で怪訝そうに眉を顰めていた。いつものお人好しを発動して騒ぎそうなもんだが、その口は真一文字に引き結ばれている。釈然としない違和感を口にすることなく飲み込めば、「……うん」アルミンが言い淀んだ。

 

「巨人に食べられても戻ってきたんだから、大丈夫だよ……きっと」

「絶対に、治る」

 

 ミカサが間髪入れずに言う。それ以外の回答を断じて許すつもりのねぇような態度に、何か言う人間は誰もいなかった。

 

「もう、食べてもいいですか?」

「駄目だ。アルミンが戻ってくるまで待て」

「うう、餓死しちゃいそうですよぉ」

 

 最後の盆を机に運んできたとこで、サシャがもう何度目かも分からない確認をしてくる。つい数分前と同じ答えを返せば、サシャは不満そうに口を尖らせた。さっきからしている腹の音が同調するように大きく響いてくる。

 大袈裟なくらい肩を落としているサシャの前。食卓には、当番のヒストリアと俺が作った食事が並んでいた。豪勢な料理を作れるほどの食糧もねぇので、その内容は昔とさして変わりない。訓練兵時代の食堂を思い起こさせる匂いが、懐かしさと空腹を掻き立ててくる。

 エレンの実験に付き合っていただけにしろ、疲れがない訳じゃない。さっさと夕飯にありつきたいが、ミカサを呼びに行ったアルミンが降りて来るまでの辛抱だ。勝手に回復するエレンの付き添いなんていらねぇと思うが、回復の兆候くらいは見ておきてぇんだろう。

 

「朝も昼も散々食ってただろうが」

「そうですけど、でもぉ」

 

 少しの待ち時間でさえ辛抱のできてないサシャが、諦め悪く口答えしてくる。味方になってくれそうなヒストリアに意味ありげな視線を送っているが、気づかないのか無視されていた。

 

「おい、その手に持ったスプーン、置けよ」

「何でですか?私まだ食べてないですよ」

「じゃあ置けよ」

 

 馬鹿共の問答をよそに、俺は台所に残っていた盆を手にした。根菜で作った出来立てのスープが、ゆらゆらと湯気をあげている。同じく鎮座しているパンは、焼き立てではないが、無いよりはマシだろう。

 空いた片手で俺の分の夕飯も持ち上げれば、一連の様子を静観していたヒストリアが目を向けてくる。

 

「……どこか行くの?」 

「俺は外で食ってくる。お前らは先に食べてろ」

 

 一歩外へと踏み出せば、夜の冴えた空気が纏わりついてきた。どっぷりと闇夜に浸った視界に、ひとつの灯りが光っている。

 

「よお」

「ジャン」

 

 俺が声を投げかけるのと、見張り台で立っている背が振り返るのはほぼ同時だった。丸まった瞳が俺の手元を辿り、見上げてくるより先に、夕飯が乗った盆を押し付けてやる。ノエルは灯りに照らされた頬を緩ませ、「ありがとう」と俺に感謝を告げた。

 

「戻らないの?」

「たまには外も悪かねぇだろ」

 

 僅かな熱を冷ますように、見張り台の柵へと寄りかかる。背に食い込む硬さへ全体重を預け、木製のスプーンを掴んだ。夕飯を受け取ったノエルは、腹も空いてねぇのか突っ立っている。「お前も食え」と顎先で促してやっと、スープの器に手を伸ばした。

 

「火傷すんなよ」

「あつッ」

「何やってんだ」

 

 忠告も虚しく、ノエルが短く悲鳴をあげる。様子こそ変だが、抜けてんのは変わらずらしい。想像通りの展開につい言ってしまうと、ノエルは分かりやすく肩を落とした。

 

「……ごめん」

 

 申し訳なさそうに下がった眉。ここ一週間で腐るほど見てきた面だ。俺に調子の良いことばかり喋ってきていた頃の生意気な態度は、すっかり萎んじまったようだ。スプーンで掬い上げた芋を、口内で噛み砕く。俺が咀嚼し終える前に、「ねえ」としばしの沈黙が破られた。

 

「気遣わせちゃって、ごめんね。あたしは一人でも平気だから、戻っても……」

「気ぃなんか遣っちゃいねぇよ」

「あ。そ、そっか……ごめん」

 

 作り笑いすら出来てねぇのに、余計なお人好しを発動すんのも変わらずだ。勘違いをすぐさま訂正してやれば、ノエルは怒られたガキのように萎縮してみせた。

 この間の一件から、こいつはずっとこの調子だ。笑い方までヘタクソになって、事あるごとに。口癖のように付け加えられた謝罪の言葉が、胸のあたりの沸々としたものを掻き立ててくる。食事時には似つかわしくない空気感。晴れすらしないノエルの表情に耐えきれず、体が動いていた。

 

「口開け」

「え?……むぐ、ッ」

 

 スープに入ったちょうど良い大きさの芋を掬って、押し付けてやる。驚嘆もまとめて一緒に突っ込んでやれば、親に餌を与えられる雛鳥のように受け入れたノエルは、ぎこちなく芋を噛んでいる。

 

「は、はふっ、はふ、ひゃ、ふい」

「貴重な食糧を分けてやったんだから、吐き出すんじゃねぇぞ」

 

 表面こそ冷めてきたが、芋の中は熱が残ったままだ。はくはく、と口を開閉させて熱を逃しているノエルへ、念を押しておいてやる。途切れ途切れの吐息が少なくなり、ようやく。「っんぐ……」微かな灯りに照らされた喉が動いた。

 

「なんで、急に……?」

 

 ノエルが、傾けていた水筒から口を離す。若干青ざめていた顔色が、今度は不可解そうなものに変わって、こちらを向いていた。どこか待ち侘びていた問いに、小さく息を吸う。ノエルの方へと傾いていた顔を真反対に逸らして、言ってやった。

 

「俺は、お前が何でそうなってやがるのかはしらねぇ」

 

 その一言で、隣にいる体が震えるのがわかる。話始めにしては過剰なそれは、いつかの再来を怯えているようでもあった。

 

「その辛気臭い面をやめろ、とか。そういう説教を垂れるつもりもねぇよ」

 

 動揺を感じつつも、俺は口を閉ざすことをしなかった。ノエルから意識を削ぐように宙を仰げば、夜空に散った星々が目に焼き付いてくる。一週間前、壁上を移動する場所の荷台で見上げたのも、同じような光景だった。嗚咽と悲鳴が混じり合った、弱々しい謝罪の声がないことだけが、あの日と違っている。

 本当は。踏み込まねぇで放っておくのも俺が託された役目の一つなんだろう。そう考えて、特別何をするでもなかったが、ノエルの様子は変わらなかった。それどころか、益々酷くなる一方だ。

 笑いはしても薄っぺらで、目元の影も心なしか濃くなっている。ヒストリアのお人好しを真似だしたのか、今日も残った朝食をサシャに分け与えていた。昼飯はどうかわからないが、あの様じゃ食べているかすら怪しい。

 わかりやすいぐれぇの自虐に走っている奴を。あいつが好きだ、とか惚気てやがった笑みが崩れていくのを放っておけるほど、俺は我慢強くなかった。

 

「幼馴染、とまではいかねぇだろうが……」

 

 自分で言って、夜の壁上で枯れ木のようにゆらめく人影。アルミンへ訴えているノエルの姿が、瞼の裏に思い起こされる。隣からは、ひくり、と喉奥が引き攣るような音さえしてきそうだった。

 こいつが何を発端にここまで苦しんでいるのかは、恐ろしいほど明快だ。同時に、俺がどうこう言ってすぐさま解決するような問題じゃねぇことも。口内に染み出してきた苦々しいものを呑み下し、避けていた方へと視線を戻す。

 芋の温度に騒いでいた時の頬の赤さは、青白いものへと塗り変わっていた。少しばかり伏せられた瞳がかち合うなり、逃げるように泳ぐ。はぐらかそうとするようなそれに、一度は途切れた言葉の続きが蘇ってきた。

 

「お前の仲間は、あいつらだけじゃねぇだろ」

「ジャン……違うの」

 

 木々の間を吹き抜けてきた夜風。立体機動術で嫌になるほど浴びびてきた青々とした香りが髪を揺らす。緩やかに靡いている前髪の隙間から、悲痛そうに歪められた目元が見えた。

 

「あたし、みんなとは……違う」

「ヘタクソにしちゃあ大層な自信だな」

「あ……違うって言うのは、そういう意味じゃ」

 

 意味ありげな沈黙を追い立てれば、ノエルが居心地の悪そうに狼狽えた。訓練兵のこいつなら、鼻を高くして冗談の一つや二つでも言ってきただろうが。ノエルは誤解を恐れるかのように弁解して、焦りを滲ませている。

 

「馬鹿、わかってんだよ」

「ごめん……」

「あー……だから、つまり」

 

 どうにもできないきまり悪さを跳ね除けるように言ったつもりが、より一段と息苦しさが増す。間延した声で繋ぎ、俺は他所へ向けていた目を戻した。

 

「お前が言いたくなったら、いつでも言え。話くらいは、聞いてやるよ」

「ジャン……」

 

 ノエルは、ぱちりと瞬いた。丸まっていた瞳を和らげ、泣き出す前のように笑んでいる。ヘタクソ相手に、臭い台詞を言っちまった。どうにも頬が熱くなって、俺は注がれている生温い視線から逃れる。

 容姿に見合った儚い微笑は、全くもってらしくない。俺の望んでいたものとは違うが、これならあいつも少しは安心できるだろう。

 

「ごめんね」

「そこは、ちげぇだろうが」

「うん……ありがとう」

 

 飽きるほど聞いた単語に言い返せば、ノエルはそっと付け加えた。ここ最近ずっと耳にしてきた、嗚咽のような濁りはない。再来した山風が髪の毛を揺らしても、ノエルの顔を見る必要はなかった。

 

「冷めちまう前に、さっさと食うぞ」

 

 空腹も忘れていそうなノエルを急かして、放置していた夕飯に手をつける。数分前まで一緒に揺らいでいた湯気は、とっくに掻き消えてなくなっていた。器を傾けて、黙々とスープの具を胃へ落としていく。出来立てよりも緩くなったスープは、味気のなさを露呈していて「当番は俺だが、味付けはいつもとかわらねぇからな」と、勘違いされねぇように念を押しておいた。

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