「代役を立てる?」
告げられた一言に喉を鳴らす。憲兵に追われている、という深刻な状況。緊迫した空気に似つかわしくない驚きが、トロスト区の一角で反響した。
「オレと、ヒストリアのですか……?」
「そうだ」
みんなよりも頭半分ほど低い立ち姿。腕を組んでいるリヴァイ兵士長がエレンに頷いてみせる。あたしは二人を遠巻きにしながらも、どこか落ち着かない胸を宥めていた。
数時間前だ。あたしたちは、一週間滞在していた山小屋を追い出されるようにして後にした。調査兵団の壁外調査が全面凍結。中央がエレンとヒストリアの引き渡しを要請してきたらしい。憲兵の包囲網を抜け、二人を守るために。リヴァイ兵士長の提案で、トロスト区へと赴いていた。
「ゴタついてるとは言え、何らかの包囲網が撒かれてるだろう。俺たちが囮になっている間に、お前ら二人は馬車でピクシスの宿舎に向かえ」
「あそこなら、中央も簡単には手を出せねぇはずだ」と、切れ長の目があたしたちを見回す。表立っての行動を封じられた今、警戒を怠るのはあっても、その逆はないだろう。難しい顔で傾聴しているアルミンをはじめ、反論する者はいない。あたしも同じだった。兵長の案よりも良い方法は思いつかない。それよりも。周りの仲間たちと一緒になって、ある二人を注視してしまう。
「それは、分かったんですが……誰がオレの代わりに」
訝しげな皺を額に刻んだエレンが、一歩前へ出た。兵長が返答するよりも先に、みんなが首を動かす。「まさか……」似たような悪人面が同時に歪み、どちらかが言った。
「エレンは兎も角……ヒストリアは誰がやるんですか?三人とも、外見も背格好も似てない……ですよね」
これから起こることを予期して凍りついている二人をおいて、アルミンが顎に添えていた手を下ろす。
アルミンの言う通り、あたしたち三人がヒストリアの代わりを務めるのは難しいだろう。ミカサは黒い瞳の色が合わないし、サシャとあたしは小柄なヒストリアと背丈が違い過ぎる。
同期の中であれば、もうひとり。背丈も容姿も合う人物がいる。身長について触れると真冬の氷柱よりも鋭くなる碧色が過ぎり、あたしは小さく首を振った。同性で囮になれそうな人はこの場にはいない、となれば。
あたしが目星をつけていた人物へ、ミカサが近づく。
「アルミン」
「あ。勿論、ヒストリアみたいにみんなが可愛くないって言いたい訳じゃないよ……?」
自身に注がれている視線を別のものとして捉えたのだろう。困り眉で見上げてくるアルミンに、黙していた兵長が言った。
「そこに、適任がいるだろ」
「……え」
丸くて青い目が瞬いて、固まった。愕然としているアルミンに、赤毛の先輩兵士が鬘を差し出す。アルミンの髪とよく似た色の鬘は、光を反射して艶めいていた。
「揶揄ってやろうと思ってたけど……」
「なんか、似合ってますね」
素朴な格好の少女を、コニーとサシャが囲っている。正確には少女ではなくアルミンなのだが、そう考えた方が自然に思えるほど、お似合いだった。
エレンとヒストリアの囮として選ばれた二人は、変装道具に荷馬車で着替え、数分と経たずに戻ってきた。縦に引き伸ばしたエレンみたくなっているジャンは兎も角、アルミンはあのヒストリアと負けず劣らずなくらいだ。あたしの中に残っているなけなしの女心は、すぐ白旗をあげた。羨ましいくらいだけれど、当の本人としては嬉しくないらしく、複雑そうに唇を曲げている。
「大丈夫、アルミン。あなたは可愛い」
野次馬二人の間を割って入ってたミカサが言っても、反応は乏しいままだった。自分自身に呆然としているようなアルミンに、どう励ますべきかわからない。閉口したあたしの正面に、幼馴染組のもう一人であるエレンがいた。ジャンが代わりを務めるのがどうにも不服らしく、いつもの眼光を窄めて、アルミンと同じように顔を顰めている。視線の先には勿論、エレンの囮役であるジャンがいて、こちらも同じような目つきをしていた。頭に被せられている偽の髪の毛が気になるらしく、指でしきりに弄っている。
「よく似合ってるよ」
「……っばァか。顔が笑ってんだよ、ヘタクソ」
素直に感心を伝えたら、ジャンに肩を軽く小突かれる。上がっていたらしい口角を慌てて引き結ぶも、ジャンはそっぽを向いてしまった。何かあると、自分の表情を悟られないように隠す。面影のある仕草に、じり、と胸の辺りが焦げついた。
何ひとつ成せなかったあたしが、こうやって呑気にしていいはずがない。頭の中で分かっていても、ジャンの側にいると気が緩んでしまうらしかった。きっと、一昨日の夜にした話のせいだろう。
二人で並んで飲み干したぬるいスープは、特別美味しい訳じゃなかったが、どうにも舌が覚えている。ジャンはあたしに問い正すでもなく、ただそばで寄り添ってくれた。落ち込んでいるあたしの背を叩いて、引っ張ってくれていたライナーとは、また別のやり方。卑怯で嘘吐きなあたしを仲間だと言い切ってくれることが苦しくも、ありがたくて。
ジャンは、優しいんだ。ほぼ初対面のあたしに立体機動術のアドバイスをくれた時も、マルコの死体を前にして取り乱すあたしを冷静に引き止めてくれた時も。最初からそうだ。あたしを心配してくれたエレンも、変わらず接してくれる他のみんなも。
「ジャンも中々悪くないですね。顔以外は」
「そうだな。顔以外は」
「お前ら……俺の顔が悪りぃみたいな言い方をすんじゃねぇよ!」
コニーとサシャに囲われてとやかく言われたジャンが、苛立ちを露わにしてみせる。一方で飽きられたアルミンは、いつもの二人と喋っていた。
「俺たちの身代わりなんて……本当に大丈夫なのかよ」
「任せて。アルミンは私が必ず守る」
いざとなれば真っ先に狙われるであろう囮は、危険な役割だ。アルミンの身を案じているエレンに、ミカサが断固として答えてみせた。そんな二人に挟まれたアルミンは解せないとばかりの浮かない顔をしているが、さっきよりも明るい表情をしている。
抑えていたはずの欲がずくりと動いて、目を背けた。動かした視界には、一連の様子を静観しているヒストリアがいる。その隣をいつも陣取っていた人は、もういない。あの日から人が変わってしまったようなヒストリアだけど、今だけは何を考えているのかわかりそうだった。
あたしにも、三人がいれば。眩しさに窄めた目を、靴先へと落とす。
言える時が来たら。ジャンはああ言ってくれたけれど、あたしはわからなかった。この先、どうしていけば良いのか。どうやったら、贖えるのかも。みんなに迷惑をかけることも、あたしが奪ったせいで死ぬ人も増やしたくないのに。そんなの、許されないのに。
「お前ら、早く乗れ」
リヴァイ兵士長が言って、沈みかけていた意識が浮上する。荷馬車の準備ができたようだ。迷っている時間はない。エレンとヒストリアを乗せた馬車を見送り、あたしたちは兵士長を先頭にして歩き出した。
子供に引率されているみたいだ、と言う感想は胸の内にしまっておく。下ろしていた手を軽く握って、荷物を背負い直した。この護衛作戦を順調に進められれば、少しはノエルとして役立てる。ひとまずは、それだけでいい。
と、細やかな願いさえ打ち消すような赤が舞ったのは、町へ出てすぐのことだった。
「アルミ――じゃなくて、クリスタとエレンがまた攫われてしまったあぁああ!!」
トロスト区へ出るなり、連なって歩いていたあたしたちの元へ馬車が突っ込んできた。やはり、兵士長の読みは当たっていたらしい。サシャがわざとらしく叫ぶのを聞きつつ、あたしたちは立体機動に移った。軒を連ねる家々の屋根を駆ける。ガスを節約しながら追尾していると、ほどなくして二人を奪った荷馬車は倉庫へ入って行った。
全員で音もなく倉庫の屋根へ飛び乗り、それぞれが兵士長の命令で散る。中の様子を偵察するのはミカサに任せ、サシャ、コニーと一緒に周辺を探る。ここら一体の倉庫は人気が少ない上に、真上からの捜索だ。見張り役らしき人影を見つけ、コニーに伝達。中にいる二人を助けるためにミカサがまず突入し、後から入ってきた元締めらしい男たちを制圧するまではあっという間だった。
「とりあえず、こいつらここに拘束して、兵士長と合流する」
大男が吹っ飛び、空を回転する。アニに負けず劣らずの体術を披露したミカサは、伸びている男を鮮やかな手つきで拘束して、「それと、伝言も」と言添えた。
「銃声です!!」
アルミンとジャンが立体装置を装備してから。屋根の上に乗るなり、サシャが分かりやすく顔を顰めてみせた。少し大袈裟とも言える手振りで「ほら!何発もなってますよ!」と訴えて指を指している。あたしが耳を澄ましてもそれらしい音はないが、山育ちで耳の良いサシャには聞こえているのだろう。だとしたら、こんな町中になんで銃声が。ぞくり、と悪寒が背筋を掠め――なんでだろう。嫌な予感がする。
「兵士長からの伝言はこう。これからは、巨人だけじゃなく……人と戦うことになる」
ミカサが告げた一言に、気持ちの悪い汗が頬を滑り落ちていく。人と戦うって。つまり、今している銃声は。「はあ……?それって」困惑を滲ませるジャンに、ミカサが答えることはなかった。灰色の外套は、真っ先にサシャが示していた方向へと飛び出していく。「おい!」コニーの呼び声にも構わず突き進む背中に、残されたあたしたちも続く他なかった。
「兵長!」
アルミンが呼ぶ。トロスト区の均等な街並みを超えた先に、その人はいた。倒れている二人を乗せたまま、眼下を駆け抜けていく馬車。リヴァイ兵士長は、その後ろを追うように飛んでいた。おかしい。明らかな異常事態を飲み込む間もなく、不穏な影が兵士長の背へ近づく。
追手が突きつけた、筒状の何か。「なんだありゃ!?」ジャンが言ってすぐ。空中でドン、と火花が爆ぜた。サシャが聞いたという音の正体はこれだ。あたしが確信を得るよりも早く、兵士長が体を捻る。射出された銀の糸が人間の体を貫き、振り翳された刃によって鮮血が吹き出した。
「あ……」
切り捨てられた体が地面にぶつかり、過ぎゆく景色に消えていく。人が死んだ。いや、殺したんだ。リヴァイ兵士長が。
「エレンたちを取り戻すためには、躊躇するな。殺せる時は殺せ!わかったな」
路地を彩った一筋の血痕が瞼の裏から消えないうちに、合流したリヴァイ兵士長は言い放った。殺せる時はって。痛いくらい鳴っている鼓動が、鼓膜を追い立ててくる。誰もが言葉を失う中で、「了解」ミカサだけが反応した。返事を聞いたリヴァイ兵士長は、瞬きもしない間に遠くへと移動していて、ミカサもそれに続く。
あたしも、行かなきゃ。エレンたちを助けないと、なのに。柄を握る手が震えてる。あたしが殺すのか。また、人を?硝煙の匂いが鼻腔を突き刺してくる。でも、あたしが。兵士長たちの間に入って、何ができるんだ。弱くて、臆病なだけの悪魔に、何が。
「アルミン、ジャン!馬車に移れ!他は援護だ!」
リヴァイ兵士長に引き摺り下ろされた体が、道端へと転がっていく。援護って、どうすれば。漠然と思っている間に、呼ばれた二人が馬車の荷台へ降り立つ。振り返った御者役を、ミカサが妨害する。目の前の光景が、現実じゃないみたいにゆっくり動いていた。
ノエルなら、みんなをすぐに助けるはず。助けられるんだ。わかってるのに、なんで。体が動かない。
そんな言い訳ばかりしているから。弾かれ、空を舞う刃に。無防備なジャンへ詰め寄る人物に、反応できなかった。
「エレン!!」
二人を乗せた馬車が、門の内側に消えていく。ミカサの叫びを耳にしたまま、あたしは屋根の上で膝をついた。胸の辺りが、生き物のようにぎゅうぎゅうと蠢いている。傍観していただけの手のひらは、握り込んだ柄の形に赤くなっていた。
「あたし……」
ガチガチと歯が擦れる音。滲んできた鉄の味で、唇が切れているとわかった。
「あたし、は何も……」
やっぱり、ベルトルトの言う通りだった。昔からずっと、変わってない。
あたしは。役立たずな、偽物だ。