ヒッチとの約束が果たせるようになったのは、意外にもその数時間後のことだった。
構えていたはずの銃もほっぽり出して、みんなでリヴァイ兵士長の手元を覗き込む。松明の光で照らされた紙面に、連なっている文字を何度も読み返す。大見出しに書かれている言葉へ目を擦っても、意味は変わらない。これが、あたしの空想じゃなかったら。つまり。
「――我々は、自由の身だ」
おおっ、と誰かのどよめきに合わせ、全身から力が抜けていく。調査兵団の冤罪は晴れ、偽りの王政も白日の元へ晒された。これで、あたしたちが森の中をコソコソ逃げ隠れる必要はない。
「良かった……」
ミカサへと飛びついて喜んでいるサシャを横目に、安堵のあまり崩れかけた膝を抑える。たった数日とは言え、指名手配犯なんかなるもんじゃないな。全身が弛緩していくのを感じながら、視線を持ち上げると、そばにいたジャンと目が合った。
「これでもう、はぐれ者じゃないね」
「それは元々だけどな」
皮肉っぽい笑顔に釣られ、自分の口角が上がっていくのがわかる。未だ現実味のない手のひらを握り締めて、差し出された拳に軽くぶつけた。
喜びに浸って至られる時間は、そう長くなかった。調査兵団が無罪になったからと言って、やることはまだ残っている。ハンジ分隊長が新たに掴んだ手がかりを元に、あたしたちは休む間もなく馬を走らせていた。目的地は、レイス家の領地。真の王が隠したがっている秘密の場所だ。
「それで、作戦の件だが……」
とある寄り道で荷を積み終えて出発するなり、兵士長はそう切り出した。最前線をミカサとリヴァイ兵士長で切り開き、二人をハンジ分隊長とジャン、コニーで援護する。その采配に異論はないはずが、何故だか素直に飲み込めないような。胸の内がどうにも落ち着かない。
「残った三人は後方で援護だ」
「リヴァイ兵士長」
「なんだ」
速度を落として馬車に並ぶ。じろり、と向けられた三白眼に隠れて息を呑む。
何度も実践を積んできた兵士長の指示だ。この場ではおそらくそれが最善だと分かっている。わかっていながら、あたしは。
あの日から何ひとつ掴めない手を。ざらりとした手綱ごと、痛いくらい握りしめる。
「あたしも、前線で戦わせてください」
「おい、なんだ。俺たちだけじゃ不安か?」
リヴァイ兵士長に向かって、ハッキリと告げる。そんなあたしへ、真っ先に声を上げたのはジャンだった。前を往くジャンが振り返り、真っ直ぐに目を合わせてくる。
「ヘタクソが無理に前線まで出てくる必要はねぇよ」
「分かってる。でも……今度こそ」
このまま、後衛に徹したって別に構わないはずだ。得体の知れない敵の本拠地へと足を踏み入れる時点で、危険度はさほど変わらない。それでも、些細な違いを受け入れられないのは、あたしが我儘だからなんだろう。
「今度こそ、やらなきゃいけないの」
「お前……」
何か言いたげなジャンに、場違いなくらいの笑みをつくった。もう。何もできない役立たずでは、いられない。
「好きにしろ、だが……死ぬことは許さない」
「はい!」
リヴァイ兵士長の言葉へ、あたしは首を縦に振った。高揚して浮ついた体と、焦ったように脈動する鼓動が不釣り合いで落ち着かない。
きたる決戦が、現実味を帯びたからだろうか。元いた位置まで馬を戻して胸のあたりを諌めていれば、並走するジャンが話しかけてくる。
「ヘタクソの癖に我儘ばっか言いやがって」
「ごめんね。足は引っ張らないから」
ジャンには見抜かれてしまっていたらしい。どうにもならない謝罪だけをするも、ジャンは、はっ、と笑い飛ばすような。呆れたような息を吐いてから、言った。
「これでおっ死んだら許さねぇからな」
「うん、ジャンもね」
やっぱり。こんな我儘なヘタクソを見捨てないでくれるのだから、ジャンは優しいんだ。緩み切った頬を持ち上げると、「……ったく」ジャンは複雑そうにぼやいて進行方向へ向き直った。
「あれが」
敵勢力最大の脅威であるケニー・アッカーマンやその血筋。交わされているやり取りに耳を傾けながら馬を走らせていると、程なくして目的の建物が姿を現した。ぽつりと見えてきた礼拝堂は、のどかな山奥にしては妙なくらい立派な石造りだ。
やけに静かな周囲を警戒しつつも中に通し入り、「あった……隠し扉だ」聞こえてきたハンジ分隊長の一声で、仮説は確信へと変わった。この先に、エレンたちがいるはずだ。
「それでお前ら、手を汚す覚悟の方はどうだ」
怪しげな扉のそばで足をついたまま、リヴァイ兵士長が問いかけてくる。以前のような動揺を見せる人は誰一人としていない。五月蝿いくらいに泣き喚いていたはずの鼓動も、ゆったりとその時を待っている。
これまでも、これからも。全てはあたしの弱さが招いたこと。だから、ごめんなさい。ノエル。
あたしがそっと謝る傍らで、「そうか」兵士長が呟いた。ハンジ分隊長が、隠し扉の把手へ手をかける。ギィ、と軋む音を立てる扉の奥から覗いたのは、目も眩むほどの煌びやかな光だった。
「行くぞ!」
戦闘は、洞窟へ降りてすぐに始まった。寄り道して工作した樽を蹴り飛ばし、兵士長の号令に続く。サシャが火の矢をつがえ、広場の中央へ転がった樽を射る。ガラガラと転がり落ちた樽が爆発して、視界を黒煙が覆った。
真っ先に飛び出したのは、先頭を走っていた兵士長とミカサだ。その背に合わせて信煙弾を撃てば、狙い通り視界が不明瞭になっていく。
「作戦続行!全ての敵をここで叩く!」
何発か撃ち終えて、兵士長の声が響いた。空になった煙弾を投げ、刃に手をかける。隣にいたジャンと目を合わせる間もなく、立体機動へと移った。
「敵はどこだ!?」
びゅうびゅうと耳鳴りがする。顔面へ容赦なくぶつかる風。それに紛れて、敵の叫びが耳に入ってくる。進行方向へと射出したアンカーを切り替え、回り込む形で巻き取っていく。遠心力で重くなる体。奥歯を食いしばりながら、黒煙へ身を投げる。
「なっ!?」
晴れた視界に映ったのは、無防備な背中。気配を感じ取った影が困惑の声をあげるが、遅すぎる。
「っは……!」
「ぐあ゙っ!!」
振り翳した刃が、振り返った男の顔面にめり込む。柔らかい肉を切り裂くような手応え。見開かれた瞳孔が光をなくす。噴き出した血の鮮やかさに驚嘆する間もなく、ひしゃげた体は地面へと落ちていった。
「この野郎!」
まずは、一人。間髪入れず、また別の方向から怒号がした。遠くから突きつけられたのはギラリと反射する銃口。強張った体を捻る。まずい。冷ややかなものが背中をなぞって、目の前を緑の煙幕が覆った。
「クソッ!!どこにいる!?」
射撃対象を失った敵が喚き、見当違いな場所へ弾丸が抜けていく。アルミンの援護だろうが、感謝している暇はない。一発、二発鳴って、銃声が止む。今、だ。
「が、ッ……!!」
突風を纏った靴先が、女の腹へめり込む。ごりゅ、と骨が擦れる音。糸を断たれた人形のようにひしゃげた体へ、刃の切先を翳そうとして。
「あっ」
足首を、掴まれた。
「ぐあ、ぁっ!」
「ゔ、ゔ……っ!!」
ガクン、と落ちる景色。背中を焼け付くような鈍痛が走った。一回、二回。目の前が暗転して、止まる。
「ぅ……」
急激に襲いかかってきた重力。酸欠になった脳味噌が、頭の奥で嘆いてる。柱へ縺れるように落ちたお陰で、バラバラにはならなかったみたいだ。ぼやけた天井を振り払い、どうにかして腕をつく。
「ゔ、ぐ……」
視界を上げると、あたしを引き摺り下ろした女が、唸りながら上体を起こしかけているところだった。地面へ転がっていた刃を手繰り寄せ、柄に指を絡める。燃え上がるような熱に突き動かされるまま、振り上げた。
「ひっ」
「待て!!」
影が落ちる直前、跳ねるようにして首を動かす。ぎらり、と鈍い色が掠めた。今からじゃ弾丸を避けられない、先に殺すのも無理だ。目の前が真っ暗になりかけて、見知らぬ名前が耳朶に触れた。
呟いたのは、怯える女。視線の先にいるのは、向かってくる男だ。途端に、全てがゆっくりと進んだ。これしかない。命を絶とうと翳した刃を、これ見よがしに首元へ寄せる。
「近づいたら殺す!武器を捨てて!」
「くっ」
狙い通り、あたしに合っていた標準が外れた。それどころか地に足をつき、手元の銃を弄っている。よほどこの女と仲がいいのか。あるいは、恋仲なのだろうか。驚くほど素直に応じた男を他人事のように眺め、奥歯を痛いくらいに噛み締める。なんであろうと、躊躇はできない。
「捨てたぞ!早くそいつを解放し」
男が武器を転がしてすぐ、あたしは垂れていた女の腕を掴んだ。「っえ?」狼狽にも構わず、持ち上げる。添えられていた手に指を絡めた。自分の手を覆うように重ねる。「――ッやめ!!」何かに気づいた男が叫ぶ。少し力を込めれば、痺れるような反発。焦燥に濡れた口が半開きになったまま、仰向けに倒れる。
「なっ!?は、話が、話が違うじゃない!!なんで」
喚きが最後まで発されることはなかった。亀裂から噴き出した血液が飛び散り、ゴボゴボと溺れるような音に変わる。大きく痙攣した四肢が、力無く伸びていく。愕然と縮まった瞳孔から逃れるように、アンカーを射出した。
「ッ……次は」
一度柱へと足をつき、左右を見渡す。まだ二人。それなのに、体の至る所が引きちぎれそう。浅く息を溢し、下へ向いていた顔を上げ直す。あたりは、作戦通り煙に飲まれて視界が悪い。兵士長とミカサの。みんなの援護をしないと。
不明瞭な景色に目を細め、見慣れた姿が視界の端を掠める。得意の立体機動で、追っ手をひらりと躱す。あたしには真似できない戦い方。その死角から迫る不穏な影に、「ジャン!」体が動いていた。
「死ねぇっ!!」
「あ゙っ、……が」
無防備な背を庇うように体を滑らせ、迸る耐え難い激痛。
「ノエル――!!」
最後に見えたのは、あたしへ伸ばされた手。応えようとした指先が宙を掻いて。何も、見えなくなった。
――――
大地を揺るがすような振動に紛れ、カラカラと車輪が回っている。その荷台にいるのは、連れ去られたはずの二人。
僕たちは、エレンとヒストリアの奪還に成功した。ようやく、と一息をつきたいところだけれど、それを許さないとでも言うように。また別の問題が、視界の隅に映り込んでいた。尋常じゃない蒸気をあげ、地面を押しのけ進んでいるのは、超大型巨人を優に超えた巨体だ。
「エルヴィン」
「みんな無事か」
暗がりから駆け寄ってきた白馬に、握っていた手綱を引いた。馬が嗎とともに歩みを辞め、駆け寄ってきた団長が僕たちを見回す。
「負傷者二名だ。一人は眠っているが……命に別状はない」
馬車に横たわっている体は、二つだった。敵にアンカーを体に刺されて負傷したハンジさんと、肩に銃弾を受けて墜落したノエルだ。その瞳は固く閉ざされていて、開きそうな予兆もない。ぞわり、と騒めく何かを抑え込むように手綱を握る。
洞窟からノエルを運び出してくれたモブリットさんと、応急処置はした。被弾による浅い負傷と、落下時の軽い脳震盪。撃たれた箇所は見た目こそ大袈裟だが、弾も貫通もしていて、大したことはないということだった。
それでも、不安はどうしたって拭えないまま。いつもノエルを揶揄っているジャンも、横たわるノエルを前に、苦々しい顔をしていた。
「なんだ。こいつがどうかしたのか」
「いいや……みんな、よくやってくれた」
不自然なくらいの間を空けてから、取り繕うように団長が言った。リヴァイ兵士長とのやりとりに耳を傾けながら、ふとした違和感にそっと荷台に振り向いてみる。
ハンジさんの隣に横たえられたノエルは、身じろぎ一つしていない。その肩を汚している血は鮮やかなままで、無事だとわかっていても痛々しかった。荷台にいるエレンも同じなんだろう。僕の視線を辿って、複雑そうにノエルを見下ろしている。
「ノエルが起きたら……謝らねぇとな」
「どうして?」
ひとまずは、団長を先頭に移動するらしい。再び馬車を走らせていると、背後からそんな声がした。ヒストリアが不思議そうに聞き返して、何か思うようなのあとに「オレは……」エレンは話し出した。
「オレは、こいつが謝る理由がずっと……理解できなかった」
覇気のないエレンの言葉に、数日間の光景が蘇ってくる。
ノエルは、よく謝っていた。何かにつけては、ごめんなさい、と謝って、らしくない笑顔をみせる。明らかにやりすぎなそれは、いつの日の叫びを清算しているかのようでもあった。原因は火を見るよりも明らかで。だからこそ僕は、なんと声を掛けるべきか分からなかった。
「というか……人に謝るってこと自体、ロクにしてこなかったと思う」
「あはは。エレンは、そうだよね……」
そっと付け加えられた一言に、つい口が出てしまう。エレンは昔から、頭を下げるタイプじゃなかった。カルラさんにさえなかなか謝らなくて、僕の家に転がり込んできたことだってあったくらいだ。あの時はミカサが迎えにきて、後で散々怒られたと聞かされた。
「だから。こいつの気持ちも考えてやらないで、偉そうなことばっか言っちまった……」
「オレが他人にどうこう言える権利なんか……なかったのにな」思い出に浸りかけた頭が、現実に引き戻される。苦しげに続けたエレンへ、何か言おうと考えを巡らせて、「謝ればいいよ」ヒストリアの方が早かった。
「謝ればいいよ、ノエルが起きたら。それで……ノエルが謝ってる理由も聞いてみようよ」
「……ああ、そうだよな」
ヒストリアの提案に、エレンは力強く答えた。もう、僕が何か言わなくても大丈夫そうだ。確信して、後ろに取られていた意識を前へ戻す。
ノエルが目を覚ましたのは、これから数時間後。ロッド・レイスを討伐した後のことだった。
必殺!島の悪魔式外道戦法を喰らえっ!
ノエの戦績:2キル(憲兵)3アシスト(親友、父親、憲兵)