抱えていた重みを地面に下ろし、腰を上げる。膝から鳴った小気味良い音に合わせて、痛んでいた腕をぐっと伸ばした。顔を照らす光は、柔らかな夕焼け色に染まっている。先に着いていたジャンたちが遊んでいるのかな。どこからか流れてくる子供たちのはしゃぐ声に耳を傾けながら、近くの柵へと体を預けた。ズルズルと背を預け、ひとつ深呼吸する。
「やっと、ひと段落……」
僅かな痛みが、まだ手に残ってる。二週間に及ぶ療養生活のせいか。それとも、今日の訓練が尾を引いているのか。たぶん、両方だ。
あたしはつくづく、兵士ってやつに向かないらしい。呆れ混じりの弱音を吐いて、腕に巻かれた真新しい包帯のゆるみを直す。少しだけ硬くなった気がする二の腕を触っていたら、こっちへ向かってくる金髪が見えた。
「ごめんね。ノエルにばっかり運ばせちゃって」
絹糸のような髪をそよ風に靡かせながら現れたのは、ヒストリアだった。ぱっちりと大きな目を伏せて、申し訳なさそうにあたしを見上げてくる。
「いいよ。あたしが遅れて来たのが悪いんだし」
昔よりもずっと輝いてみえる瞳に魅入られながらも、あたしは軽く首を横に振ってみせた。ヒストリアの戴冠式から約一ヶ月。再び堂々と空の下を歩けるようになった調査兵団は、ウォール・シーナ奪還に動き出している。
そんな中。特別作戦班のあたしたちは、ヒストリアがつい最近開いたばかりの孤児院の手伝いをしていた。訓練も並行しているので、今日のように訓練が早く終わった日や調整日に限られるけれど。
「ノエル。また、怪我したの?」
「あ、これは」
ヒストリアが言って、怪訝そうにしていた表情をさらに濁らせる。あたしが止めようとした時には、遅かった。細くて白い指があたしの手を取って、伸び切ったシャツの袖を捲る。現れたのは、何度も巻き直したせいでよれよれの包帯だ。
見えなくしていた訳じゃないのに。なぜだろう。ヒストリアに咎められたら、不思議とバツが悪くなってくる。
「あたし、槍もヘタクソみたいでさ。扱いが中々……」
手持ち無沙汰な片手を首にやり、あたしは態とらしく笑みをつくった。隠し事が親にバレた子供みたく、もごもごと口を動かしてみる。
訓練の後に残って特訓していたのだが、離脱するのに遅れ、破片を少し受けてしまった。大したこともない軽傷なのだけど、見た目が大袈裟で困ってしまう。
「病み上がりなんだから駄目だよ」
「もう一ヶ月以上経ってるから」
「さっき。肩を庇ってたでしょ」
流石にもう病人面はしていられない。どうにか言いくるめようとして、ズバリ言い当てられてしまった。ぐ、と言葉を詰まらせている間にもヒストリアは眉を下げたまま。それどころか、触診でもするようにあたしの腕を表裏と観察している。
「これ、新しいのに変えよう」
「でも」
「でも、じゃないの。すぐ包帯取ってくるから、そこに座ってて」
どうにか口にした反論は、一秒とたたずに突き返されてしまった。ヒストリアがテキパキと立ち上がり、指示だけを残して行ってしまう。お母さんというものいたら、こんな風に叱ってくれたのだろうか。根拠のない想像をしていれば、ヒストリアはすぐに戻って来た。
腕を捲るように言われ、元あった包帯を外す。瘡蓋さえない生々しい傷跡を一見したヒストリアが、慣れた手つきで包帯を裂いた。それを傷に当てがい、「キツくするから、我慢してね」と、一言添えてから巻きつけてくれる。
「いいのかな、女王様にこんなことやらせて……」
「そう思うんだったら、今度から怪我をしないこと。わかった?」
あたしとは比べものにならないくらい、手際が良い。どうにもやりきれない想いを溢すも、しっかり叱られてしまった。ただでさえ見惚れる大きな瞳に凄まれて仕舞えば、もう返す言葉も見当たらない。
「気をつけます……」
「もう、ノエルはすぐ無茶するんだから」
言い訳もなしに肩を落とせば、困ったような笑い声が聞こえた。鈴を転がしたような心地いい音に釣られ、地面に這わせていた視線を上げる。手当を終えたヒストリアは、何かを思い起こすかのように目を窄めていた。
「私が盗賊に襲われた時とか、前から……ずっと」
「あはは。あの時は、本当に無我夢中だったから……」
今でも鮮明に思い起こせる記憶と痛みに、ヘラリと口元が緩んでしまう。盗賊相手にみんなで立ち向かったり、何も考えなしに人質役を交代しようとしたり。ヒストリアの言う通り、やり過ぎなくらいの無茶だった。
そんな馬鹿をする度、真っ先に駆け寄ってきてくれる顔。心配そうに寄せられる特徴的な眉が脳裏に過ぎり、一度はあげた目を伏せる。結局、そうだ。みんなに迷惑をかけるばかりで、あたしは何も得られなかった。
ぎゅう、と最後にキツく包帯を締められる。離れかけた手にお礼を言おうとして、「あのね、ノエル」ヒストリアがあたしを呼んだ。
「……私。本当はノエルのこと、苦手だった」
言葉を飲み込むような間のあと。ぽつり、溢された一言に、自分が目を見張るのがわかった。
「私のこと庇っちゃうくらいお人好しで、優しくて、愛されてて。まるで……クリスタ、みたいだったから」
自嘲するように言うヒストリアが、どこか遠くに見える。少しばかり息苦しいような。胸のあたりにあるこれは、面と向かって本心を伝えられたことへの衝撃じゃなかった。むしろ、腑に落ちたくらいの。知っていた感覚に、強張りが解けていく。
同じ、だったからだ。あたしも、偽物なんかとは違うって。心の片隅で、きっと。ずっと思ってた。
今、だって。
「ユミルがあなたを避けるのも……正直、ありがたかった」
気まずさを誤魔化すように。自分の愚かさを笑うかのように、ヒストリアは言った。赤い夕焼けを映したまま震えていた瞳が持ち上がり、真正面からあたしを捉える。
「だから。ノエル、ごめんなさい」
「ううん」
表情を一段と歪ませたヒストリアへ、あたしはすかさず声を被せた。はっと向けられた顔に、「謝らないで。ヒストリア」首を振ってみせる。
「あたしだって、ユミルが……怖かった」
自分で紡いだ言葉に、唇が震える。そうだ。あたしは、ユミルが怖かった。飄々としていながらも、確信に迫ってくるような。あたしの嘘を全てを見透かしているみたいな瞳が、恐ろしくて堪らなかった。
「お互い様には、ならないかもしれないけど」
「ノエル……」
丸く縮んでいた空色が解けていくのに、あたしはそっと苦笑してみせた。どうにもむず痒くなって、下手くそな笑顔をつくる。
「そもそも、あたしは。みんなに謝られるような人間じゃ……ないよ」
口角をあげたまま、あたしは一ヶ月前にも言った言葉を繰り返す。ベッドの上で目を覚ました時、エレンもあたしに謝ってくれた。勝手なことばっかり言った、とそう悔やんでくれたけれど。
力なく垂らしていた腕の先。手のひらを、ゆっくりと握り直す。この感触が残っている限り。あたしには、その謝罪を素直に受け止めることができない。
「前に……嘘をついてるって、言ってたよね」
納得のいっていなさそうなエレンに、どう返したんだっけ。少し前の記憶を辿っていたら、ヒストリアが語りかけてきた。呼び起こされた厩舎の光景に懐かしさを覚えるより早く、ヒストリアはあたしを見上げた。
「ノエルの嘘は、まだ続いてるの?」
「……うん」
「ノエル。もし、できることがあるなら、私……」
「大丈夫だよ」
最後まで言い切る前に、あたしは言った。ヒストリアを見つめ返し、なんてことないように付け加える。
「あたしは……苦しんでも、困ってもいないから」
「……そっか」
まだ何か言いたげな視線には、見て見ぬふりをした。髪を揺らすそよ風はこんなにも清々しいのに、喉のあたりが息苦しい。そんな沈黙を晴らすよう、「あたしも、思ってたこと言ってもいい?」あたしは場違いなほど明るい声を出した。
「あたし、クリスタって名前も好きだったよ。綺麗で、可愛くて……ヒストリアにぴったり」
「もう、褒め過ぎだよ」
「だって、本当のことだもん」
照れ臭そうにしているヒストリアへ、胸を張って答えてみせる。熟しはじめた果実みたいに。ほんのりと染まった頬に見惚れていたら、ヒストリアと目が合った。
「ありがとう。でもノエルだって、いい名前じゃない」
「そう、かな?」
「うん。それこそ、ノエルにぴったりだよ」
「……ありがとう、ヒストリア」
花の咲くような笑顔に、息が詰まりそうになるのを堪えた。どうにか吐き出して、遠くまで並ぶ柵の向こう側を眺める。すっかり赤く染まった太陽は、焼き付くような色を纏ったまま、ゆっくりと地面へ沈んでいた。
やっぱり、クリスタはあたしじゃない。ふと心に浮かんだそれを。今度こそ、口に出すことはしなかった。
オメデタイナー・ブラウン。
明日、明後日も更新します。