島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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訓練兵団編:困難②

 

 ウォール・ローゼで出会った日からあたし達、三人組は身を寄せ合ってきた。その中でもアニは一人だけ一線を引いた向こう側にいたから、四人とも仲良くとは言えないかもしれないけれど。いつもあたし達を率いてくれるライナーに、何にでも器用なベルトルト――そして、アニ。あたしが変わるきっかけをくれた人。ツンと冷たい氷のような佇まいと言葉だけど、向けられる視線の暖かさをあたしは誰よりも知っている。

 喧嘩するほど仲がいい。この言葉をあたしはあまり信じていなかった。あたしたちライナーとアニが不穏な空気になることはあっても、本格的な喧嘩は見た試しがない。あたしが日常的にアニへ“ちょっかい”をかけるから、小突かれたりするけど、それくらいだった。

 今となっては、昨日まで半信半疑だった言葉に縋るしかないでいる。喧嘩するほど仲がいい。だから、アニにも嫌われていないはずだって。

 

 訓練地に戻ってきても、自分よがりな淡い希望が叶うことはなかった。と言うより、話す機会を自分で手放したのだ。いつもの席で座っているアニへ話しかけられないままライナーたちと食事をとり、宿舎で寝転んでいるアニの隣ではなく、サシャのベッドにお邪魔した。思い返せば、当日に謝って仕舞えば良かったのだ。いっ時の怯弱が足枷となり、日が経つごとにアニとの距離が離れていった。毎日と言っていいほどしていた会話をしなくなり、並んで歩く機会もなくなったのだ。

 

「二人とも、お待たせ」

「おう、待ってたぞ」

 

 荒地行軍訓練という困難をみんなで乗り越えて数日経った。遅れて食堂へ辿り着いたあたしは、活気に押されながら朝食を盛り付け、ライナーが取ってくれていた席に腰を下ろした。もちろん、席へ来る途中でサシャの席に寄って報酬を渡すことは忘れていない。ベッドを半分使わせてもらう報酬として、パンを半分分けているのだ。

 

「傷はどう?」

「ほぼ完治だって!」

 

 怪訝そうなベルトルトへ、胸を張って微笑んでみせる。一人だけ朝食に遅れた理由はそれだった。傷は浅いけれど、頭という部位なのもあり、経過を見てもらっていたのだ。医務室で告げられた言葉をそのまま言ったら、二人の表情が和らぐ。

 

「これで遠慮なく触れるな」

 

 ずっしりとした重さが頭に乗っかり、髪を乱暴にかき混ぜられる。寝癖を整えたばかりだけど、抗議の声を上げようとは思わなかった。解放されてから、冷たいスプーンを持って朝食に手をつける。訓練兵団定番のスープはどんな時期でも味が薄い。今日は特に味がしなくて、無理やり喉に流し込む。

 

「またそれだけか?」

「まあ……うん」

 

 あたしの皿を覗き込んでライナーが顔を曇らせる。あたしは声を濁らせたのち、素直に頷いてみせた。半分になったパンと薄いスープ。元々質素な訓練所の食事が、心許なさに拍車をかけている。

 

「それじゃあ、いつか倒れちまうぞ」

 

 ライナーの心配は最もだ。正直言って、あたしも限界を感じ始めている。支給される食事を朝晩しっかり摂っていてギリギリの所が、主食のパンを半分失ってしまっているのだ。早い時間からお腹が空腹を訴えるようになってしまい、夕方は鎮めるのに必死だった。

 

「ほら、少しでも食え」

 

 今日も夕方まで耐えなければいけないのか、と手を止めて気分を暗くしていたら、パンのかけらに唇を塞がれる。ライナーがぐいぐい押すので、欲望に負けて飲み込んでしまった。いくら味のしないパンだと言っても、食料であることは変わらない。特に空腹を凌げないで悩んでいるあたしなんかにはご馳走だ。分けてくれたかけらをすぐに飲み込まず、味わって大事に食べる。

 

「かけらしかやれねぇで悪いな」

「ううん……でも、またライナーの分が」

「そこは素直に喜んどけって昨日も言っただろ」

 

 サシャにパンをあげるようになってから、ライナーは自分のパンを分けてくれている。初日こそ躊躇していたものの、もうすっかり甘えてしまっていた。育ち盛りで体も大きいライナーなんて、ご飯をいっぱい食べたいはずなのに。あたしのしょうもない意地にライナーまで巻き込んでしまっているんだ。感謝と申し訳なさが混ざり合って、黙り込んだあたしの頭がこつんと突かれた。

 

「気にするな。んで、さっさとアニと和解しちまえ」

 

 仏頂面でしかいれないあたしの代わりに、ライナーが溌剌と笑って対角上で食事をとっているベルトルトへ顔を動かす。話を振られたベルトルトの「ああ」という煮え切らない返事が返ってきた。ベルトルトが返答を濁すのも無理はない、あたしですら今回の喧嘩がいつ終わるのかわからないから。

 

「お前らにいまさら遠慮なんて必要ねぇだろ」

「そ、そんなことないよ」

 

 ライナーの言う通り、少し前なら三人の中で一番アニと仲がいいのは自分だと胸を張って答えていただろう。あたしが口下手なせいでこんなことになっていなければ。過去の自分が現状を見たらひっくり返るに違いない。

 

「酷いこと言っちゃったし……」

 

 あたしの身を案じてくれていたアニに向ける言葉ではなかった。過去の自分がもう一人いたら、なんてことを言ったのかと叱られるだろう。場を納めたい一心で、軽々しく口にしてはならなかった。薄ら笑いを浮かべていった手前、アニの表情が僅かに強張ったのを忘れはしない。

 

「……アニは怒ってないと思うよ」

「そうだといいんだけど……ね」

「ノエル、気づいてないのか?」

 

 折角のフォローも純粋に受け止められず、肩をすくませてしょぼくれていたら、ライナーが確認するように聞いてきた。なんのことだろう。脳内で心当たりを探りつつ、首を左右に振る。

 

「アイツ、お前を待ってるぞ」

「……だれが?」

「アニに決まってんだろ」

「あたしを……?」

 

 ライナーの口から出たのが心の片隅で期待していた人物であっても、素直に喜ぶことはできなかった。ベルトルトのように気遣ってくれているのかと思いきや、口を開いたままにして目をぱちくりさせているあたしの反応はライナーも予想外だったようだ。

 

「全くわからなかったのか?」

 

 すっかり嫌われてしまったと思っていたあたしにとって、ライナーの言葉は半ば信じられないものだった。あんな別れ方をしたのに、あんなことを言ってしまったのに、アニがあたしを待ってくれている? まさか。混乱しながら首を縦に振ったら、ライナーはあたしの表情をよく見てから言った。

 

「思ってたより重症みてぇだな」

 

 やれやれと言いたげなライナーにぱちぱちと瞬きで返事をする。理解が追いつかず、親を待つ雛のように口を小さくパクパクさせながら次の言葉を待った。

 

「アイツを見てみろ」

 

 ライナーがくい、と顎で指すのに続いてあたしも首を動かす。小柄だけど、存在感のある背中がいつも一緒に食事をしていた馴染みの席に座っていた。無意識のうちで避けていたんだろう。遠くから眺めたら見慣れた席がなんだか新鮮で、ひどく懐かしい。

 

「今こそ澄ましてるみてぇだが、最初はお前をチラチラ見てたぞ」

「アニが?」

 

 またあの隣に並べる日は来るんだろうかと目を細めていたら、ライナーが信じられないようなことを口にした。アニの背中へ引き寄せられていたのが収まってすぐさま驚嘆混じりに聞き返す。

 

「ああ」

「うん……ノエルが食堂に来た時も見てた」

 

 あたしが揶揄っているんじゃないかと邪推する間もなく、ライナーは深く頷いた。あたし達の会話を聞いていたベルトルトも続くものだから、空いた口が塞がらなくなった。

 

「アニばっか見てるベルトルトが言ってんだ、間違いないだろ?」

「そ、そんなこと……」

 

 ベルトルトの動揺が混じった声が遠くで聞こえる。ついさっき大好きなアニの視線が向けられていたのに、あたしが全く気が付かなかったこと。指摘されないとわからないほど、アニを避けてしまっていたこと。アニが大切だと宣っておきながら、二人に指摘されてやっと理解した自分が嫌になる。自分の愚かさを呪う反面、踊り出せそうな喜びと愛しさが胸に沁みて、今すぐあの背中を抱きしめたくなった。

 

「アニ、待っててくれたんだね……」

 

 アニがあたしを嫌いだって、いつ言ったんだろう。アニは嫌い、とも近寄るな、とも言ってない。全部、ぜんぶ。あたしの妄想だった。

 

「なのに、あたし酷いことしちゃった」

 

 この数日間であたしはどれだけアニを傷つけてしまったのか。食堂に入ってきたあたしが視線すら合わせず、他の席へ座ったのをアニはどんな目で見ていたんだろう。

 

「あんな言い方じゃ、勘違いすんのも無理ねぇ」

 

 後悔するあたしを咎めるようにずっしりと頭が重くなる。見上げるとライナーがあたしの頭に腕を伸ばしていて、目があうと同時に優しく叩かれた。

 

「落ち込むよりすることがあるだろ?」

「うん、そうだね」

 

 ライナーの言う通りだ。俯いて嫌な妄想ばかり並べるのはこの数日間で散々やってきた。視界に入ったブロンドから目を逸らし続けることも。アニが待っていると知った今、すべきことは他にある。

 数分前と全く違うように見える背をじっと眺めた。喜びと後悔が一緒くたになってぐるぐる渦巻くのも含めてすぐにでもアニを抱きしめたい。それがいかに身勝手であるか分かっているから、浮いた足を抑えた。

 

「あっ」

 

 運がいいのか、悪いのか。浮つく心を押さえつけていたあたしの前で、アニが席を立った。まさかのタイミングに声を溢してしまう。食事を終えた人を器用にするりするりと避けるアニの姿を目で追った。まるで細い道を器用に進む猫みたいだ。そんなことを考えていたら、食器を片付けたアニが食堂から出こうとしている。

 

「行ってくる!」

 

 スープが冷めてしまうのもお構いなしに、急いで机から抜け出す。「上手くやれよ」ライナーから激励を受けつつ、小走りでアニの元へ駆け寄った。一歩、二歩。追いつけるよう大股で懐かしい後ろ姿に近づく。三歩、四歩。遠慮なく話しかけられるのが幸福だったなんて気付きもしなかった。手を伸ばせばすぐそこまでの距離にきて、心臓の音が耳元で大きくなる。カラカラ乾いて、張り付いている喉から引き剥がすように呼びかけた。

 

「アニ!」

「何?」

 

 無視されたらどうしよう、と声をかける直前に過ぎった不安が的中することはなかった。けれど、久しく向けられていなかった瞳から紡がれた言葉はあたしの肩をびくつかせるのに十分だった。不思議と跳ねてしまった体を慌てて撫でて誤魔化してみる。おかしい。こんな会話、以前なら何度でもしてきたはずなのに。

 

「え、えっとぉ……」

 

 アニの視線が体中に突き刺さって痛い。肩を摩っていた腕を触り、アニの瞳を避けるように目を泳がせる。いざ呼び止められたはいいものの、話しかけることばかりに集中して、話す内容を考えていなかった。助けを求めたいけれど、ライナーもベルトルトも席だ。一周ぐるりと目を回して何か言い返そうとするも、肝心の言葉が出てこない。

 

「傷が治ったんだ」

 

 まとまらない思考のまま、乾いた口から転がり落ちたのはそんな言葉だった。間違えた。そう思って大人しく訂正する間もなく、思い描いていた道筋から外れていく。

 

「……へえ、よかったね」

「あ、跡も残らないんだって!兵士に跡も傷も関係ないのにねっ」

 

 軽薄な響きを考えずにペラペラと喋ってしまう。アニの一挙一動が恐ろしい。あたしから興味をなくして、呆れて、行ってしまうのが怖くてたまらない。ナイフの切先のような碧はまだ直視できず、視線を空で漂わせる。強制的に言葉を吐き出し続けることが、アニを引き止める唯一の方法だった。

 

「……で、それが言いたかったの?」

「いや!……う、違くて」

 

 中身のない言葉を連ねていて、気が付かないアニではない。あたしが精一杯取り繕おった言い訳を一刀両断しつつ、ため息混じりの声が聞き返す。ヘラヘラ笑ってしまっていたのをやめ、間髪入れずに否定するも、上手い言葉が見つからずに詰まってしまう。

 

「じゃあ、何?」

 

 「あ」とか「う」とか言いながら、脳内を探っていたあたしへ、一歩前に影が近づく。アニがさらりとしたブロンドをならすと、眉間に刻まれた皺がよく見えた。

 

「アイツらに言われてきたんでしょ」

 

 痺れを切らしたアニが苛立ちを含んだ声色で吐き捨ててあたしの反応を待っているけれど、なんと言えばいいのか、正解がわからない。焦りに支配されたまま、顔を青くするだけで何も言わないあたしに見切りをつけたんだろう。あたしを見上げていた瞳が僅かに緩んで、視線が途切れた。

 だめ。あたしはあんなことが言いたかったんじゃない。アニはあの時のように背を向け、食堂から出て行こうとしている。

 

「行かないで!アニ、話したいことがあるの!」

 

 離れて行くアニを今度こそ追いかけ、腕を大きく伸ばして手のひらを掴む。引き留めた手のひらは少しだけひやりと冷たい。顔を上げたら、振り返ったアニの瞳が寒々とした碧色をたたえてあたしを見つめていた。

 

「散々私を避けたあんたがそれを言う?」

 

 やっぱり。あたしはアニを傷つけてしまったようだ。感情の整理がつかないまま、中途半端に距離を取ったりなんかしていた。この数日間の行動で、どれだけアニの心情を曇らせてしまったんだらはろう。申し訳ないと思う反面、胸がむず痒くなった。あのアニが、一匹狼気質で人を寄せ付けないアニが、感情をぶつけてくれる相手になれた自分が少し誇らしい。

 

「関係ないんでしょ、私には」

 

 取り戻しかけていた調子が一転、急降下する。アニが低くつぶやいたのは、あたしが何の考えもなく言ってしまった、子供染みた拒絶だ。並べられた言葉がいくら陳腐でも、アニとあたしの間に壁をつくるには十分だった。アニの表情が寂しさで揺れていると思うのは、あたしの願望なんだろうか。無かったことにしてくれ、と懇願するなら簡単だけれど、あの時に負わせてしまった傷を無責任に放置したくなかった。こう言われるのは、あたしが招いたことだ。

 

「……ごめん」

 

 あたしの手が軽く振り払われ、ぽつりと声をこぼすけれど、アニの背が振り返ることなく行ってしまった。アニの姿が食事を終えた人混みに紛れ食堂から掻き消えてから、あたしはとぼとぼと足を動かした。

 

「どうだった?」

「あんまり」

 

 ライナーたちが待ってくれている席まで戻り、腰を下ろしつつ首を振る。謝るどころか、怒らせてしまったのだから、大成功とは言えないだろう。ライナーもあたしの様子で概ね察したらしく、肩を叩いてくれた。

 

「そうジメジメすんな」

「ありがとう。でも平気だよ」

 

 すかさず励ましてくれるライナーへ、にこりと笑みをつくって軽い調子で言い返す。せっかくフォローしてくれたライナーには悪いけれど、あたしはこれっぽっちも悲しくなかった。肝心なところで頭が働かなかったのはともかくとして、アニと久々に言葉を交わせた充実感で胸がいっぱいだ。

 

「あたし、今日から元のベットに戻る」

 

 高らかと胸を張って宣言したら、肩の荷が降りたような気がした。内容が軽いものだったにせよ、誰かに借りを作り続けるのは性に合わないらしい。あとで元の場所に戻るとサシャに伝えないと。あたしと寝ることより、パンを失うことにショックを受けるサシャが容易に想像できた。これまでのパンやら朝食が惜しいけれど、高い勉強代なんだろう。

 

「これぐらいで凹んでらんないよ。当たって砕けなきゃ」

「砕けていいの?」

「それくらいの気持ちってこと!」

 

 怪訝そうな顔で聞き返してくるベルトルトへ両手に握り拳をつくってみせる。数日間苦しんでいた息苦しさが嘘みたいだ。自分の意識とは関係なく、自然と声が大きくなってしまっているようだった。

 

「やっと調子が戻ったな」

 

 どん底から一転して勢いづいたあたしを眺め、ライナーがほっとしたように笑みをつくる。自分ではわからなかったけれど、ここ数日は相当おかしくなっていたのだろう。

 

「あたし、そんなに変だった?」

「アニを見つけたらあからさまに動揺するし、見つからねぇように縮こまってたぞ。なあ、ベルトルト」

 

 ライナーが同意を求めたら、ベルトルトは縦に首を振った。動揺も、縮こまることも自分では一切気が付かなかった変化だ。その振る舞いだけをあげたら、まるで憲兵に怯える犯罪者になったみたい。

 

「む、無意識だった」

 

 何もしていないし、するつもりもないのに怯えられ、避けられる。それがどれだけアニの心を曇らせたことか。アニの態度が特別な反応ではなかった。あたしが思い込みだけで酷いことをたくさんしてしまったのだ。アニがあたしとの対話を望んでいたなら尚更だろう。

 

「ベルトルトとは真逆だな」

「ゴホッ、ラ、ライナー!僕は」

 

 後悔の渦をかき混ぜているあたしの前でライナーが軽口を叩いたら、ベルトルトは弾かれたように顔を上げた。水を飲んでいる途中で慌てて声を上げたからか、何度か咳き込んでいる。

 

「お前もノエルを見習ったらどうだ?」

「やめてくれ、ライナー」

 

 揶揄うような口調のライナーは心底楽しそうにベルトルトを弄んでいるみたいだ。弄られている本人は、困り眉をさらにさげて拒否している。ベルトルトはよくアニを目で追っているけれど、特別仲が良いわけでもない、二人だけで話すところも見ないからきっとあたしと同じで片想い中なんだろう。

 

「ベルトルトもあたしと一緒に頑張る?」

「本当に僕はいいんだ。ノエル、気にしないでくれ」

 

 あたしを含めて四人でもっと仲良くなれるなら、それは嬉しいことだ。あたしも今ではベルトルトと同じスタートラインだし、いいきっかけじゃないだろうかと誘ってみたものの、丁寧に断られてしまった。アニ絡みのベルトルトの心情は、正直よくわからない。仲良くしたいなら話せばいいのに、恥ずかしいんだろうか。ベルトルトはあたしよりアニとの付き合いが長いはずなのに、やっぱりよくわからない。

 

「ノエル、お前は自分の心配をした方がいいだろ」

「そうなんだけど……なんだろう」

 

 そうやって自分のことを棚に上げていたら、ライナーに叱られてしまったけれど、危機感が全くといっていいほど湧き上がってこない。小首をかしげて原因を探って、ある漠然とした思いをそのまま口にする。

 

「アニとはもう一度話せば仲直りできる気がするんだ」

「さっきまであんなにしょぼくれてたのにな?」

「さっきまでは、ね!」

 

 さっきはさっきのことで、今じゃない。釘を刺すように言ったら、同時に食事の終わりを告げる鐘が鳴った。カランカランと高く響く音は、朝の寝ぼけた頭をよく揺らす。

 

「あ、今日は馬術だっけ」

 

 さっきまでアニ一色だった思考が切り替わって、厩舎にいる相棒の顔が思い浮かぶ。早く行かなきゃいけないのをすっかり忘れていた。彼女なりのプライドを傷つけるのが嫌なのか、はたまた別の原因があるのか。あたしの相棒こと、赤毛を艶めかせる彼女は一番最後に厩舎を出るのを嫌うのだ。馬術だったことを忘れた時は丸一日不機嫌で訓練にならなかったから記憶に強く刻まれている。あまりに暴れるものだから、ライナーの馬で実戦したんだったか。

 

「の前に、まだ食うもんが残ってるぞ」

「わっ、忘れてた!」

 

 彼女とはまるで違う生き物のように大人しいライナーの馬を思い出していたら、ライナーがごろごろと野菜の入っているスープを指さして言った。他のことばかり考えて、食堂に来た本来の目的を忘れてしまっていたらしい。サシャにあげたパンがない分少ないとはいえ、朝食は今日一日のエネルギーだ。訓練中に倒れてしまったら、アニと仲直り以前の問題になるだろう。がらんと空きが目立ってきた食堂に急かされ、あたしはすっかり冷え切ってしまったスープを一気に傾けてまるごと飲み込もうとする。

 

「おい、喉に詰まらすなよ」

「ッんんーー!!」

「っ言わんこっちゃねぇ!」

「ノエル!水飲んで」

 

 ライナーの忠告も虚しく、丸々飲み込んだじゃがいもが喉に引っかかった。喉の異物感に押され、くぐもった声を上げながら前屈みになってえずく。ライナーが背を軽く叩いてくれる中で、差し出されたコップを掴んで勢いよく流し込んだ。喉のつっかえがどうにかとれ、荒い呼吸を繰り返す。

 

「危なっかしいとこは直さないとな」

「アニと仲直りする前に死んだらシャレにならないもんね、しかも……芋で窒息死」

「気をつけろ?芋詰まらせて死んだら、お前も芋女って呼ばれるぞ」

「うわっ、よかった……死ななくて」

 

 こんなところで間抜けな死に方をしたら、後悔しても仕切れない。アニと仲直りもできないまま、老人でもないのに物を詰まらせるなんて。ライナーの言葉で恐ろしい想像をしてしまったあたしは全身の力が抜けて机に突っ伏した。頭上から聞こえるライナーの笑い声に口を尖らせつつ、アニと向き合う意志を新たにしたのだった。

 

――――

 

 楽観的に考えていられたのは数日間だけだった。サシャに引き止められつつも、元のベッドへ戻ったけれど、物理的な距離が近くなっただけにアニとの隔たりが顕著に現れたのだ。なんの心構えもなしに話しかけたのもよくなかったかもしれない。食堂の一件からアニから避けられるようになってしまった。唯一、何もしなくとも顔を合わせられる寮の部屋では、声をかけても無視されてしまう。あたしの声が聞こえていないかのように通り過ぎるアニの姿をただ眺めているのはあたしの心をすり減らすのに十分だった。かと言って話しかけないのは、アニに存在を忘れられてしまうようで怖い。ただでさえ普通以下の成績であるだろうあたしが、そんな日常を送っていて、訓練を器用にこなせるはずもなく。今日も教官の影に怯えながら、立体機動装置の訓練に臨んでいた。

 

 注意散漫で指示通りに動けず班の足を引っ張り、ぺこぺこと頭を下げるか、励まされて自責の念がさらに増すか。そんなことばかりの訓練で、今回は幸運だった。発表された組分けにマルコがいたのだ。

 仲間への負担、教官の目、アニのこと、多方向からのプレッシャーで空回りばかりしているあたしに対して班長のマルコは付きっきりでカバーしてくれた。休憩地点では的確なアドバイスをくれその通りに動こうしたら、自然とうまくいく。散々な結果ばかりだった訓練だけれど、マルコの力があって今日だけは失敗くらいで訓練を終えることができた。

 

「立体機動術はこれにて終了とする。明日の訓練に備えろ、各自解散!」

「ハッ!」

 

 すっかり夕焼けに覆われた空を背にした教官の号令に、敬礼をして返す。ずっしりと体にのしかかる倦怠感と滲んだ汗が気持ち悪い。みんなも同じ思いだろう。教官が去っていってから、みんなもさっさと敬礼を崩して散り散りになった。全員真一文字に口を結んでいたのが嘘みたいに軽口を叩きながら、遠くで浮かんでいる食堂へ向かっていく。

 

「マルコ!」

「ノエル?」

 

 あたしはその一員にならず、解散と共に近くで列を作っていたマルコを呼んだ。振り返った顔があたしを視認して、不思議そうにしている。

 

「今日はマルコのお陰で本当に助かった、ありがとう」

 

 これを言わずに食堂へ向かうことはできなかった。総評で一人呼び出されるのも、班の成績が最下位になることも回避できたのはマルコの助力があったからだ。少なくとも、今日の鼓膜が無事なのはマルコがいてこそだろう。すぐにピンときていない様子のマルコにあたしは指を組んでみせる。

 

「マルコさまさまだよ」

「力になれたなら良かったけど、やっぱり言い過ぎじゃないかな」

 

 「あはは」とマルコが頬を掻きながら謙遜するけれど、あたしら言葉を撤回するつもりはなくて首を横に振った。絶不調のあたしがここまで動けたのは、間違いなくマルコの正確な指示があってこそだ。

 

「言い過ぎじゃない、ほんとに」

「僕はアドバイスしただけで、全部ノエルの実力だろ?」

「そうだといいんだけどねぇ……」

 

 そうだったらここまでの苦労をしていないような気がするが、マルコはどうも不服らしかった。望み薄だなあと自虐的に笑ってみせたら、マルコの表情が固くなってしまう。

 

「下手に希望を与えてやんな、マルコ」

「ジャン」

 

 なにか言おうと口を開いたマルコを止めたのは悪い目つきをさらに酷くしたジャンだった。マルコがよろめくのもお構いなしに肩を組んで、あたしへ指を指しながら言った。

 

「お前の理論じゃ、ここ数日の事故もヘタクソの実力になるぜ」

「事故……」

 

 ジャンの指摘で掘り返されたのは、思い出したくもない数日間の失態だ。同じ班になったアニに意識が引っ張られ、立体機動術で模型に傷すらつけられなかったり、座学でアニを見てたら教官が後ろにいたり、兵站行進で立て続けに足を取られて転げたり、馬術で彼女にかなりの勢いで蹴られかけて笑われたり。確かに事故と呼んでもいいくらいかもしれない。

 

「わかったら、これ以上はマルコに世話焼かせんなよ」

 

 嫌味ったらしく言ってくるジャンだけど、ジャンとの付き合いも二年目だ。マルコの負担を減らしたいだけならハッキリと迷惑だから近づくなって言えばいいだけなのに。そう言わないのはジャンなりの優しさなんだろう。

 

「分かった。あたし、もっと頑張るね」

「……はァ?聞こえてたか?」

 

 ジャンの想いを汲んだつもりが、思いっきり顔を顰められてしまった。アニには話しかけても反応がないから、こんなでも言葉を返してくれると嬉しくなる。

 

「聞こえてる」

「チッ、行くぞ!マルコ」

 

 湧き上がってきた感情をそのまま全面に出してヘラヘラ笑っていたら、ジャンを怒らせてしまったらしい。ぎゅっと眉間に皺を寄せたジャンは大きく舌打ちをしてからマルコの肩を引いた。

 

「ごめん。またね、ノエル」

「うん、また!」

 

 こっちも見ず去っていくジャンと引きづられていくマルコへ手を振り、あたしは視線を周囲に彷徨わせた。爪先立ちをしたり、うろうろして馴染みのある瞳とばっちり目があう。

 

「機嫌がいいな」

 

 ライナーと合流し、一緒に食堂へ向かっていたら、何かを見抜いたらしいライナーが不思議そうに問いかけてきた。そんなにわかりやすく喜んでいたつもりはなかったけれど、したり顔で笑ってみせる。

 

「バレた?ジャンが応援してくれたんだ」

「ジャン?」

 

 応援とジャン。ミカサ関連でくらいしか聞かなさそうな単語にライナーも面食らったようだ。あたしが勝手に解釈しているだけとは言え、暗くなるよりはいいだろう。

 

「すごーく遠回しに、ね」

「不器用な奴だな」

 

 ライナーもなんとなく掴めてきたようで、呆れたようにそう言った。そうだ、言葉に関してはあたしよりもジャンの方が不器用なんじゃないだろうか。本人に言ったら絶対怒られるけど。

 

「ベルトルトは?」

「夕飯の当番だからさっさと行っちまったぞ」

「そっか」

 

 ずっと気になっていたことを告げると、ライナーは言って食堂の方に顔をやった。夕食当番は大抵、一番乗りで食堂まで行かなければならない。でないと就寝が遅れてしまうからだ。休みでもない限り、睡眠時間は訓練兵にとって死活問題。だからいやでも急かされてしまう。

 

「お前の当番はいつなんだ?」

「明後日かな、どうして?」

 

 遠くの食堂で訓練兵全員分の調理と格闘しているベルトルトに想いを馳せつつも、視界に入ったハンナとフランツの重なっている影をぼんやりみていたらライナーが当番を聞いてきた。掲示板に貼られた当番表を脳裏に浮かべながら答えたら、ライナーは子供っぽく微笑う。

 

「お前が忘れてねぇか、確認だ」

「子供じゃないんだから忘れないもん!」

「最近のお前はアニで手一杯なんだから必要だろ?」

 

 あたしが器用じゃないせいで最近が手一杯なのは認めるけれど、それはそれとして子供扱いはいかがなものか。これじゃあ、ライナーがお母さんみたいだ。

 

「ぷっ」

「何笑ってんだ」

 

 すっかり筋骨隆々に育ったライナーがエプロンをつけている姿がなぜか浮かんでしまってあたしは小さく吹き出した。世話焼きだし、本質的なところは似ているから向いてるかもしれない。お母さん。ライナーは訝しげな顔をするも、口に出すことはしなかったので追求されなかった。

 

「当番に遅れて他の奴らに恨まれるよりか良いはずだろう」

「それはそうだ」

 

 訓練で足を引っ張ってるくせして当番まで忘れてしまったらもう擁護できない。ジャンにどやされるどころの話ではなくなってしまう。ライナーの指摘は最もなので大人しく頷いておいた。

 

「アニとはまだまとも話せてないんだよな?」

「全然だめ」

 

 思い出したように問いかけてきたライナーへあたしはがっくりと肩を落とした。アニにひたすら避けられる日々には慣れそうにない。一週間前の自分がしていたことなのだから、泣き言を言っている場合ではないけれど。あたしの軽率な行動が招いた結果を痛感しているところだ。

 

「まあ、んな気を落とすな」

「大丈夫」

 

 労わいの言葉をかけてくれるライナーに向けて、あたしはできる限りの笑顔をつくってみせるも、安心させるどころか眉を顰められてしまう。

 

「……本当に大丈夫なのかよ」

「まあ、たぶん……?」

「たぶんじゃいかんだろ」

 

 そう言われると膨らんでいた自信が萎んでしまい曖昧に答えたら、ライナーは表情を固くした。これではいけないと、見せつけるように軽く握り拳をつくり左胸を叩いてみせる。

 

「なら、絶対大丈夫」

「そこはもう駄目だって言うとこだぞ」

「えー?」

 

 あたしは返答を間違ってしまったようだ。嗜めるようなライナーの口調に何もわからない振りをして声をあげた。不機嫌なアニと会話していないからか、人を言いくるめるのも下手になってしまったらしい。

 

「弱音を吐かねぇのは兵士としちゃあ悪くない気の持ちようだと思うんだが……」

 

 兵士のお手本みたいなライナーに言われたら、調子に乗ってしまいそうだ。気が大きくなりそうなのを自分の中で咎めていると、ライナーが顎に手をやりながら続けた。

 

「お前の場合、訓練に支障をきたしてるからな」

 

 ライナーの指摘は尤もで耳が痛いけれど、耳栓で塞いだからどうこうという話でもない。脳裏にここ数日のやらかしエピソードが浮かんでは消えていく。胸が苦しくなってくると遠くを見て意識を逸らした。

 

「今週怒鳴られた回数なら誰にも負けない気がする」

「バカコンビ超えも期待できるか?」

 

 ライナーが痛いところをついてきて、たまらず声を詰まらせてしまう。訓練兵の間でバカコンビと言えばあの二人しかいない。今日も敬礼を間違え、宙吊りにされていたコニーとサシャだ。入団してからだいぶ経つのに今まで何を学んできた、と教官にどやされていた。あの二人は突拍子もないことばかりするから教官に怒られる回数も桁違いで多く、パンを盗んだサシャが朝礼で頭を握りつぶされそうになっていたのは記憶に新しい。そんなコンビと一人で肩を並べるのはあまり喜べない。

 

「そ、それはないと……思う。思いたい」

「ははっ、今度から数えといてやるよ」

「やめて!」

 

 揶揄ってくるライナーに対してあたしはぶんぶんと首を左右に振った。叱られた回数が可視化されてしまったら、誤魔化しが効かなくなってそれこそあたしがバカと呼ばれて弄られかねない。特にユミルなんかが知ったら大変だ。あたしがマゾだってやっと言われなくなってきたのに。新たな種を与えかねない。

 

「ジャンのヘタクソはいいのに、バカは嫌なんだな」

 

 あたしが必死な様子が可笑しかったのか、ライナーの表情はいたずらっ子のような笑みのまま聞き返してきた。

 

「ヘタクソは事実だし……」

 

 本当かどうかはともかくとして、バカコンビと言えばあの二人というイメージがあるからか、バカ呼ばわりはあまり腑に落ちない。ジャンからのヘタクソ呼びはほぼ初対面からだったけど、何故だか怒りは湧かなかった。今はむしろ、呼ばれるたびに嬉しさすら感じている気がしている。決して、マゾではないけれど。

 

「あだ名ってなんか好きなんだ」

 

 漠然としたものを上手く言葉に変換できず、言い切ったのちに「うーん」と俯いて頭の中を探った。よくよく考えてみたら、ただの悪口があだ名って不思議だ。その通りだから、言い返そうとも考えないけれど。

 

「ライナーもない?憧れみたいな」

「あだ名にか?……ねぇな」

 

 ライナーはピンときていなさそうな表情で首を横に振ってみせた。あたしの伝達力に難があるのか、語彙力が足りないのか。あるとしたらどちらもだろう。

 

「そっかぁ。ライナーにもあったりする?」

 

 あたしにあるならライナーにもあるんじゃないだろうか。なんとはなしに思い浮かんだことをそのまま口に出した。一拍おいてから「あだ名ね」と付け加える。もしあったらあたしも同じ風に呼んでみようか。いや、それより先にベルトルトをユミルに倣ってベルトルさんと呼ぶのが先かもしれない。ライナーは考えような素振りを見せたあとに口を開いた。

 

「まぁな」

「えっ!?」

 

 まさか本当にあるとは思っていなかった。ように顔をあげて驚嘆の声を漏らすと、反応が大袈裟だったのか、見上げた先にいるライナーが緩く微笑した。

 

「お前と似たような感じだな」

 

 あたしのあだ名といったら、一つしかない。似たような?体格からして筋肉ゴリラとかならまだ分からなくもないけれど、優秀なライナーに悪口みたいなあだ名がつくものなんだろうか。そのあだ名を当てるどころか、ちっともピンとこなかった。

 

「まぁ、ヘタクソよりは酷くないよね」

 

 全くもって答えが出ない末に口を開いたら、自分で言っていて悲しくなってきた。こんなに自分をヘタクソだと呼んだ日はないだろう。いつかジャンが名前で呼んでくれればいいけれど。一年とちょっとでは厳しそうだ。ジャンに名前を呼ばれないまま卒業する自分の姿がなんとも物悲しくて「あはは」とあたしは追加で自虐的に笑ってみせる。口を真一文字に結んだまま、そんなあたしを見ていたライナーがポツリとつぶやく。

 

「ドベ、だ」

「ドベ?」

 

 耳が慣れていない単語に首を傾げる。急のことだったのでよく分からず、大きく目を瞬いていたら、ライナーは難しい顔で続けた。

 

「故郷じゃよく呼ばれてた。それこそ、お前を呼ぶジャンみてぇにな」

 

 やはりあたしと出会うより前のことだったらしく、胸が僅かにざわめく。アニやベルトルトは知っているんだろうか。そうだったら、ちょっぴり不公平な気がした。上位入りは確実とまで囁かれているライナーに全く釣り合っていない、変なあだ名が存在したなんて。

 

「俺はドベ。な、似たようなもんだろ?」

「あたしのヘタクソとライナーのドベじゃ釣り合ってないよ」

 

 ライナーがあたしと視線を合わせて微笑するけれど、首を横に振り否定してみせた。言葉のニュアンスが悪口ってだけだ。ちっとも似ていない。

 

「そのあだ名、あんまり良くないね」

「お前のも十分悪いだろ」

「だって、ライナーにドベの要素ないもん」

 

 何かしらを揶揄しているやらともかく、何も知らないあたしにはそのあだ名がただの暴言に聞こえてしまう。真面目で誰よりも兵士としての責任意識があり、成績も優秀なライナーを誰がそんな風に呼べるんだろうか。どちらかと言うと、ドベはあたしだ。

 

「だからっていいあだ名を思いつくわけじゃないけど」

「……お前にはそう見えるのか?」

 

 そう付け加えたあたしに向かってライナーが可笑しな問いを投げかけた。考えるまでもないはずなのに、ライナーは探るような目つきであたしの答えをじっと待っているみたいだった。

 

「うん。みんな同じこと言うと思うよ?」

 

 これだけは断言できる。ライナーの何処がドベなんだか。ライナーならあたしに聞くまでもなく自分でも分かるだろうに、そのあだ名で相当弄られたりしたんだろうか。揶揄っていた人も、今のライナーを見たらあだ名を撤回するに違いない。

 

「それこそ、あたしの方がお似合いじゃないかな」

 

 「自分で言ってて悲しいけど」成績だけじゃなくてもライナーとあたしの差は天と地ほどあるだろう。どちらがドベかと聞かれ、誰もがあたしを指差す姿が容易に想像できる虚しさが心に染みる。だからと言ってライナーのようになれるとは思えない。言いながら肩を落としたら、ライナーは軽い調子で頷いた。

 

「そうか」

「そ、そこは否定してよ!」

 

 口元がニヤついていたので気の毒な思いがたちまちに消え去った。自分で言った癖して裏切られたような気分になったあたしは口をへの字にして抗議の声をあげる。

 

「ライナーのいじわる。あんまり怒らすと明日の対人格闘で投げちゃうからね」

「未だにベルトルトから一本取れてねぇんじゃなかったか?」

「それはそれ!」

 

 見よう見まねでアニみたいな構えをしてみたら、鼻で笑われた上に的確な指摘をされてしまった。ぐ、と喉が詰まってから急いで取り繕った。

 

「にしても、明日は対人格闘か……」

 

 あたしの必死な様子が面白かったらしく、ライナーが破面する。全くの不可抗力なので半目になりながら流していたら、ひとしきり笑い終わったライナーが顎に手を添えてそんなことを言い出した。

 

「立体機動装置でヘマしちまうよりはマシだな」

「あっ、ひどい!」

 

 あたしに気を遣って話題を変えたかと思ったが、そうでもないらしい。すぐさま反応したら、ライナーから子供のような笑顔が溢れる。

 

「否定はしないけど……」

「なあ、ノエル。一つ提案があるんだが」

 

 弄られ過ぎている気もするが、怒るほどでもないのでせめてもの抵抗として頬を膨らませる。すると、突然ライナーがそんなことを言い出した。

 

「明日ならアニと話せるかもしれんぞ」

「どうやって?」

 

 アニ。その一言で今のあたしは釘付けになってしまう。あらゆる手を尽くしたにも関わらず、寮以外で徹底的に避けられているあたしにしてみたら食いつくには十分過ぎる話題だ。たちまち食い気味で聞き返してくるあたしを見て、ライナーが口角をあげる。

 

「対人格闘なら逃げ場はねぇだろ」

 

 最近は雪が降るのに備えて立体機動術優先の訓練だったからすっかり忘れていた。対人格闘術は訓練の中で珍しく個人の自由がある。教官が横にピッタリつくでもなく、真面目にやってるフリをする仲間は大勢だ。ただ、どんなに自由があるといっても決められた範囲から出ることはできない。それはアニも同じはずだ。じゃなきゃ、あんなにこそこそと歩き回る必要はない。

 

「サボり魔を捕まえてやれ。取っ組み合いくらいはできるんじゃねぇか」

 

 ライナーの提案は名案に違いないけれど、あたしの中には一つの懸念点が浮かび上がってきていた。顔を上げると、ライナーの背が少し遠くにある。考えるのに夢中で足の動きが鈍くなっていたらしい。大股でライナーと肩を並べてからあたしは口を開いた。

 

「でも、アニってあたしと組んでくれたことないんだよね」

「言われてみりゃ、ベルトルトとお前が組んでるとこばっか見るな」

 

 あたしは我ながらアニとつるんでいたので、疑問に思うのも当然だ。ベルトルトと組んでいるイメージがあるのは、その次にライナーと組むことが多いからじゃないだろうか。右上を見上げて記憶を探っているライナーを横目に、あたしは続けた。

 

「初日にあんたと組まない、って言われちゃったから」

「んなことがあったのか」

 

 意外そうな声にうんうんと首を縦に振る。もうすっかり二年前だけど、鮮明に思い出せた。教官に2人1組になれと言われ、あたしが意気揚々として隣にいたアニを誘ったらキッパリと断られたのだ。その時に言われた言葉がこれだった。

 

「お前と組んでりゃこそこそしなくていいのにな」

「ほんとに!ライナーからも言ってよ」

「まあ、俺はアニの気持ちが分からんでもないが」

「ライナーもアニ側なの?」

 

 ライナーが加勢してくれれば組めるかもしれない、羨望の眼差しでライナーに後押ししたものの、見出し始めていた希望はすぐに淡い夢として消え失せてしまった。

 

「お前とアニじゃ差がありすぎて訓練にならんだろ」

「だからこそ、技を盗むチャンスでしょ!」

 

 アニに武術の心得があることは開拓地で知った。四人で集めた食糧を奪い去ろうとしていた男たちを撃退したのがアニだったのだ。人数は二人と言え、立派な大人だった。それを、アニがたった一人で相手して恨みすら抱けないくらいに痛めつけた。あの日からあたしはアニの技に惚れ込んでいるのだろう。弛まない努力でそれを手にしたであろうアニに対してもだ。できるなら教わりたいけれど、頼んでも断られるので見て盗むしかない。

 

「お前ならそう言うよな」

「どういうこと?」

「めんどくせぇってのより、アニはお前に技を習得して欲しくねぇんだろう」

 

 それを聞いたライナーがなぜか納得したようにしているので首を傾げるが、言葉が頭に入ってこず、何度も噛み砕いて咀嚼する。アニが。あたしに技を使って欲しくない。それは、何のために。どうしてなんだろう。

 

「……成長して欲しくないってこと?」

「それとは違う」

 

 やっとのことで出した答えをライナーに正面からバッサリ切られてしまって口を曲げる。単なる意地悪がアニの性格と噛み合わないから、頭の片隅で身構えていたものの、こうもはっきり言わなくても。頑張って考えたのに。

 

「めんどくさいだけな感じするけど」

「なんだかんだ言ってアイツも複雑なんだよ」

 

 「あまり深く考えてやるな」ライナーが何か知っている風に言うのを不服に思いながら眺めつつ、問いただしたくなるのを抑えた。ライナーに聞くくらいなら、本人から直接理由を聞けばいい。

 

「上手くいけばいいな」

「ん?」

「もう忘れたのか?明日だぞ」

「ううん、忘れてない。やってみるよ」

 

 ふいに言うものだから聞き逃しかけてしまい、確かめるように念を押されてはっきりと頷いてみせる。対人格闘術を通し、どうにかしてアニと接点が持てればいいけれど。今夜は作戦会議かな。

 「腹が減ったな」話しながらだとあっという間で、眼前に明るい食堂が浮かび上がっていた。空っぽのお腹が漂ってくる美味しそうな料理の香りを吸い込んでぐうと鳴る。

 

「腹の音で返事するなよ」

「聞こえてないと思ったのに」

「わりぃな」

 

 ライナーが食堂の扉を開けると、ざわめきが一気に押し寄せてきた。視線が自然にいつもの席へ向かってしまう。いた。アニだ。ここで無理やり近づいても、席を変えられてしまうだけなので、大人しく蝋燭の火が心ともない席にライナーと腰を下ろす。

 

「色々と。ありがと、ライナー」

「ああ、お前らが本調子じゃねぇと困るからな。頑張れよ」

 

 伸びてきた手が跳ねた髪を撫で付けるようにぐるぐるとかき混ぜてきた。ぐわー、ぎゃーと苦しんでいたら、当番を終えたベルトルトが不可解そうな表情で「お取り込み中……?」なんて言うものだから笑い声をあげてしまった。

 

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