島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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第6話 希望

 

 ガラス窓に叩きつける雨粒が轟々と唸っている。木造で出来ている建物が軋んで鼓膜を揺らした。外からの光は闇に溶け、夕方とは言えない暗闇の中で蝋燭の光が温かく顔を照らしている。眠気が覆い被さっているように体が重い。書庫の片隅で、一人何度目かの欠伸を溢した。

 今日は座学が早めに切り上げられ、自由時間が増えた。立体機動の練習を行うにも風が強く断念。することも思いつかなかったあたしは、書庫で勉強しようと考えた。名案には違いなかったが、天候が悪化して外は大雨。宿舎まで帰るにしてもびしょ濡れになってしまう。誰もいない書庫の緩やかな時の流れと雨の丁度良い騒々しさが着実にあたしを眠りへと誘っていた。

 

「ノエル?」

 

 誰もいない闇の中から話しかけられて、ハッと上体をあげた。入り口付近に灯りが灯っている。靴音が一歩、一歩と近づいてきた。弱々しい炎が照らしている顔は、丸い瞳を持ったあどけなさを持つ少年。アルミンだった。

 

「もうすぐ就寝の時間だよ」

「もうそんな時間?!」

 

 アルミンは。大抵の人が自由時間を終えて宿舎へ向かう頃だ。うとうとしていたら、随分と時間が経っていたらしい。睡魔が抜け切れていない顔を隠すように伸びをする。机の上に散らばった本を重ねて、立ち上がった。本棚の空いた空間を埋めるように、本を一冊づつ返していく。人が歩いて巻き上がった埃臭さに鼻が痒くなる。同じように本を返しているアルミンの咳き込みが聞こえた。書庫と言っても名ばかりで本が無造作に積まれている。簡易的な長机と椅子はあるものの、埃が積もっており、置いてある本も年季が入った技術書や歴史書が多かった。若者が好む物は殆どないので書庫があること自体知らない者が多く、あたしも最近までその内の一人だった。

 

「アルミンは本を返しに?」

 

 蝋燭の僅かな光で浮き上がったアルミンは分厚い本を数冊抱えていた。ちらっと見ただけでも自分が手をつけられないであろう厚みを持つ本ばかりだ。最初の頃はそのような本を盗み見たことがあったけれど、序論を読むのすら精一杯。読み終えるのにあたしの持つ脳みそでは何ヶ月かかるか分からず、そっと本棚に戻した。

 

「君は、座学の復習?」

「えっ、どうして」

「君の本は今日の座学で教えられた範囲が載っているから」

 

 一言も伝えていないのにアルミンは平然と答える。借りていた本といい、訓練兵団に来て数ヶ月しか経っていないのにアルミンなら書庫の本を全て把握していそうだ。

 

「題名を見ただけでわかったの?」

「読んだことがあるから分かっただけだよ」

「そうかなぁ?」

 

 あたしには本を読み終えても、同じ芸当をできる気がしない。表紙だけなら覚えられても、中身を完璧に把握するのは難しいだろう。少なくともあたしの頭じゃ絶対に無理だ。劣等感を燻らせたため息と共に最後の一冊を本棚に戻した。

 左右を見渡して人影を探すと、背伸びをして高い位置の本棚に手を伸ばしているアルミンが視界に入る。

 

「わあっ!」

 

 今にも倒れてしまいそうな姿勢を見て駆け寄ったが、少し遅かった。書庫に厚みのある音が響き渡る。床の埃が竜巻のように舞い上がり、埃っぽい匂いを勢いよく吸い込んでしまった。喉に張り付いた埃に咳き込む。前にできてしまった本の山から頭を出すアルミンも、けほけほと肩を揺らしている。しばらく咳をしてやっと治まると、アルミンは真っ先に頭を下げた。

 

「ごめん」

「大丈夫!そんな顔しないで」

 

 アルミンの表情があまりにも暗かったので必死に励ましの言葉を並べる。こちらを伺い見る姿に笑顔を見せると、表情が緩んだ。二人で散らばった本をかき集めて、元の場所に戻し始める。書籍の場所を把握しているらしいアルミンに場所は指示してもらい、高い位置の棚はあたしが担当する。ずっしりと中身の詰まった本の重さが手に伝わる。流石はアルミンだ、なんて考えつつも、一冊ずつ棚に戻していく。背はアルミンのつむじを見下ろせるくらいにはあるので、そこまで苦労しなかった。

 次の本を拾おうと屈もうとしたら、倒れた拍子で開いてしまっている本を凝視しているアルミンがいた。

 

「これは…」

 

 あたしも同じように膝をついて、開かれたページを覗き込む。大部分を図解で占めており、川や水についての書籍だと言うことがわかった。

 

「壁外についての記述がある。ほら、ここ。一文だけ…」

 

 見慣れない様子のアルミンが声を荒げて、一点を指差す。川を模した複数の図が集まった下方に、溜まったインクで読みづらい一文が記されていた。目を細めて、書かれている通りに読み上げる。

 

「川の下降付近には、我々では想像できない巨大な湖がある?」 

「きっと、海のことだ!やっぱり、海はある……!」

 

 本の一文をアルミンは目に焼き付けながら、頬を高揚させた。言い聞かせるように呟いたアルミンが、本を握りしめて手に取ってから顔を上げる。

 

「う、み?」

「あ、一人でうるさかったよね……?」

 

 単語がよく理解できずに復唱していると、アルミンはあたしを申し訳なさそうに見上げた。瞳には不安が見え隠れしている。

 

「そんなことないよ。アルミンの顔、すっごくキラキラしてた。よっぽど好きなんだね、うみって」

 

 アルミンは大人しくて冷静だ。そんな彼が興奮して我を忘れてしまうなんて、よっぽど凄いものなんだろう。にこりと笑ったら、アルミンは表情を弛緩させた。

 

「っうん!そうなんだ」

 

 アルミンから壁外の話について教えてもらった。あたしの想像を絶する世界が広がっている事実に、心臓がドキドキする。壁外にどんな世界が広がっているか。考えたこともなかった発想に、引き込まれていく。

 あたしに話しているアルミンの瞳は蝋燭の明かりだけのこの部屋で星のように煌めいて光を放っているように見えた。

 

「氷の大地、炎の水、砂の雪原……そんなものが壁外にあるんだ」

 

 復唱してみても、実感が湧かない。ただ、そんなものが世界のどこかにあると思う度、好奇心が胸の内を跳ね回った。

 

「……ノエルは、信じてくれるんだね」 

「当たり前だよ!あたしより何倍も頭がいいアルミンが言ってるんだもん。あるに決まってる」

 

 間髪入れずに訴える。アルミンはあたしの形相が予想外だったらしく、ポカンと口を開いていた。全ての可能性を精査してアルミンなりに出した答えなら、間違いない。なにより、彼の頭脳は座学で知っているから疑う余地がなかった。

 

「あたしが調査兵団になって、その中の一つでも見つけたら……」

 

 もし、あたしが巨人たちから生き延びられたなら。鬱蒼とした森を抜け、広がる海が脳裏に浮かんだ。海をじっくり見る前に飛び帰って、きっとあたしはするだろう。

 

「一番最初にアルミンに見せるね!」

「ふふっ……ありがとう。ノエル」

 

 山になっていた最後の一冊を、本棚に戻し終える。アルミンの考察も聞いていたからあっという間で、急に体が軽くなったみたいだった。

 アルミンを誘うと、快く了承してくれたので宿舎まで一緒に帰ることにした。こうなると、蝋燭は二つも要らなくなる。あたしは持っていた蝋燭にふっと息を吹きかけ、書庫の入り口に置いて廊下へ出た。窓に打ち付ける激しい雨音が廊下では一層増して聞こえる。木がか細い悲鳴のような音を立てて軋み、風の音と一緒になって生き物が唸っているみたいだ。

 

「そういえば、二人で話すのはこれが初めてだね」

「あっ、確かにそうかも。アルミンはいつも三人で一緒にいるイメージだから、ちょっとびっくりしたよ」

 

 幼馴染で仲の良い三人組は兵団内でも目立つ存在だ。楽しそうに談笑する姿をついつい眺めては、ライナーたちに会いたくなる。二人で並んで歩いているのを見ると、違和感を感じるくらいに三人は馴染みの存在だ。

 

「僕はあんまり意識していないんだけど……不思議だね」

「わかる。あたしもついつい、アニの隣とか座っちゃうもん」

 

 自分にも心当たりがある言葉に激しく頷いた。無意識のうちにライナーの隣で座っていたり、ベルトルトの大きい背中を探したり、アニに話しかけたり。それはアルミンも同じなようだ。

 

「アニも開拓地で一緒だったんだ」

「あれっ話してなかった?そうだよ!」

「調査兵団に入るのは、ノエル一人……?」

 

 あたしの言葉にアルミンは少しだけ驚いている様子だった。てっきり言っていたつもりだったので、勢いよく肯定する。たしかに、アニと同じ開拓地だとは伝えていなかったかもしれない。アルミンの記憶力に脱帽していると、アルミンが伏せ目がちに聞きた。

 

「うん」

「前から疑問に思っていたんだけど、ノエルはなんで調査兵団に入りたいの?ライナーたちは憲兵団を志望しているから」

 

 兵団に入る直前からみんなの希望しているのが憲兵団なのは知っていた。いざ、事実を突きつけられると胸がぽっかり空いた気分になる。あと二年ほどで、一人分空いた椅子も大きな背中も辛辣なコメントもなくなるんだ。調査兵団と憲兵団は、まさに矛と盾。内地なんか中々行けないだろうし、手紙でのやり取りが増えるだろう。一度目の壁外調査で生き延びても、古株になれるとは思えない。卒業して次にライナーたちと会うあたしは中身のない墓標かもしれないのだ。

 嫌でも、恐ろしくても。あたしがノエルである限り、調査兵団は変えられない。来たる別れを受け入れるのが、せめてもの抵抗だった。

 

「…小さい頃からの夢なんだ。アルミンはどこの兵団を希望してる?」

 

 絞り出したのはある意味での嘘だった。曖昧に笑ったら、アルミンは優しいから踏み込んでこない。

 

「ぼ、僕は……まだ分からない。卒業まで二年しかないのに……真っ直ぐに突き進んでる君は凄いよ」

「真っ直ぐなんかじゃない」

 

 言ってから、口を抑えてハッとした。まさか否定されるとは思わなかったのだろう。面食らっているアルミンの様子に気まずくなって目を伏せる。

 

「あっ、いや…あたしは選択肢がないだけだよ。でも、分からなくて当然なんじゃないかな」

 

 焦りながら必死に話題を切り替える。綺麗事にしてはあまりにも未熟なアドバイスを並べて捲し立てた。

 

「まだ二年もあるんだからじっくり検討したらどう?」

「二年も、か……うん、結論を急ぎ過ぎていたみたいだ。ゆっくり考えてみる」

 

 あたしなんかの言葉もアルミンは真剣に汲み取ってくれたようで、先程よりも表情が明るくなった。

 

「アルミンなら後悔しない道を選べるよ、絶対に」

「そうだといいな」

 

 念を押すとアルミンが笑みを浮かべる。彼が悩むのは人よりも視野が広いからだろう。先を先まで考えられるから、その分情報も多くて悩みそうだ。でもアルミンなら情報に振り回されずに、最適な判断を下せると思う。

 

「こう言う話ってエレンたちにできないから…」

「それもわかる!」

 

 ライナーたちからどう思われているかは知らないけれど、大切な人たちにこそ話せない悩むもある。二度目のシンパシーを感じて、うんうんと頷いた。

 

「じゃあ、今度はあたしの話聞いてくれる?」

「僕でよければいくらでも聞くよ」

 

 脳内に浮かんだ悩み事を相談しようと聞いたら、優しげな瞳で快諾してくれた。こほんこほん、なんて息を整えて誰もいないのに声を顰める。

 

「…ライナーがあんなにモテてるのに彼女を作らないのはそっちのケがあるからだと思う…?」

「…それは多分…勘違いだと思うよ……」

 

 今の心情を表すようにそばで雷が落ちて、轟音が鳴る。非常に言い辛そうなアルミンの表情を見て、今すぐ謝りたくなった。

 

――――――

 

 息が詰まるような暑苦しさで、アニは目を覚ました。

 二段ベッドの木目が視界に入り、真っ先に絡みつく暑さの原因を探す。起きた勢いで上半身を起こそうとして、原因はすぐに分かった。首筋にあたる髪の毛の感覚や生暖かい吐息。ノエルが体に抱きついていた。こっちは蒸し暑くてたまらないのに、目は硬く閉じていて起きる気配がない。腕を引き剥がすにも面倒なので、それをベッドの外に蹴り飛ばした。派手な音を立てて、ノエルの体が床に落ちる。さっさと着替えているとその騒音で、同室の人間も起き始めた。ベッドから降りてくる人は私たちの関係を理解しているので、床で倒れている人間の姿に驚きつつ身支度を始めている。兵団の服を着終わってもノエルは未だに寝ていた。私が蹴り飛ばしたままの体勢だ。伸びているノエルを踏まないように避けても、声をかけている人間はいない。思うところがあって、側にしゃがんだ。

 

「いつまで寝てるんだい」

 

 至近距離で話しかけても、反応はない。起きたらどう文句をいってやろうか。呆れ果て、頬を軽く叩こうと顔に手を添える。

 触った指先からツンと熱くなった。反射的に手を離し、ノエルの額を触る。確信とは言えなくて、ノエルの額と自分の額を合わせた。背後できゃあと黄色い声が鬱陶しい。改めて、ノエルの顔を見る。半開きの口から荒い呼吸音が聞こえた。のぼせ上がった頬、苦しそうな表情。

 

「あんた、馬鹿じゃなかったの」

 

 問いかけても、答えはなかった。

 

 

 窓の外から聞こえて来る訓練の号令が別の世界のように感じられた。視界はぼやけ、体が信じられないくらい重く怠い。足のつま先すら出さず布団にくるまっても、寒気で震えが止まらなかった。体の中から襲って来る吐き気に眠れず、救護室のベッドで寝ているあたしは絶賛風邪っぴきである。おそらく原因はアルミンと話し込んだ夜の雨だ。あの日はアルミンの提案でジャケットを頭に被って帰った。思ったより風が強くて、ほぼ意味をなさなかったけれど。救護室のベッドは空室だから、アルミンは大丈夫そう。

 どうやら、熱を出して倒れていたあたしをアニが救護室に横抱きで運んでくれたらしい。訓練が始まる直前まで看病してくれていたとか。額に乗っている濡れたタオルもアニが用意してくれたのだろう。話を聞いた時は本当にアニだったのか聞き返してしまった。今日は予想外のことばかり起きる。訓練が開始される時刻の前に、教官が救護室にやってきた。怒られるかと身構えたけれど、意外にも淡々と休養を命じられた。

 よって、あたしは信じられないくらい暇だ。目を瞑ろうとしては開け、瞑ろうとしては開けを繰り返す。眠った方が良いと言われたが、気持ち悪くてそんな気分になれない。気を逸らす手段をできる限り探して、最終的にたどり着いた。外から流れ込んでくる掛け声を子守唄代わりにするのだ。普段の情景を詳細に脳内で思い描いていると、いつの間にか意識は途切れていた。

 

 ひやりとした感触で瞼を開く。視界に飛び込んできたのは瞳だった。金色の瞳孔がきゅっと小さくなって、即座に離れる。視界のぼやけがすっかり治っていたあたしには、目の前の人物が誰だか直ぐに分かった。

 

「ライナー?」

「すまんな、起きちまったか」

 

 額に乗っているタオルはひんやりと冷たくて気持ちがいい。顔を動かしてしまって、ズレたところをライナーが直してくれる。節々がしっかりをしている手の動きがしっかりと目で追えた。

 

「ううん、平気。だいぶ良くなったよ」

 

 訓練兵の紋章がよく見える。心配そうにしているライナーの表情もよく見えた。目眩も収まり、吐き気もなりを潜めている。睡眠がこれほどまでに効果を発揮するとは思っていなかったので、無理矢理にでも眠った自分自身に感謝だ。

 

「無理するな、休める時に休んでおいた方が良いぞ」

「ん」

 

 回復したとは言え、今すぐ訓練に復帰できるような気分ではないので、大人しくライナーに従った。短く返事をすれば、ライナーも満足そうに頷いている。

 

「ライナーはどうしてここに?」

 

 寝ぼけた思考がハッキリしてきて、やっとそんな疑問を口にした。寝起きだからか、声が掠れている。ライナーが手渡してくれた水をありがたく飲みながら、耳を傾ける。

 

「見舞いに決まってるだろ」

 

 当然と言えば、そうだ。あたしが逆の立場でも見舞いに行っていただろう。だとしても、不服なことがあった。上半身を起こして、口を隠しながら話す。

 

「風邪、うつっちゃうよ」

 

 あたしは病人なのだ。だからこそ、救護室に隔離されている。見舞いは飛び上がるくらいに嬉しいけれど、ライナーにうつしたらそれどころじゃない。

 

「いいや、平気だ。お前の風邪なんて俺には大したことないさ」

「そうかもしれないけど…」

 

 細菌の宿主がへなちょこだったら、細菌も同様になるんだろうか。妙に納得感がある言葉だったけれど、食い下がる訳にはいかなかった。モゴモゴ言っているあたしに向かって、ライナーが口を開く。

 

「…もし俺が風邪引いても、お前が看病してくれるんだろ?」

「クリスタじゃなくていいんだ」

 

 最近、クリスタ・レンズという名前の女の子が男女の間で注目の的だ。気遣いができる優しい子で、何度か話す機会があった。噂では女神のあだ名で知られているようで、ライナーが目で追っていることがあるもの知っている。

 

「看護師か……悪くないな」

「ふーん……」

 

 ライナーは顎に手を添えて考え始めている。自分で提案しておいて、いざいらないと言われると悲しいものだ。自業自得だけど。風邪のせいかわからないが、感情の浮き沈みが激しくて、しゅんとするあたしを見てライナーが笑った。

 

「冗談だ。看病されるならお前の方が休める」

 

 「クリスタか……」クリスタへの未練を捨てきれないでいるにライナーの言葉なんてすっかり頭に入らず、パッと胸が明るくなる。たちまち、寂しかった空っぽの気持ちがいっぱいになって、元気よく答えた。

 

「人に看病して貰うつもりで風邪になるのはずるいよ!」

「そりゃあ残念だ」

 

 わざとらしく残念がるライナーが可笑しくて口角が上がる。こうして、ライナーと二人きりで話すのは久しぶりだ。いつもはベルトルトが隣にいて、訓練兵になってからは尚更だったので、なんだか新鮮だった。

 

「ふふ、訓練は終わったんだね」

 

 窓から差し込む光は茜色だった。赤く染まって落ちていく夕日は死角になっていて見れないけれど、段々と濃さを増している。見張り台から眺める夕日なんか、訓練場の中では絶景だった。アニを引っ張って一緒に眺めたことがあるけれど、憂を帯びた黄昏色が暗闇に吸い込まれていく光景はその日の疲れが吹き飛ぶようで。ライナーやベルトルトとも見てみたい。

 

「ああ。ベルトルトは当番があるから俺一人で来た」

 

 ライナーの言葉を聞いて、今日が自分の番ではないことに安堵する。風邪一つで、みんなにこれ以上迷惑をかけたら胃が捩じ切れてしまいそうだ。訓練終わりで疲労が溜まっていのに、わざわざ足を運んできてくれたライナーに感謝をしつつ、朝に見た顔の行方を尋ねる。

 

「アニは?」

 

 救護室にあたしを運んだ張本人だ。起きたら側にいる、なんて期待していなかったが、その後の動向が知りたくなってしまった。元気なのか、という意味合いも込めて聞いてみる。

 

「さっさと消えちまった。まあ、朝の取り乱しようが見られちゃな」

 

 取り乱す。アニとは一生縁のなさそうな単語だ。聞き返したそうにしているのが分かったのか、ライナーは当時の状況を話してくれた。

 

「お前を運んできたと思ったら、救護室の場所を教えろ、の一言だけで行っちまった」

 

 普通だったら、冷たく見えてしまうかもしれないけれど、あたしたちにはそれがどれたけのことか分かる。ライナーもあたしと同じように感じているようだった。二年間、極限の状態で一緒にいたお陰で、言葉を交わさずとも互いの気持ちが読み取れることがある。訓練兵になってからは四人一緒に過ごす時が減り、そんな機会もなくなっていた。妙に懐かしくて、目を細める。

 

「明日は雹でも降るのかな」

「いや、快晴だ」

 

 アニの行動は異常気象の前触れかもしれない。本人に言ったら、はっ倒されそうな冗談を口にしたら、ライナーにすかさず否定されてしまった。確固たる自信を持っているような言い方に、心当たりが浮かんだ。

 

「ベルトルトの寝相占いでしょ?」

 

 男女別に分けられていても、ベルトルトの寝相はすぐに訓練兵の間で評判になった。毎朝コニーやらジャンが高らかと予測を話しているから、密かな楽しみにもしている。ベルトルトにこの話を聞くと、不服そうにしていたので本人の前ではあまり言えないけれど。

 

「あの芸術的な寝相、まだ治ってないんだってね」

 

 開拓地にいた頃から、ベルトルトの寝相は酷かった。四人で薄い布切れを引いて川の字で寝て、ベルトルトが横にいると全ての布が巻き込まれてしまう。全ての寝具を奪われた人は凍えて寝れなかったので、一人だけ離れた所で寝てもらったりしたのだ。寝床が硬い床と布切れ一枚だから、寝相が悪くなっていたんだと思っていた。訓練所のベッドは開拓地と比べれば、信じられないくらい良い寝床なので、改善を期待していたが、従来のものだったらしい。

 

「ああ、こっちでは評判だぜ」

「見に行きたいなぁ」

 

 一緒に寝ていた頃は布団を取られないよう必死だったのに、恋しく感じてしまう。毎朝、起きたらベルトルトの寝相占いができる男子寮が、なんだか魅力的に感じた。

 

「駄目だぞ」

「わかってるよ」

 

 念を押されてしまい、頬を膨らませて不貞腐れる。半分は冗談のつもりで言ったのに。ライナーには、あたしの真意を感じ取られてしまったようだ。

 

「お前ならこっちに来かねん」

「バレてる……」

 

 男子寮への侵入方法を頭の中で模索していたあたしを、まるで知っていたかのように止められる。女子寮と同じ作りをしているなら、簡単に侵入できそうなのに。ライナーとベルトルトは同室らしいので、直接見るのは叶わなそうだ。初めて、ベルトルトの寝相を惜んだ。

 もしかしたら、風邪を引いたあたしの寝相も酷かったかもしれない。体に霜が降りてしまったようで、温かい何かを抱きしめていた記憶がある。そうだったら、アニに悪いことをしてしまった。運んでくれたのも含めて、どうやってお礼をしようか。

 

「ねね。ライナーは、さっきまで何してたの?」

 

 きゅっと縮まった瞳孔を間近で見たのは初めてだった。タオルを変えるにしても、顔を近づける必要があるとは思えない。何か顔についているのだろうか。自分の頬や鼻筋をペタペタ触りながら、問いかけてみる。ライナーは不意を突かれたみたいに押し黙ったあと、絞り出すように言った。

 

「……顔が、真っ赤だったからな。見たことねえくらい……」

 

 窓から差し込んでいる夕日のせいだろう。差し込んだ光に照らされ、ライナーの頬が仄かに赤くなっていた。深刻そうな割には言い訳じみた答えが面白くて、くすくすと笑ってしまう。

 

「そりゃあ、熱出してるから」

「それもそうだ」

 

 肯定の言葉を返しながら、ライナーも自分の言っていることが可笑しくなってきたようだ。小刻みに肩を揺らして、二人でしばらく忍び笑いを続けた。もうすっかり、腹の底がしくしくと泣いているような体の震えではなくなっている。

 

「変なライナー!」

「変か……そうかもな」

 

 遠くを見ているような目つきで、息を吐くように言ったライナーの表情は読めない。それでも、どこか疲れが滲んでいるような気がした。

 

「じゃあ、ライナーも寝とく?」

 

 一人分横にずれると、掛け布団を捲って場所を示す。病人用だからだろう。あたしが寝ているベッドは自室の物よりも横幅が広い。体が大きいライナーと横になったら窮屈だろうが、開拓地の頃に戻ったみたいで楽しそうだ。

 

「な、なに言ってんだ。寝るわけねえだろ」

 

 開拓地では子供の立場がすこぶる弱い。よく食べる癖に大して働けないからだ。だからこそ、子供は纏まって寝るのが常で、添い寝なんてしょっちゅうしていた。なぜか狼狽しているライナーがおかしくて、くすくすと笑みが溢れてしまう。

 

「風邪うつってもいいんでしょ?ほらほら」

 

 人一人分の余白をぽんぽんと叩いた。まだ乗り気じゃなさそうなライナーの手を取って、引いてみる。他の人がしていたらすぐにやめるのに、ライナーの困り顔が愉快で、なんだか可愛かった。

 

「……見られたらどう言い訳すんだ」

「寝ぼけて巻き込みましたーって言うよ」

 

 その声色に諦めの色が滲んでいて、悪戯が成功したような気分になる。隙を逃さず、ベッドの中に引きずり込んだ。考えていた通り、ベッドの幅はギリギリで、落ちないようライナーの腕に縋り付く。一緒に過ごしたのに、あたしの腕とは圧倒的な差があった。鍛えれば、望みがあるのかな、なんて考えつつ人肌のぬくもりに眠気が誘われる。

 

「お前ってやつは……俺たち以外にするなよ?」

「しないよ。みんなは特別だから」

 

 訓練兵になってから出会った人たちに、同じことをしようとは思えなかった。いきなりやったら迷惑だし、嫌われるだろう。エレンなんかにしたら、ミカサが飛んできそうだ。なにより、この安心感を得られない。

 

「……そうか」

 

 人肌に顔を埋めていたから、ライナーの表情は分からなかった。ゆらり、ゆらりと夢に手招きされながら、強く抱きしめる。

 

「風邪でも一緒にいてくれるライナーが好き、大好き」

 

 風邪になって、救護室で一人残された。壁が壊されるより前から、一人で生きてこなかったあたしには、一人で生きる方法を知らない。だから、一匹狼で生きられるアニを尊敬していたりする。

 

「お前は……特別だからな」 

「ふふ、うん。おやすみ、ライナー」

 

 三人はあたしにとっても、特別だ。言われた言葉を脳内で反響させて、噛み締める。見舞いにしてはあまりにも遅いライナーを迎えに来たベルトルトが、この惨状を見て仰天するとは知らず、呑気に目を閉じた。

 

 

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