島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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訓練兵団編:二人きりの倉庫

 

 埃の積もった窓枠の向こう、青々とした新芽が春の訪れを伝えてくる。アニと町に降りたのがまるで遠い昔のようだ。ほとんど二人で散歩したようなものだったが、充実した休暇だった。アニと選んで買った服はもったいなくてまだ一度も着れていない。また行きたいのに、最近ずっと訓練漬けだ。休暇があってもベッドの上で一日を終えてしまう。三年目に入ったからだろうか。座学や技巧は難しくなる一方で、これでは遊びに行くどころの話ではない。アニの気分もあるし、次はいつになるのやら見当もつきそうになかった。

 もう一度くらい行きたいのに、もう一年も残っていない。この二年があっという間に過ぎたから、時間の流れを敏感に感じているような気がする。キース教官の前で壮大な綺麗事を吐いたのが、昨日のことみたいだ。入団直後と言われて脳裏に過るのは、やはり通過儀礼だろう。私は強めのお叱りを受けてしまったが、どうやらあの地獄を経験した人だけ通過儀礼を受けていなかったらしい。なぜ、あたしだけが教官の顰蹙をかってしまったのか。今だに謎のままだ。だいぶ朧げな記憶だが、緊張して呼吸が荒かった。あまりの余裕のなさに兵士たる資質を感じられず、見逃しきれなかったんだろうか。ユミルの罰ゲームでもない限り、面と向かって聞けるわけもなく。ライナーたちと遊び半分できたのかと勘違いされたとか?おさらく、真相はずっと闇のままだ。

 

「ノエル、手ぇ止まってるぞ」

「あ!ごめん」

 

 ぼーっと物思いに耽っていたらライナーがあたしを呼び起こした。跳ねるように顔をあげ、埃っぽい木箱に向き直る。乱雑に放り込まれた細かい部品の中で、使えそうなものだけを別の箱に入れていった。窓の外へ目を向ける度、外が段々と暗くなってきている。埃に塗れたボロボロの倉庫で時折肩をぶつけながら、もう何時間も作業している気がする。錆びついた部品を同じような部品がまとめて入っている箱に放り込む。指先についた細かい砂のような茶色い錆をはらう。あったはずの余暇が恋しくなり、小さくため息をついた。

 午前中に立体機動訓練を終えたあたしたちは、午後の座学も眠気に耐えながら受けきった。いつもより幸運だったのは、教官の個人的な用事があるからと早めに座学が終わったことだ。最前列、ライナーの肩に寄りかかりながら眠い目をこすり、夕飯までどう過ごそうか考えていた時だった。みんなが空き時間をまったり過ごそうと席を立つ中、あたしとライナーの二人だけが運悪く去り際のクロード教官に呼び止められてしまったのだ。頼まれたのは予備部品をいつも使っている倉庫から別の倉庫へ移すこと。老朽化により、取り壊すことになったらしい。破損、扱いがわからないものは教官室に提出。あたしもみんなと一緒になって教室から出たかったけれど、教官相手に「はい」以外の言葉を言えるはずもない。あんなに大変だったのに、と項垂れたくなるのを堪えながら、つい数ヶ月前にベルトルトと整頓した倉庫を自ら荒らしていく。

 

「そういや、こないだの試験の結果を聞いてなかったな」

「技巧の?」

「ああ」

 

 あたしでは手の届かない高い位置の棚を整理する傍ら、ライナーが思い出したように言った。技巧術や座学には実技がない代わりに、定期的な試験が設けられている。理解度を把握するものから応用まで内容はその時期によって変化していく。成績に反映されるのか不透明だが、気の抜けない試験だ。

 

「ライナーはどうだったの」

「そりゃあ、聞くまでもないだろ」

「何それ。わかるけどさ」

 

 結果なんかわざわざ聞かなくても優秀なライナーの試験がどうだったかなんて想像がつく。自信ありげなライナーの顔が嫌味っぽくて、唇を尖らせたままわざとらしく顔を背けた。

 

「酷い出来じゃあなかったんだろ。それならいいじゃねえか」

「むしろ、結構良かったよ。でも、それもライナーが教えてくれたからだし」

 

 あたしはライナーみたいに理解が速くないから、いつも教えてもらうのが申し訳なくなる。休暇の丸一日分、ライナーとアルミンに付き合ったお陰で上位と呼べる点数は取れた。自分の努力も反映されているとわかっているのに、どうも納得がいかない。

 

「今日はいつもに増して暗いな。点数が良かったなら素直に喜んでりゃいいんだ」

「暗くないよ、納得がいかないだけ」

 

 思い返せば、最初もそうだ。エレンたちやベルトルトにアドバイスをもらったし、険悪だった愛馬と打ち解けたのもクリスタが教えてくれたから。他人の力に頼って、ここまで来てしまった。そんなあたしが結果を出したとして、自分の力と言っていいのだろうか。もし、卒業模擬戦闘試験に受かれなかったら。そんなことになったら、あたしはどうしたらいいんだろう。胸の中で小さく渦巻いた不安を押しつぶすように、抱えていた木箱を棚に戻す。部品は一通り検品できたはずだ。一息ついてから錆びた部品が積まれている箱へ手を伸ばす。つんと重くなった指先に力を込めて持ち上げようとした。

 

「いや、違うな」

 

 必死に引っ張っていた木箱が、横から伸びてきた腕に奪われる。重そうな素振りを一才見せずに軽々と箱を持ち上げたライナーはあたしを見て、嗜めるように呟いた。

 

「どうせ、先のことにごちゃごちゃ気ぃ回して疲れてんだろ」

「それは、まあ。そうだけど」

 

 言い当てられ、ぎくりと肩を竦める。いつもデリカシーがないのに、こんな時ばかりやけに鋭い。歯切れ悪く追及を逃れようとするあたしの頭へ、ぽんと手のひらが乗せられた。

 

「お前に暗い顔は似合わねえ。前にもそう言わなかったか?」

「言ってたっけ」

「俺も知らん」

「なにそれ」

 

 頭に乗った手のひらの下から仰ぐように覗き込む。ライナーが真面目な顔して否定するので、言いながら笑ってしまった。耐えきれなくなり、も口端が上がる頬を手で隠す。指摘は鋭かったのに、肝心なところで格好がつかないライナーの姿が笑いのツボにハマったらしい。分析しながら、腹を抱えて大口を開ける。

 

「っく、ふふふっ。あははっ」

「そんなに面白いことを言った覚えはないんだがな」

 

 ここまで笑われるのは本人としても予想していなかったのか。眉を顰めて不服そうなライナーの姿がなんだか子供っぽくて、可愛く映る。あたしより一回りも大きい屈強な男に、その言葉はあまりに似合わない。言ったらもっと面白くなるだろうな、と言う思いをグッと堪え、口を塞ぐ。

 

「ノエル、その笑いが収まったらさっさと部品持ってくぞ」

「っふふ。はーい」

 

 新しい倉庫に移動させる部品が入った箱を肩に乗せたライナーが、呆れたように笑い続けるあたしを呼んだ。背を向けられてわからないけど、きっと不服そうな顔をしているんだろう。笑いっぱなしで不機嫌にさせたら困る。笑みを喉奥に押し込んで、たたたっと駆け寄りライナーと肩を並べる。答え合わせついでに表情を伺ったら、それより先に視界が手で覆われた。

 

「ぎゃ!」

「散々笑ってくれた仕返しだ」

「うわわっ、ボサボサになっちゃうってば!」

「そうなったら、俺が直してやるよ」

「いーやーだー!」

 

 ライナーの仕返しを受けて、ぐちゃぐちゃになった髪を整える。朝、必死にといて直した寝癖が復活したみたいだ。これでは、またユミルに化け物みたいだと揶揄われてしまう。こうなった原因の張本人をジトリと睨むも、楽しそうに笑っているのだからタチが悪い。まあ、元はと言えばあたしが笑いに笑ったからだけど。

 

「新しい服はまだ着ねぇんだな」

「髪の毛がこんなに跳ねてたら合わないもん」

 

 藪から棒にライナーが話題を振ってきたので、ここぞとばかりにあたしは頬を膨らませる。横目で見ても、ライナーの顔に反省の色は見られない。むしろ、悪戯っぽい目つきをしているので、あたしも不貞腐れるのはやめて頬の空気を抜いた。着てくるどころか、着て来なくて良かったと安心しているところだ。この髪であんな可愛い服を着たら、文字通り大事故になっていただろう。

 

「一日中服を見てたんだっけか。全く、女ってのはわからんな」

「一日中じゃないよ!おやつ食べたりしたし」

「そんだけ時間かけて、買ったのはシャツとズボンくらいだろ?」

「違うよ。買ったのはワンピース」

 

 あたしが答えてから、隣で歩いていたライナーが止まった。急に立ちすくんだので、あたしも一歩遅れて足を止める。どうしたの、言いかけてライナーがまた歩き出した。

 

「お前がワンピース……なんて、どう言う風の吹き回しだよ」

「……何でそんなに驚いてるの?」

 

 その反応じゃ、あたしにはワンピースが似合わないみたいだ。あたしの顔が曇ったのを察したのか、弁解するようにしてライナーが慌てて言い訳を続ける。

  

「シャツとズボンばっかのお前が、まさかワンピースを買ってくるとは思ってなくてな……」

「元々着てた奴じゃなくて、わざわざ男っぽい格好に変えようって言い出したの。ライナーだったよね?」

 

 ライナーの言い草だとあたしが前からボーイッシュな服装ばかり着ていたみたいだ。きっかけをつくったのは紛れもないライナーなのに。この格好は動きやすいから恨みも不満もなく、むしろ気に入っているけど。

 

「幼女を狙う変態男がいたからだろ」

「そうそう。すぐに憲兵団が捕まえてくれたから良かったけど」

 

 きっかけは一時期、あたしたちがいた開拓地を震撼させた男。後遺症やらストレスで気をやってしまう人は珍しくなかったけれど、あの男は一段上だった。開拓地を巡り、身寄りのない子供。特に女を狙って連れ去り、暴行を加えた後に食べていたのだ。被害者こそ一人で済んだが、あたしたちがいたところのすぐ近くで捕まり肝が冷えたのを覚えている。捕まる前は常に四人一緒で、アニとあたしは絶対に離れないようにしていた。

 

「お前が攫われなくて済んだのは俺の判断のお陰だぞ」

「そうかなあ?」

「あの頃のお前は今よりも不安定だった。目ぇつけられてたら、一人でいるところをやられてただろ」

「否定できない……」

 

 もし男が開拓地まで辿り着いていて、顔を選り好みしないような変態だったならあり得た。そう考えると一定の効果があった、と言えるのだろうか。ライナーは正しい人だけど、心配し過ぎだったような気も否定できないでいる。なぜかライナーは誇らしげだから、これは自分の胸に留めておこう。

 

「――そんで見に行ったら、泣きべそかいたお前が半ケツ出したままベルトルトに抱きついて」

「うわあああ!!最悪!忘れてって言ったじゃん!」

「忘れるにも忘れられんだろ。ケツ見せられたら」

「あれは見せたんじゃなくて、忘れてたの!!」

 

 さっきから、ついでと言わんばかりにあたしの恥ずかしいエピソードを散々掘り起こされてる。頬にのぼってきた熱を誤魔化すように否定するも、ライナーはニヤニヤするのをやめない。この話をベルトルトにしてしまうと目を合わせてくれなくなるから、ここにベルトルト本人がいなかっただけマシと言うべきだろうか。アニにしてもいい顔はされない。面白がっているのはライナーだけだ。

 

「そんで、買った服はいつ着るんだ」 

「なあに、今更」

 

 調子に乗るライナーの口をどうやって塞いでやろうか考えていると、ふいにライナーが言った。憎たらしくなるぐらい揶揄ってくれたくせに。終わっていた話を引っ張り返してきたライナーをきょとんと聞き返す。

 

「昔のことを根掘り葉掘り掘り返すのは流石にもう気の毒だと思ってな」

「ほとんど全部話したあとじゃ、意味ないよ!」

「あ、そうか」

 

 ライナーがわざとらしく首をもたげて、今気がついたとでも言い訳していそうな表情をつくった。腰に突撃して困らせてやりたいけど、ライナーは荷物を運んでいる。行動できず、足踏みするあたしを知ってか知らずか、口角を上げたままライナーは話を続けた。

 

「丸一日座学の日がたまにあるだろ。そん時に着てこいよ」

「まあ、いいけど……そんなに見たい?」

 

 ライナーの言う通り、月に一、二回程度は立体機動術などの実践が予定に組み込まれておらず、丸一日座学になる日がある。楽そうに感じるけれど、実際は何時間も眠気に耐えなければいけないので通常とあまり変わらない。もちろん、呑気に寝ていられるはずもなく、コニーなんかが爆睡してよく教官に怒鳴られている。アルミンやマルコみたいに頭の良い人たちはずっと真剣に聞いてられるみたいだけど、あたしには実践の方がマシだ。

 

「アニに選んでもらったって話してたよな」

「え?うん、渋々選んでくれた」

「毎日同じような服を着てるアニがどんなもんを選んだのか、お前だって俺の立場なら気になるだろ?」

 

 意図がいまいちわからず、ぽかんと首を傾げていたら、ライナーはそう付け加えた。アニがライナーに服を選ぶ?アニはライナーをどこか毛嫌いしているようなので、絶対にありえない光景だ。想像は全くできないが、確かにどんな服か、興味はある。

  

「そりゃあ、気になるけど……ライナーも同じようなシャツばっかじゃん」

「仕方ねぇだろ、これしかねぇんだから」

 

 兵士なんかみんな同じような服しか着てないのに。自分ばっかり棚に上げるのはおかしいんじゃないだろうか。言い逃れているライナーをじとりとした視線で見つめる。

 

「なら、あたしが選んであげるよ」

「お前が選んでも同じようなもんが一つ増えるだけだろ」

「その通り」

 

 あたしのセンスなんかたかが知れている。服屋に行ったとしてもライナーの指摘通り、冒険できずに単調な、それこそ今持っているような服を一枚買って終わるだろう。ライナーの判断は正解だ。暗闇の中から目的地が浮かび上がってきて、胸の引っかかりを覚えた。

 一日まるごとが座学の日。前からどのくらい空いたかも覚えてないし、前日になるまで意識もしなかったのに。なんだろう、その日のことを考えると、胸がざわざわして落ち着かない。自分の服装を見下ろしてみる。視界に映るのは、兵服の中に着込んだ使い古したワイシャツとズボン。少し強い風が吹いても、何の心配もする必要がない。

 

「せっかく倉庫が見えたってのに、また考え事か?」

 

 不満そうなライナーが横から見下ろしてくる。あたしがまた暗い顔をしていると思ったんだろう。自然な笑顔で言葉を返そうとして、顔が少しだけあつくなる。曖昧に笑ってしまい、ライナーが怪訝そうな表情で眉を顰めた。慌てて弁解しようと口を開く。

 

「……いやあ。ライナーに、その。言うのもあれなんだけど、やっぱりちょっと……」

「なんだ?」

「スカート久しぶりだし、緊張しちゃうなあって」

 

 ライナーを見ながら話すと頬の熱が増していくので、耐えきれずに視線を地面に落とす。自分から伸びている足は久しく日の目を浴びていない。普通なら騒ぐほどの丈じゃないけれど、久しぶりにしては挑戦的な長さのワンピースを買ってしまった。こんなの話されたって、ライナーからしたら困るだけだろう。黙り込んだライナーへ謝ろうと顔を向けたら、同時に肩へ手を置かれた。

 

「絶対、最初は俺に見せろよ」

「へ?でも、本当の最初はアニになると思うけど」 

「アニはいい。とにかく、俺に見せろ。いいな?」

「わかったよ。最初にみるって、そんなに重要かなあ」

 

 なぜか目が本気なライナーのとなりで勢いに押され、頷いてから疑問をこぼす。誰が見ようと恥ずかしいのは一緒だし、何も変わらないと思うのだけど。流し目で見たライナーの横顔は冗談を言っているように思えない。変なこだわりでもあるんだろうか。

 

「……ああ。アニの目じゃ信用できん。お前にちゃんと似合ってるか、俺が判断する」

「その言葉、アニに聞かれてないといいな……」 

 

 アニのライナーへのあたりが特別強い理由を少しだけ理解できた気がする。実際に聞かれたら、投げ飛ばされるだけでは済みそうにない。内心冷や汗をかきつつ、足早に倉庫へ向かった。

 

「やっとついたー」

 

 他の建物よりも心なしか新しい倉庫を前に、ほっとため息をつく。ふざけながら歩いていたから、無駄に時間がかかってしまった。ずっと持たせちゃってごめんね、そう言おうとライナーへ顔を向けたが、割って入ってきた声に遮られた。

 

「んぅ、んん!ぁ」

「はぁっ、はっ」

「ぁんッふ……」

 

 あたしとライナーで見つめ合いながら、そばで変な声がこだまする。聞き慣れない声色だから何かと思ったけれど、中に人がいたらしい。夕飯前、こんな時間で倉庫にいるなんて。予想外の事実とは裏腹に、扉の向こうから声がし続けている。ポカンと口を開いているあたしと反して、正面にいるライナーの表情が険しいものに変わっていった。

 

「……な」

「え、ライナー…?」

 

 ライナーの顔はこちらへ向いているのに、視線は倉庫へ釘付けだ。小さく呼んでみるが、反応はない。何がそんな何驚いたんだろう。口を手で抑えたまま、その隙間からぱくぱくと開閉する唇が見える。

  

「誰かいるみたいだけど、入っていいのかな」

 

 早く片付けを済ませて、夕飯にありつきたい。ライナーの反応を理解するのは諦め、倉庫の扉へ手を伸ばす。扉に指先が触れるか触れないかくらいのところで、横から伸びてきた腕に引き留められた。

 

「ま、待て。ノエル」

 

 硬直が解けたライナーはあたしの手首を掴むなり、いつになく真剣な表情で制止した。止めるなら、大きな声で言えばいいのに、耳を澄まさないと聞こえなくなってしまうくらいの囁くような言い方だ。

 

「えぇっ?」

「……これを運ぶのは後でいい。腹減ってきただろ?」

 

 ライナーが小声のまま、言いにくそうに別の提案をしてきた。確かにお腹は空いたけど、ここまで運んできてもらった分の労力を考えれば、我慢できないほどではない。さっさと片付ける気満々だったはずなのに、一体どうしちゃったんだろうか。

 

「なんで?今運んじゃおうよ」

 

 いつもの調子で返すと、ライナーは肩を跳ねさせ、慌てて人差し指を立てた。「静かにしろ」倉庫の中へしきりに目をやりながら、ライナーがひそひそと注意する。教官の前でもないし、一体何に警戒しているんだろう。ライナーがあまりの剣幕で凄むものだから、疑問を感じつつあたしもつられて語尾を小さくする。

 

「……中にいる人にも手伝ってもらえるかもだし」

「ぃや、そうじゃない」

 

 例え難い、複雑そうな顔のライナーが口ごもりながら言った。言葉が伝わらない人を前にしたような反応のライナーに、あたしはどうすることもできず突っ立っている。何か間違ったことでも言ったかな。どうにも的を捉えきれていないらしい自分の質問に首をひねった。

 

「……ライナー、お腹痛いの?」

「違う、違うんだが……」

 

 ライナーの求めている答えとは違うんだろうなとわかっていながら、闇雲に聞き返す。予想通り否定されてしまい、もう打つ手はなさそうだ。ライナーが肩を落とすあたしとは反対方向に顔を伏せ、口元を手で覆ったまま何やら呟いている。

 

「アイツら、こんなことでおっぱじめやがって……」

 

 アイツら?おっぱじめる?途切れ途切れに聞こえてくる単語は、突拍子のないものばかりだ。何を言っているのか見当もつかない。

 

「普通こんなに知らないもんか?……俺たちのせいじゃ、ないよな……くそ、エレンじゃねぇんだから……!」 

「ねー……なんかあたしのこと馬鹿にしてない?」

 

 何やら一人で声を荒げているので、ぶつくさいっている背後から覗き込む。エレン、とか言っていたが、それもいい意味では使われてなさそうだ。

 背中へ体重を預けるように身を乗り出したからか、ようやく黄金の瞳と視線があった。目も泳いでいないし、だいぶ落ち着いたみたいだ。背中に半分もたれるようにしていたのをやめ、向き直って口を開きかけたところだった。いつの間にか止んでいたおかしな声の代わりに、扉越しの足音と喋り声が聞こえてくる。

 

「あ、誰か。来てるみた――」

 

 自然と口にしかけて、背後から体を引かれる。言葉は、最後まで発することなく塞ぎ込まれた。胸の中に留めさせられたまま、荷物を持ってない方の腕で軽々と倉庫の影に連れ込まれる。

 

「っんんんー!」

「わりぃ、ノエル。我慢してくれ…!」

 

 わけもわからず出した声もライナーの手で押さえ込まれる。すっかりライナーの大きな手のひらは、あたしの口を覆い隠すのに十分だった。腰に腕を回され、身動きも取れないのでなにやら焦っているライナーの謝罪を受け入れるしかない。降参するように強張った体の力を抜く。

 

「なんか、音しなかった?」

 

 扉を引く音がするなり、女の声が不審そうに言った。あまり聞き馴染みのない声だ。あれだけ前で話していたものだから、中にいた人も気配を察知していたらしい。続けて二人目の足音が地面の土を踏んだ。

 

「はあ?誰もいねぇよ。それより、なあ……」

「いや」

 

 荒い鼻息と共にずりずりと靴底を引きずったような音がしたが、女の拒絶で止まった。ここからでもわかる軽薄な態度と微かに聞いたことがありそうな声。男の方は、もしかしたらフロックかもしれない。

 

「ちょ、おい」

 

 それ以降女は一言も発さず、ざっざっと強めの足音を鳴らしながら離れていく。静止の声もまったく意にかえしていないみたいだ。フロックも後に続いたのか、その後ろを追うように別の足音がした。

 

「お預けかよ!そりゃないだろ」

 

 フロックは倉庫で何をしていたんだろう。同じ104期だけど、あまり関わりがないからわからない。こんな時間に、男女二人。恋人だったとして、一体何をしていたらあの声になるんだろう。人生で聞いたことがないような、甘える動物のような声。あたしでも出せるんだろうか。考えても結論は出なさそうだ。。

 そう思考を巡らせているうち、フロックの嘆きも段々と遠くなって、ようやく手のひらがどけられた。

 

「ぷは」

 

 塞がれていたのは口だけで、呼吸にはなんの問題も無かったのに、ようやく吸えた酸素は新鮮だった。大きく口で息を吸い、吐いて、緊張も解けていく。そのまま立ちあがろうとするも、できなかった。

 腰の腕は下ろされておらず、胸に押し込まれたままだ。背中に触れている胸板は広くて分厚い。贅肉がくっついているあたしのと違って、鍛えられた肉体だ。そこから熱が伝わってきて、やけにあつい。ライナーの心音が今にも聞こえてきそうだった。

  

「ら、ライナー?」

「す、すまん。苦しかっただろ」

 

 腕の中から名前を呼ぶと、声が聞こえてきていた方向に釘付けだった首をあたしに向け、くしゃりと眉を下げて謝罪した。さっきまでのスッとした目つきとは別人みたいだ。

 回されていた腕も解かれ、生ぬるい体温を纏いながらも立ち上がる。お尻だけ軽く叩いて土を落としながら、あたしは首を横に振った。

 

「ううん、いいよ。でも、なんで隠れたの?」

 

 話は聞いていたけど、隠れるようなことがあったとは思えなかった。フロックは知り合いだし、手伝ってもらえたかもしれないのに。疑問の目を向けるけれど、なぜだかライナーは言いづらそうにしている。

 

「気まずかったとか」

「違……いや、それでいい」

「ふぅん……?」

 

 助け舟を出したつもりが、どうやら違うようだ。否定しかけたライナーは諦めたようにあたしの言葉を受け入れて、さっさと倉庫の中へ入ってしまう。疑いながらも、それ以上追求してやろうとは思わなかった。

 

「んー!」

「ほら、貸せ」

「うん……」

 

 あとほんの少し、小指分が届かない。持ってきた部品をそれぞれの収納に整理して入れているのだが、高い棚は下ろせても元に戻せなかった。飛んだり跳ねたり格闘するあたしをみかねて、ライナーが助け舟を出してくれる。どこかでみたような光景だ。

 

「何か不満なのか?」

「ベルトルトの時と変わんないんだもん」

 

 前に旧倉庫を整理した時も、高い棚だけは自分でどうにもできず、ベルトルトを頼ってしまっていた。数ヶ月経ったはずなのに、何も変わっていない。これでも、成長期と言われる年齢だ。あたしの何がいけないんだろう。

 

「全然伸びてない」

「数ヶ月ちょっとで伸びないだろ。急ぎすぎだ」 

「ライナーは……またちょっと伸びてる癖に」

 

 あたしに比べ、ベルトルトやライナーはどうだ。成長期という言葉が似合いすぎるくらいに身長を伸ばしている。少し前まで横並びだったのが嘘みたいだ。食事も生活もほとんど同じだろうに、ここまで違いが出るものだろうか。これこそまさに不公平だ。

 

「そうか?ははっ、悪りぃな」

 

 不貞腐れたあたしを眺めて愉快そうなライナーが平謝りする。いざ謝られると、より自分だけ子供のまま取り残されているみたいだ。口を尖らせて、ただの文句をぼやく。

 

「ずるいよ。もう」

「お前だって、さっきはずるかったぞ」

 

 独り言だったつもりが、ライナーが言い返してきた。顔をあげたら、腕を組んでるライナーがあたしを見つめかえしてくる。

 

「何がずるかったの?」

「まあ。そういうこともある」

「はぐらかさないで」

「はぐらかしてはねぇよ」

 

 途切れ途切れの言葉、煮え切らない表情。今日、何度目だと思ってるんだか。今更隠そうとしたって意味ないのに。ライナーもわかってるはずだ。分かってて、教えてくれないらしい。

 

「うそだ」

「そんなに知りたいなら、あの二人に聞いてみろ」

「二人は教えてくれるんだ」

 

 ライナーだけならまだしも、アニとベルトルトも知っていること。なんだかあたしが仲間外れみたいだ。

 

「……ああ、おそらくな」

「なーんか、怪しいよね」

 

 さっきから誤魔化すばっかりで肝心なことを言ってくれない。軽く睨みをきかせてみるが、ライナーは断固とした態度で答えようとする素振りすら見せなかった。

 

「お前にはまだ早い」

「なにそれ」

 

 それから何度もはぐらかされつつ、無駄口を叩いて作業していたら窓の外はすっかり闇に包まれてしまった。ようやく整理を終えると、あたしたちは古い倉庫に置いてあった部品の箱を拾って、報告をしようと教官室に向かった。

 

「キース教官、教官室にいるかな」

「ああ、夕飯前だしな」

 

 話しながら、常に険しい顔のキース教官がひとり、教官室で夕飯を取る姿が脳裏に過ぎる。あまりにも不釣り合いな状況にくすりと笑ってしまった。ライナーも同じことを想像したらしく、上がった口角を手で隠している。目は笑ったままだ。

 

「ライナー」

「どうした」

 

 喋りながら歩いていると、廊下の先、丁度目的地である教官室の前で人影が目に飛び込んできた。扉を背にして後ろ手を組み、番人のように佇んでいる人影。坊主頭は特徴的で、見分けるのが容易だった。

 

「あれ、コニーじゃない?」

「……だな。またバカやらかして呼び出しでも食らったんじゃねぇか」

「それにしては、様子が変だよ」

 

 ライナーもわかっていたらしく、コニーを見たまま頷く。そわそわしているし、さっきから教官室の前にいるだけで入ろうともしない。またもや同じことを考えているのか、自然にライナーと視線があり、こっそり顔を見合わせてニヤける。

 

「コニー、何して」

「ばっ、ノエル!大きな声出すな!」

 

 木箱を抱えたまま、コニーのところまで駆け寄ったが、言い切るより前に遮られた。あたしを視界に入れるなり、目を見開いたコニーが勢いよく肩を揺さぶってくる。目が回りそうだ。コニーの態度は誰が見ても怪しい。あたしを揺さぶりながら、しきりに周囲を気にしている。特に、教官室の方を。

 

「コニーの声のほうが大きいよ……」

「あっ。わ、わり」

 

 無抵抗で前後に揺らされていたら、流石に気持ち悪くなってきて、コニーの手を緩く肩から外す。コニーはハッと我に帰ったようにバツの悪そうな顔で謝ってきた。

 

「その様子は、キース教官に呼び出されたんじゃねぇみたいだな」

「あったりめぇだ。俺は今、超重大な任務を任せれてんだよ」

「だれに?」

 

 あたしが振り回されているうちに歩いてきたライナーが腕を組んだまま言うと、さっきまでの焦燥感溢れる表情とは打って変わってコニーが自慢げに胸を張る。

 

「サシャだ」

「……やっぱり。そんなことだろうと思ったよ」

「おま!ノエル、俺たちを馬鹿にしたら肉分けてやらねぇぞ!」

「肉ぅ?」

 

 脳内にちらりと過っていた予感が的中して、半目でライナーを見上げ、頷く。ライナーもわかっていたんだろう。腕を組んだまま、同じタイミングで首を縦に振った。

 

「サシャが食糧庫の肉を取ってくる間に、俺は教官の見張り。完璧な計画だぜ」

「お前らにしちゃあ考えたな」

「だろ!?これが成功したら肉の半分が俺のモンだ。悪りぃけどお前らには分けてやんねーからな」

 

 あたしたちが聞く暇もなく、コニーは作戦の全貌を話し始めた。確かに、見張りがいれば教官に怯えなくていい。ライナーが感心するわけだ。ただ、その代わりに見張り役のリスクが高すぎる。教官室の前、だなんてほぼ捕まっているようなものなのに。コニーの様子じゃわかっていなさそうだ。ライナーと二人で、密かにコニーへ憐れみの視線を向けた。

 

「サシャの半分、ねえ。本当に半分ならいいけど……」

「アイツの言う半分あればいい方だぞ。全部サシャの胃袋の中かもしれん」

 

 サシャの言う半分が半分という定義を満たしていないことはみんなが知っている。通過儀礼の時以来、サシャが食べ物を分けている姿を見ていないのでわからないけれど、あたしたちが知る半分をくれるとは考え辛い。

 

「不安になることばっか言うんじゃねえよ!」

 

 コニーが言い返してから、さっと自分の口を手で塞いだ。教官室の扉が開かないことを確認して「心配になってくんだろ……」と覇気のない声を出す。

 

「コニーだって、サシャの食い意地は知ってるのに。なんでこんなこと受けちゃったの?」

「そ、それは……アイツに立ってるだけで肉が食えるって言われたから……」

「まんまとやられたな」

 

 サシャは食べ物のこととなると鋭い。いつもはおバカコンビとして仲のいい二人だけど、どうやらコニーはサシャの思惑に気づけなかったみたいだ。うーん、これは。

 

「やられたね」

「んだよ!二人とも憐れむような目でみやがって!」

 

 ライナーと目を見合わせてから、無慈悲にも真実を告げると、コニーはあからさまに動揺した。あそこまで気にしていた声量も気にせず、悔しそうに声を張り上げた。

 

「今に見てろよ!肉は俺ら二人で山分けだからな。後から言ったって、お前らには一欠片もやんねーぞ!」

「何を山分けするのか教えてもらおうか。スプリンガー」

 

 あ、と思う間もなく開いた扉から人影が浮かび上がる。その人は音もなく現れ、あたしたちに指を突き立てていたコニーの肩に手を添えた。コニーは時が止まったようにパクパクと口を開閉している。

 

「き、キース教官……」

 

 やっとあたしが絞り出すように言って、固まっていたコニーの目が泳ぎ出した。バッと教官の方へ向き直り、視界に入れるなり大きく肩が跳ねる。

 

「え、えーっと。その、俺は……」

「先ほどから騒いでいたようだが、ここが教官室の前だと分かっていただろうな」

 

 今にも罰則だと言い出しかねない様子のキース教官が、ギロリとあたしたちを見やった。これ以上神経を逆撫でるわけにはいかないので、教官の一番近くにいるコニーはその怒気に当てられて口を噤んでいる。

 

「そこの貴様らも、弁解できるものならして貰おうか」

 

 このままでは、あたしたちまで巻き込まれてしまう。倉庫を片付けて疲れているのに、罰則なんてことになったら。ライナーは兎も角、あたしの成績に関わる。隣にいるコニーは青ざめて呆然としている。これは、生贄になってもらうほかない。

 ごめん、コニー。心のうちで謝ってから、あたしは意を決して口を開いた。

 

「もっ、申し訳ありません!コニーが日頃の行いを教官に悔い改めようと訪れたらしいのですが、渋っていたので通行の邪魔になっていました」

「ちょッ、おま……!」

 

 まさか、裏切られるとは思っていなかったんだろう。コニーが驚愕の表情で声をあげ、あたしの服を掴む。申し訳ないけど、ここは生贄になってもらうほかない。

 

「ほう?スプリンガー、貴様が日頃からいかに愚かな行為をしてきたのか自覚したらしい」

「え、あ……」

「違うのか?なら、教官室の前で何をしていたのか言ってもらおうか」

「い、お、オレは!日頃の行いを悔い改めに来ました!」

 

 コニーはもごもごと口を濁らせていたが、有無を言わせぬ圧力に押され、あたしが咄嗟についた嘘を呑み込んでしまった。これでよかったのか、と言いたげなライナーの視線が送られてくる。やめて、ライナー。そんな目であたしを見ないで。

 

「それはいい。ならば、手始めに私の部屋の前で何をしていたのか答えてもらおうか」

 

 遠回しな死刑宣告に、ひぃとコニーの口の形が動くのが見えた。そんなコニーを一瞥してから、全てを見透かしたような目で教官がこちらを向いて、口を開く。あのトラウマを思い出しそうな二つの眼球に凄まれ、何もしていないのに体がこわばる。

 

「ジンジャー、ブラウン。貴様らも加わるか?」

「い、いえ。その、あたしたちはクロード教官からこれを渡せと頼まれまして」

 

 目で必死に助けを乞うているコニーを尻目にかけ、持ってきた木箱をライナーが手渡す。表情を緩ませる気配すらさせないまま、キース教官はとっくに使えないガラクタやどこが壊れているかわからない立体装置のトリガーが入った箱を上部だけさらりと一見した。

 

「……何の用もなく立っていた訳ではないらしいな」

 

 横目でちらりと向けられた視線は心なしか最初より厳しくない。肺が押しつぶされるような緊迫感は変わらずだけど、すぐにでも罰則と告げられそうだったさっきよりかマシだ。二人で必死に倉庫を片付けた甲斐があった。

 

「これは受け取っておこう。用が済んだのなら即刻立ち去れ」

「はっ!」

 

 もうすっかり慣れ切った敬礼をして、ライナーと一緒にそそくさと歩き出す。これ以上逆鱗に触れて夕食なしになってはたまらない。

 

「何をしている、貴様は教官室だ。スプリンガー」

 

 二、三歩歩いてから、氷点下まで冷え切った教官の声がコニーを呼び止めた。振り返る訳にもいかず、笑いを手で抑えているライナーと顔をあわせる。あたしたちは、今同じようなことを考えているんだろう。

 去り際に背後を覗くと、今から収監される罪人のように教官室へ押し込まれていくコニーが見えた。あたしはどうすることもできず、教官室にいるコニーの無事を祈るしかなかった。

 

「機転を効かせてくれて助かったぞ、ノエル」

「コニーまでは助けられなかったけどね」

 

 やっと教官から託された任務を終えたあたしたちは、ランタンの弱々しい灯火を頼りに食堂を目指していた。ライナーが肩を叩いてくれるが、誇らしげに胸を張る気分になれない。

 

「ありゃあ、アイツが馬鹿なことしてっからだ」

「長くなりそうだよ、あれ」 

「夕飯までには帰ってこられるといいがな」

 

 あれはそうそう聞かないような声色だった。表情こそ確認できなかったものの、キース教官が相当ご立腹だったのはわかる。ライナーが分かっていてか知らずか楽観して言うけれど、だいぶ望み薄だろう。

 

「あたしたち、最初からバレてたみたいだね」

「ああ。教官の名は伊達じゃないってこった」

 

 じゃなきゃ。あんな風に出てくるはずがない。キース教官には背中に第二の目がついているという噂があるくらいだから、扉の一枚向こうで雑談しているあたしたちの気配なんかとっくの昔から分かっていたんだろう。

 

「見張るって意味では成功なのかもね」

「サシャと協力してんだったか」

「見に行ってみる?」

 

 見張り役がいなくなった今、サシャは何をしているんだろう。コニーという多大な犠牲を払ったおかげで、食糧庫への見回りはないはずだ。ぐうと鳴るお腹を宥めつつ、ライナーに提案してみる。

 

「おこぼれにはありつけないと思うぞ」

「そんなじゃないもん」

「期待する相手は選んだほうがいいな」

「もう!ライナー、揶揄わないで」

 

 お腹の音を聞き逃してくれなかったライナーが意地悪にそう言うので、腕を組んでそっぽを向いた。サシャのおこぼれを狙うくらい食い意地が汚いと思われてるとは心外だ。あたしもそこまでポンコツじゃない。

 

「わりぃ、そうむくれるなよ」

「べっつにー?どうせあたしは食いしん坊だよ」

 

 ライナーが謝るので、間延びした返事をして嫌味も添える。ざりざりと土を踏み締めながら、ライナーとの距離を離す。この僅かな抵抗も、足の長さのせいですぐに追いつかれてしまう。

 

「詫びに、今日の晩飯を分けてやった方が良いか?」

「そんなことしたら、ライナーの分全部食べちゃうよ」

「そりゃあ困るな」

 

 そんな冗談を言い合いながら歩いていたら、「おい、ノエル」ライナーが前方を指差す。指先を辿った先にあるのは、蠢く黒い塊だった。そばのランタンに照らされ、浮き上がっている見慣れた茶髪は。

 

「さ、サシャ……?」

 

 一眼では動物と勘違いしてもおかしくない姿に、声が揺れてしまった。ずっ、ずっと音を立てながら塊ことサシャが移動している。移動、と言っていいのだろうか。這いずっている、の方が正しい。恐る恐るそばに近づき、膝を折った。

 

「クソぉ……にくぅ、わたしのにくぅがぁ」

 

 コニーは怒られ損になってしまったようだ。近づいても肉への執着をうわごとのように呟いているサシャへ試しに話しかけてみる。

 

「コニーから話聞いたよ。お肉は……盗れなかったみたいだけど」

「ノエル!!」

「ひぇっ」

 

 さっきまでの芋虫のような様子はどこへやら。ぐるりと首を上げ、二つの眼球があたしを捉えたと思ったら、肩が勢いよく引き寄せられた。抵抗できず、体を左右に揺さぶられながら、喉の奥でか細い悲鳴をあげる。

 

「聞いてくださいよ!肉が、私の肉がなかったんです……!!」

「おい落ち着け。ノエルが目を回しちまってるし、肉は元からお前のじゃない」

「きっと、上官に食べられてしまったんです……!!」

 

 首がガクガク振り回されてもげそうだ。ライナーが助け舟を出してくれたが、サシャには全く聞こえていない。あたしを好きなだけシェイクしたかと思ったら、ぴたりと手を止めてこの世の終わりみたいな顔で俯く。

 

「どうしてこんなタイミングの悪い時に……」

「お前が盗もうとしたからだろ」

「そもそも、お肉はサシャのじゃないしね」

「二人とも、やけに辛辣じゃないですか?」

 

 ライナーの指摘にうんうんと頷くが、サシャはあたしたちの言っていることが理解できないといった顔で不満をあげる。

 

「それは……サシャが泥棒するからじゃ?」

「ノエルもやったことあるじゃないですか!」

 

 ぎくり。

 

「ノエル、言われてるぞ」

「ちょっ……あれはユミルに無理矢理!無理矢理だから」

 

 助けを求めた相手に裏切られ、両手を振って弁解する。ライナーも早く忘れてくれればいいのに。ずっと覚えていて、事あるごとに弄ってくるんだから。あれはあたしの人生の汚点で間違いない。あの日、倉庫で見た二つの目玉。思い出すだけで身震いしてしまう。

 

「ま、まあ、残念だったってことで諦めてさ。一緒にご飯行こうよ?」 

「えっ、ご飯分けてあげるから一緒に行こうよって言いました?」

「言ってない」

 

 このままではあたしの精神衛生上良くない。こっそり話題をすり替えるのは成功したが、今のサシャ相手では何を言おうがご飯のことに変換されてしまうらしい。ずっと暗かった顔を輝かせたかと思ったら、白けた視線を送ってくる。

 

「えー、期待させておいて」

「期待も何も、言ってないよ」

「えらい聞き間違いだな」

 

 今のサシャには全て都合のいい言葉に変換されて聞こえるらしい。これではお手上げだ。もはやそれほどの期待もせず、惰性でサシャを動かそうと言葉を紡ぐ。

 

「今日の当番マルコだしさ、きっと美味しいよー?」

「誰が作ろうとそこまで味は変わらんだろ」

「まっ、まあ……そこは感じ方の問題だから、ね!」

「そういうもんか」

 

 ライナーが痛いところを突いてくるので確信のない回答ではぐらかす。マルコの手料理って、真心が入っていて美味しそうじゃないだろうか。少なくともそう思ったのはあたしだけだったらしい。

 

「うぅ、ダメです。もう、お腹がお肉しか受け付けません!」

 

 あたしの言葉も関係なく、芋虫のような格好で地面を這うサシャが空に向かって嘆いている。よだれと土に塗れ、このままでは化け物と見間違えられてもおかしくない。

 

「誰か、だれか。お肉、を……」

 

 何もない空に向かってサシャが手を伸ばす。そこに肉が浮かんでいるはずもなく、その手はなにも掴めないまま拳となって地面に叩きつけられた。「サシャ……」ずっと悲しんでいるものだから、憐れみの目を向ける。

 

「ノエル。同情するなら……お肉をください」

「そういうのはクリスタ担当だよ。お肉ないし」

「サシャ……その根性をもっと他んとこに使えねえのかよ」

 

 ライナーの言葉にうんうんと頷いていたら、黒い塊が視界を横切った。「あ」あたしがそう溢すより早く、塊がライナーの顎に向けてクリーンヒットする。

 

「うるさい!」

「がはッ!!」 

「ライナー!!」

 

 ごつん、骨まで響いてそうな小気味のいい音が響いた。次いで、ライナーのうめき声。聞かなくとも痛みが伝わってきて、顎を抑えているライナーの肩をさすった。

 

「っぐ……駄目だ。今のアイツは肉にしか目がいってねぇ」

「えぇ、そんな動物みたいな」

「実際そうだろ」

 

 獲物を倒してもサシャは満足していないようだ。荒い呼吸をしたまま、大粒の涎を垂らしている。空腹の野生動物そのものだ。

 

「うん、あってる」

「肉を、お肉を、恵んでくださいぃ……腹が、減った……」

 

 やっと人間に戻ったかと思ったら、肉への渇望は変わらないらしい。仰向けになって、ぐるるるると猛獣の鳴き声みたいなお腹の音を鳴らしている。これじゃあ、いつまで経っても動きそうになさそうだ。お肉が空から降ってきてくれればいいんだけど、そんなのは希望的観測に過ぎない。

 

「わかったよ。サシャ、夜ご飯ちょっとあげるから行こう」

「行きます」

 

 さっきまでの威勢はどこへやら、人間らしく立ち上がったサシャが食堂に歩き出す。「えっ、ちょ!」面食らってしまい、あたしの方が立ち尽くしてから跳ねるように後を追う。

 

「アイツ……変わり身早過ぎるだろ」

「あ、あのまま見捨てられないし、よかったよ。動いてくれて」

 

 さっきまで地面を這いずってたのが嘘みたいに前にいるサシャが早歩きでずんずん進んでいく。足取りは軽いし、「ご飯、ご飯」と口ずさんでいるようにも聞こえる。もしかして、あたしはサシャの策略に嵌ったのかもしれない。

 

「ノエル、無理はするもんじゃねぇ。腹減ってんだろ」

「お腹の音、また聞こえてた?」

「サシャほどじゃねえがな」

「頑張って押さえてたつもりだったのに……」

 

 お腹がなっている自覚はあった。お腹が鳴きそうな時に意識して抑えていたつもりが、あまり意味を成していなかったようだ。サシャに分けてしまったら、ちゃんと腹を満たせるだろうか。空腹で寝るのは辛いからなるべく避けたいんだけどな。

 

「ま、飯くらい少しなら分けてやってもいいから、あんま気にすんなよ」

「え、いいの?」

 

 口元に手を添えて思案していたら、思いがけない提案に顔をあげる。巻き込んでしまうライナーには悪いけど、すごくありがたい。確認も含めて聞き返すけれど、ライナーはしっかり頷いてくれた。

 

「サシャにはやらねぇが、お前に分けるくらいはな」

「ええ!?私にも分けてくださいよ!!」 

「お前は分けるじゃ済まんだろ」

「そうだね」

 

 現にあたしはどうやったら被害を最小限に抑えられるかずっと考えている。サシャは心外だという表情で弁解を続けた。

 

「二人ともひどいですよ!誤解です!」

「誤解も何も、真実だろ。なあ?」

「うん」

「ノエルまでっ……」

 

 誤解だ、勘違いしていると主張するサシャをそばに連れて、食堂にようやく到着する。お腹を空かせたあたし たちにとって、窓から漏れる温かい光がいつもより輝い て映った。どっぷりと日が暮れてしまった今、人はまばらだ。食堂に入って行く人はほとんどおらず、満足した 顔の知り合いが次々と出て行く。ご飯、まだ残っているといいけど。飛び込むように食堂の奥へ行ったサシャの 背中を眺めながら、食堂へ歩き出す。階段を上り切ったところで、よく見慣れた人物とすれ違った。

 

「おう、ヘタクソ。ライナーの手ぇ借りた癖にやっと晩飯か?」

「いろいろあったんだよ、ほんと」

「こんな時間まで、本当にお疲れ様」

 

悪人顔をより深くしたジャンが嘲笑の色を隠すことな く聞いきたので、大袈裟に肩を落としてみせる。そばに いたマルコはジャンと対照に心中察すると言った様子で 眉を下げて労ってくれた。言葉だけでも限界ギリギリまで疲 れ切っていた体が少しだけ軽くなったような感覚に陥る。

 

「頼まれごとはすぐ終わったんだけど、それ以外がね」

「そりゃあ、災難だったな」

 

 ジャンも労いの言葉をかけてくれるが、ニヤニヤと意地汚い笑いを続けるからまるで心に入ってこない。人柄と言い方一つでこれだけの差が出るのだから不思議だ。

 

「怪我とかはないよね?」

「うん、全然」 

「俺が見張っておいたからな、こいつのぼんやりは気にしなくていいぞ。マルコ」

「そっか。なら良かった」

 

 体まで気遣ってくれるマルコに、両手を広げて無傷をアピールする。ライナーがあたしの肩に手を置き、保護者みたいな言葉を伝えると、マルコの表情がわかりやすく緩んだ。

 

「……コイツら、これが素なんだよ。困ったもんだよなァ、マルコ」

「うん、本当。仲が良くて羨ましいよ」

「んだよ、それ」

 

 ジャンが皮肉めいた笑みのまま、マルコと肩を組んで反応を見る。どうやら期待していたものではなかったらしく、顔を歪めてそう吐き捨てた。その様子を見ていたライナーが口を開く。

 

「お前らだって兄弟みてぇにくっついてるだろ」

「はあ?普通だろ。ただまあ、俺たち二人とも優秀だし。そう思いたくなるのもわかるぜ」

 

 少しだけ怪訝そうな顔をしたものの、自画自賛気味に鼻を高くしたジャンは一度口を閉じた。あたしとライナーを交互に見ながら続ける。

 

「それに対して、お前らは……片方落ちこぼれで気の毒だな」

「落ちこぼれ……」

「そんな言い方はないだろ」

 

 鼻で笑いながら、ジャンは踊り場の柵に背中を預けた。兄妹という括りでみるなら、ジャンの分析は驚くほどに的確だ。自覚はしていても、他の人からそう突きつけられると体へ重くのしかかってくる。この三年間、あたしは一体何をしてきたのか。忘れかけていたことを思い出し、言い返せずに地面を眺めていたら、ライナーの反論の声が聞こえた。期待の眼差しをライナーに向ける。

 

「せめて、ヘタクソにしとけ」

「ライナぁ」

 

 違う、そうじゃない。希望の光がものの見事に過ぎ去っていって、呆然としたまま名前を呼ぶ。もはや最近はしっくりまできていたあだ名が、いまさらじわじわと心に侵食してくる。

 

「二人とも、揶揄いすぎだよ」

「マルコ……!」

 

 本当の味方はすぐそばにいたらしい。マルコは困り顔で愉しそうな二人をあたしに代わって嗜めてくれ、感激のあまり名前を呼ぶ。やはり、マルコだ。救世主はマルコだった。手を組んで拝みたくなる気持ちが伝わったのか、マルコは優しく微笑んで何も言わずに頷く。前のめりになっていたのを背後から引っ張られたと思ったら、ライナーが面白くなさそうな顔であたしのジャケットを掴んでいた。先にジャンと組んだのはライナーなのに、なんだその顔は。文句の一つでも言ってやろうと口を開こうとして、にこやかなマルコの声に遮られた。

 

「食堂がもう少しで閉まるから、二人とも早く食べて来た方がいいよ」

 

 マルコが食堂を指差しながら言うので、つられてそれとなく中の様子を覗く。ガラス越しに見えるのは、やはりサシャだった。先行して夕飯を美味しそうに味わっている。サシャの他にも、談笑している人がちらほらと影を作っていた。

 

「ベルトルトとアニも二人を待ってるみたいだしね」

 

 無意識にいつも使っている席に目をやって「あ」と声を落とす。そこにいたのは目を凝らさずともわかる二人組だった。残念ながら会話が弾んでいる雰囲気は感じられない。ベルトルトが時折何か思いついたように前を向くけれど、肘をついてそっぽを向いたままのアニを見ては再び視線を下げる。あたしたちを待ってくれていると知っていても、奇妙な組み合わせに目が離せなくなる。 

 アニの視線の先を辿ろうとして、今までどこかを眺めていた澄んだ碧と目が合った。その瞳はすぐさま何をやっているんだと言うように歪む。焦燥感がいまさら湧き上がってきて、作り笑いを貼り付けたまま背を向けた。

 

「ベルトルトはいいんだが、アニが?」

 

 圧をかけられているあたしの隣で、ライナーが訝しげに視線をよこしてくる。窓越しにただならぬ圧を受けながら、必死に顔を上下した。早く行かないと、またお尻を蹴られる!

 

「明日は雹でも降るんじゃねぇの……大方、そこのヘタクソを待ってんだろうが」

 

 「明日の訓練が中止になったら褒めてやるよ」柵にもたれかかっていたジャンが腰を上げ、マルコの肩を引いた。階段を降りていくジャンを尻目に、マルコが「じゃあ。二人ともおやすみ」と小さく微笑んでくれる。

 

「おやすみ、マルコ」

「おう、また明日な」

 

 マルコがジャンを追って背を向けてから、あたしは食堂へ駆け込むようにして入った。食堂の扉を支えている時間すら惜しく、焦るどころか飄々としているライナーの服を摘んで引き寄せる。

 

「なァに、ニヤついてんだよ」

「そう見える?」

「ああ、暗闇でもわかるくらいバレっバレだぜ」

「ノエルが可愛かったからかな」

「ッチ、面白くねぇなぁ……」

 

 だから、別れてすぐにこんなやりとりがあったなんて知る由もなかった。

 

「アニ!待たせてごめん」

 

 あたしは食堂に入るなり、いつもの席へ早足で駆け寄った。机がお腹に食い込んでくるのもお構いなしに、手をついて頭を下げる。

 

「食堂の前で堂々と立ち話してた癖によく言うね」

 

 皮肉たっぷりな返しをされ、何も言えずにそのまま机へ沈む。「ノエル…」ベルトルトが心配そうな声で名前を呼んでくれるけれど、私には合わせる顔がない。

 

「許してやれよ、こちらとらジャンに絡まれたんだ」

「あんたには聞いてない」

 

 優しく肩を叩かれて、恐々としつつも首を持ち上げる。苦虫を噛み潰したような表情でライナーを冷たくあしらうアニがいた。お馴染みの席、その机の上には四人分の一切手がつけられていない質素な夕飯が並んでいる。

 

「先に食べててよかったのに……」

「食欲がなかっただけ」

 

 あたしが席に腰を下ろしながら言うと、アニは淡々と返事をした。嘘か本当かはどちらでもいい。アニがあたしを待っていてくれていた。その事実があれば胸を躍らせるには十分だ。何も口をつけていないのに、満たされた気分になった。

 

「早く食べたほうがいいと思うけど」

「あー、ちょっと……約束を果たさないとだから」

 

 何も口にしていない状態から早く脱却したかったので、スープを胃に流して込んでからあたしは皿に乗ったパンを気持ち小さめに割った。席を立とうとして引き留められるが、ヘラヘラ笑って見逃してもらう。約束した相手、サシャは夕飯が足りなかったのか、野犬の唸り声のようなお腹を鳴らしながら突っ伏していた。約束のパンを与えてから戻ってくると、一部始終を見ていたらしいアニに白けた目で見つめられる。

 居心地悪くなりながら、ぼそぼそのパンとスープを口に運んでいると、ライナーがパンのかけらを皿に乗せてくれた。

 

「やっぱりいいよ」

「いらないのか?」

 

 一度は承諾したものの、分けてくれたパンに食指が動かず、ライナーにそのまま突き返す。気を遣ってくれたライナーには余計な手間を掛けさせてしまったけど、やはりライナーの分を奪ってまで腹を満たそうと思えない。

 

「うん、大丈夫」

「明日の朝はちゃんと食えよ」

「そうする!」

 

 ライナーは怪訝そうな顔をしたものの、どうにか納得してくれたようだ。こう言われて仕舞えば、大きく頷く以外の選択肢はない。

 

「見張っとくからな。俺とベルトルトで」

「見張りはしないけど、ノエルはしっかり食べた方がいいよ」

「はぁい」

 

 ライナーならまだしも、ベルトルトにまで念を押されてしまった。少食なつもりは全くないから、いまいち腑に落ちない。寝床の代償としてサシャにパンをあげ続けていた頃の思い出が尾を引いているのだろうか。印象を払拭するためにも、明日からご飯を分けるのはやめにしよう。

 

「どうせまたやるんでしょ」

「やらないよ」

 

 疑わしそうに目を細められたので、首を横に振る。サシャが飢え死にしそうになっていたら考えなくもないけど。訓練中にお腹を空かせるのも、心配させるのも懲り懲りだ。アニは不審そうな視線を変えずにスープの具材をつついて口へ運んでいる。

 

「あんたは、偽善者ぶって酔狂なことするの好きだから」

「信用できない?」

「そう」

 

 一切の躊躇なく言い切られてしまい、肩をすくめる。偽善者ぶってるのは置いといても、酔狂と言われるまでのことをしてるつもりはないんだけど。あたしからしたら、せがまれただけでパンを分けていたようなクリスタのほうがよっぽどだ。

 

「ノエルが偽善者ってんなら、お前は不良ぶるのをやめたらどうだ?」

 

 そんなあたしをみかねてか、ライナーが隣で言った。黙々と食事をしていたアニからあからさまに不機嫌なオーラが漂ってくる。ライナーは気づいていないのか、いつもの世話焼きを発揮してやめない。

 

「心配なんだろ。親友として、少しは素直に言ってやったらどうだ」

 

 二人の様子を、特にアニの方を、ヒヤヒヤしながら見守っていたら聞き捨てならない言葉が耳に入り、手を止める。確かめるように聞き返した。

 

「え。親友って、ベルトルトとライナーのことじゃないよね?」

「他に誰がいるってんだ」

 

 確かめるように聞くも、ライナーが変なものを見るような目であたしを見る。あたしとアニって、親友だったの?信じられなくて何回も瞬きしてしまう。頬に熱が登ってきて、普段出さないような声量で対岸のベルトルトに問いただす。

 

「そ、そうだったの?ねえ、ベルトルト。あたしとアニって親友だったの?」

「ええっと……」

 

 ベルトルトがあからさまに戸惑っているけれど、聞くのをやめられない。机に手をついた状態のまま、前のめりに近づこうとして、背中を引っ張られた。

 

「勝手に決めないで」

 

 引かれた拍子にそのままストンと着席する。張本人の拒絶に近い言葉を受け、一気に血液が逆流したようだった。ぬか喜びとはこのことだと、頭の中で悟った。

 

「ぇ……アニ、じゃあ……」

「……なに。違うとも言ってない」

「な、なら。あたしたち……!」

「肯定もしてない」

 

 言ったっきり、アニはパンで口を塞いでしまう。ゆっくり咀嚼しているアニの隣で落胆する。まあ、あたしに対しては極度の恥ずかしがり屋なアニが言ってくれるとは思っていなかったけれど。楽観的な考えで頭を埋め尽くして、スープを一口飲む。この気持ちを癒すには味が足りてない。

 

「あーあ。親友だって言ってもらいたかったなぁ」

「じゃあ、もう一生言わない」

「ええー!!それはやだ!」

「決めたから。残念だったね」 

 

 愚痴っぽく文句を垂れていたら、残酷な一言が聞こえた。子供みたいに反抗するけど、アニは親みたいに冷静な態度で軽くあたしをあしらう。アニがパンを食べ終わるのを見計らって、あたしはしたり顔で笑ってみせた。

 

「決める前は、言う予定だったってこと?」

「は?」

「あれ。もしかして、ほんとにそう思ってた?」

 

 思っていた通り。アニの綺麗な瞳が困惑の色で濁るのを、あたしは見逃さなかった。ただ聞き返してくるアニに緩んだ頬も隠さず笑ってみせる。

 

「う!おっふ……」

 

 あたしが調子に乗ってられるのはほんの一秒だけだった。お腹のあたりにずん、と突くような衝撃。じわりとくる痛みを手で押さえ、顔を上げた先には氷のように冷たいアニの顔。

 

「ち、調子乗りましたすみません」

「こりゃあ、一本取られたな。アニ」

 

 幸いにも、アニはため息をついたっきり食事に戻ってくれた。「ひええ……」まだ残る痛みに、数分前の自分を叱咤したくなる。自分でもわかる。あの揚げ足取りで、アニがいい顔するはずがない。

 

「にしても手加減ってもんがあるだろ」

「元凶にとやかく言われる筋合いはないから」

 

「ノエル、平気……?」「うん。だいじょぶ……」あたしがベルトルトの気遣いに返事をしている間に、アニとライナーが小さく言い合いをしている。ライナーの態度が悪いわけでもないのに、この二人はいつもこんな調子だ。

 

「アニ、もう行くの?」

 

 まともな会話もしない間にアニは夕飯を済ませてしまったらしい。どつかれた部分をさすっているあたしの横、アニがすっと席を立つ。使用済みの食器を片手でまとめ、振り返りもせずに出て行ってしまった。「短気はモテねぇぞ」ライナーが食堂を出て行く背中に投げかけるけど、振り返ることはない。「お。おやすみ……」ベルトルトが控えめに声をかけ、あたしも「また部屋でね」と一応言っておく。アニの手首が少しだけ上がりかけ、力無く下ろされる。その姿を見逃せるはずもなかった。頬の筋肉を制御できずにヘラヘラ笑い始めたあたしをライナーが心配してくる。まだ食堂に姿を見せないコニーのことは、すっかり頭から抜け落ちていたのだった。

 

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