島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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訓練兵団編:最後の一年

 訓練兵の一日はめまぐるしく過ぎていく。さっきまで朝日が頬を照り付けていたのに、ふと目をやったら、窓が夕焼け色で揺れていた。あたしは講義室の前列から二番目、アニの隣に席を陣取っている。教官の注目を浴びやすい位置だ。向き合っていると肩に力が入るので、共感が黒板に向かっている時はつい、ほっと気が緩んでしまう。教官の目はまだこちらに向けられておらず、図解を書き切るにはまだかかりそうだ。手元の紙も重要な点だけ我ながら上手くまとめられたので、手を加える必要がない。部屋に差し込む夕日の光がゆっくりと沈んでいく。窓際にいるジャンの背を照らしていた光が徐々に弱まっていった。

 

 もう、太陽が昇ることはない。明日の太陽があたしたちを照らすけれど、今日の太陽とはこれっきり会えないのだ。朝から夕方までずっといてくれたのに、過ぎ去ってしまうとあまりにあっけない。

 あたしが訓練兵でいられる間、あと何回太陽が昇るんだろう。あと何回、太陽が沈んでいくんだろう。数えればすぐに分かるはずだ。こっそり、紙の端に数字を書こうとして手が止まる。心臓がひっくり返るような感覚がしてあたしは手に持っていた物を置いた。ゆらめいて、地面に沈んでいく光へ視線を戻す。遠くにいるジャンの髪色が夕日で赤毛に染まっていた。ジャンの馬とそっくりだなあ、なんて。本人に言ったら怒られそうな感想を抱く。書きかけの数字に続きを足そうとは思わなかった。なんだか、ひどく恐ろしいことのようで気が進まないのだ。

 

「ジンジャー」

 

 腹にのそりと渦巻く不快な穴。意識するだけ広がって、あたしの思考を飲み込もうとしてくる。なんとも言い難い不安が神経を逆撫でした。

 

「ジンジャー!」

 

 一度深い沼に溺れてしまえば、いつもは端に追いやっていた感情に脳を揺さぶられてしまう。ライナーたちは順調に成績を上げている。このまま順当にいったら、三人とも憲兵団に入るんだろう。アニも、ベルトルトも、ライナーも、お別れだ。何度も考えているはずなのに、寂しさは消えない。やだな。こんなこと、考えても意味なんかないのに。

 

 感情を振り払うよう、頭を左右に揺らしていると、隣で呆れた顔をしているアニと目があった。ため息を尽きたそうなアニは、三白眼を怠そうに動かして黒板の方へ向ける。つられてあたしも首を動かし、目に映った光景を前にぎくりと汗を流した。

 

「は、ひゃい!……ずみません」

 

 大きく心臓が跳ねる。慌てて席を立ち、言葉を口にしたものの、思いっきり舌を噛んだ。口の中が熱くなり、微かに血の味がする。あたしの失態を目撃したみんなの小さな笑い声で顔の熱があがっていく。

 教官を前にして俯くことも出来ず、ただ黙り込んでいると、完成した図解を背にした教官は眼鏡を外してから皺が寄っている眉間を揉んだ。

 

「考え事は程々にするように」

「はい……すみません」

 

 共感と目が合わせられなくなり、ぴったりくっついた膝の上にのせた自分の拳をただただ見つめる。教官が何事もなかったかのように講義を再開するけれど、なぜだか少しも動く気になれない。

 

「アニ、ありがとね」

「自業自得」

「うん、ほんと……ごめん」

 

 石のように固まっていた体がようやく言うことを聞き、喉の奥から声を絞り出す。一人で悲観的になっているならまだしも、教官を無視していたなんて。アニが仕草で教えてくれていたなかったら、罰則は免れなかっただろう。

 口から心臓が出てもおかしくないくらいの失態を犯して、もう一度物思いにふけるほど夢想家ではなかった。私物をまとめて早々といってしまうアニを見送り、大きく伸びをして立ち上がる。同じように私物をまとめ、机の間を通り抜けたら、ふいに呼び止められた。

 

「止まれよ、ヘタクソ」

 

 この呼び方をする人はこの世で一人しかいない。見なくたって表情がわかる。嫌な予感しかしないから反応したくないけれど、あたしに無視できるほどの度胸はなかった。

 

「さっきの授業中、集中力が足りなかったんじゃねぇのか」

「う」

 

 思い描いていた通りの顔をしたジャンがいやらしく生傷に塩を刷り込んでくる。考えていることが表情に出てしまったんだろう。ジャンの笑みが深くなった。

 

「ひ、ひゃい!ってよくあのタイミングで噛めたよな?教官の顔、傑作だったぞ」

「し、しょうがなかったの!ジャンの髪が馬の立髪みたいだったから……」

「はァ?」

 

 正直に言うけれど、すぐには理解できなかったようでジャンが素っ頓狂な声をあげる。何か言われるよりも先に今までのお返しをしておく。

 

「馬小屋にいそうな色してたよ」

「ッお前、授業中に何ぼーっと俺の髪見てんだ!!」

「あははっ、ごめんごめん」

 

 薄ら笑いでささやかな嫌味を言うと、ジャンが烈火の如く怒り出す。さっきまで馬の立髪のようだった髪を振り乱して握り拳を震わせている。エレンによく言われるからか、ジャンは馬関係に例えられると弱い。

 

「へらへら謝ってんじゃねえ!」

「こら、ジャン。あんまりノエルを怒鳴るなよ」

 

 あまりにも反応がいいものだから、真剣になれず笑いを止められない。ジャンの怒りが加熱する一方で、それを制したのは真ん中から割って入ってきたマルコだった。

 

「マルコ、お前。またノエルの味方するつもりか?」

 

 マルコはジャンとあたしの間にいてくれているけれど、ジャンの熱は収まりそうになかった。熱が冷めるどころか、不満げな様子でマルコへ唸るように尋ねる。

 

「ジャンがノエルに噛み付いてるからだろ」

「悪いね、ジャン」

 

 あたしはこの好機を逃さず、マルコの腕を取った。いつも好き勝手言われてるんだから、これくらいしてもバチは当たらないだろう。半ばマルコを盾がわりにして、肩の後ろから戦況を見守る。

 

「の、ノエル?」

「マルコが味方ならさっきのも全然恥ずかしくないもん」

「良かったな、マルコ。少し味方すりゃあ、ヘタクソが近寄ってくんだから」

 

 ジャンに皮肉っぽく言われてからハッとする。すっかり頭から抜け落ちていたけれど、あたしが腕を掴んでいるのはマルコで、ライナーたちじゃない。アニみたいに触れられるのが苦手な人もいるし、了承も得ず思いっきり触ってしまった。ジャケットから指を離し、意味もなく後ろにまわす。ジャンを手のひらで転がして愉快だった気分が急落して、マルコを恐々とみた。

 

「ごめん、マルコ。こういうのいや?」

「嫌じゃないよ。むしろ、嬉しいかな」

 

 マルコは小さく微笑みを沿えて、小さく横に首を振った。よかった。マルコに嫌われでもしたら、何ヶ月引きずるかわからない。心配が杞憂に終わり、舞い上がったあたしはもう一度マルコの手首に手を這わせた。マルコが腕をあげたかと思ったら、ぎゅっと手を握られる。

 

「わ、マルコって以外に手おっきいね」

「ライナーたちと僕、どっちの方が大きい?」

「んー……ベルトルトかなあ」

 

 手を合わせる前の予想はまるで外れてしまった。あとほんの僅かに足りない差を埋めようと、指を逸らしてみたりするけど、ほとんど意味をなしていない。何の意味もない無駄な努力をするあたしにマルコがくすくすと笑っている。

 

「見せつけてんじゃねえよ……クソ……」

「ごめんね、ジャン。あたしたちの仲が良くて、嫉妬しちゃう?」

 

 蚊帳の外になってしまったジャンが地面に向かって悔しがるので、マルコと繋げた手を見せつけてこれ見よがしに煽ってみせた。以外にも思っていた反応はなく、「はあ?」ジャンが加えて悪態をつく。

 

「いいや、この様子じゃむしろ気の毒で仕方ないぜ。なあ、マルコ」

「そう?まだまだここからだと思うけど」

 

 あたしに触れられているのが気の毒だとジャンが哀れみの目を向けてくるも、流石のマルコは動じる素ぶりをみせない。というか、風呂にはみんなと同じ頻度で入っている。そんなに小汚いのかな、あたしって。繋いでいない方の手で服の匂いを嗅いでみたりしていたら、「ああもう!しゃらくせえ!!」とジャンがあたし達の手を掴むなり引き剥がした。

 

「いい加減にッしろ!ベタベタすんな!」

「なっ、なにするんだよ、ジャン!」

「うっせえ!俺が大人しく待ってるわけねぇだろ!」

 

 憤慨したジャンがあれよあれよとマルコの肩を引き寄せて、半強制的に連れていってしまう。ぶつぶつ何かを呟いているジャンにされるがまま、マルコが離れていく。最初こそ狼狽していたマルコだけど、結局は振り向きざまに「またね」と眉を下げたまま強制連行されていってしまった。

 ぽつんと一人で残されてしまい、近くの机に避難させていた私物を持ち上げる。マルコの手が、もうまわり小さければなあ。手のひらを目の前にかざして、握ったり開いたりしてみる。

 

「ノエル」

「あ、二人とも。おつかれさま!」

「ああ、おつかれ」

 

 一人で暇をしていたら、ベルトルトが声を掛けてきた。いつものように並んでいる二人へ小走りで近寄る。ベルトルトの背中が光を遮り、まっすぐ長い影が伸びていた。

 

「ジャンに揶揄われてたみたいだな」

「見てたの?」

「ジャンの声は嫌でも耳に入る」

「それ、本人に聞かれたら絶対怒られるよ」

「そうか?」

 

  分かってるくせに、ライナーはとぼけたフリをしてみせた。念のために辺りを見回すが、ジャンの姿はなくそっと安堵する。ちらほら残っている人の中には、コニーとサシャやミーナがいた。二人揃って突っ伏していたり、知らない子たちと談笑している。

 

「ノエルが座学でミスをするなんて珍しかったから、ジャンも気になったんだろうね」

「そういや、教官を無視してまで何考えてたんだよ」

「それは……うーん」

 

 我ながら座学はずっと真面目に聞いてきたので、珍しく思ったのだろう。ライナーの問いに頭のなかで答えをまとめようと小さく唸る。

 

「いろいろ?昔のこと思い出してたんだ」

「良い思い出なんてあったか?」

 

 ライナーが不思議そうに聞き返してくる。当然の反応だ。思い出して明るく語れるような話ではない。あたしもその気持ちは変わらないままだ。体力仕事やきつい役割を補ってくれたのはいつもライナーだったから、なおさらだろう。

 

「いい思い出は少ないよ。あたしなんて、みんないなかったら死んでたし」

 

 四人でなにやらぼやきながら身を寄せ合い、ただひたすら石を拾ったり、植物なんか育ちそうにない畑を耕したりするのはいい思い出と言い難い。あの二年間が懐かしかった。ただそれだけだ。冬場で寒さをひたすらに耐えていた時間は永遠に思えたし、開拓地では身寄りのない子供の扱いは散々なものだった。三人が居てくれなければ、訓練兵にすらなれず野垂れ死んでいただろう。

 

「石を拾ってた頃は、ずっとこれが続くんだと思ってた」

 

 畑になる荒地の石拾いをしながら、数年後の話をしたこともあった。その時は漠然としたものだけが目の前にあって、話は盛り上がらなかったけれど。振り返ってみると、あの頃のあたしに分からなくて当然だ。心のどこかで、ずっとこの毎日が続いていくんじゃないかって思っていたから。

 

「それなのに……あたしたちもう訓練兵になって三年目だよ。時が経つの早いよね」

「そうか?」

 

 あたしにとって、この三年は瞬きしたかのようにあっという間だった。ライナーも分かってくれると思い込んでいたので、ピンときていない様子のライナーに狼狽する。

 

「えっ、そうでもない?」

「ここ数年、色々と気を張っててな」

「そっか。いつの間にかみんなの兄貴分だしね」

「まあ、兵士として俺ができることをやってるだけだがな」

 

 何もしていないあたしとみんなの世話を焼いて回ってるライナーとでは体感が違って当然だろう。視野を広く持ち、みんなに気を配るライナーにとっては、長い三年だったのかもしれない。

 

「ベルトルトも?」

「ううん。まあ、あっという間ではないよ」

 

 ベルトルトなら少しは分かってくれるかなと希望を抱いていたが、曖昧に否定されてしまった。こうなると、もしかして。

 

「あれ、あたし。お気楽に過ごしすぎ?」

「ノエルはそんくらいでいいってことだろ」 

「む、なにそれ」

「お気楽でいいんだよ」

 

 そんくらい、という言葉に引っかかるも、ライナーはいい笑顔のままだ。すかさずベルトルトの方を向いて、ライナーを指差したまま言う。

 

「ベルトルト。これ、馬鹿にされてるよね?」

「ノエルはどう思うの?」

「馬鹿にされてる!」

「ははっ、そう怒るなよ」

「お、怒ってないし……」

 

 いいや、だめだ。ここで声を荒げたら、ライナーの思う壺になる。ライナーって、こんなにあたしで遊ぶの好きだったっけ?ジャンの影響だろうか。

 色々考えているあたしを前に、ライナーは歯を見せて笑った。

 

「ならいいな」

「やっぱり!怒ってる!」

 

 拳をつくってライナーの胸板を軽く叩いても、びくともしない。八つ当たりのつもりだったのに、だんだんおかしくなってきた。眉を顰めるのをやめ、ライナーの胸に飛び込む。頭の上から聞こえる困惑の声を無視して、腕を回す。筋肉質だから柔らかくないし、腕もぐっと伸ばさないと抱き締められない。めいいっぱい抱きついてもよろめく心配がないので、ぎゅうぎゅうと力を込めて抱き締める。少し汗ばんでるけど、安心する匂いがした。

 

「いきなりどうした?怒ってるんだろ」

「今、怒りをぶつけてるの!」

 

 もうすっかり怒りの感情なんて霧散したのに、言い訳をして離れない口実をつくる。あとでベルトルトにもしてやろう。ライナーの笑い声が聞こえたので、より一層腕に込める力を強くしてやった。あたしはきっと。未来の自分が羨むような、輝かしい日々を過ごしいる。訓練兵卒業まであと一年もない。一秒一秒をぐっと噛み締めて生きよう。じゃなきゃ、きっと後悔するだろうから。

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