島の悪魔【本編完結】   作:死にかけの細菌

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第7話 相棒

 

 馬術訓練が始まるのは一番遅かった。乗馬するには落馬の可能性も考えて鍛えた体である必要がある上、馬一頭にもそれなりの税金が掛かっているからだ。調査兵団専用のサラブレットほどではないが、訓練兵団が慎重になるのも頷ける。知識もない素人に世話を任せて、馬を病死させられる方が困るのだろう。一通りの接し方や知識、馬小屋掃除当番を終えてやっと乗馬訓練が開始された。

 本音としては、もう半年くらい引き延ばして欲しかった訓練だ。他のみんなが横に連れ添って、なんの問題もなく馬を引き連れている。一列に整列させられている中で、あたしは鼻息を荒くして地面を引っ掻いている馬にビクビクしていた。興奮しているから宥めろと教官に指示され、習った通りのことをしようと近づく。馬の嘽きが、鼓膜を揺さぶった。尻餅をついて見上げると、さっきまでいた場所に鋭い蹴りが放たれる。馬の、人間のような瞳が苦手だ。長い睫毛に隠された丸い漆黒の目が、あたしを見下げている。教官に宥められている馬の姿を凝視して、じわり、嫌な汗が流れた。

 

「今日も嫌われてんなぁ、ヘタクソは」

 

 数ヶ月経っても、馬との関係は初日から変わらなかった。馬術の途中に挟まれた休憩時間。縄に繋がれている自分の馬を遠目で見ていると、ジャンが話しかけてきた。

 

「ジャンは同族だと思われるから、すぐ仲良くなれて羨ましいよ」

「はあ?」

 

 皮肉だと伝わらなかったようで、ジャンは首を傾げている。それがおかしくて笑ったら、やっと何を言われたのか気づいたみたいで、ただでさえ悪い目つきが鋭くなった。

 

「テメェ、言うようになったな」

「だって、いつも喧嘩してるじゃん。それくらい言えるようになる」

 

 エレンとジャンは水と油だ。訓練兵になって数ヶ月、行動を共にすれば当然の如く知っている。食堂で言い合いをしている姿は何度も見たし、訓練中でも班が一緒になると衝突するらしい。一緒に立体機動術の自主練をしていたトーマスが疲れた顔で教えてくれた。

 

「死に急ぎ野郎とは根本的に合わねえんだよ。仕方ねえだろ」

 

 マルコやミカサに毎度止められていることを思い出したのか。罰が悪そうな顔になったジャンが、言い訳のように吐き捨てる。あたしは喧嘩が悪いとは思えなかった。喧嘩するほど仲が良いと聞くし。両者の言い分は方向が相容れないだけで正いからだ。思い出せば、ライナーたちと喧嘩したことがない。かと言ってわざわざぶつかる必要もないけれど。

 

「どうしたら、馬と仲良くなれると思う?馬代表のジャン」

「誰が馬代表だ!!チっ、マジで言うようになりやがって」

 

 悪くなったみたいな言い方はやめて欲しい。ライナーたち以外を揶揄うのは久しぶりで、言い過ぎたかなと反応を伺った。顔を顰めてはいるものの、何か考えている素振りを見せるジャンにホッとする。

 

「あー……世話してる時に話しかけるだろ?そんで……」

「話しかけるの!?」

 

 ジャンの言葉に驚愕の声をあげた。近づくのでさえ怖いのに。話しかけるなんて考えたことなかった。目を瞬かせていると、ジャンもあたしの様子に面食らった顔をする。

 

「なんでそんな驚いてんだ。普通にしてないのかよ」

「だ、だって。変なこと言ったら……怒らせちゃうかも」

「嘘だろ、お前。世話する時はずっと無言なのか?」

 

 ジャンの顔が信じられないと物語っていたので、悪いことをした子供のように頷く。担当する馬と引き合わせられてから、話しかけたことはない。むしろ、世話をする時でさえ、覇気に縮こまっていた。

 

「それじゃあ、意思疎通は無理だろ。馬だって生き物なんだから、話しかけてやらねえと打ち解けらんねぇよ」

「わ、わかった。怖いけど……やってみる」

「あと、その怖いもなしだな。生き物は相手の怯えに敏感なんだよ。こっちが主人だ。胸張ってけ」

 

 ジャンのアドバイスを脳内で必死に書き留める。馬の性質や扱い方のおさらいもしてくれて、より一層理解が深まった。今日から実践できることを繰り返し復唱しながら、ジャンにお礼を伝える。

 

「お前って、雰囲気はクリスタと似てるのに変なとこでちげぇよな」

 

 ジャンの視線の先には、馬と戯れているクリスタがいた。他の馬もふらふらとクリスタに近づいて、頭を撫でてもらっている。慈愛の微笑みを浮かべる彼女は女神そのもので、蝶と花が舞い踊る幻覚が見えてきた。あの雰囲気に似ていると自分では到底思えないけれど。訝しげな顔をしていたのだろう。ジャンは言葉を続けてくれた。

 

「お人好しなとこは似てんだろ。昨日もサシャにパン半分あげてたんだからよ」

「あれは……サシャが涎を垂らして凝視して来るから、つい……」

 

 サシャの眼力からは逃れられない。耐え切れなかったあたしは根負けして半分あげたのだ。パンを渡したら、頬を染めて嬉しそうにしたので満足していた。

 

「マゾだからアニに絞められて良かったってか?」

「ほんとにそれは誤解なんだって……」

 

 確かに馬鹿なことをしたあたしはアニに絞められた。腕を固められて、野生の生き物に餌を与えてはいけないと叱られた。サシャを野生の生き物と呼ぶのは否定しないけれど。決して、あたしがマゾだからわざと。とかそう言うことは一切ない。まだ尾を引いている噂にガックリと肩を落としていたら、ジャンが励ますように背を叩いてくれた。

 

「まあ、さっさと馬と仲良くするんだな」

「頑張る……」

 

 曲がりない激励を受け取って、決意を固くする。休憩時間を終え、鼻息を荒くして不服そうな馬にぎこちなく笑いながら頭を撫でようとしてみる。伸ばした手に向かって、大きく口を開けた。歯が見えたと同時に、さっと手を引く。ギリギリのところで噛まれないで済んだ。上目遣いであたしを見上げてくる馬は、攻めるような目つきをしている。前途多難な道のりを頭に浮かべながら、教官の言葉に耳を傾けた。

 

 ジャンのアドバイスに従って、まずは友達のように接してみることにした。会いに行く頻度も増やして、毎日たわいもない話をする。最初こそ、言葉に詰まっていたけれど、徐々に目つきが解れていくのを見て緊張しなくなった。真剣に向き合い始めて、やっと馬術で興奮せずに整列できるようになった。原因も分からずに馬の興奮を助長させ、蹴られていたあたしを笑っていたみんなの気持ちが今ならわかる。あたしは怖いことを言い訳にして、彼女のことを理解しようとすらしていなかった。逃げていたんだ。

 とは言え、蹴り癖や噛み癖は治っていない。相棒の馬と接する機会が多くなって、擦り傷はむしろ多くなった。三日ぶりの水浴びをしながら、体中がヒリヒリと痛んだ。痛みで体を清めることに専念できず、早めに切り上げてしまおうと考え、石鹸で軽く洗い流していく。傷が染みる度、あっ、とか。うっ、とか言っていたら、三回目くらいで背後に人の気配がした。

 

「あれ、アニ石鹸がないの?…あ゙っ!いっ、たぁ!」

「……その声、さっきから鬱陶しいんだけど」

「いやぁ、傷に染みちゃって……いッ!ん…」

 

 石鹸をつけたのが悪かった。とんでもなく不快そうなアニの前で、石鹸が傷口に染み込んで声が出る。水で洗い流そうと、しゃがんだら頭の上から水を被った。ひたひた、と水滴が地面に落ちる。大量の水が低い唸り声をあげながら排水溝に流れていく。背後に振り返ると、水浴び用のバケツを持ったアニが立っていた。

 

「いくよ」

「あ、うん!」

 

 石鹸を元の場所に戻し、手をさっと洗って追いかける。カランと音を立てて、木製のバケツを置いたアニは何も言わずに脱衣所へ向かった。窓から聞こえてくる虫の声がよく聞こえる。流石にまだ上がって来る人は少ないみたいで、脱衣所に人はいなかった。アニは前から水浴びが早い。無防備な時間を作りたくないみたいに、無言でいつの間にか部屋に戻っているのだ。いつもはいないはずのアニと水浴びをした後の時間を過ごしている。下着へ腕を通しながら、特別な時間に胸を躍らせた。

 

「そこの痣……あの馬?」

 

 アニの鍛えられた腹筋を盗み見ながら、自分と比べていたらそう聞かれて、ギクリと肩をすくめて下着を下ろした。

 そこ、と言われて戸惑ったけれど、視線の先を見て納得する。

 

「あー…そんなに酷い?ここの傷……」

 

 昼に蹴られたお尻の辺りだ。ブラッシングをしながら話しかけていた時、ライナーが兵士のお手本になってきて羨ましいという話をし始めた辺りで思いっきりどつかれた。水汲みでは痛まなかったが、アニが言うくらいだから相当見苦しいんだろう。意識し出すと、痛むような気もしてきた。

 

「なんか痛くなってきた」

「それのせいでヘマしたら、今度こそ開拓地送りになるかもね」

「開拓地送りは嫌だ……」

 

 適正診断をどうにか乗り越えられたのに、今更開拓地送りなんて真っ平御免だ。生産者としての素質があるようには思えないし、夢を諦めるわけにはいかない。

 

「分かったなら、さっさと手当しな」

「そうする……でも、どうしよう……」

 

 アニのぶっきらぼうな気遣いに感謝しつつ、顎に手を添えて考え込む。あたしは包帯を巻くのが得意じゃない。短い範囲ならまだしも、腹から臀部にかけてとなると、弛まずに結べるかが気掛かりだ。訓練中に緩んで解けたら恥ずかしいし、かと言って友達に頼るのも憚られる。悩み抜いた末に、ポンと手を叩いた。

 

「よし、明日ライナーに頼もう」

「待ちな、馬鹿」

 

 アニが険しい顔で頬を引っ張る。力加減が絶妙なので痛みはない。水浴び場の方から音がして、人差し指の力が緩んだ隙に逃げ出した。正面から向き合ったアニはさっきより一層、眉に皺を寄せている。

 

「なんでそこでアイツが出て来るのさ」

「頼むのに恥ずかしくない人って言ったらライナーかなって……ギリギリ腰の下あたりだし」

 

 臀部といっても、上の辺りで見せたことがあるくらいの許容範囲内だ。彼なら快く引き受けてくれるに違いないし、よく包帯を変えてくれたから難しい部分でも上手く巻いてくれるだろう。手で痣の辺りを触ってみせるが、アニの表情は変わらない。

 

「あんた」

「ア、ハイ……」

 

 変わらないどころが、鋭くなった眼光の前で固まる。危機感がなさすぎるだろうか。ライナーの性格抜きにして、そっちのケがある疑惑もあるし、女の。それもあたしなんかの貧相な体を見ても何も起こらないと思うのだけど。

 緊張の面持ちでアニの返答を待ちながら、考えを回す。一体何が、アニをこんな表情にさせているのだろう。苛々してるだけ?それとも、心配してくれているのだろうか。そうだったら、嬉しいな。あたしが何かやらかしているのに違いはないけれど。

 

「……んで」

 

 ぽつり、とアニは言葉を溢した。耳をそば立てていないと聞こえないくらいの小さな声で。言ってから、吹っ切れたように肩を引かれる。鼻と鼻がくっついてしまう距離。脱衣所を見渡したアニは、誰にも聞かれたくないかのように、口を開く。

 

「なんで、私に頼まないの」

「……っアニ!!」

 

 透き通った青が目を伏せて、白い肌が仄かに赤く染まる。意味を理解するのに、数秒かかった。理解して、体の奥が熱くなってくると、反射的に腕を広げて抱きつこうとする。してから、投げ飛ばされる自分の姿が脳裏に映ったけれど、とん、と手で押し返されるだけだった。

 

「服着て」

「ウン」

 

 真っ当な意見で拒絶されて、大人しく寝巻きに着替え始める。鈍い痛みを受けなくてよかったのもあるが、可愛らしいアニの言葉に気分は上々だ。アニの誘いを逃さないよう、早く着替えて女子寮に向かう。二人並んで移動している間、あたしはスキップしながら帰った。

 

 誰もいない部屋で明かりを灯す。あたしの水浴びはノロノロしているのでいつもは帰ってくると、アニがベッドで寝転がっている。見慣れていない静まり返った部屋は、アニの日常に入り込んでいるような、特別な気分になった。

 帰りがけに寄った救護室で頂戴した包帯をアニに手渡す。服を捲って、アニに背中を見せる形でベッドの淵に座る。

 

「あんたさ。最近、生き急いでるよ」

 

 背後から声がした。アニの表情は伺えないけれど、諭すような声色だ。壁の染みを見つめながら、腹に触れた包帯の冷たさで身をすくめた。

 

「そ、そう?兵士の素質がないみたいだから、頑張ってはいるけど…」

 

 生き急いでる、とまで言われるくらい努力できているとは思えない。兵士の素質がない実感を持ってからは尚更だ。あたしは鈍臭いから、みんなの二倍かかってやっと肩を並べられる。

 

「ライナーなんて凄いよね!みんなのお手本だもん」

 

 開拓地でも頼れるリーダー的存在だったので想像はしていたけれど、あっという間に追いつけない所まで行ってしまった。ライナーだけじゃない。ベルトルトはなんでも優秀にこなすし、アニには対人格闘術がある。あたしの取り柄は、こうやってみんなと差をつけることだ。

 

「お手本、ね」

 

 アニはため息を吐くように呟いた。包帯をぎゅっと引っ張られて、蛙が潰れたような声が出る。訓練兵になってから、ライナーの話題は盛り上がらなくなった。開拓地では常に四人一緒だったから、二人話す機会も少なかった。その反動なのだろうか。それとも、他の理由があるのだろうか。

 

「死に急ぎ野郎に感化されたりしないでよ」

 

 エレンと自主練をすることは多く、その繋がりで仲も悪くない。彼も確固たる目標を掲げているし、あたしも影響されている部分は少なからずあるだろう。なにより、エレンの生き方は真っ直ぐで憧れる。練習量と比例して、成績も伸ばしているし。アニの鋭い指摘に耳が痛かった。

 

「エレンみたいな情熱はないって!あたしは夢を目指してるだけだし」

「全人類救うとか言うバカな夢?」 

「ば、バカでいいもん」

 

 我ながら身の丈に合っていない大層な夢だ。アニが呆れる気持ちは自分が一番よくわかっている。無謀でも、不釣り合いでも。

  

「夢物語でも、なんでもいいから。とにかくやらなきゃ!」

「ふぅん」

 

 相槌と同時に、強い力で背後に引かれる。巻かれた包帯には一切の緩みがなかった。いくら動いてもズレなさそうな包帯を触りながら感嘆の息を漏らしていると、アニの瞳がかち合う。

 

「まずは一人で巻けるようになってからだね」

「ハイ……」

 

 ごもっともな意見に、こくりと頷くことしかできなかった。

 

 

 対人格闘術は、訓練の中でもみんなの士気が異様に低かった。巨人に対して対人格闘が必要であるとは思えない人が多いのだ。かく言うあたしも、薄々そう感じている一人なのだが。

 教官の目が向かないのをいいことに、手を抜いて戦っているジャンはめちゃくちゃカッコ悪い。評価され難いところで手を抜くのは、合理的なのかもしれないけれど。立体起動術や馬術を教えてくれた時の姿の方がずっと良かった。ジャンに限らず、怠慢が見て取れる訓練兵たちの間を縫って歩く。怠けている人もいれば、真面目に取り組んでいる人もいる。親友とは真逆の難しい顔で他の兵士と組み合っているマルコを諦め、エレンたちを探した。

 

「エレンとアルミン……は休憩中?」

 

 声も出せない様子で地面に座り込んでいるアルミンと荒い呼吸を繰り返しているエレンを見つけた。水筒を飲んでいた彼は、汗だくのアルミンにそれを渡して顔を上げる。

 

「っああ、ノエルは相手探しか」

「うん、よかったら…って言いたいところだけど」

 

 アルミンほどではないが、エレンの頬には細かい擦り傷があった。何度かやり合ったのか、呼吸も整っていない。横のアルミンなんて、未だ声を出せない様子だ。あたしが口を開く前に、エレンは木剣を持って立ち上がった。

 

「やろうぜ」

 

 エレンらしい答えだ。燃え上がる闘志を目の当たりにして、火がつけられるように頷く。話し合いの結果、あたしがならず者になった。木剣を握って、互いに構える。

 

「いくよ!」

「来い!」

 

 掛け声と共に、エレンの腹を目掛けて走り出す。エレンならここで。間合いに入るギリギリの所でスピードを緩めると、エレンの体が前にふらついた。すかさず、腕を掴もうとして払われる。体格差ではエレンよりあたしの方が高く、有利だ。捕まえて上から押し込めば、どうにかなるはず。

 

「いい線いってるぜ、ノエル!」

 

 腹に鈍い痛みが走る。エレンが頭を縮めて、突進したのをモロに受けてしまった。

 体格差は対人格闘術で有利に働く。それは、体をうまく使えていたらの話だ。小柄なアニのように、技術があれば体の大きさなど、ないに等しい。

 腹部を抑えて呻く暇もなしに、足を掴まれる。咄嗟にエレンの首に手を回して抵抗してみた。急に体重をかけられたエレンの体が倒れ込んでくる。

 

「このまま、どっちが降参するか競争だな」

 

 足から手を離したエレンが、首に回されたあたしの腕を外しにかかる。正確には、木剣を奪おうとしてきた。ならず者は木剣を奪われたら負けだ。力で張り合うには無理があった。ずる、と木剣が手の内で滑る感覚がして、エレンに蹴りを放つ。突然の攻撃で驚いているエレンの顔に向かって、頭突きした。

 

「いっ!」

 

 ガツンと嫌な音が鳴って、額に痛みが広がった。それでもどうにかして、不意をつかれたエレンの下から這い出る。立ち上がってエレンに向き直り、再び構えた。額を抑えたエレンがどう動くのか、離れた位置で観察する。真っ赤な額から手を離したエレンの手に握られているものを二度見した。

 

「あっ!」

「オレの勝ちだ」

 

 エレンの下から這い出た拍子に奪われたらしい。木剣はエレンの手に握られていた。頭突きが悪かったのか、よろりと体の重心を崩したエレンに近づく。

 

「ご、ごめん!咄嗟にやっちゃった」

「かなり痛ぇ……ノエルは痛くないのかよ」

「全然痛くない……」

 

 顔を顰めているエレンに心が痛くなる。あたしが痛かったのは頭突きした直後だけで、眩暈がしたりもしない。まさかここまでダメージが入るとは考えておらず、アルミンから水筒を貰ってエレンの額にあてた。

 

「楽になった、ありがとな」

「すごい頭突きだったからね」

 

 あたしたちのやり取りをみていたらしいアルミンが苦笑する。エレンのおでこは未だに若干赤らんでいた。申し訳なさと同時に、嬉しくもあった。対人格闘術が得意なエレン相手取って、これだけの衝撃が与えられるなら戦術に幅が生まれる。

 

「腫れたらごめん」

「対人格闘術なんだから仕方ねぇだろ」

 

 それにしたってやりすぎた。おでこを冷やしているエレンに謝ったら、構わないとフォローしてくれた。隣のアルミンも攻めるような視線ではなくて、ほっと安堵の息を漏らす。

 

「そうだ。腫れるかもしれない、私が手当しよう」

 

 いつの間にか現れたミカサが、エレンの腕を引いた。突然の登場で、ミカサを相手にしていたクリスタを見る。ユミルに悪態をつけられながらも助け起こされている姿があった。

 

「んなの必要ねーよ!離せってミカサ」

「駄目だ。私が手当する」

 

 手をエレンが振り払うけれど、ミカサは動じない。いつもの言い合いを始めてしまった二人を前にして、困り顔をしているアルミンと笑った。

 

「君の頭突きはきっと良い武器になるよ」

「単に石頭ってだけだけどね」

 

 武器にしては不恰好な響きだ。巨人に対抗するには使えないが、対人格闘術では大いに役立ってくれるだろう。ただでさえ、特技が少ないあたしだ。使えるものは使いたい。あまり、カッコ良くはないかもしれないが。

 

「それでも、僕にとっては羨ましいな。あのエレンをあれだけ痛がらせるんだから」

 

 目を細めて、ミカサとエレンの攻防を見つめるアルミンの横顔は複雑そうにしている。掛ける言葉が見当たらないでいると、アルミンは一言掛けてから二人の仲裁に行ってしまった。

 太陽はまだ上がりきっていない。訓練の途中で、あたしは次なる対戦者を探し始めた。クリスタは流れでユミルと取っ組み合っているし、サシャとコニーは変なポーズで教官に締められている。アニに声を掛けようとしたら、ふいと逃げられてしまったし。どうしたものかと歩いていた途中で、長い影が目に留まった。

 

「ベルトルトっ!相手して」

 

 ライナーが他の訓練兵とやり合っている横で立っていたベルトルトに声をかける。前も何回か相手してもらって、一度も勝てたことがないけれど、例の頭突きが効くかもしれない。ベルトルトは満面の笑みで駆け寄るあたしに瞬きをして、眉を下げた。

 

「ベルトルトがならず者ね」

 

 ライナーの取っ組み合いが終わったら、上手く逃げられてしまいそうなので、言いながら木剣を握らせる。受け身のベルトルトが文句を言わないのを良いことに、有無を言わせないで向き合った。

 

「ノエル、ほんとにやるの?」

 

 ベルトルトと初めて組んでから、毎度聞かれる台詞だ。その言葉を聞く度、ベルトルトとやった最初の対人格闘術を鮮明に思い出せた。ライナーに見守られる中、無策で突っ込んだあたしは避けられて地面と激突。鼻血が滝のように流れて、初対面だったユミルに爆笑された。あの時は、本当に鼻が曲がったかと思った。

 無様な一回戦を見せてしまったから、ベルトルトもあたしと組むと思い出すんだろう。

 

「もちろん!」

 

 ベルトルトの問われて、首を左右に降ったことは一度もなかった。さっきのエレンを真似るように、力強く頷くと、ベルトルトは困り顔をさらに深める。諦めたような表情で木剣を構えた。

 

「今度こそ勝つ!」

 

 闘志を奮い上げるように声を上げて、ベルトルトの出方を伺う。ベルトルトとあたし。この状況ではエレンの場合と逆だ。大きな身体は対人格闘で明らかなアドバンテージになるが、動きは早くない。ベルトルトの一歩前に足を出したので、背後に下がる。ならず者は木剣を取られると負けなので、あたしよりも難しい。前のあたしがそうだったように、木剣から意識を逸らせば奪える可能性も出てくる。対してベルトルトは長い手足のリーチを活かして、距離を詰めてくる。また一歩前進したのを警戒して、あたしは場所を移動した。これまでのあたしはがむしゃらに木剣へ手を伸ばしていただけ。今回は趣向を変えてみるんだ。違う様子を感じ取ったんだろう。ベルトルトもあたしの動きを注意深く目で追っている。

 ベルトルトが長い足でぐん、と距離を詰めて来て、一気に局面が動き出した。雁字搦めにされないよう、動いて抜け出そうとするけれど、簡単にはさせてくれない。手首を掴まれそうになる。力の差では勝てない。隙を狙う作戦は変更だ。

 

「っ!」

 

 あたしがベルトルトの腕を掴んで引き寄せた。自分から接触するとは思わなかっただろう。目を見開いた顔が飛び込んでくる。顎めがけ、さっき判明した武器を使う。その場でジャンプして、ベルトルトを押し倒す勢いで体重をかけた。

 これで一勝。ベルトルトは本気を出していないだろうから、次こそ本気を出してもらおう。勝った後の世界を想像しかけて、ベルトルトの慌てた声が聞こえた。ハッとする間もなく、彼の体に全体重を預けていた体が重心を崩す。鈍い痛みが全身に広がった。

 

「さ、避けられた」

 

 ベルトルトの膝に腕をついて、呆然とつぶやく。上半身を起こしたベルトルトはあたしの様子を見て、苦笑いしている。その手には、木剣が変わらず握られていた。今から飛び掛かってもいいけれど、あたしはすっかり戦意喪失してしまっている。

 

「実は、さっきの見ていたんだ」

 

 さっきの、と言われてエレンの方を見る。何があったのか、今度はミカサとエレンが組み合っていた。遠くからでも、ミカサが優勢なのが見てとれる。目立つ金髪は地面に膝をついて、二人を眺めているようだった。

 

「バレてたかぁ、残念」

「……それと、前からノエルの頭突きが痛いのは知ってたんだよ」

 

 ベルトルト曰く。四人雑魚寝だった開拓地で、寝相が悪いベルトルトは起きた時に誰かと顔をぶつけるのも少なくなかったらしい。他二人はただ痛いだけだったが、あたしとぶつけるとそれはもう、くらりと意識が飛びそうになるほど痛かったらしい。あたしは痛がる様子もなくすやすや寝ていたとか。

 

「だから知らなかったんだ……」 

 

 自分すら知らなかったことを他の人に知られていた。ベルトルトだったからまだ良いけれど、自分の体すら把握でいていない体たらくに気恥ずかしくなった。石頭だからどうこうとか、みんなが言わないのはわかってる。黙り込んで頬の熱を冷ましていたら、背後から茶化すような声が聞こえてきた。

 

「おいおい!ベルトルさんがヘタクソに襲われてんぞ」

「やめなよ、ユミル!」

 

 茶化しの後に、可愛らしい声が止める。近づいてきたのは、そばかすが特徴的なユミルと女神だと評判なクリスタだった。指摘されて、ベルトルトの上に乗ったままだと言うことに気がつく。ベルトルトに謝ってから立ち上がって、ユミルたちに向き直る。ユミルは上から下まで品定めをするような目であたしを見てから笑った。

 

「へえ?マジでやる気満々だったんじゃねぇの。ベルトルさん、同意したのか?」

「なんの話?」

 

 ユミルが何を指しているのか分からず、首を傾げていると、隣にいるベルトルトがおずおずと喋り出した。

 

「服を直した方がいいかも、しれない。僕が引っ張ったんだ、ごめん」

 

 ベルトルトの言葉に従って見たら、普段はズボンの中に入れ込んでいる服が乱れていた。教官に見られたら、何を言われるか分からない。急いでベルトを付け直し、服を入れ込んだ。

 

「危なかったよ。教えてくれてありがとう、ユミル」

「やっぱ気色悪い。つまんねぇわ、お前」

「ちょっと!ユミル!!」

 

 クリスタが叱るような声を上げる。感謝を伝えただけだったのだが、かなり拒絶されてしまった。衝撃で固まっているあたしを置いて、ユミルはふい、と踵を返して立ち去ってしまう。

 

「ノエル。ユミルがごめんね!」

 

 代わりに女神のような顔を歪ませたクリスタが頭を下げてから、ユミルを追いかけていった。訓練兵になってからだいぶ経つが、ユミルには一方的に嫌われているようだ。何を言っても、顔を顰めて一蹴されてしまう。

 

「あたし、嫌われるようなことしちゃったっけ」

「合わないんだよ、多分」

 

 落胆の声を溢すと、ベルトルトが優しく声をかけてくれた。ユミルとアニには似ている部分があるけれど、こうも嫌がられてしまうと仲良くすらできない。

 

「さっき見えちゃったんだけど、どこか怪我してるの?」

 

 肩を落としているあたしの姿を見兼ねて、ベルトルトが話題を変えてくれた。服が捲れた拍子に、巻いてもらった包帯が見えてしまったんだろう。不安げなベルトルトを安心させるように笑顔を作る。

 

「馬に蹴られて、痣になっちゃったんだ」

「ああ、前より上手く巻けてるよ」

 

 内出血している辺りを触ったら、じわりと痛みが広がる。ベルトルトはあたしが包帯を巻くのが苦手なことを知っているので、見えた包帯の綺麗さに驚いている様子だった。

 

「ううん、アニが」

「アニ?……珍しいね」

 

 驚いて聞き返してくるベルトルトがおかしくて、口角を上げる。昨日の出来事を思い返すと、痣の痛みもしなくなった。

 

「あたしってば、アニにも。みんなにも、助けられてばっかりだね」

 

 ベルトルトに手加減されても負けてしまうし、ライナーには世話を焼かれている。立体機動術の素質はないし、目立った特技もない。開拓地にいた頃の自分は訓練兵団に入団しても変わることはなかった。迷惑をかけてばかりで無力な自分への戒めを軽く吐き捨てる。優秀な三人の足を引っ張ることだけはしたくない。

 

「僕も、僕たちの方が…助けられてる」

 

 そこまで深刻な顔をしてしまっていたのだろうか。真剣な表情でベルトルトが言った。あたしを励ますためにしては、大袈裟過ぎると声を上げかけて、ベルトルトは被せるように言葉を続けた。

 

「君といると、すごく気持ちが楽になるんだ。本当に……」

 

 あたしとしては自分の不甲斐なさを痛感して出た何気ない一言だったのだが、ベルトルトの言葉に肩がふっと軽くなる。胸は温かいものでいっぱいで、今すぐベルトルトを抱きしめたくなった。普段自己主張が少ないベルトルトが伝えてくれたのが尚更嬉しい。

 

「て、照れちゃうよ」

「……ごめんね。ノエル」

 

 ベルトルトの口から溢れたのは、謝罪の言葉だった。目をぱちくりと瞬きして、聞き返そうとしたあたしに大きな影が降りる。

 

「何話してんだ?」

「ライナー、やっほー!今ベルトルトとお話中」

 

 組み合いを終えたライナーがやって来たので、手を振って輪に入れる。ライナーとベルトルトが肩を並べる姿は何度見てもしっくりした。

 

「ベルトルトがあたしを褒めてくれてたとこだよ」

「ベルトルトが?」

 

 ベルトルトと一緒にいるライナーはあたしよりも驚いている様子だった。目を丸くしたライナーに視線を向けられたベルトルトは笑って誤魔化している。

 

「ねぇ、ライナーはあたしのどんなところが良いと思う?」

 

 ふと、すっ飛んだ質問をしてみたくなった。ライナーは何て言ってくれるんだろう。なんて一抹の期待も込めて、頭ひとつ分高いライナーの顔を見上げる。

 

「随分な自信じゃねえか」

「ベルトルトのお陰で」

 

 大切な人に褒められるとこれ程までに嬉しいのか、と実感して対人格闘をした後の疲れも吹き飛んだ。訓練する前よりも軽い体でキリッとした表情をしてガッツポーズを作る。

 

「そうだな……」

 

 顎に手を当てて考え始めるライナーを期待の目で見つめる。どんなこと言われるんだろう。自分から聞いたのに、照れ臭さも感じながら言葉を待っていると、少し間を開けてからライナーは口を開いた。

 

「ノエルってとこじゃねぇか」

「……どゆこと?」

 

 完全に結論が出た、みたいな顔で言われても困る。ベルトルトもおそらく今あたしがしているような表情をしていた。二人で顔を見合わせてみる。

 

「ノエルがノエルだっつうことだよ、なあベルトルト」

「……そうだね」

 

 ライナーが同意を求めて、ベルトルトは思うところがありそうな表情で頷く。あたしがあたしなところが良い、とは。考えれば考えるほど分からない。 

 

「ベルトルトはあんまり納得してない顔してるように見えるけど」

「まあ、俺にとっちゃそうってだけで別のやつは違うかもしれん」

 

 人によって感じ方があるのだろうから、それ以上追求する気は起きなかった。ベルトルトもライナーと同じで、うんうんと頷いている。 

 

「アニも聞いてみたらどうだ?」

「聞きたいのは山々だけど、はっ倒されそうだからやめとく」

 

 あたしのどこが好き、とアニに聞いた自分が地面と仲良くしている姿が脳裏に浮かんだ。ついでに腰の痣も悪化しそうなので、アニの機嫌が良さげな時に余裕があったら聞いてみよう。

 

「それもそうか」

 

 ライナーも同じことを思ったのか、薄く笑ってあたしの頭をポンポンと撫でる。普段は意識していなかった熱い信頼を感じて、かけがいのない人たちと通じ合えている事実に胸が躍った。

 あたしたちは、あまり雑談を長引かせると教官に叱咤されてしまう、というベルトルトの発言で休憩を終えた。その後、ライナーと組んで三度目の正直だと例の武器を使おうとしたが、やはりライナーにも知られていて上手く固められてしまったのだった。

 

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