帝国暦486年1月、ヴァルハラ星系 帝国首都星オーディン side: リリーナ
帝都について一か月もすれば、リリーナもすっかりオーディンでの生活に慣れつつあった。もっとも、数日を除いて帝国軍技術局の試験場に通っているという点において、これが一般的な帝都貴族という訳ではなかった。しかしともかく、地に足のついた生活というのはリリーナにとっては貴重なものだったのかもしれない。
そんな帝都での生活はリリーナにとって意外に悪いものではなかった。もちろん伯爵領で艦隊や要塞、エネルギー資源開発を進めたいという思いはあった。しかし、技術局では議論の相手に困らなかったし、帝都の人間模様はリリーナに様々な着想を与えるのに十分な色彩を放っていた。
なお、メルゲントハイム伯爵領でのプロジェクトの歩みが鈍ったのと同時に、不穏な雰囲気が漂っていた伯爵領自体の統治は少なくとも表面上は好調に転じているようだった。リリーナは少し複雑な気持ちを抱くものの、それ自体は悪いことではなかったのですぐに忘れることになる。
そんな数多い刺激にあってリリーナを最も強く刺激したのが、かの悪名高い劣悪遺伝子排除法であった。かつては先天的な障害を持って生まれた幼児を安楽死させるなどの行為が行われていたという。今はそこまで苛烈ではないものの、その名残として色盲は士官学校に入学できないといった慣習が残っているようだった。
リリーナは激怒した。
「ふざけているわ。一体何を考えているのよ」
リリーナは間違ったことが嫌いだった。しかし、リリーナは、曖昧になりがちな主義や目的の誤りよりもその手段の誤りをより許しがたいと考えていた。そんなリリーナにとって一番の怒りの対象は当然その実行方法に向いていた。
「先天的な障害だろうが色盲だろうがあくまでそれは表現型よ!!!それで全ての劣性の遺伝子の排除なんか出来るわけないわ。キチンと遺伝子検査に基づいて安楽死させるべきだわ。そもそも、それが遺伝子由来であることを証明してからでないと意味はないわ」
自室で怒りをぶちまけたリリーナだったものの、その頭は怒りながらも冴えていた。
「殺害だけで遺伝子を排除するようなのは明らかに非効率よ。太古の品種改良でさえもう少し効率的だわ。どうしてそこで意識が遺伝子操作技術の研究に向かないのかしら」
リリーナは技術の未発達と政治家の科学技術への無知を嘆いた。しかし、それを嘆いても仕方がないことも分かっている。まずやるべきは技術の習熟であり、それが当たり前になって初めて政策に取り入れられるのだ。
領地に帰還次第、今度は遺伝子工学の研究所を設立することを考えながら帝都のひと時を過ごすのだった。
帝国暦486年3月、ヴァルハラ星系 帝国首都星オーディン side: リリーナ
そんなリリーナは、予定より遥かに長く帝都オーディンに滞在することになった。
本来であれば中性子衝撃砲艦の整備体制の確認が済み次第すぐに帰還するはずだったが、肝心のミュッケンベルガー元帥からはなかなか返答がない。そうあってはリリーナも勝手に帰るわけにもいかなかった。
リリーナは当初、単に軍務が多忙なのだろうと考えていた。確かに帝国軍の動きは慌ただしく、イゼルローン方面では断続的に戦闘が続いており、元帥自身が前線と首都を行き来していた。
だが実際には、ミュッケンベルガー元帥は意図的にリリーナを帝都に留めていた面もあった。リリーナがあまりに早く帰ってしまえば、せっかく育ちつつある中性子衝撃砲艦の技術基盤が、どうなるのかという心配もある。
それに、あまりに技術一辺倒で落ち着きのないリリーナに対して、少しは社交界との接点を持たせたいという多少の気遣いがあった。だが、そんな配慮を当のリリーナが知るはずもない。
「まあ、あちらも順調なことだけが救いではあるわね」
帝都オーディンに滞在していてもリリーナの関心の半分以上はメルゲントハイム領での進捗に向いていた。いくつかのプロジェクトの遅れはあるものの、中性子衝撃砲艦の就役が続々と進み、試射実験も順調に行われていた。艦首から放たれる複数の青白い光条が、海中の深層を撃ち抜くように空間を貫く映像はリリーナにうれしさともどかしさで悶えさせるのに充分だった。
ようやく帰還許可が下りたのは、3月に入ってからだった。帝国軍技術局が衝撃砲艦の整備体制を確立したことと、技術局にリリーナの信奉者が増えて暴走することを警戒したミュッケンベルガー元帥の判断だった。
だが、その帰還を目前にして、リリーナにもう一つの足止めが届く。
それは大貴族、ブラウンシュバイク公爵からのパーティーの招待であった。リリーナは招待状を見下ろし、息をついた。
「……面倒だわ」
リリーナは貴族といっても、ほとんど社交の場には出ていない。特に5歳で伯爵領を継いでからは一切参加してこなかった。
だが、それでは通らないのが帝国という場所であると最近リリーナは理解し始めていた。現実として、貴族間の関係が資源調達にまで影響し、関係性の悪化が面倒を引き起こすというのを家臣たちから聞いていたのだ。
艦隊に大量の資源を使用し、一般金属から希少な重金属元素に至るまでその多くを輸入に頼っている今のメルゲントハイム領では、これまでのように社交界をガン無視することはできなくなっていた。
貴族付き合いをしていると……そのうち、相手の顔が資源そのものに見えてくるのかもしれないとまでリリーナは考えていた。
「どうして勝手に他人の星を爆破してはいけないのかしら。パーティーなんかより絶対楽しいに違いないわ」
そう呟いたとき、リリーナはまだ、自分がどれほど準備不足かを理解していなかった。なにしろ、そこに着ていくためのドレスすらなかったのだから。
帝都の屋敷はとうに売り払っているし、第一そこにあったのは5歳までのリリーナが着ていたものだ。到底サイズが合うはずもない。
慌てて調達しようとするも、提案されるのはどれも動きにくいほどの豪華なドレスであった。そしてその多くが肩や背中の露出を伴っており、疲れていたリリーナは布地の不均一性を惑星における陸海のバランスと関連付けてその理由を探ろうとしていたほどだった。
最終的にリリーナが手にしたドレスは落ち着いた白いドレスだった。派手すぎず、地味すぎず、リリーナの要望に応じて露出は最小限に抑えられている。上質なシルクの光沢が控えめに揺れ、首元は浅く、袖は肘までの長さが確保されている。シルクなど古代の遺物だとしていたリリーナであったが、ドレスの素材にとってそれはむしろ誉め言葉だった。
「……着慣れないわね」
そう言いながらも、鏡の前でリリーナはほんの一瞬だけ、表情を和らげた。くすんだ銀髪と輝く金眼はそのドレスと合わさって貴族の令嬢として十分な品格を醸し出していた。
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