帝国暦486年3月、ヴァルハラ星系 帝国首都星オーディン side: リリーナ
パーティが行われるブラウンシュバイク公の邸宅はとても広く、豪華で、そして低い技術レベルが特徴だった。つまり、リリーナは車からブラウンシュバイク邸の正面玄関まで参加者で混み合った中を徒歩で進む必要があったのだ。
「あらっ、メルゲントハイム伯爵ではないですか?」
リリーナの背後から呼び止めたのは美しい黒髪をもつ妙齢の女性、ヴェストパーレ男爵夫人だった。
ヴェストパーレ男爵夫人、女性でありながらヴェストパーレ男爵家の当主を務めるこの女傑はリリーナの数少ない知り合いであった。古くはリリーナが美術品を売り飛ばすときに母の伝手を辿って知己を得たのがこの婦人であり、今回も貴族付き合いの知識の無いリリーナがドレス選びから立ち振る舞いまでの儀礼についてまで意見を仰いだ相手だった。
「そのドレス、よく似合っていますわ。私の目に狂いは無かったわね」
ヴェストパーレ男爵夫人は、楽しげな笑みを浮かべてリリーナの肩をそっと押した。その手はまるで応援するようでいて、軽やかな圧力を帯びていた。慣れないドレスのすそが歩くたびに足元にまとわりつき、少しでも気を抜けば裾を踏みかねない。
「このまま何事もなく帰れればいいのだけれど」
思わずそう呟いたその時、玄関先に立つ二人の姿が目に入った。
金髪の輝くような美貌の青年と赤毛と穏やかな瞳を持つ青年。ヴェストパーレ男爵夫人が、わざとらしくも優雅に扇子を広げた。リリーナが二人の気配を察して身を引こうとすると、まるで見計らったかのように男爵本人がさりげなく横に回り込んで二人に声をかける。
「おひさしぶりね。ジークフリード」
退路を断たれた....。
まるで兵を分けて包囲するかのような男爵夫人の立ち回りに、リリーナは思わず感心しそうになるところであった。もしこの動きが戦場であれば、間違いなく敵将の退路を塞ぐ精緻な布陣だ。ドレスのすそで戦場を封鎖するとは、ヴェストパーレ男爵夫人がもし男だったらさぞや立派な用兵家になっていただろう。
そして向き合うこの二人。
「……ヴァンフリート星域以来、ご無沙汰しております」
ラインハルトは硬い声音でそう言った。背筋は真っ直ぐだが、その視線はわずかに揺れており、リリーナを跨いで往復していた。
「こちらこそ。まさか帝都で再会するとは思っていませんでしたわ。随分とご活躍のようですわね」
リリーナは努めて冷静に返したが、その手の中で絹の扇が少しだけ湿っていた。戦場でこそ輝くラインハルトであるが、かといって夜会でその輝きが色褪せる訳でもない。
「ミューゼル大将はエスコートもできないのかしら?ジークフリードは私をエスコートしてくれるわよね?」
ヴェストパーレ男爵夫人がわざとらしい声色で口を挟んだ。ラインハルトが言葉に詰まったその瞬間、夫人はにっこりと微笑む。リリーナもまた、逃げるそぶりを封じられた形となり、軽く唇を引き結ぶ。
「……構いません。ご案内いたします」
差し出されたラインハルトのその指先はわずかに震えていた。
会場に入った後、リリーナとラインハルトはしばし言葉を交わし、形式的な挨拶を交わしたのち、すぐに自然な形で分かれた。どちらも相手よりも前に自分の内部に折り合いを付ける必要があったのかもしれない。
父や祖父の代からの付き合いがあるらしき数人の貴族に挨拶した後、リリーナは会場の隅で壁の花として過ごすことを選んだ。静かにグラスを手に、誰の話にも踏み込まず、誰にも踏み込ませず、ただパーティの熱気と音楽の渦の外に身を置く。
だがその姿は不思議と絵になっていた。
そこへ、ひらりと扇を鳴らして現れたのはヴェストパーレ男爵夫人だった。
「まあ、まるで妖精のよう。あそこの壁にかかってる絵なんかより、よっぽど素晴らしいわ」
夫人の声は涼やかだったが、その目は鋭かった。その目線の先にあるのは、絢爛たる舞踏会の喧騒にあってなお、どこか浮いて見えるリリーナの姿だった。
「──もっとも、貴女の性にはあまり合わないようではあるけど」
夫人がそう呟いた、その瞬間だった。
ボォォォォォオオオオオーーンッッ!!
空気が、一瞬で凍りついた。
ガシャンッ! バキンッ!!
耳の奥が詰まり、世界が一拍、無音に包まれる。だがそれは嵐の前の静けさだった。直後、腹の底に響くような重低音とともに、会場全体が揺れた。
中央のシャンデリアがわずかに軋み、天井の隅に吊られた装飾が軒並み音を立てて落ちてくる。そして舞踏会の入口へとつながる、二階まで届くガラス張りの大窓が、砕け散った。
火薬の匂いが、煙とともに舞い込み、美しく着飾った貴族たちが、悲鳴を上げながら倒れこむ。
「きゃあーーーーー!!」
咄嗟に床に伏せたことで大きな怪我はしていないリリーナと男爵夫人だったが、痛む体を持ち上げるとそこには地獄が広がっていた。
壁や瓦礫が通路のいたるところに転がり、所々その下敷きになっている人々が、断続的にうめき声を上げている。
割れた窓ガラスの破片が床に散乱し、扉は蝶番ごと吹き飛ばされ、壁にめり込んでいた。いたるところで火災が発生し、赤々と揺らめく炎が、絹のカーテンや壁に飾られた名画を容赦なく焼き尽くしていく。
「ブラウンシュバイク公!!!何処に!!!!」
「閣下、返事をしてください!!」
叫ぶ声は焦燥に満ち、煙の中で反響しながら虚空に吸い込まれていった。
リリーナは、ようやく上体を起こすと、咳をこらえながら辺りを見回した。
半壊したホールの奥、崩れたシャンデリアの破片の向こうに、かろうじて人の影が見えた。
どうやら、小型の爆弾によるテロらしい。
「どうして手荷物検査機器が導入されていないのよ。 ケホッ! 爆発物の検知くらい基本のはずだわ。 ゴホッ! これだから古臭いものが好きな連中は!!」
喉を焼かれたような痛みに、言葉の端々が掠れる。
喉をやられて碌に声がでないリリーナは怒り心頭であったが、幸いにして声量が0に近かったお陰で喉を痛めて咳き込んでいる哀れな令嬢という姿を守り通すことに成功していた。
男爵夫人の友人でこの館の警備を任されていたという三十過ぎの士官に連れ出されると、既に多くのパーティーの参加者が避難してきていた。
「許せん!!!」
そんな中で、黒焦げになった衣服をものともせず、ブラウンシュバイク公が立ち上がった。その目には、ブラウンシュバイク公が帝国貴族として生き抜いてきた根底にあるものが前面に出ており、凄まじい光が宿っていた。
「このような狼藉、断じて許せん!!犯人を必ず探し出せ!! 帝国貴族の威信にかけて、何としてもだ!!!」
吠える声が、焼け焦げた天井に轟いた。
「……なめられてたまるか……」
歯の隙間から洩れた声は、まるで呪詛のように低く、そして重かった。
「ブラウンシュバイクの名を汚した者、わしをこのような目に遭わせた者、そのすべてに帝国貴族の報いを思い知らせてくれようぞ……!」
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