帝国暦486年8月、メルゲントハイム伯爵領 首都惑星トワングステ side: リリーナ
リリーナの打ち出した積極的な改革には案の定、大小様々な反応が寄せられた。その多くは言いようのない嫌悪感や不信感と未来への不安といったもの、そして少数が建設的な意見と呼べるものだろうか。
「姫様、市井での情報調査によれば、やはり反発は避けられぬかと……」
緊張を隠しきれない家臣が、リリーナの前に進み出て、額の汗を拭いながら言葉を選んだ。
「改革は、もう少し時間をかけて進めた方が……よろしいのではないでしょうか」
リリーナは重く沈黙を保ったまま、机に並ぶ報告書に視線を落とす。外から吹き込む風が、薄紙の一枚をめくる。指先でそっとその紙を押さえながら、リリーナは静かに口を開いた。
「感情的になって意味不明な反発をするのは、理解する素地がないからよ。彼らは決して悪人ではないわ」
その声は、冷静でありながら芯に火を宿していた。
「だけど、そうした人々に強引に受け入れろと迫れば、反発を助長するだけ」
家臣はかすかに息を吐いた。肩の力を抜き、少し安心したように次の問いを発する。
「では……どうされますか?」
彼の声には、提案が通ったかもしれないという一縷の期待がにじんでいた。
しかし、その希望はすぐに砕かれる。
「政策を理解させるには、まず知識を身につけてもらう必要があるわ」
椅子から身を乗り出し、リリーナは鋭く言い放つ。リリーナの瞳は、すでに次の手を見据えていた。
「すなわち教育よ。知識が不足している政策分野ごとに分けて、再教育センターで再教育を受けてもらうことにしましょう!」
家臣の顔から血の気が引いていくのがわかった。彼はその場に立ち尽くし、かろうじてうなずいた。
「……早速、手配を」
リリーナはその様子も意に介さず、報告書の束を次々とめくっていく。中ほどに挟まれていた一枚に、ふと目が止まる。
“自由への渇望”
その言葉を目にした瞬間、リリーナの瞳が輝いた。立ち上がり、紙を手に高く掲げて、突然叫んだ。
「自由ですって!? なんと、自由を求めているというの!!」
部屋の空気が震えるようだった。控えていた侍女までが思わず息を呑む。
「なんて素晴らしいのかしら。ここ数年の技術進歩の成果が、ようやく形になって現れ始めたのね!」
リリーナは机の前を歩き始めた。天井を仰ぎ、まるで過去と未来を同時に見ているかのように語る。
「私も常々思っていたのよ――人間はもっと、自由であるべきだって」
リリーナの足元に、音もなく光が差し込む。遥か過去を思い返すように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「かつて、人類が地球という一つの惑星の大気に囚われていた時代、人類は本当に不自由だった。移動は脚を使って、たった数キロ先の村にすら困難を伴ったようだわ。でも――」
スクリーンに映し出された数々の発明をなめるように見ながらリリーナは独唱を続ける。
「文字の発明が、知識の蓄積が、少しずつ人類を自由にしていったのよ。車輪、鉄道、内燃機関、電気。熱力学、流体力学。そして叡智は人類を惑星全体に広げ、ついには宇宙へと解き放った。けれど、それでもなお、人類は光速という檻、第二の揺籠に囚われていたわ。そしてそれを打ち破ってから、すでに千年……」
リリーナの声は震えていた。激情と、確信と、少しの陶酔が混じった声だった。
「今こそ、第三の揺籠から抜け出し、真の意味での幼年期を終え、自由を手に入れる時なのよ」
リリーナは天を仰ぐ。
「それに、人類の日常にはまだ無意味な“不自由”が溢れているわ!たとえば、味覚と栄養摂取。味覚は古代には毒物を避けるために役立ったかもしれない。でも今ではただの娯楽よ。味覚と栄養は本来、完全に独立してコントロールされるべきなのに!」
指を振りながらリリーナはゆっくり歩く。
「人類はいまだに調味料という方法に縛られているわ。あるいは……食後に吐き出すという、下品なやり方に」
再び机に戻り、リリーナは一枚の紙を摘み上げる。その顔に、確かな決意が刻まれていた。
「だけど、いいことを聞いたわ。この自由への渇望……計画を前倒しすべきかもしれないわ。波動砲の基礎技術試験中に偶然生まれたあの砲の試験も、そろそろ始めなければね」
改革への反発云々とは別に、リリーナのもとには領外からも有象無象のお誘いが舞い込んでいた。内容は大抵、社交だの舞踏会だのといったきらびやかな表面を装いながら、裏では駆け引きの道具であることが透けて見える。
しかし、そうしたものに対してリリーナは実にシンプルだった。
「爆発に巻き込まれるのはごめんですわ」と一言。それで大抵の招待は断れてしまう。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、リリーナが一度出席した会合で例の爆発事件が起きて以来、リリーナの警戒はむしろ正当なものと認識されていた。ゆえに、社交的な誘いは案外簡単に処理できる。むしろ厄介なのは――
「婚約だか結婚だか、そういう話よ」
執務室の広い机に頬杖をつきながら、リリーナは呆れたように言った。
帝国国務尚書のリヒテンラーデ候からさえ、内々にそれらしき匂わせがあったと報告されたときには、さすがのリリーナも目を細めた。細かくその内容を聞いたリリーナはその内容に呆れるとともに
「一蹴しといて」
そう言い放っただけで、報告を携えてきた担当官はその場で目を白黒させ、ついには倒れ込んだという。
家臣の一部が婚姻案に乗り気なことも、また彼女を苛立たせた。
「いくらかのミューゼル大将が戦闘狂人だとしても、あれより有能な人間なんてそうそういないわ。どんな自信があってこんなものを送ってくるのかしらね。」
まあ、そもそも結婚も婚約もする気は一切ないけれど...
誰に聞かせるでもなく、リリーナはそう呟いた。窓の外には、夕陽に染まる高塔の影が伸びていた。
そのラインハルトはというとリリーナが自領へ戻り、日々の内政に忙殺されている間に、イゼルローン方面へ出撃していった。どうせ次の上級大将への昇進のために数十万の生贄を欲しているのだろう。
「知り合ったころからどことなく偉そうな奴だったけど……本当に偉くなりそうね」
リリーナは背もたれに体を預け、軽く笑った。だがその笑みに温かさはない。ただ遠い因縁を眺めるような目だった。かたや宇宙艦隊を率い、戦功を重ねる者。かたや危険人物の烙印を押され、宇宙艦隊を張り付けられている女。
「あの戦闘狂にこそ艦隊を張り付けておくべきだと思うのだけど……」
報告書を閉じる音が、広い執務室に乾いて響く。
もちろん、そうした戦乱は一面的には迷惑な話だ。しかし――
「地理的に近いイゼルローン方面からの金属資源供給は、メルゲントハイム領としてもありがたいのはそうなのよね」
メルゲントハイム領を掠めるように伸びるオーディンからイゼルローンへの航路にひしめく旧式艦の大艦隊を捉えた観測衛星からの映像をモニター越しに眺めながら、リリーナは次世代の艦艇について思いを巡らせていた。
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