帝国暦486年11月、メルゲントハイム伯爵領 首都惑星トワングステ side: リリーナ
「姫様、オラニエ子爵からです。」
「面倒くさいわね。食糧価格とかでしょう。検討中とでも言っておいて」
「それが、子爵ご本人がいらっしゃっておりまして」
面倒というほかない。最近では帝国各地からのこうした陳情までくるのだ。
プラントで安く製造した食糧や生活物資を売り捌き、その代価としてエネルギーや金属資源を回収するという貿易だが、こうして文句を言ってくるやつまでいるのだ。輸送船までこちらから出しているのに厚かましいことこの上ない。
もっともこれによって、農業人口を資源開発の労働力に流し込むことが可能になるので続けているのだが。一旦タダに近い価格で食糧を流し込んで、農業を潰しておけばこちらに食糧を依存するようになる。
そうすれば価格は後からこちらが弄れるので、何かと開発したい資源が多いところはその分値段を上げてバランスを取るのが、リリーナ流だった。
特に、最近では農業用地を買い上げることで農業を止めるのが意外に効率的であることが分かってきた。彼らも働き口を作ってあげれば案外その生活を手放してくれるのだ。中には、少しの手数料で土地の買取の仲介を行ってくれる業者までいるので意外に順調だった。
辺境惑星では土地にある土が作物の生育上、重要な資源になっているのでここもねらい目の一つだ。
以前は近隣の領地以外には輸出入停止の措置を取られることも多かったのだが、クロプシュトックでの一件以来、どうしてか許可を貰えることが増えたのだ。
今ではメルゲントハイムの旺盛なエネルギー需要を賄うために、多数の星系のガス惑星軌道上に反水素生成プラントが建てられている。小惑星帯には採掘用の工作艦が蠢き、氷衛星は丸ごと買い上げて巨大な計算機に作り替えている。
尤も、そうした輸送量の増加と交易網の広がりが海賊を増やしているのだが。その上、酷い時には現地勢力が海賊に加担することすらあるようだ。
今回来たのもそういう少し荒れがちな近隣の領地の子爵ということなので、この際少し押してあのあたりの航路防衛任務の拠点として使わせてもらうのがいいかもしれない。市場としても資源としても価値の低い惑星なので、人的資源の輸入以外に有意義な話などない。直ぐに帰ってもらおう。
帝国暦486年11月、メルゲントハイム伯爵領 褐色矮星リリーナBD-23 side: リリーナ
そんな中、リリーナはトワングステを離れて領内の施設に訪れる時間を確保できるようになってきていた。
そしてリリーナは目前に広がる巨大構造物を、言葉にしがたい感嘆の念とともに見つめていた。
暗く沈んだ宇宙空間の彼方。そこに浮かぶのは、褐色矮星リリーナBD-23を周回する唯一の惑星。その軌道上に、ついに計画の基礎となるフレームが完成しつつあったのだ。
その姿は、人工と自然の境界を曖昧にする、宇宙建築の極致といってよかった。クロプシュトック候領で爆破解体した衛星から得られた金属を用いた高密度合金のうち、実に半分以上がこのフレームに吸い込まれていた。
「これが基盤。ここからが始まりよ」
リリーナは、フレーム全体に走る構造体の幾何学的なパターンを見下ろしながら、静かに息を吐いた。
次なるステップは軽水素水爆の大量配置だった。
このフレーム構造は単なる外殻ではない。惑星全体を“内側から破壊と再構成”するための圧縮起爆プラットフォームなのだ。
フレームの内側、および惑星の外層にあたるヘリウム層の下に埋設されるのは、純度の高い軽水素ベースの水素爆弾。これは通常の重水素・三重水素を用いた熱核兵器とは異なり、高密度な磁気収束環境下で段階的な連鎖爆縮を誘導するよう設計されていた。
軽水素は単体では起爆に不向きとされていたが、リリーナはその性質を逆に利用した。
「順次起爆による段階的圧縮、外殻から内核へ向けた重層的な爆縮波の形成……」
それは、一種の惑星規模の超高圧炉を作るようなものだった。外層に設置された無数の爆縮セルが、計算通りの時差と方向で起爆され、惑星全体を包むようにして圧力の層を形成する。最終的には惑星コアに到達する爆縮波が、中心部に超高圧・高温の環境を作り出し、惑星そのものをブラックホールにまで押し込める。
「緻密な計算が必要ね……一つでも誤差が出れば、ただの自壊に終わるわ」
着実に進む準備にリリーナの心はいつも以上に高揚していた。
トワングステへの帰路、リリーナはある報告書に目を通していた。
それは、地球教本部壊滅時に発生した、ある異常事態の報告であった。砲撃によって地下区画が崩落し、直後に観測されたのは、濃密な薬物性ガスの大気中への大量放出。
サイオキシン麻薬と呼ばれるその薬物は水溶性であったため、数時間後に降った雨によって大半は洗い流された。しかし、検出された濃度とその拡散域の広がりから逆算するに、想像を遥かに上回る量が地球教の地下施設に備蓄されていたことになる。それは、たとえ本部で教団信者に常用させたとしても余りある量だった。おそらく生産拠点または流通拠点にでもなっていたのだろう。
調査報告書には、その物質が帝国内のいくつかの都市で流通していた形跡、さらにはフェザーン経由の輸送船に乗せられていた可能性についても言及されていた。しかし、それを読んだリリーナは、その内容の本質に意識を向けてはいなかった。
リリーナの目を釘付けにしたのは、報告書末尾に添えられたサイオキシン麻薬の化学構造式だった。
「これは……本当に強力な麻薬なのね?」
抑えきれない興奮を悟らせまいと努めながら、リリーナは問いかけた。それが肯定されると、リリーナは珍しく困惑の表情を浮かべた。
「そんなはずないわ。こんなものが、麻薬の常識から見て許されるはずがない。しかも、経口投与でも静脈注射でも作用する? あり得ないわ……いいえ、驕りね。これは、素晴らしいわ。」
報告書に記されたその薬物は、一見するとただの難解な有機化合物のように見えるが、その分子構造の異様さがすべてを物語っていた。
六員環と五員環が複数連なり、その外縁には規則的かつ冗長に並ぶ修飾基。枝分かれと環状構造を繰り返している。そして何より驚愕すべきは、その分子量である。その分子量は優に1000を超えていた。それに、それらをつなぐ結合は簡単に切れるものではない。つまり、その構造のまま有効に働くことを意味していた。
常識的に考えれば、これほどの高分子化合物は脳血管関門を通過できない。中枢神経系への影響を与えることは生物学的に不可能なはずだった。にもかかわらず、この物質は明確な精神作用、それも極めて強力なものを示していたのだ。
「……脳への道が、開かれたわ」
リリーナは静かに、しかし確信を込めて呟いた。
リリーナの脳裏にはすでに数十の仮説が浮かび上がっていた。これは単に薬物としての異常性ではない。分子サイズの限界を超えた薬物が中枢神経に到達しているという事実そのものが、既存の神経薬理学を覆す。
「おそらく、未知のトランスポーターか、あるいは従来知られていない選択的チャネルが存在するのね……」
呟くその声は、興奮を抑えているというよりも、それを味わっているようだった。
「今までいくつもの自白剤や精神調整薬が、その壁、血液脳関門を越えられずに廃案になった。分子量300を超えた時点で脳への到達は不確実となり、400を超えればまず通らない。それなのに、これは……この分子構造で、効いている」
指先が報告書の端を軽く弾いた。まるで楽譜をなぞるかのように。
脳へ薬剤を届ける手段は、鼻腔から嗅神経を通す経路に頼るしかなかった。実際、いくつかの極秘開発薬剤はこの経路を利用していたが、精度も再現性も低く、なにより対象者を選んだ。臨床応用には程遠い。
それに対して、サイオキシン麻薬は構造自体の生成が容易であることも素晴らしい。構造に冗長性と拡張性があることも含めて次世代の麻薬の基礎になるかもしれない。
「とりあえず研究のために、小型のプラントを作らせなさい。最初の実験にはこの間捕らえたテロリストどもを使えばいいわ」
淡々と発せられる命令。その背後には、目的のために手段を選ばない冷酷さがにじんでいた。
「姫様……乱用と拡散の恐れがありますが」
家臣の進言は、どこか空気を読むように控えめだった。それでもリリーナは目線を上げず、言葉を重ねた。
「だからこそ、アンタゴニストを同時に開発するのよ。受容体に特異的な拮抗薬。まずはこのサイオキシン麻薬の各成分がどの受容体系に作用しているのか解析させなさい。遮断薬の確立ができれば、制御可能な形での運用が視野に入るわ」
リリーナの目は輝きを放っていた。
「そう、その先にあるのはより多様で充実した化学的幸福の世界よ!!!食事や動画を用いて報酬系を活性化させるような面倒な手順を踏まずに、より直接的な刺激があればその娯楽の分の資源を発展に回すことができる。技術は時に技術の進歩を早める方向で加速度的に進歩することができるわ!!」
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そろそろ本編開始か…