帝国暦487年2月、自由惑星同盟 アスターテ星域 side:ラインハルト
「ふん、この状況をどう見る、キルヒアイス。」
指揮卓に肘をついたまま、ラインハルト・フォン・ミューゼルは艦橋の前方スクリーンを睨んだ。黄金の髪が光を受けて微かに輝いた。
スクリーンには、三つの群に分かれ、互いに距離を取りつつ集結を急いでいる敵艦隊の様子が示されている。
副官の赤毛の青年、ジークフリード・キルヒアイスは一歩進み出て、平静に答えた。
「敵の総数はこちらの二倍を超えています。しかし、敵艦隊は三軍に分裂していて、集結には時間がかかります。ラインハルト様が正面の敵を速やかに攻撃なされば、両軍の中央に位置して各個撃破が可能になりましょう。」
ラインハルトの唇がわずかに持ち上がる。
「流石だな、キルヒアイス。これを理解せぬ愚か者どもが、私に意見具申など申し込んでくるのだ。」
「無理もありません。」
キルヒアイスは穏やかに首を振った。
「出撃直前に、あの艦隊が引き抜かれております。ラインハルト様について良く知らない提督たちが不安を抱くのも当然でしょう」
「……中性子衝撃砲艦隊のことか。」
ラインハルトは嘲るように鼻を鳴らした。
「帝都の老いぼれどもはあの令嬢に震えあがっているのだ。もしくはあの艦隊を使わせるのを嫌がったのもあるだろうな。だがどちらにせよ無駄なことだ」
艦橋の空気が、わずかに冷えた。スクリーンのその先を見つめたまま、ラインハルトは息をつき、声を落とした。
「あの令嬢は、帝都にも、貴族どもにも興味はないだろうからな」
その声音は、冷笑の奥にかすかな哀惜を含んでいた。
「あれもまた、間違いなく帝国を変え得る存在だ。だが、その意思はない。……いや、意思という概念すら、あの令嬢には必要ないのかもな」
短い沈黙。ラインハルトは続けた。
「あれは帝国を変えるどころか、技術進歩のために必要なら帝国や叛徒どもまで利用する気だろう。進歩、秩序、理性、そうした名のもとに、あらゆるものをな」
青い瞳が静かに光を宿す。
ラインハルトはゆっくりと立ち上がり、キルヒアイスに向き合った。その姿は、若き征服者というより、世界の終焉を見届ける預言者のようであった。
「あれは、もはや暴風や地震と同じ自然災害のようなものだ。人を導くための光ではなく、ただ焼き尽くす炎。……それが、あの令嬢の正体だ。そうだろう、キルヒアイス。」
「……ラインハルト様。」
キルヒアイスの声には、ためらいと、わずかな憂いが滲んでいた。ラインハルトは微かに笑った。その笑みには冷ややかさと確信が同居していた。
「心配するな、キルヒアイス。さっきも言ったが、あれは自然現象のようなものだ。老いぼれどもと違って……俺はそれを使いこなしてやる。」
そして、若き上級大将とその副官は、再び戦略卓のホログラムへと視線を落とした。
無数の航路線が光り、敵味方の艦隊の進撃経路が浮かび上がる。
銀河帝国の歴史を変える第一歩、アスターテ会戦の幕が、静かに上がろうとしていた。
帝国暦487年2月、メルゲントハイム伯爵領 首都惑星トワングステ side: リリーナ
「あーもう、どうしてこうなるのよ!」
その叫びは、技術者というよりも一人の統治者の嘆きに近かった。
銀河の二大勢力がアスターテ星域で会戦しているころ、リリーナ・フォン・メルゲントハイムはもはや領地の外に目を向ける余裕を完全に失っていた。
リリーナの周囲に渦巻いていたのは、戦火ではなく、組織の混乱である。その原因は、リリーナ自身が推し進めた急速な内政政策、特にプロジェクトの乱立にほかならなかった。
リリーナ個人によって立ち上げられた大量のプロジェクト。大小無数のそれは数年も経たぬうちに歪みという名の影を孕み始めていた。
その歪みは、最初は誰の目にも見えぬほど微細であった。だが、組織というものは一度バランスを失うと、静かに、そして確実に腐食していく。やがて、歪は領内のあらゆる機関に伝播し、非効率性が静かに支配するようになった。
それは単に特定のプロジェクトの進捗がはかどらないという表層的な問題ではなく、領地そのものの構造に生じた“ねじれ”であった。
リリーナによって次々と新設されたプロジェクトや研究グループは、それぞれが独自の目的と理念を与えられ、自由にリソースの確保を進めていた。リリーナの発足させたプロジェクトはどれも有用な結果をもたらしうるものであり、個別に見れば実行されるだけの正当性があった。しかし現実には、互いが同等の権限を有するがゆえに、あらゆる分野で資源争奪戦が勃発していた。
鉱物資源、計算資源、人的資源、エネルギー資源、土地、施設、機器、輸送リソース、どれか一つが欠けても、プロジェクトは前に進まない。それらを確保するため、各プロジェクトは他プロジェクトを出し抜くことを考え、予算の過大申請や、酷いときには裏取引までもが発生するようになっていた。
領内にまだ数個のプロジェクトしか存在しなかった頃、調整は容易だった。リリーナの裁定がそのまま命令となり、リリーナの言葉は全ての技術者たちにとって“科学と政治の両面の真理”と見なされていた。小規模なコミュニティの中では、互いの顔が見え、個人的な関係や信頼によって多くの問題が解決していた。
だが、規模が拡大し、関与する人員が数万を超えたとき、その精緻な調和は音を立てて崩れた。
数十を超えるプロジェクトが、同時に限られた資源を奪い合うようになり、しかも誰もその全貌を把握できない。
報告と指令が行き交い、情報は渋滞し、意思決定は一歩遅れて現場に届く。その遅れがまた、さらなる混乱を呼ぶ。
しかも、供給不安が各部局の防衛本能を刺激した。余裕を確保するために、余計な資源を抱え込む。結果として、無駄な備蓄が各地に散在し、必要な場所に必要な資源が届かなくなるという逆転現象が生まれた。いかなる理想主義者も、組織の肥大化には勝てない。それが現実だった。
もっとも、リリーナは理想主義者というよりも楽観主義者に近いのかもしれない。支配ではなく管理が必要な領域をリリーナは雑に扱う気質があった。
リリーナ自身もまた、その原因の一部であった。本来ならば、指導者は方針を示すに留めて、現場に裁量を与えるべき立場である。
しかし、時にリリーナはそうしなかった。自身の理想と数値を、現場の端末で直接確認し、調整もなしに細部にまで指示を出すことを好んだ。時に、責任者を飛び越えて作業班に直接命令を下すこともあった。結果、現場の判断権限は曖昧となり、指示系統は混乱を極める。
耐えかねたプロジェクト責任者らの連名で出された報告によってこの事態とその深刻さを把握したリリーナはようやく重い腰をあげて調査を始める。調査を始めて三日、リリーナはようやく積み上げられた報告書の束を閉じた。そこには、歪んだ統治構造の全てが、数値として記されていた。
「……これは私が悪いか」
短い沈黙のあと、リリーナは呟いた。冷静で、そしてどこか自嘲めいた声だった。
「並行してプロジェクトを進めることのできる体制を作る必要があるわね」
リリーナがまず手をつけたのは、資源管理の一元化である。各プロジェクトからリソース管理部門を抽出し、それらを統合して資源管理委員会を新設した。
この委員会は、鉱物・エネルギー・人材・情報といった分野ごとに分科会を持ち、重要分野にはワーキンググループを置く。リリーナの設計は、精密な機械の歯車のように美しかった。
そして同時に、この機構はメルゲントハイム領の民間経済までも統制下に置くこととなる。自由競争は制限され、あらゆる資源が数字と報告書で管理される時代が始まった。
次に、リリーナは組織体系そのものを再編した。細分化されていたプロジェクト群を部門単位に再統合し、それぞれに部門長を任命、指揮命令系統を明確化した。
それは、混沌を統制するための再構築であり、同時に自由な発想を抑制しかねない官僚的管理体制の始まりでもあった。
リリーナは会議を終えると、背もたれに身を沈め疲れたように息をついた。
「ううっ……組織作りを任せられる存在があれば…………」
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内政ばかりで主人公が戦ってくれない……