帝国暦487年3月、メルゲントハイム伯爵領 side: リリーナ
リリーナが新造させた専用艦。それは全長四千メートルを超える巨大な艦だった。
ヴュルテンベルクと名付けられたこの艦は、リリーナの思考と権限を一体化させるために設計されたものであった。
リリーナの意向により、艦隊指揮所と執務室は直結し指揮系統は中央演算核に統合。外殻装甲は異様に分厚く、数重にも保険が掛けられた安全重視の設計であるが、武装もキチンと搭載されていた。
艦の内部には、無数の情報回線が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、行政・科学・軍務・民政、すべてのデータがこの船に集約される。この艦は単なる移動要塞ではなく、メルゲントハイム領全体を統べる中枢機構としての役割すら簡易的に担えるほどのものであった。
その艦奥深くにあるリリーナの執務室には、文字通り昼夜の区別がなかった。
巨大なスクリーンが壁一面に並び、報告書とデータ群が光の波となって流れていく。
照明は白色で、影を作らない。
人間が休むためではなく、思考を維持するための空間。それがリリーナの部屋だった。
「問題は山積みだけど、早急に対応する必要のあるものがいくつかあるわ」
リリーナはいくつかの民衆動向に関する報告書を一瞥し、唇をわずかに歪めた。
「一つ目は麻酔切れよ」
リリーナの声は、どこか自嘲めいていた。
「クロプシュトック領での勝利は、確かに領内の士気を上げたわ。でも、あれは一過性の熱狂にすぎない。興奮剤のようなものね。あの時の熱が冷めれば、残るのは倦怠と不満だけ。……だから麻酔切れの状態」
リリーナは手元のホログラムを指で払った。人口動態、犯罪発生率、労働生産性、幸福度指数。どのグラフも、この半年でゆるやかに下降線を描いていた。まだ危険地帯とは言えないが、不満分子の増加も確認されていた。
「最近は外部からの人口流入も増えているせいか、民衆の問題行動が増加傾向にあるようよ。サイオキシン麻薬をベースにした薬の実用化にはまだ時間がかかる以上、別の麻酔を探すしかないわね。
娯楽か、信仰か、あるいは……恐怖か興奮か」
リリーナは小さく息を吐き、背もたれに体を預けた。
やがて、リリーナは再び口を開いた。その声は冷たく、しかし妙に澄んでいた。
「ねえ、酷いと思わない? 私は領民を虐げたことなんて一度もない。衣食住は保障し、教育も医療も整えた。福祉にも心を配ってきた。一部で労働が過大になっている点は否めないけど、それ以上の利益を皆が得ているはずよ。」
「あの……姫様…」
ホログラムに映る民衆の表情は、無機的に整列したデータの一部だった。リリーナはその数値化された群衆を見つめながら、わずかに眉をひそめた。
「どうして不満分子が出るのかしら。自由を与えれば怠け、規制すれば反発する。そもそも彼らは、自由を持っても何も成し遂げなかった。それが少しの秩序で苦しいと泣くのだから、滑稽だわ」
リリーナは指先でデータを操作し、赤く点滅する社会秩序指数を拡大する。
「資源を与えたのだから成果を出すのは当然よ。それを怠けと言うなら、私は効率の神にでもなったつもりで裁かれるしかないわね」
机上のスクリーンが切り替わる。そこには膨大な個人データ、バイタル、行動、会話ログ、が並んでいる。リリーナはそれらを眺めながら、呟いた。
「だから、個人のバイタルから会話データまで統合して、最適な労働時間を決めさせたのだけど……何がいけなかったのかしらね。社会にとって一番いい方法を選んだと思うのだけど…」
執務室の空気がわずかに揺れる。
報告端末を持った秘書官が入室し、無言で新たなデータパッドを机に置いた。
リリーナは短く頷き、目を通す。
そして、声を落とした。
「二つ目の問題ね……経済的従属領地の混乱。」
彼女は指先で地図を拡大する。
メルゲントハイムを中心に、複数の周辺領地が経済圏として表示された。
「農業を潰して依存させたあとで、意味もなく搾取を続けていたケースが多すぎる。
管理が追いついていないから必要な資源と不要な搾取との間が適当だわ。この構造はもはや保たない。こっちも管理の再編が必要ね」
少しの沈黙のあと、リリーナは微かに笑った。
「……新型艦のお披露目を兼ねて、引き締めとガス抜きが必要ね。」
メルゲントハイム領最大の軍事基地、自由浮遊惑星トルン。
リリーナによってそのいくつかの衛星が完全に軍事化され、領内最大の艦艇ドック群と燃料貯蔵庫を抱える宇宙の要塞都市となっていた。
衛星表面には宇宙港と格納庫の出口が幾何学模様を形成し、夜も昼もない空に、数百隻の補給艦が絶えず出入りしている。
その軌道上に、いまリリーナは領内の戦闘艦の大部分を集結させていた。そして、その膨大な艦列を率いて、首都星トワングステへと進発させる。
目的は、観艦式。
リリーナは半年前、クロプシュトック戦役の勝利によって領民の間に生まれた興奮が、
ここにきて急速に冷めつつあるのをデータから読み取っていた。ここで再び麻酔を与える必要がある、そう判断したのである。
その陣容は、文字通り全戦力に等しい。輸送艦の護衛任務など最低限の防衛を残して、リリーナはほとんどの艦艇を観艦式へと参加させた。
中でも目を引くのは、直径十キロに達するシュタウフェン級小型球形要塞十基である。
いつものごとくリリーナの趣味によって開発されたこの要塞は、堅牢な防御力と高角ながら低威力の主砲ユニットと戦艦の主砲クラスの砲台を多数備えている。ただし、主砲ユニットに組み込まれた瞬間物質移送器のプロトタイプと組み合わせることで、遠距離の敵に電子と陽電子のシャワーを浴びせるという機構を備えており、リリーナはこれを対消滅直撃砲として運用することを目指していた。
さらに、それらに続くのは全長三千メートルを超える新型戦艦プロシア級五十隻。
この新型艦は、リリーナによって打ち出された防御重視の設計を体現した艦であり、中性子衝撃砲の直撃にも数発まで耐えられるほどの堅牢さを誇る。ただし、この時点では半分の艦には主要兵装がまだ搭載されておらず、艦体の多くは未完成のままであった。
主力艦隊は、旧式のブランデンブルク級戦艦六百隻を中核とし、その周囲を駆逐艦群が取り囲む。さらに、後方には遠征用の大型輸送艦団と補給艦隊が続き、全体としてひとつの巨大な生物のようにトワングステへ向かって進んでいた。
その艦列の総延長は、惑星の直径を軽く超える規模だった。光が艦体をかすめるたび、反射した輝きが連鎖し、まるで銀河の一筋が人為によって再構成されたように見えた。
トワングステの軌道上には、観艦式を一目見ようと民間船が溢れていた。
リリーナが許可を出したため、旅客船、報道艇、貴族の遊覧艇まで、あらゆる種類の船が安全限界ぎりぎりまで押し寄せ、管理局の通信は悲鳴を上げていた。
街中のスクリーンとホログラムには、光り輝く艦隊の映像が同時中継される。大気圏上層をかすめる艦影が、夜の空を一瞬だけ昼のように照らす。その光が街のビル群に反射し、まるで都市そのものが艦列の延長線上に組み込まれたようであった。
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