帝国暦487年4月、太陽系地球軌道 side: リリーナ
カストロプでの後始末を終えたリリーナは、艦隊をメルゲントハイムへと帰還する命令を下した。
あの惑星規模の惨劇さえ、リリーナの中ではひとつの片づいた案件であり、淡々とした気分だった。むしろ久しぶりに気持ちが軽く、頭の中の霞が晴れたようにすら感じていた。
しかしその澄んだ感覚は、一件の報告によって静かに曇らされることとなる。
それは、補給に立ち寄った太陽系でのことだった。
報告内容は実に些細だった。
地球での小規模な破壊行為。
宇宙から観測すれば、それは局地的な暴徒化であり、どんなに深刻でも地球に残っていた地球教徒の残党が騒いだ程度のものだ。
通常なら、この手の案件はリリーナに上がるはずがない。すでに大気中に放射性物質が大量にバラまかれており、地上での破壊活動など全くもってどうでもよい話だからだ。
封じ込め可能、深刻性なし、という分類タグが付くべき報告だった。
だが地球という固有名詞だけがリリーナの頭に重くのしかかった。
「困ったわね……いずれ生きていけなくなるのと、それまでに足掻いて争うのは両立するのね」
彼らは宇宙には出られない。技術的にも、資源的にも。だからこそ、軌道からの監視で十分対処可能だった。放置していても、彼らの勢力圏は広がらない。リリーナの安全保障上の脅威となることもない。
……それでも。
リリーナにとって、地球だけは例外だった。
「地球.... なんで地球をこれ以上荒そうとするのかしら?」
リリーナの声はため息ではなく、静かな覚悟の混じった響きを帯びていた。
リリーナは地球を愛していた。文明の起源と軌跡を知れば知るほど、その重みは増していくものだ。地球教なる宗教の信徒たちが地球を崇拝の対象にしているとしても、彼らの曖昧な信仰よりも、遥かに深く、冷徹で、科学的な意味で自分の方が地球を愛していると、リリーナは確信していた。
古代の合理主義が芽吹いたミレトスやアレキサンドリア、当時禁断のエネルギーに手を出して国家と技術の蜜月時代を幻出したロスアラモスやノヴァヤゼムリャ。
どれも、詳しい歴史書ですら数行しか扱われない場所だ。
だがリリーナにとっては、文明の試行錯誤が刻まれた遺産であり、嘗ての人類の守るべき痕跡だった。
「全艦隊を地球軌道上に集結させなさい。これより地表全域に対して、高速中性子線の照射を実施するわ」
その言葉は、艦橋にいた全員の思考を一瞬止めた。それは、中性子衝撃砲による地表の大規模な破壊というリリーナの先ほどまでの言葉と逆を意味していたからだ。
しかし、リリーナの真意はそこにはない。
「中性子を加速した後、衝撃波を形成せずに直接打ち出すのよ。ショックを形成しないから、単なる中性子線照射ってことになるわね。これなら建造物にも地表にもほとんど影響はないわ。でも、不埒者だけは確実に処分できる」
リリーナが求めているのは透明で、精密で、残酷な静寂。
「対流圏にまで降下して、全艦で同時照射するわ。人間という生物的ノイズを地上から一掃する」
まるで、それが当たり前の環境整備であるかのような口調だった。
「誰もいなくなった地球は、ようやく保全に移れるの」
リリーナはスクリーンに映る青い惑星を見つめる。
その視線は憎悪ではなく、むしろ深い憐みと執着に近かった。
もう一度うなずくと、リリーナはゆっくりと艦隊を配置につかせたのだった。
帝国暦487年4月、 ヴァルハラ星系 帝国首都星オーディン side: ブラウンシュバイク公オットー
リリーナがカストロプで行った制圧は、帝都オーディンに深い衝撃を与えた。有人惑星への小惑星衝突、しかも、居住可能性そのものを損なう規模。
銀河帝国の長い歴史を振り返っても、これほどの殲滅作戦は例がない。その苛烈さは帝国軍の分析すら追いつかず、もはや軍事作戦ではなく災害として扱うべきだという声まで出るほどだった。
貴族社会は震えあがった。リリーナという少女の異常性、いや加害性を、誰もが改めて突きつけられたのだ。リリーナは単純な感情や怒りでは動いたのではない。 冷徹に惑星すら落とす。その予測不能さは、むしろ狂気より恐ろしい。
帝都のとある屋敷。そこで、怒声が響いた。
「お前たち、怖気づくな!我ら帝国貴族は、こういう時こそ皇帝陛下をお支えし、あのような暴虐の徒を除かねばならんのだ!」
声の主はブラウンシュバイク公。
酒精で赤らんだ頬が、怒気によりさらに濃く染まっていた。彼はテーブルを拳で叩き、フォークやグラスが高く跳ねる。
だが周囲の者たちは顔を見合わせるだけで、強く頷く者はいない。
恐れが、全員の腹の底に沈んでいた。
「だ、だが……」
若い伯爵が震え声で口を開いた。
「あれが小惑星を我らの領地に向けてこないと言えるのか?いや、あろうことか帝都に……!」
貴族たちの背筋を冷たい汗が伝う。
リリーナの一切躊躇しない行動は、もはや噂の域を超え、 誰もが次の標的は自分かもしれないと疑い始めていた。
しかし、限界点を超えた恐怖は貴族たちをして強硬手段に訴えることを決断させる。許容限界を超えた恐怖は帝国貴族間での派閥争いを止めた。反目しあっていた諸侯らは互いに手を取るようになる。
今止めなければ、帝国はリリーナによって飲み込まれかねない。
互いに憎悪しあっていた諸侯でさえ、もはや相手を敵視する余裕はなかった。
家門の存続、自らの生命、そして帝国という仕組みそのものを守るため、 彼らは手を取り合わざるを得なかった。
静かな部屋に、低く押し殺した声が落ちる。
「……フェザーンの狐どもも動いた」
囁くような声だったが、その含意は重かった。場にいた全員がわずかに顔を上げる。
別の侯爵が、周囲を気にしながら声を潜める。
「奴らも悟ったのだろう。宿主が滅べば、彼らが吸血することもできんとな。いけ好かない連中だが……ないよりはましだ」
あちこちから、同意とも嫌悪ともつかぬ唸り声が漏れた。フェザーンに対する不信と憎悪が混じっているが、 恐怖の前ではそんな感情すら無意味だった。
ブラウンシュバイク公が、テーブルを掌で押して立ち上がる。 怒気と焦燥が入り混じった赤い顔で、鼻息も荒い。
「利用すればよいだけよ!フェザーン商人の小細工は、所詮は銭勘定にすぎん。あれを討つまでは、どれほどでも協力するだろう」
その言葉の裏には、強がりだけでなく、フェザーンも恐怖しているという事実があった。
「やつらの言う通り、帝都におびき寄せてやらねばなるまい。警戒される前にな」
ブラウンシュバイク公の声が低く落ちた瞬間、空気がひんやり凝固したように感じられた。そこにいた誰もが、その言葉の意味を理解していた。
血気盛んな青年貴族らもいつものお得意の”帝国貴族としての誇り”を保つ余裕すらすでになかった。
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