帝国暦487年4月、メルゲントハイム伯爵領 side: リリーナ
粗方の懸念を解消したリリーナは、地球の殺菌作業を信頼できる分艦隊に委任すると、メルゲントハイムに帰還した。
ようやく本来の予定であった シュタウフェン級小型要塞の実証試験へと意識を戻した。観艦式とそこからのカストロプ反乱に急遽狩りだしたが、本来であればこの時期には終わっていたはずの試験だった。
とはいえ、実戦で既にデータがとれているものを試験するというのは本筋からみればおかしな流れにみえる。
しかし、リリーナにとって、この小型要塞の主目的は戦闘ではない。
もちろん、初期の設計では小型要塞として建造されており、その耐久力は折り紙付きだ。ビーム減衰材や多重反応装甲による外殻防御性能、主砲以外にも装着された多数の砲塔による格闘性能、近距離での戦術的機動性こそ艦艇には及ばないもののワープ技術を詰め込んだエンジンは戦略的機動性を十分に確保していた。
ただそれでも、本来の要塞砲撃、波動砲プロトタイプによる破壊力の極致としての主砲、は波動砲の開発の困難さから早期に断念し、新しく載せた主砲をリリーナは別の目的に転用していた。
最低限の補給と整備だけで済ませると、シュタウフェン級のうち不具合のない5基を連れてリリーナは首都星トワングステの軌道を離れた。
目的地は、メルゲントハイム領宙域のさらに直上。天頂方向に広がる、小規模な航行不能宙域だった。
その中心には、白色矮星と赤色巨星の近接連星が存在している。
赤色巨星のロッシュローブから溢れ出た大量のガスが白色矮星に流れ込み、常に凶暴な新星風が吹き荒れる。極めて高エネルギーな荷電粒子の暴風は周囲一帯の安定航行を不可能にし、絡み合った電磁場が複雑にプラズマと絡まり合う。
周期的に起こる新星爆発は近くを航行する艦艇に損傷を与え、いくつかの星系を事実上の居住不能にしている根本原因だった。
人類が管理するには余りに高エネルギーだが、宇宙では余りに有り触れた現象。これらの集合体が人類を閉じ込めるゆりかごを形成している。
しかし、リリーナはこれに挑戦することを選んだ。
「接近しすぎると危険です」
画面には、質量放射、荷電粒子流、磁場乱流が複雑に絡み合っている様子が示される。
ワープアウトした地点から航行不能宙域の辺縁部へと進入したリリーナらの艦隊だが、流石にこれ以上深部へ踏み込むのは危険すぎた。
「十分よ。ここでいいわ!全艦、全機関停止!!姿勢制御後にスラスター類も全て停止!」
「重力ノイズ低減シークエンス開始。艦体固定……相対位置、修正完了」
無機質な音声とともにエンジンが沈黙し、要塞群が宇宙空間にただ浮かぶ砲身と化す。
艦隊の各艦も慣性航行へ移行し、時空振動ノイズを極限まで抑え込む。対消滅直撃砲の射撃精度を確保するには、これが絶対条件だった。
「炉内圧上昇! 対生成不安定領域突入まで……あと500!」
要塞内部では、反応炉が臨界点へ向けて静かにエネルギー注入を続ける。
淡々とした作業でありながら、失敗すれば艦そのものが霧散しかねない工程だった。
「瞬間物質転送器、電力分離。主回路から完全に隔離」
「バックアップバッテリー群、稼働率92%。自立系統、確立」
カストロプ事件で露呈した致命的欠陥――
反応炉と瞬間物質転送器の電気的干渉が座標演算を狂わせる。
その失敗を繰り返さないため、要塞はこの瞬間だけ“自分自身から切り離された存在”になる。
「座標演算、第一段階……開始」
艦橋の照明が一段階落ち込み、投影マップが闇に浮かぶ。
「座標準備――目標、前方PSR-VX-03 境界宙域。距離修正、8万5000光秒」
「主反応炉、内圧上昇。発射シーケンス第一段階に入ります!」
「座標準備、完了。目標前方PSR-VX-03 境界宙域、距離誤差……許容範囲内」
「観測衛星全機、異常無し!!」
ここからが、本当に危険な領域だった。
「周辺天体による微小重力波補正計算、開始!」
新星風の乱流が座標を狂わせ、白色矮星の重力異常が照準を歪め、赤色巨星の過去の磁場変動が砲身の向きをわずかに揺らす。
それをリアルタイムで補正し続けなければならない。全てシステムに組み込まれているとはいえ、最終的に成功するかどうかは本質的には最後にしか分からない。
艦隊指揮所の空気がきしむほど緊張が走る。
「対消滅直撃砲、発射シーケンス第二段階完了!」
報告が艦橋に響き、空気が一気に張り詰めた。
視界の先、点にしか見えない白色矮星と赤色巨星とそこから延びる光輪は、まるでこちらを飲み込もうとする巨大な生物のようだ。その中心を満たすのは、新星風が織り成す高密度プラズマの荒野。そこへ向かってリリーナの要塞群は、いままさに撃ち抜く準備を整えていた。
「目的座標確認!!」
システムは既に発射以外の選択肢を持たない状態へと遷移していた。
「主反応炉、炉圧上昇。各要塞、順次加圧装置による圧力制御に移行!」
低く沈む重低音が艦隊全体を震わせ、反応炉の圧力は、ついに臨界を超えた暴走状態に入る。
「反応炉圧、規定値到達!」
「並列共振器、同調完了!」
「全要塞、主砲管内の真空維持率……100%!」
「エネルギー伝導回路――完全安定!」
全てのシステムが正常に動作していることが指揮所のスクリーンに表示される。
わずかな沈黙ののち、指揮官席に立つリリーナの瞳が光の反射で揺れた。
「対消滅直撃砲――発射まで、カウント開始。」
「10……9……8……」
要塞から青白いエネルギーが奔り、物理法則をエネルギーがノックする。
「……3、2、1」
「全要塞――対消滅直撃砲――発射ッ!!」
瞬間物質転送装置によって虚空に巨大な穴が開けられ、そこを通って電子と陽電子が逆方向の螺旋を描きながら放たれる。
転送範囲から漏れた電磁放射と荷電粒子が絡まり合い、この世の終わりと見まがうような奇妙な世界が形成される。
だが、これは現象の本体ではない。光が発生するより速く、重力波のゆらぎが艦体を撫で、真空そのものが裂けるような黒い閃光が遥か前方へと伸びていた。
「前方、PSR-VX-03 境界宙域――着弾確認。高エネルギーバブル、急速に膨張を開始!」
指揮所に走る報告と同時に、リリーナの眼前に広がるホログラムが激しく色を変えた。
超光速観測機器が捉えた電磁場分布と荷電粒子密度が、立体投影上に鮮烈な光の群れとして描写され続ける。
航行不能宙域を満たしていた相対論的荷電粒子の濁流と巨大な電磁乱流が、
電子・陽電子対の爆発的反応で形成されたエネルギーバブルに押し広げられ、
まるで幕が裂けるように空間がクリアになっていく。
それはほんのわずかな領域にすぎなかった。
だが長らく人類を閉じ込めてきた宇宙の嵐に初めて穿たれた、確かな突破口だった。
「エネルギースペクトル、航行可能宙域と同等。電磁場に異常値なし。空間跳躍の安定性、問題なし」
報告を聞き終え、リリーナの唇にわずかな笑みが浮かぶ。
「……ここまでは完璧ね。素晴らしいわ。これこそ人類の未来そのものよ。
かつて人類がアフリカから地球全体へ、地球から恒星間へと広がったように、その次の段階が今、確かに開かれたの」
リリーナの声は静かだったが、艦橋全体を震わせる力があった。
「そして、新しく到達・開拓した星系は、銀河帝国法に則ればメルゲントハイムの領土となる。これで他の貴族家の資源を求めて外交なんてしなくていい!!」
わずかな間を置き、鋼のように冷たい声へと変わる。
「ただし、問題は残っているわ。
一度の掃討で確保できる範囲が狭すぎる。
光速の壁を超えたとはいえ……
この調子では一光年四方の浄化に一万年以上かかる」
「大型化と本格的な大増産が必要ね。それに、一度クリアにしても新星風が再び満たすのは時間の問題。要塞を常時貼り付けるか――あるいは、根本的な破壊力を手に入れるしかないわ」