帝国暦487年5月、メルゲントハイム伯爵領 自由浮遊惑星トルン side: リリーナ
航行不能宙域から航行可能宙域に変換する宙域環境再構築実験の成功によってリリーナは歓喜に打ち震えたが、そうしている時間は長くはなかった。
「祝賀会は控えるわ」
リリーナはすぐに端末を操作する。
「前に進んだ時にこそ戦果を拡大できるの」
リリーナは即座に第二段階へ移行した。
小型要塞の量産計画。
資源採掘艦隊のさらなる建造。
対消滅直撃砲の増産と射程延伸研究。
少数の対消滅直撃砲では、変換可能な通常宙域は最大でも直径十
だけど……
「最初としてはこれで十分よ」
リリーナは星図を睨みながら言った。
一点を撃ち抜き、局所的に荷電粒子流と磁場乱流を中和する。
そこに穴が空く。その空間に跳躍して、跳躍先で再び砲撃。
また穴が開く。それを繰り返す。
飛び石。点と点。極細の、かろうじて存在する道。
「この航路をつなげていけば他の通常空間まで到達できるはずだわ」
通常宙域の縫い合わせ。
安定度は低いので、定期的なメンテナンスが必要なうえ、跳躍での誤差は致命的で、 一瞬でも座標がずれれば艦隊は崩壊する。
それでも可能になったことは大きかった。
リリーナはその細い道を三方向へ伸ばした。
そのうち二つは銀河のディスク上下に向かって伸びた。
「航行不能宙域の原因が恒星天体なら、いずれは通常空間に出るはずよ。銀河から飛び出るアクセスポイントを開拓するのよ!」
銀河系から脱出する。ディスク外の低密度空間に到達すれば、宙域変換のコストは劇的に下がるはずだった。
だが、それは副目標。
とりあえずの主目標は自由惑星同盟側。リリーナは星図を拡大する。
「本命はこちらよ」
同盟との間には、既存の回廊以外は航行不能宙域が広がっている。それが両勢力の自然の防壁だった。
だが今、その壁に微細な亀裂が入った。
「既存の回廊に依存しない侵入経路が沢山あれば、あえて国家が二つもある意味はないわ」
これは戦略の概念を変える。イゼルローン要塞が意味を失い、回廊を押さえるという発想自体が陳腐になる。
同盟は広大な宙域全体を監視しなければならなくなる。
銀河の秩序が、わずかに歪み始めていた。
しかし、リリーナはその秩序が歪んだことを帝国同盟の両者に気が付かせる前に全てを終える予定を立てていた。
リリーナが目を付けたのは帝国法における所有者なき星系の扱いだった。
「発見し、航路を開き、開拓し、そこで帝国法を施行した者は、その星系を封土として与えられる」
それは大帝ルドルフ以来の原則である。
宇宙全域に比べればはるかに小さいが、帝国はあまりに広大だ。中央はすべてを直接統治することなどとてもできない。ゆえに初期の外縁の拡張は、帝国貴族に委ねられてきた。
もっとも、近年では航行可能宙域の大部分が貴族の封土か帝国直轄領になっているため、この原則が新たに当てはめられることはめったにない。それに、拡張するだけの気力を失っており、辺境に成長を見出すものは少なかった。
だが、重要なのは、条文の但し書きだった。
「帝国の領土内にない賊徒の拠点を討滅し、帝国法を施行した場合、当該領域は征服者の管理下に置かれ、開拓したときと同様に封土として与えられる」
ここでいう“賊徒”には、宇宙海賊だけでなく、皇帝の統治を否定する反乱勢力が含まれる。
すなわち。自由惑星同盟。帝国の公式見解では、彼らは“叛徒”であり"反乱軍"。国家ですらない。
「つまり、理屈の上では」
リリーナは星図を見つめながら呟く。
「開拓航行中に偶然叛徒の艦隊と遭遇し、その星系を占領した場合――」
それは開拓と同様の扱いになる。そして初期統治権は、征服者に帰属する。
「それが例えば、ハイネセンだとしましょうか」
ホログラムに表示される。
人口十億。高度な工業基盤。造船能力。情報通信網。教育水準の高い市民層。だが帝国法上は、一度も帝国の正式封土となったことはない。
「つまり、帝国の法的空白地帯」
再征服後、帝国法を施行すれば――
「封土扱い」
当然、帝国の版図には組み込まれ、内政の裁量は征服者たるリリーナに委ねられるはずだ。
税率の設定。労働配分。都市再編。資源の転用。
「好きにやっていいはずだわ」
冷静な声。そして最も冷酷な解釈。
「一番お得なのはね。原住民は法的には反逆者になるのよ」
叛徒領域の住民は、帝国法の保護対象ではない。宇宙海賊の拠点を制圧した場合と同様に扱える。
処刑も、強制労働も、移住も。理屈の上では、すべて合法。だがリリーナの思考は、激情ではなく計算に支配されている。
「市民が増えすぎても管理できないわね」
リリーナは淡々と呟いた。
ハイネセンの人口統計が表示される。十億の人口。消費される大量の資源に管理のための大量の人員。
「多すぎるのよ」
人口は資源であると同時に、統治コストでもある。同盟市民は討論と選挙に慣れている。決議と合意形成に時間を使う文化。盲目に従わせようとすれば無用な反発を招く。
「意思決定の遅い労働力は、戦時経済には向かないわ。何回か徹底的に恐怖を染み込ませるとかして脅さないと使えないと考えた方がいいわね」
リリーナに今、最も不足しているもの。それは超大型建造計画を統括できる高級官僚、資源配分を最適化できる統計官そして技術研究を指揮できる実務責任者。
要するにリリーナが欲しいのは頭脳だ。そして、占領してくるリリーナにこうした頭脳になりうる人材が簡単に従うとは思えなかった。
「権利意識に溢れた市民をそのまま抱えるのは効率が悪いわ。人口は必要なだけでいいのよ」
余剰人口は先に撃ち減らしておくか、辺境移民船団へ再配置。危険宙域開拓。軍需産業への編入。
「反抗的なら隔離区域で労働してもらうだけよ。まあ、そんなことをすれば同盟軍は当然出てくるでしょうね」
有人星系に大規模な攻撃を加えれば、それなりの艦隊がくるかもしれない。
それでも開拓を始めからやるより遥かに楽だろう。
未開惑星は、まず基盤整備から始めなければならない。
それは大気の改良からはじまり、気温の調節。水循環構築。生態系調整。
産業基盤の整理から統治機構の設立まで、どれだけかかるかは分からない。
一方で、元が有人惑星ならば、最悪艦砲で焼き払ってもゼロからとはならない。
「帝国側のような柵もないのもいいわね」
門閥貴族の既得権益。帝国官僚機構との終わりなき折衝。同盟にはそれがない。
「いらない星は壊してもいいのも利点ね」
防衛に不利な外縁星系は破壊。補給に向かない拠点は廃棄。余計な人口は掃討。
帝国本土では政治問題になる行為も、叛徒領域では鎮圧という名目でなんでもすることが可能だ。
技術実証のために作った余剰艦隊の使い所としてもちょうどいい。
「それに実戦ほど優秀な研究施設はないわ」
優れた兵器と軍事技術の進展には、理論だけではなく、現場での運用も必要であることをリリーナは理解し始めていた。
「技術進歩には実戦が最高の伴侶なのよ」
リリーナは椅子に深くもたれかかった。
そんな夢想に向けて着々と計画を進めるリリーナ。そこに衝撃的なニュースが飛び込んできたのだった。
イゼルローン要塞陥落
自由惑星同盟軍によって要塞のコントロールを奪われ、要塞司令官シュトックハウゼン大将及び駐留艦隊司令官ゼークト大将も討死。
その報はリリーナを激怒させた。
「どういうこと?!ただ要塞を守っていればいいだけなのに!?イゼルローン回廊の高純度ルテニウム結晶はどうするのよ!!反応炉の材料の調達にも影響が出たらどうしてくれるのよ!!!」
これまでは、イゼルローン要塞周辺を帝国軍が抑えていたこともあり、カプチェランカをはじめとする周囲の鉱物資源が細々ながら供給されていた。それが、イゼルローンが落ちたとなれば、回廊入り口までが戦闘の恐れのある危険宙域となってしまう。
リリーナは帝国軍にそこまでの恨みも好意も無かったが、今回の件ではいつも小うるさいミュッケンベルガー元帥に文句の一つも言いたくなるほどだった。
ともあれ、起こってしまったことはしょうがない。どちらにしろ適当な航路を作って同盟領をもらっておけば同じことだ。
皆さんの感想、楽しみにしております。
帝国暦487年に何話かかるか分かりませんが、どうぞお付き合いください。