帝国暦487年6月、自由惑星同盟 首都星ハイネセン side: 最高評議会
軍部から提出された帝国への出兵案は、その質と量において間違いなく空前のものだった。
同盟軍の艦隊戦力のほとんどをイゼルローン回廊の向こう側へ送り込み、帝国を徹底的に叩く。
成功すれば戦果は計り知れない。しかし敗れれば、国家そのものが立ち直れないほどの損害を受けることもまた明らかだった。
それゆえに、最高評議会の議場は普段とは比べものにならない緊張に包まれていた。円形会議卓の周囲では評議員たちが身を乗り出し、書類の束が音を立てて机に叩きつけられ、いつもなら慎重に言葉を選ぶ者たちでさえ、互いの声を遮るように発言し、空気は熱気と焦燥で濁っていた。
「このままイゼルローンを守ったところで、ジリ貧になるだけだ。いくらイゼルローンが難攻不落とはいえ、技術開発格差は埋めがたいものになる。今こそ積極的な軍事行動が必要なのだ!!」
副議長が身を乗り出し、拳で机を叩きながら叫ぶ。彼の額には汗が滲み、声は怒鳴り声に近かった。その剣幕に何人かの評議員が顔をしかめるが、同時に頷く者も少なくない。
その向かい側で、財務委員長レベロがゆっくりと立ち上がった。怒声とは対照的に、彼の声は低く落ち着いていたが、その言葉には疲労と焦燥が混じっている。
「しかし、これ以上の将兵の損耗は国家経済の存亡に関わる。現に技術で遅れをとっているのがその証拠なのだ。帝国がそれを作ったならこちらでも作れば良いのではないか?徒に攻勢を仕掛けたとて技術格差がなんとかなるものでもない。技術開発は戦場での英雄的な活躍のようにはいかん。しっかりと忍耐強く開発チームに資源を注ぎ込まねばならないのだ。そして、そのための予算も、人員を軍が持っていきすぎている。優秀な人材が軍に偏っているから技術も進歩しないのだ」
副議長が机に身を乗り出す。
「それができれば苦労はしない!!帝国でも極秘のものをそう易々と再現できるわけではない。だからこそ、その開発拠点を叩くのが先決なのだ。これは長期の国家大戦略ではなく、現実的な危機の話をしているのだ!!」
「しかし、それを叩いたとて帝国とはようやく五分五分になるだけではないのかね」
人的資源委員長が静かに口を開いた。白髪の多い頭を軽く振りながら、重い口調で続ける。
「人的資源委員長として言わせてもらうと、経済はともかく人材の問題はもはやどうにもならないところまで来ている。ガタガタになった社会構造で帝国と戦争を続けることなど不可能だとは思わんのかね」
この言葉に議場の空気が一瞬だけ沈む。だがすぐに別の評議員が立ち上がった。
「そういう話ではありません。これは純軍事的問題である以前に民主共和政による専制への正義の戦争なのです。これをやめるということは社会構造の前に国家が成立しえません。どれほど犠牲をはらっても成すべきことがあります」
別の席から乾いた声が上がる。
「では新型砲と騒いでいるが、それが出てきたのはヴァンフリートの一件のみではないか?それも戦場伝説の類との話もある。軍は新型砲と騒ぎ立てることでアスターテの敗戦の責を取りたくないと見える。イゼルローン攻略ですら出てこなかったではないか?イゼルローンを手中にした今こそ、内政に注力すべき時ではないか?第一、どこにあるのかわからぬ開発拠点を叩けるのなら、帝都オーディンすら叩けるわ!!」
スクリーンに資料が映され、メルゲントハイム伯領が赤く示される。
「新型砲については、情報部が実際の砲をフェザーン経由で確認しております。そして開発拠点ならわかっております。メルゲントハイムです。フェザーンからの情報によれば、帝国は年少の伯爵を隠れ蓑にメルゲントハイム領を一大開発拠点に仕立て上げているのです。我々の調査でも、周囲の星系に尋常ではない量の各種物資が蓄えられ、領民をかき集めていることが明らかになっている。単なる一伯爵領の動きではありません。これは帝国軍の国家規模の軍需計画だと見て間違いないでしょう。さらに、それらの艦隊を反乱鎮圧にも用いているとの情報もあります。一気に実戦投入して我々の対処を間に合わないようにと考えているのでしょう。」
この言葉に、議場の空気が変わった。何人もの評議員が互いに顔を見合わせる。
「メルゲントハイムといえば……イゼルローン回廊からオーディンへの航路上に位置するはずだ」
一人の評議員が、半ば自分に言い聞かせるように口を開いた。
「だが、だからといって、そこで戦って勝てるのか?帝国軍も馬鹿ではない。イゼルローンを失陥した今、帝国にとってイゼルローン回廊からオーディンへの道は生命線だ。その近傍にある重要拠点の防御には、これまで以上に拘ってくるはずだ。それを正面から抜くというのか?こちらの主力を送り込んだところで、帝国の迎撃艦隊と要塞群に叩き潰されるだけではないのか」
その言葉に数名が腕を組む。
「別に全て破壊する必要はどこにも無いのだ。帝国の領土を一つ残らず焼き払えなどと言っているのではない。目標ははっきりしている。建造ドックや開発拠点の集中する数個の星系を叩けばそれで十分だ。あの領域の軍需生産と研究を止められれば、それだけで戦略的効果は絶大になる。そして、そこでの研究内容を回収すれば一気にこちらが有利になることも考えられる」
机の上の星図を指で叩く。
「しかも航路の見当はついている。中心星系へ至る航路については、フェザーン経由ですでにかなりの精度で把握しているのだ。回廊さえ突破すれば、我々が思っているより深く帝国領に踏み込める可能性がある」
「今やらねばならんのだ。五年後、十年後、帝国があの開発拠点を完全に稼働させたとき、我々がそれに対抗できる保証がどこにある?その頃には同盟軍の艦隊が、技術的にも戦力的にも完全に時代遅れになっているかもしれんのだぞ」
しばし沈黙が落ちる。
そして彼は、最後にゆっくりと言った。
「今ならまだ叩ける。今ならまだ、帝国に追いつく余地がある。だが、これを逃せば――五年後、十年後、同盟軍が存在することすら怪しいのだ」
その後も白熱した議論が評議会を揺らした。だが、最終的に議論の流れを決めたのは、恐怖だった。
ヴァンフリート星系での兵器の実物をフェザーン経由で確認した同盟は、それが大量生産されてくるのを恐れていた。もし帝国がさらに強力な兵器を完成させたらどうなるのか。
もしメルゲントハイムの開発拠点が完成したとき、同盟はそれに耐えられるのか。
こうして、自由惑星同盟最高評議会は軍の提出した作戦案を正式に採択し、ここに帝国領侵攻作戦が決定されたのである。
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