帝国暦487年9月、イゼルローン回廊 side: 自由惑星同盟帝国領侵攻艦隊
リリーナによる同盟領侵攻を受け、同盟軍はボロディン中将率いる第12艦隊を即座に本国へ帰還させる決断を下した。後方の安全を確保するとともに、突如として同盟領に現れた未知の勢力への対処を行うためである。
この段階で、同盟はイゼルローン回廊の制圧を終えた段階であり、艦隊配置の変更は致命的ではなかった。なぜかいくつかの星系に辺境とは思えないほどの大量の物資が置かれていたこともあり、第12艦隊と国内に残った艦隊がリリーナを駆逐できれば侵攻の継続は可能な状態だった。
特に同盟軍の情報統制による不意打ちの効果は大きく、帝国軍の迎撃は遅れている。
そして、リリーナによる苛烈で異常とも言える攻撃は、結果として帝国の技術力の危険性を改めて同盟首脳部に認識させることとなり、帝国領侵攻作戦の必要性を補強してしまっていたのである。
そのため、ロボス元帥に与えられる命令は中途半端であった。
撤退準備を進めつつ、可能であれば長躯してメルゲントハイム領中枢を叩く。辛うじて縮小して作戦を続行するが、帝国軍が本格的にメルゲントハイム領に進出していれば即座に撤退を完了させる。後は高度な柔軟性をもって臨機応変に対応する。それが当面の方針になったが、それはもはや方針と呼べるものではなかった。
イゼルローン回廊を制圧して展開しつつあった同盟軍は、この時点で回廊出口付近に位置するアムリッツァ星系が、その新たな要となっていた。ここを扇の要として、戦線は左右へと広がる形で配置される。
前線から一歩後退した位置に、アップルトン中将の第8艦隊とアル・サレム中将の第9艦隊が展開した。両艦隊の任務は占領地の統治と、帝国領深くまで伸びたあまりに長い補給線の維持である。遠征軍にとって最も脆弱な部分である輸送船団の護衛を担い、同時に後方宙域の警備と秩序維持にも当たることになった。
帝国領深くまで侵攻した同盟軍の五個艦隊は、それぞれの役割に従って展開していた。
左翼にはビュコック中将率いる第5艦隊、右翼にはホーウッド中将の第7艦隊が配置され、帝国軍が側面や後背へ回り込むことを防ぐ盾となっている。両艦隊は広く散開しながら進軍し、帝国軍の機動を牽制しつつ、必要とあらば迎撃できる位置を保っていた。
中央ではルフェーブル中将の第3艦隊とウランフ中将の第10艦隊が主力を形成し、帝都オーディン方面へ向けて進撃を続けていた。彼らの任務は帝国軍主力を引き付け、その戦力を中央に拘束することである。
そして、その背後で独自の任務を帯びていたのが、ヤン・ウェンリー中将率いる第13艦隊だった。
第13艦隊は他の艦隊が帝国軍を引き付けている間に進軍し、国の技術中枢と目されるメルゲントハイム伯領中心部へ侵入することを目的としていた。目標は技術工廠、造船所、そして新兵器の研究が行われているとされる実験施設群である。
それらを破壊できれば、帝国軍の軍備拡張は大きく遅れる。この遠征作戦の核心は、まさにそこにあった。
そのため、目標を諦めきれない同盟軍は両翼の第5艦隊と第7艦隊から順に撤退を開始し、残りの艦隊が帝国軍の位置を探りつつ作戦の継続を目指していた。
しかし、それらの艦隊も第12艦隊の壊滅を受けて即座に反転することになるのだった。
帝国暦487年9月、メルゲントハイム伯爵領 首都惑星トワングステ side: ラインハルト
ラインハルトは急行したトワングステで補給を進めつつ、諸提督を集めていた。
巨大な戦術ホールの中央には、イゼルローン回廊から帝都オーディン方面にかけての星図が浮かび上がっている。光点がゆっくりと動き、同盟軍の予想進撃路と帝国軍の展開位置が示されていた。
「ようやくだな」
ラインハルトは腕を組んだまま言った。
「勝利条件は簡単だ。オーディンへ向かう航路を塞ぎ、通らせなければよい」
その言葉に、提督たちは静かにうなずいた。手持ちの戦力は即応可能だった艦隊だけだったが、時間が経てば大戦力を準備できるのは帝国軍、時間は帝国に味方していた。
さらに私設艦隊を動員している貴族家が多く、それらはラインハルトがメルゲントハイムにとどまったのを確認したことでメルゲントハイムへの攻撃という目的を失う。そして、同盟軍の攻撃に晒されかねない自身や親類の領地の防衛に向かうことになる。
「ミッタマイヤー、ロイエンタール。卿らは左右に展開して、浸透してくる敵艦隊を足止めせよ。無理に撃滅する必要はない。敵の進路を乱し、速度を奪え」
「「はっ」」
ラインハルトは星図の左右を指でなぞり、いくつかの主要星系を示した。
そこはメルゲントハイム伯領から交易路が放射状に伸びる宙域であり、後方からの補給が容易な位置にあった。同盟軍が帝国領深くへ進出しようとすれば、必然的にそれらの交易路に直角に沿って進まざるを得ない。帝国軍にとっては、素早く任意の星系に艦隊を集結させ進撃することのできる、格好の迎撃線であった。
「ルッツ、ワーレン」
呼ばれた二人が姿勢を正す。
「卿らはさらに左右深くの星系へ進軍し、敵後背の補給線を襲え。輸送艦でも補給基地でも構わん。警備に艦隊を張り付かせるよう仕向け、敵の脚を奪え」
「「はっ」」
視線を後方の星系へ移す。同盟軍の長く伸びた予想進軍路。その背後には、膨大な輸送船団と補給拠点が連なっているはずだった。
一拠点でも襲撃を受ければ、それらすべてに護衛部隊を張り付ける必要が出てくる。必然的に進めば進むほど、同盟軍は兵力を吸われていくことになる。
「メックリンガー、ケンプ。卿らはこのトワングステにとどまり、補給を維持せよ」
メックリンガーとケンプは一礼して応える。
ラインハルトの指先が、メルゲントハイム伯領の中枢星系を軽く叩いた。
トワングステは、メルゲントハイム領内でも最大の人口を抱える星系であり、造船施設と兵站基地が集中する要衝だった。リリーナがかき集めた膨大な物資がここに保管され、それを裏付ける強大な工業力が存在する。そして多数の補給艦の母港でもあり、艦隊の兵站を支える中枢でもあった。
純粋な軍港機能だけを見れば、数光年離れた自由浮遊惑星トルンの方が規模は大きい。巨大なドック群と艦隊泊地を備え、戦闘艦の整備と出撃には理想的な拠点だった。
しかし民生物資の補給まで含めて考えれば、トワングステの持つ力はそれをはるかに凌駕していた。人口と工業、そして流通の中心がそこに集まっている以上、長期戦において艦隊を支える根幹はトワングステにあると言ってよい。
「キルヒアイス、ビッテンフェルト!卿らは私とともに敵正面軍を迎え撃つ」
ラインハルトは星図から視線を上げ、ゆっくりと提督たちを見渡した。
「敵は勢いに乗っているが、その実補給は貧弱だ。略奪した物資で多少は持つとはいえ、時間が経てば勝手に撤退を始めるだろう。」
ラインハルトの戦略は、同盟軍を帝国領の奥深くに浸透させないことにあった。左右から進路を圧迫し、後背では補給線を脅かす。そうして進撃の勢いを削ぎ、足を止めさせる。
遠征軍である以上、補給を欠けば軍は自然と衰弱していく。
一度その勢いが鈍れば、あとは崩れるまで早い。
その瞬間を、ラインハルトは狙っていた。
しかし、同盟軍が撤退したのはラインハルトの想像よりはるかに早かった。まだ本格的な艦隊戦すら起きていない。
双方の哨戒艦隊が接触し、おおよその位置が掴まれ始めた段階。いよいよ帝国軍の両翼の艦隊がトワングステから出撃しようかというその時だった。
ラインハルトが全面撤退を知るころには同盟の主力艦隊は数百光年の彼方に去っていた。
それはダゴン星系でリリーナの艦隊によって第12艦隊が壊滅し、前後から挟み撃ちになることを恐れたロボス元帥が下した英断であったが、帝国領に帰りたいだけのリリーナと同盟軍が本格的に接触するきっかけを与えてしまっていた。
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