帝国暦487年10月、メルゲントハイム伯爵領 首都惑星トワングステ side: リリーナ
そうして各種装備の説明に移ろうと再び応接室に戻ると、
「リリーナ!!!!」
突然の大声に、室内の視線が一斉に入口へ向く。
そこに立っていたのはリリーナの母、ヘレーネだった。リリーナをそのまま大人にしたような雰囲気だが、その姿勢は貴族らしく気品があった。
「なんですかその姿勢は!それに、スカートを……はしたないですよ!!」
ヘレーネはつかつかと歩み寄りながら続ける。
「あなたが反乱軍との戦闘に巻き込まれてようやく帰ってくると聞いていたので、ずっと待っていたのですよ……来ないと思ったら、私を置いてどういうつもりなのかしら!」
リリーナが何か言おうとした瞬間、ヘレーネは周囲を見回した。
「ローエングラム閣下、申し訳ありませんが少しリリーナをお借りしますね」
「あっ、ああ」
有無を言わせず、リリーナの腕を取る。そのままヘレーネはリリーナを別室へと連れていった。
扉が閉まる。
ヘレーネは一度、深く息をついた。
「リリーナ」
声はさきほどよりも、ずっと穏やかだった。
リリーナの前に歩み寄ると、無造作にたくし上げていたスカートをきちんと下ろし、乱れていたドレスの襟元をそっと整える。
そして、リリーナには意外なことに、リリーナにかけられた言葉は批難ではなかった。
「あなたには苦労をかけました。お父様が亡くなってからというもの、メルゲントハイムが無事でいられたのは、ほとんど貴女の力でしょう」
ヘレーネはリリーナの髪を軽く撫でる。
「貴女自ら反乱軍と戦い、武門としての意地をよく見せてくれました。あの戦いを見て、臣下や領民も、貴女を伯爵として認めたのでしょう」
さらに続けた。
「領民に向けて、反乱軍や謀反人との戦いでの勝利を宣伝したのも良い判断でした。恐怖でも誇りでも、領民をまとめるものは必要ですから」
ヘレーネはそこで言葉を切る。少しだけ、リリーナの顔を見つめた。
「でも貴女は女なのですから、もう戦いに行く必要はないのですよ」
ドレスの袖を整えながら、ゆっくりと言う。その声は、母のものだった。
「貴女はよくやりました。もう十分です。戦争や政治は、夫たるローエングラム閣下にお任せしてよろしいのです。伯爵としての責務は、すでに果たしています。これからは、家を残すことを考えなさい。貴女は幸せになる資格があるのよ」
小さく微笑む。
リリーナは黙っていた。母の言葉を聞きながら、どこか苦い顔をしている。
視線は床へ落ちたまま、しばらく動かない。その表情には、反発とも、諦めともつかないものが浮かんでいた。
それを見て、ヘレーネは少し言葉を選んだ。ヘレーネは、彼女がこの結婚をあまり快く思っていないのだと考えたらしい。
「リリーナ」
諭すような声になる。
「確かに、ローエングラム閣下の元の家であるミューゼル家は代々の名門というわけではありません。でも、あの方は武勲によって元帥にまでなられた方です。功績によって地位を勝ち取り、陛下からローエングラムの名を継ぐことを許されたのです。功績を上げたのがルドルフ大帝の御世でないからと言って、名誉ある地位でないことにはなりません」
少し身を乗り出して続ける。
「決して、元の家門が卑しいからといって軽く見てはいけません。そもそも、以前宮内省から婚約の打診が来た時に断るというのも、あまり良いことではありませんでした。あの頃はまだあの方も帝国騎士でしたけれど……でも今は伯爵、それも今をときめく元帥なのですよ。メルゲントハイム家は代々武門の家柄。良い婿を迎えられたと、きっとお父様も喜んでおられますわ」
ヘレーネはさらに続ける。
「確かにブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯は当代の権勢家です。しかし、その一門と結婚すれば、権勢に押されて領地を乗っ取られ、収奪されることもあり得るのです。その点、ローエングラム伯はもともと領地をお持ちではない。メルゲントハイムがどこかの領地に従属するということはありません。きっと、このメルゲントハイムを自分の領地として立派に統治なさいますわ。」
リリーナは言葉が出ない。
「その点、納得はせずとも縁談を受けるというのは良い判断でした。しかし、これからは夫を愛し、家を守って行かなければなりません。幸いなことにローエングラム閣下は器量もよく、人格面も優れています。きっと良い夫婦になれるはずですよ。」
そして、ふと思い出したように言った。
「それにしても」
ヘレーネはリリーナをまじまじと見つめる。
「貴女はこういうことが得意ではないかと思っていたのですが……よくローエングラム閣下の目に留まりましたね。そういえば、マグダレーナからの手紙で、ローエングラム閣下にエスコートされていたと聞きましたが……」
首をかしげる。
「あなたの賢さを評価されたのかもしれませんね。あの方も寒門の出、元帥府にも下級貴族や平民から提督を集められたというのですから……。あなたの少し風変わりな艦や技術を評価された、ということでしょうか」
そこで一度言葉を切る。
「もっとも、そういう技術の発展というのは理解できないものではありません。だからといって、好き勝手に領地をもてあそんではいけません。聞くところによると、怪しい施設ばかり建てているとか」
軽くため息をつく。
「領内の惑星を丸ごと削って地下に研究施設を作ったとか、衛星軌道に巨大な構造物を浮かべているとか……果ては惑星を破壊したという話も聞いてます。領民の中には、伯爵家が何をしているのか分からず不安に思っている者もいるそうですよ」
リリーナの顔を見ながら続ける。
「確かに宇宙艦隊は重要です。帝国が広大な領域を保っていられるのも、結局は艦隊の力によるところが大きいのですから。ですが、それと同じくらい重要なのが権威なのです」
声が少しだけ厳しくなる。
「帝国貴族とは、ただ武力で領民を支配する者ではありません。権威をもって領民を導く者です。ルドルフ大帝の御世から続いてきた帝国の秩序というものは、力だけで成り立っているわけではないのですよ。宮殿があり、儀礼があり、貴族としての振る舞いがある。領民がそれを見て、ああ、この家は我らの上に立つ家なのだと納得する。それが帝国という国の仕組みなのです」
柔らかく微笑む。
「貴女がやりたいのなら、芸術家でも技術者でも、好きにやればいいのよ。でも、貴女は伯爵家を継いでいるのです。領民に見せられないような姿を見せてはいけません。領主というものは、領民が見ている前で弱みを見せてはいけないのですよ」
少しだけ目を細める。
「たとえ本当は研究室に閉じこもって、変わった機械をいじっていたいのだとしても」
リリーナは何も言えなかった。これだから閉じ込めたままにしたかったのだ。
そして、本来なら知られていないはずのことまで、ヘレーネは知っている。制限していたはずの手紙のやり取りもしているようで、おそらく警備に付いていた者の誰かが便宜を図ったのだろう。
「それはそうと……」
ヘレーネはふと何かを思い出したように言った。
「どうして貴女は戦艦の案内などしているのかしら……念のために聞きますけれど、きちんと儀礼は済ませたのでしょうね」
リリーナは一瞬きょとんとした。
「……儀礼?」
ヘレーネは小さくため息をつく。
「誓いの口づけですよ。結婚は単なる条約ではありません。男女が結ばれる儀式でもあるのです」
リリーナはわずかに目を泳がせる。あえて目を背けてきたが、たとえイケメンだろうと、野郎とキスをするのは流石に避けたかった。
「お、お母様……ローエングラム伯とは、まだ、その……」
言葉が続かない。ヘレーネはそこでぴたりと言葉を遮った。
「まあ、夫になる相手にローエングラム伯などと呼ぶものではありません。きちんとラインハルト様、とお呼びなさい」
少し呆れたように言う。リリーナは小さく口をつぐむ。
ヘレーネはさらに続けた。
「きちんと貴女の魅力で夫を繋ぎとめるのも、女の仕事ですよ。確かにローエングラム閣下は軍務一筋の方でしょう。女漁りをするような方ではないでしょうけれど……」
そこで少し声を落とす。
「だからといって、妻たるものがそれに甘えていてはいけません。放っておけば、心は離れるものです。夫婦というものは、互いの努力があってこそ保たれるものなのですよ」
リリーナは何も言えなかった。そもそも、この場で母に逆らうのは難しい。
リリーナの側近、とりわけ内向きの用務で身の回りを固めている者たちは、ほとんどが父の代から仕えている家臣たちだ。彼らにとってヘレーネは、前伯爵の夫人であり、いまもなお家中の重鎮である。
たとえリリーナの命令であっても、母に対して強く出ることなど出来るはずがない。特に、家内のことについてはリリーナの権力は想像より大きくない。
しかも厄介なことに、ヘレーネの言っていることはある意味では間違っていない。だからこそ、反論のしようもない。
ヘレーネを閉じ込めていた名目の妹たちの世話というのも厳しくなってきていた上に、直接の舌戦となればリリーナに勝ち目はなかった。
ヘレーネはリリーナにとって最も厄介な…………まさに天敵だった。
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