帝国暦487年10月、帝国領メルゲントハイム領外縁部 side: ラインハルト
リリーナが出立してからしばらく後、ラインハルトもまたオーディンへ向けて進発していた。その途上で届いたのが、皇帝崩御の報である。
「心臓発作だとっ!!あの男にはもったいない死だ」
吐き捨てるような声だった。
ラインハルトは皇帝が自然死でその生涯を全うしたことに怒りを覚えていた。
青い瞳には、怒りとも虚無ともつかぬ光が宿っている。姉を奪われた憎しみは、ついに向かう先を失ったのだ。
その沈黙を破ったのは、オーベルシュタインだった。
「閣下、皇帝は後継者を定めぬまま死にました。皇帝の三人の孫をめぐって、帝位継承の抗争が起きることは明らかです。」
その口調に、敬意の色はない。諸将の間にわずかなざわめきが走るが、オーベルシュタインは一切意に介さなかった。
「候補は三名。男子はエルウィン・ヨーゼフ一人ですが、幼少かつ有力な後ろ盾を欠いております。残るはブラウンシュバイク家とリッテンハイム家の娘。いずれも、女帝を立て、自らが摂政として国政を握らんとしております」
ラインハルトは静かに聞いていた。
「……つまり、いずれも道具というわけか」
「はい。幸いにもその三名はいずれも、メルゲントハイム伯のように制御不能な存在ではありません」
皮肉とも事実の列挙ともつかぬ言葉だった。
「なるほど……私には選択肢がない、と言いたいのだな」
間を置かず、オーベルシュタインは続ける。
「その通りです。ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家はいずれ遠からず、メルゲントハイム伯によって滅ぼされるでしょう」
諸将の表情が変わる。
ラインハルトはわずかに眉を動かしただけだった。
「何を驚く」
オーベルシュタインは静かな声で言う。
「メルゲントハイムの経済は、資源の継続的な確保を前提としております。貴族どもが経済的支配から離脱しようとするなら、武力でそれを取り戻すのは当然の帰結でしょう。叛徒領域よりも容易に切り取れる相手があるなら、そちらを選ぶ理由もまた明白です」
その分析は、冷徹なまでに合理的だった。
オーベルシュタインは小さく頷く。
「……あれが大貴族どもを飲み込む前に、なんとしても首輪をつける必要がある、ということだな」
ラインハルトが先に言葉を継いだ。
「左様です」
ラインハルトは苛立たしげに吐き捨てる。
「この俺が、そんなことをしなくてはならんのか。門閥貴族どものように、餌をぶら下げ、鎖でつなぎ、使える間だけ飼う……そういう真似を、俺自身がやれというのか」
「ラインハルト様………」
その声音には嫌悪があった。単なる策への反発ではない。自らが憎んできたものに、自らの手を似せねばならぬことへの怒りだった。自分がゴールデンバウム朝の権力者と何ら変わらないものに変質していくことへの恐怖がそこにはあった。
なにしろ、ラインハルトはリリーナに未だ大したものを提供できていない。
それでいて、リリーナは軍事力を提供し、さらには自身と姉の健康までも預ける相手になりつつある。
釣り合っていない……ラインハルト自身すらそう感じずにはいられなかった。
対価も払わぬまま、ただ受け取り続ける。それは果たして、収奪と何が違うのかとラインハルトは自問する。
「閣下には、人民の守護者としての義務がおありです。これから先、あれを制御できることが支配の根拠になるでしょう」
諸将の前であっても、オーベルシュタインの口調は変わらない。
「覇者が常に正道のみを選びうると考えるのは、為政の実相を知らぬ者の幻想です。むしろ、正道のみでは守れぬものがあると知りつつ、なお責任を負うのが支配者というものでしょう」
ラインハルトは黙っている。
オーベルシュタインは続けた。
「部下たるものもまた、閣下が常に潔癖ではいられぬことを承知しております。問題は手段の美醜ではなく、その手段が誰のために用いられるかです。門閥貴族は己の家のために人を縛りました。閣下がなさるのは、帝国を統一し、宇宙から無益な流血を減らすために危険な存在を制御下に置くことです。同じ拘束でも、目的が違えば意味もまた違う」
「詭弁だな」
「政治とは、しばしば詭弁の中から最も害の少ないものを選ぶ技術です」
ラインハルトの口元が、わずかに歪む。怒りとも苦笑ともつかぬ表情だった。
「では聞こう。あの女に、どう首輪をかける」
オーベルシュタインの義眼が冷たく光る。
「第一に、メルゲントハイム伯にとって帝国がなお利用価値のある存在であると示すことです」
「利用価値、か」
「はい。メルゲントハイム伯は忠誠や格式では動きません。動くのは、利益と可能性です。従って、帝国に属していることが伯にとって損ではなく、むしろ有益であると理解させる必要があります。独立して勝手に振る舞うより、帝国の中枢に接続した方が、技術・資源・権限のいずれにおいても得るものが大きい、と」
「だから官職か」
「左様です。帝国における技術開発を担うこととし、それなりの予算を充てればよろしいかと」
ラインハルトは腕を組み直した。もっとも、それをしなければリリーナとの条件すら守れそうにはない。
「技術に関する自由裁量と巨大な予算、そのための統治機関。あれが欲しているのは結局のところそれだろうからな。しかし、それだけで十分とは限らない」
「承知しております」
オーベルシュタインは間を置かずに応じる。
「ゆえに、別種の鎖が必要になるでしょう。暴走を抑えるブレーキ、つまり閣下が不在となるメルゲントハイム領の実務を統括する存在が必要です。反発すること自体を面倒と感じるような存在がよろしいかと」
ラインハルトは小さく鼻を鳴らした。
「そんな都合のいい存在がいれば苦労はしない」
「ミュッケンベルガーが適任でしょう」
オーベルシュタインが、かつて折り合いの良くなかった元上司の名を挙げたのは、私怨によるものではない。ミュッケンベルガー元帥が母方を通じてリリーナの母ヘレーネと縁戚関係にあること、そしてリリーナがその種の存在を完全に無視しきれる性質ではないことを、冷静に見極めた上での人選だった。
特に、気骨と一定の事務処理能力を備えた人材であれば、不要と見なして排除することも、言いくるめて黙らせることも難しい。そのためリリーナは、多少の不便を受け入れつつ、他の技術開発に注力するだろう…それがオーベルシュタインの分析だった。
「縁戚関係がある以上、幼い伯に代わって実務を担うという体裁であれば、領内の反発も最小限に抑えられるでしょう」
ラインハルトはすぐには答えなかった。
ミュッケンベルガー元帥、軍歴四十年。帝国軍人としてはほとんど欠点のない経歴を持ち、現在もなお宇宙艦隊司令長官の地位にある男である。新体制の成立に伴って退任することになったとしても、その後の進路として、一伯爵領の内政実務を担うような役割を素直に受け入れるとは考えにくい。
伯爵家の次男という出自も家令のような立場に収まることを、進んで選ぶとは思えない理由だった。
やがて、ラインハルトは低く言った。
「……俺が頭を下げてでも、引き受けさせる必要があるということか」
その言葉には、わずかな苛立ちと、それでもなお合理を否定しきれない諦観が混じっていた。
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