留年生ビワハヤヒデ   作:daidains

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勘違いものです。オリトレ視点。


スカウト!【トレーナー視点】

春、それは桜咲く季節。

ここトレセン学園にも新たな出会いの季節が訪れようとしていた。

 

「――ぜんっぜんスカウトできねえ!」

 

しかし一部を除いては。

 

グラウンド脇のベンチで頭を抱えるのは、新人トレーナーのオカベ。

今年、晴れてサブから昇格し、自分の担当ウマ娘を持つことが許されたばかりの若手である。

資料も揃えた。育成計画も作った。受け答えの練習まで鏡の前で繰り返した。準備は完璧だった――はず、だった。

なのに現実は、こうである。

 

「えっ……実績ない人は……ちょっと無理です」

「すみません、もう決まってるんで」

「……知らない間に話しかけられててびっくりしました」

 

今日だけで三連敗。目も合わせてもらえなかった候補生すらいる。

資料のリストを開けば、付箋が貼られ、印がつけられ、色分けされていた育成候補生たちの名前のほとんどに、もう赤い×が引かれている。

希望を込めたペンで書き込んだメモも、今ではただの無力な落書きに見えた。

 

「……ヤバいな……このままだと、誰にも担当されないまま、あの“予備枠”に回される……」

 

予備枠。それは、育成対象が割り振られなかった者が仮に与えられる、後方支援業務。大会での荷物持ちや選手待機所の誘導係もそこに含まれる。

 

「またサブみたいな扱いに逆戻りだよ……!」

 

頭を抱えたそのとき、背後から影が差した。

 

「落ち込んでるじゃん、新人くん。出鼻、挫かれた?」

 

声の主は、先輩トレーナー・フジサワだった。

肩口で軽く結んだ髪に、スカートでもパンツでもない中性的なジャケットスタイル。動きやすさ重視のラフな服装は、他の女性トレーナーたちとはどこか雰囲気が違って見える。

男勝りな口ぶりながら、声は落ち着いたアルトで柔らかく、近くで見るとメイクもほんのり控えめに整っている。見た目こそカジュアルだが、その言動の端々に“頼れる姉御感”がある。

 

「ぜんっぜんダメでした。もう、全滅です。みんな決まってるか、俺じゃ無理って言われるか……」

「うーん、それは……まあ、ありがちだよね。スカウト戦は先手必勝ってとこあるし。推薦枠でガッチリ囲まれてる子も多いしさ」

 

そう言って、フジサワは片手でジャケットのポケットを探ると、缶コーヒーを二本取り出してひょいと片方を差し出した。爪は短く整えられていて、指先にだけ薄く艶のあるトップコートが光っている。

 

「……微糖っすか」

「文句言わない。今はとにかく糖分摂って落ち着け。あんた今カフェインと糖分、どっちも不足してる顔してるよ」

 

缶を開けるプシュッという音が、少し乾いた春の空気にまぎれた。

気まずい沈黙――ではない、むしろ妙に落ち着いた静けさ。グラウンド沿いに咲き誇る桜の花びらが、ひらひらと舞って、二人の足元をかすめていった。

 

「でもさ」

 

フジサワが缶をひと口あおってから、ぽつりと言った。

 

「ひとりだけ、空いてる子がいるよ」

「……え?」

「誰にもスカウトされてない。“まだ”っていうより、“ずーっと”されてないってほうが正しいかも」

「そんな子、いるんですか……?」

「うん。ひとりだけね。――ビワハヤヒデって名前、聞いたことある?」

 

オカベの手が、止まった。

その名前。確かに、資料のどこかで見た記憶がある。けれど、具体的な内容は何も思い出せない。写真もなかった。数値もほとんど空欄。判断する内容が無いからスルーしていた。

ただ、「要特例扱い」と端っこに書かれていたのが妙に気になって、ページの角を折った気がする。

 

「……どんな子なんですか?」

「中等部に入った年の春。いきなり話題かっさらってってさ」

 

フジサワは、指で缶のふちを軽く叩きながら続ける。

 

「全国統一マーク模試。学年ごとに分かれてるの、知ってるでしょ?」

「ああ、はい。ウマ娘も一応、学力基準を見るためにってやつですね」

「そう。それでね――そのとき、あの子は中等部一年生だったのに、なぜか“高校三年生向け”の模試に申し込んでたのよ」

「えっ、それって……間違いですか? それとも挑戦……?」

「さあ。未だに謎。でも、もっとすごいのはその後よ。結果――満点」

「……っ、ま、満点って……全科目ですか?」

「そう。現代文も、数学も、英語も。化学、生物、政経、世界史、倫理。全問正解。ケタ違いよ」

 

オカベは思わず缶を持ち直した。うっすらと手のひらに汗が滲んでいる。

 

「本当なんですか、それ……? どう考えてもおかしいっていうか……」

「本当。本当に、本当に、やっちゃったの。模試の運営もびっくりして、すぐ調査入ったよ。“不正じゃないか”って。でもさ――筆跡、試験監督の証言、監視記録、全部クリア。代理受験もなし、カンペもなし。完全にシロ」

「……!」

「でさ。最終的に、“不正が確認できない以上実力と認めるしかない”ってことになったの。そっからもう、あの子は伝説扱いだよ」

 

フジサワは、空を見上げて鼻で笑った。

 

「教員の間じゃ、“測定不能”ってレッテル貼られてる。定期試験? 無意味だって、ずっと免除されてるよ」

「いやいやいや……意味がわからない……」

「でしょ。でも、そうなっちゃったんだよね。学園長まで“不要ッ!! 評価とは未完成な者に必要な行為だ!!!”って言い切ったから。もはや学園公認の“別枠”ってわけ」

 

オカベは、頭を抱えたくなるのを堪えた。制度も秩序も吹き飛んでいる。桁違いの存在がそこにいるというのは分かった。でも、それがなぜ今――?

 

「でも、今まで担当がいなかったってことは……」

「うん、それも不思議なんだけどね」

 

フジサワはくいっと首をかしげて、空の缶を指でころころ転がした。

 

「“育成の必要がないから”って話もあれば、“あまりに異質すぎて近づけなかった”って話もある。実際、ちょっと話しただけで落ち込んで帰ってきたトレーナーもいたし」

「……それ、都市伝説じゃないんですか……?」

「だったらいいんだけどねぇ。実際に一人、担当希望出して面談まで進んだトレーナーが、“なんか目の奥で脳内解剖されてる気がした”とか言って、数日後に静かに辞めてったよ」

「こわ……」

「でもね」

 

そこでフジサワは、ほんの少しだけ真面目な顔をした。

普段の飄々とした調子をふと緩め、桜の花びらが視界を横切るのを、視線だけで追いながら言葉を続ける。

 

「そんな彼女が、今年――戻ってきたんだよ。唐突にね」

「……戻ってきた?」

「うん。この一年ほとんど姿を見せてなかったのにさ。春休み明けに突然、ジュニア級の登録用紙を提出してきた。自筆で、静かに、確かに」

「えっ、それって……不登校だったってことですか?」

「そう。記録上は“登校不十分による進級留保”。――まあ、留年ってやつだよ。結局、ナリタブライアン――あの子の妹に、学年追いつかれた」

「ナリタブライアン?」

「うん、あの子。無口で感情出さないタイプだけど、走らせたら異次元。去年の選抜トライアルで、1人だけ次元の違うスピードでトップ通過したって話、聞いたでしょ?」

「ああ、あの“怪物”って呼ばれてる」

「そうそう。そのブライアンが、姉のハヤヒデと同じ学年になったわけ。本人たちは表に出さないけど、周りが勝手に“姉妹対決”だなんだって盛り上がっててさ」

 

フジサワは肩をすくめた。

 

「実際、あの姉妹、並んで立ってるだけで空気変わるよ。ブライアンの静けさと、ハヤヒデの無言の圧っていうの? あれはなかなか……ね」

「でも、それって……ビワハヤヒデの方が、意識して戻ってきたってことですか?」

「それは本人しかわかんない。でも――私は無関係じゃないと思う。」

 

缶を持つ指先でリズムを取るようにトントンと膝を叩きながら、フジサワは続けた。

 

「ただひとつ言えるのは、あの子が――ビワハヤヒデが、自分の足で戻ってきたってこと。誰に強制されたわけでもなく、自分でジュニア級への登録をした。しかも、正式書類付きで」

「……それってつまり」

「そう。走るって決めたんだよ、あの子が」

 

春風がまたひと吹き、グラウンドの桜を揺らす。花びらが、まだ埋まらないトラックのレーンをふわりと越えていく。

 

「で、今そのハヤヒデが、育成フリー」

「……!」

 

オカベの中で、なにかが弾けるような感覚があった。

この学園で、“空いている”という意味が、これほど重く響いたことがあるだろうか。

 

「まだ誰も、声をかけてない。かけられなかったって方が正確かな。……でも、今なら間に合うよ」

 

フジサワは空の缶を指で回しながら、ちらと目を向ける。

 

「ただ、忠告はしとく。簡単じゃない。あの子に関わるってことは、ちょっとやそっとの覚悟じゃ持たない。自分の理解力を疑わされる瞬間が、何度も来るから」

「……それでも、行きます」

 

 オカベの返事は短く、それでいて真っ直ぐだった。

 

「お。即答」

 

フジサワは口元をにやりと吊り上げる。

姐御肌らしい笑みには、からかいと、わずかな期待の色が混じっていた。

 

「言っとくけどね、彼女と十秒黙って向き合ったら、“目ぇ合わせた瞬間、自分の中身全部スキャンされてる気がした”って言って泣き出したトレーナー、ほんとにいたんだからね」

「……え、それは比喩ですよね?」

「願わくばそうであってほしいねぇ」

 

そう言って、フジサワは立ち上がり、伸びを一つ。肩甲骨から軽く音が鳴る。

 

「でもまあ、伝説ってのはさ――他人の手柄話で聞くより、自分で触れた方が百倍面白いよ。さ、がんばりな、オカベくん。あんたが最初に彼女の靴紐を結んでやれる人間になるか、それとも秒で消し飛ばされるか……どっちかな?」

 

軽く背中を叩かれる。その一拍が、妙に背筋に残った。

オカベは立ち上がる。缶コーヒーはぬるくなっていたけれど、不思議と手の中にまだ熱があった。

風に混じる桜の花びら。その向こうに、“誰もまだ触れていない存在”がいる。

 

――行くしかない。

 

 

春の光が柔らかく落ちる午後、オカベはトレセン学園の中庭へと足を運んでいた。

 

講義棟の裏、図書エリアの隣にあるその場所は、校内でも特に人通りが少ない静かな区画だ。

立ち並ぶ背の低い木々と、真新しいベンチがいくつか。風が吹けば、葉擦れと鳥のさえずりしか聞こえない。グラウンドの喧騒も、ここまでは届かない。

 

「たぶん今もそこにいると思うよ。あの子、毎日決まった時間に同じ場所で読書してるんだって」

 

――フジサワ先輩の言葉だった。

 

言われたとおりに歩いてみて、ようやく理解する。

ビワハヤヒデは、喧騒を離れたこの場所に自らの「棲処」を持っていた。

 

彼女は、そこにいた。

 

長い葦毛の髪が、整った制服の肩越しに流れている。制服のリボンはぴしりと結ばれ、背筋も目線も一分の乱れがない。

その姿は、まるで計算された造形のようだった。端正で、冷静で、孤高。

そして何より――静かに“完成されている”印象があった。

 

彼女は本を開いていた。何かの哲学書だろうか。角の擦れた文庫を、左手で押さえている。

その横顔には、気配を拒むような冷たさはなかった。だが、安易な声かけを許さないだけの空気が、確かにあった。

 

オカベは静かに近づいた。慎重に、息を殺して。

 

「……私に何か?」

 

声がしたのは、ほんの一歩を踏み出した時だった。

目を上げずに、しかし明確に語られた声。

 

「すみません……あの、今年から育成トレーナーになった、オカベといいます。お話を少し……」

 

彼女は、ようやく本から目を離すと、眼鏡を軽く指先で押し上げ、オカベを見た。

 

「……育成担当、か。なるほど、貴方が」

 

言葉に刺はないが、検分されているような気配を覚える。

 

「選択の意思は、評価に値する。だがそれは衝動か、戦略か。そこが問題だね」

 

オカベは一瞬返事に迷い、咄嗟に答えた。

 

「……今のところは、意志です。まだ戦略と呼べるほどの確信は……ないです」

 

答えながら、自分でも「これはまずいか」と思った。

だが――

 

「……率直でいい」

 

返ってきた言葉は、むしろわずかに肯定的だった。

 

「他者の言葉を借りてでも、自分の未熟さを補おうとする態度は嫌いじゃない。知の始まりは、つねに“自分は何も知らない”という自覚からだ」

 

ハヤヒデは立ち上がった。ゆっくりと、本を胸元に抱えながら。

 

陽の光が、長い髪に反射して淡く光る。

 

間近で見ると、彼女の顔立ちは整っていて、少女らしい輪郭をわずかに残していた。けれど、そこに漂う空気は――年齢を超えた静謐さを伴っていた。

 

「君が私に育成を申し出た理由を、簡潔に」

 

正面から見つめられ、オカベは背筋を正した。

 

「俺は、あなたと一緒に、“誰も見たことのない走り”を作ってみたい。そう思いました」

 

少しの沈黙。そして、彼女の眼差しが、ほんのわずかに揺れた気がした。

 

「……大胆な目標だ。奇抜ではあるが――否定はしない。“誰も見たことのない”というのは、しばしば“誰にも見られない”に等しくなることもある。だが、その危うさに賭ける覚悟があるというなら」

 

ハヤヒデは、ふ、とわずかに笑った――ように見えた。

 

「悪くない」

 

そして、きびすを返してベンチに腰を下ろす。

 

「条件がある」

「……条件、ですか?」

「“余計な質問をしないこと”。私は、必要なことだけを伝える。無闇に踏み込まれるのは、効率を損ねる。……理解できるなら、それでいい」

 

オカベは黙ってうなずいた。

 

彼女の言葉には、確かに圧があった。だがそれは、排他的なものではなく、“理知と静謐”によって築かれた壁だった。

超えてこようとする者を拒むのではなく、自力で届こうとする者だけに道を開くような――そんな壁。

 

ビワハヤヒデ。

その存在の深さに、オカベはただ、圧倒されていた。




ハヤヒデが留年したんじゃなくてブライアンが飛び級した結果同学年になった可能性もある……?

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