留年生ビワハヤヒデ   作:daidains

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皆さんのおかげで日間総合35位、日間二次24位を取りました
ありがとうございます

Q. どどどどどーすんのどーすんの!?
A. 今回は勘違い度さらにアップでお届けします


タキオン!【アグネスタキオン視点】

それは、ある種の予感だった。

 

トレセン学園の情報網というものは、意外にあなどれない。生徒会からの非公式なルート、図書館職員の呟き、廊下に咲く無責任な噂、果ては購買部の売れ筋――そういった断片を丹念に採集すれば、そこには一つの統計的傾向が現れる。

 

最近、“復帰”してきた者の中に、とてつもなく頭が“切れる”ウマ娘がいる――という話だ。

 

この一点が私の耳に届いたとき、脳裏でちいさなスイッチがカチリと鳴った。

単なる模試の点数の問題ではない。たしかに“測定不能”と評されたその者は、長らく沈黙していた。だが、再び歩き出したとなれば、その中で何が起きていたのか。どのようにして知が鍛えられ、どのような構造で思考が編まれたのか。

 

それを“観測”せずにいられる道理が、ない。

 

私は自分自身の知力を、決して過小評価してはいない。平均的な思考水準からすれば、私は幾分か“逸脱”しているという自覚がある。中等部の身でありながら、大学博士課程レベルの有機合成反応機構に手を出してしまうのも、衝動的な嗜癖に近い。

 

だがその私が、“自分よりも切れるかもしれない存在”の名を聞いたとき――

それは、好奇心というより直感に近かった。

 

この個体は、見ておくべきだ。

 

その行動パターン、語彙の選択、沈黙の間のニュアンスまでも。

彼女の“知”のありようが、もしも今この場に結晶化しているのだとすれば、それは一過性の閃光かもしれない。捕らえなければ、もう二度と出会えない。

 

そう思って、今日という日に予定を差し替えた。

 

そして今、私はその“観測対象”――ビワハヤヒデの前に立っている。

 

 

 

 

「なに、君はそうとう“切れる”と聞いてね。興味が湧いたのだよ」

 

そう告げた瞬間、彼女の眉がほんのわずかに動いた。興味深い。

抑制のある反応。即答を避け、思考の余白を持たせた応対だ。

思考の予備動作を抜かずに返事をする者に、私は知性を感じない。

 

だがビワハヤヒデは、明らかに構えている。それは防御ではない。慎重さだ。

 

――やはり面白い。次の一手を、私は静かに待った。

 

「いや、私が切れるなんて誰から聞いたんだ? そのようなところを見せたことなどないと思うのだが」

 

返ってきた言葉は、想定よりも“警戒心を帯びていた”。

 

なるほど。

自身の知性について語られることに、過敏とも言える反応を示したということは――

 

① 自らの能力に対して謙遜的な構えを取る人物であるか、

② または“それを評価されること”そのものに過去何らかの葛藤があったのか、

③ あるいは――単に私の話しかけ方が唐突すぎたか。

 

どれも捨てがたい。

だが、いずれにしても興味深い反応だ。

私の先ほどの言葉はまだ序の口にすぎない。いずれ、彼女の核に触れる発話を引き出してみせる。

 

「聞くまでもない。君の実績――紛れもないデータがそれを示している」

 

そう告げた瞬間、ビワハヤヒデのまなざしが、ふっと揺れたように見えた。

警戒ではなく、どこか……驚きにも近い反応。

一瞬、沈黙。

 

(おや……? 思ったよりも“当然の評価”として受け取っていない?)

 

私が「データ」と称したのは、もちろん先日の模試での満点記録のことだ。全教科、全問正答。目を疑うような結果。

 

そしてビワハヤヒデは、問いに対する最短距離を示したのではなく――自らの観測者に問いを返してきた。

 

「……データか。ところでそれ、実際に自分の目で確かめでもしたのか?」

 

その返しに、私は思わず唸りそうになった。

 

彼女の言葉は、ただの疑問ではなかった。

それは、投げ返された球ではなく、鏡だった。

 

自分がどんな視座から物を見ていたのかを、その一言で可視化されたような感覚があった。

 

(……そうだ。確かに、私は自分で直接答案や結果を見たわけではない)

 

模試満点――それは、教員の口から漏れた言葉として、食堂のテーブル越しの会話として、掲示板の端の落書きとして、私のもとへ流れてきた。

 

誰かが見た“結果”の伝聞を、私は無批判に“事実”として受け取った。

その信憑性を検証しないまま、ビワハヤヒデという個体を“測定不能の知性”として定義し、それを前提に会話を始めてしまっていた。

 

(学園内で当たり前のように流れている“ビワハヤヒデ=模試満点”という言説を、私は無条件に受け入れたに過ぎない)

 

噂を信じるのと、本質的に何が違うというのか。

科学者を名乗る者が、二次情報で満足してどうする。

私は、脳内で舌打ちした。

 

それはビワハヤヒデに対してではなく、自分自身への叱責だった。

 

「……なるほど」

 

口を開き、私は言葉を整える。

 

「確かに、科学者の端くれとしてソースも確認しない姿勢には問題があったかもしれない」

 

……いい。実に、いい。

 

質問への応答に、反証性の視座を持ち込む。

まさしく科学的態度だ。自らを正当化するでも否定するでもなく、「君の見立ては一次情報に基づいているのか」と、評価者の信頼性そのものを静かに測る視線。

 

私にとっての“切れる”とは、演算処理の速さや知識量ではない。

問いをどう受け止め、どう返すか。その構造の中にこそ、その者の“脳”のかたちが宿る。

 

そして今、目の前のビワハヤヒデが示したのは、まさにそれだ。

 

(いい。いいぞ。これは“会話”になる)

 

私は、ごく自然に次の言葉を繋いだ。

 

「ただ、好奇心は止められない。ならば君が“切れる”かどうか、自分の目で見てみたいのだよ」

 

そう言った瞬間、ハヤヒデの眉がわずかに動いた。

 

(この反応は、少し戸惑いを孕んでいる……だが拒絶ではない)

 

彼女は、すぐには言葉を返さなかった。明らかに言葉を選んでいる。

 

「……何を言っているのか、私にはさっぱりだ。言われてできるものではない。常にそれは外部から誘引されるものだ」

 

返ってきたその声は、やや乾いていた。はて、彼女は一体何を言っているのか。

 

「ふむ? つまり君は自分からポテンシャルを発揮することはしないと? 随分な機会損失ではないか?」

 

当然の主張だと私は思った。

頭脳を活かせる場があるのなら、活かすべきだ。

そう、たとえば私がそうであるように。

 

「君ほどの能力を活かす機会は最大限あるに越したことはないだろう。私自身、平均よりかは切れるという自負があるのだがね」

 

言葉の調子はあくまで控えめに、けれど事実としての自己評価は曖昧にしない。

 

もちろん、単なる自惚れではない。ここ最近で私が構築した系は、既存の炭素骨格の反応経路を迂回するかたちでの構造最適化に成功している。新薬候補のスクリーニングにおいても、一度は教員側から大学院との共同研究を提案されたほどだ。

 

――まぁ多少、実験室を焦がしたりはしたがね。

 

その一言は、あくまで冗談めかして添えた。

いや、実際に報知器を鳴らしたのは一度や二度ではないが、それは進歩に伴う摩擦熱のようなものだと、私は捉えている。

 

だが、その一言を聞いたビワハヤヒデの表情が、一瞬ピクリと引きつったのを私は見逃さなかった。

 

(……おや?)

 

彼女は、やや間を置いてから答えた。

 

「究極的な手段としては否定しないが、それによる損失もまたある」

 

損失――か。

 

私は、その語に一瞬だけ立ち止まる。

 

(損失? 頭脳を発揮することが、なぜ“損失”に結びつく?)

 

思考することは消耗ではない。むしろ、繰り返すたびに演算精度は増し、脳の回路は滑らかに研がれていく。知性は使えば使うほどに研ぎ澄まされていく性質のものだと、私は信じている。

 

「減るものでもないのに、損失?」

 

私は率直に疑問を返した。誤解を恐れず言えば、不可解な認識に思えた。

だが、その私の反応に対し、ハヤヒデは即座に答えを返した。

 

「周囲との信頼を失うリスクがあるという意味だ」

 

……なるほど。

 

(“損失”とは、自分自身の中ではなく、外部との関係性において生じるもの……)

 

つまり彼女は、知性の発揮に伴う社会的コスト――すなわち「浮く」ことや「反感を買う」ことによる軋轢――を意識しているのだ。

 

(それは私が、しばしば置き去りにしてきた視点だ)

 

私は、自分の研究室を幾度となく焦がしてきた。

成分組成にミスがあったわけではない。単に、火花の予測可能性と器具の劣化率、換気系統の反応遅延――そういった要素を「すべて計算した上で、なお強行した」結果である。

 

トレーナーは笑っていた。スプリンクラーを浴びながら、発光体となった彼自身の体から出てくる光を驟雨のように周囲へと振りまきつつ「またですか」と言った。

でも、笑ってくれるのは一部だけだ。

それは、たしかにそうだ。

 

「……ああ、なるほど。思い当たる節がある」

 

そう言いながら私は、ほんの少しだけ、過去の残滓を追っていた。

 

信頼、という概念は、実験の成功確率には含まれていない。

だが、それが失われたときに次の許可が下りないという、極めて実利的な形で回収されるのが、現実というやつだ。

 

たしかに私は、数式の中には含めなかったが、日常の中では何度かそれを失っている。

注意をされた。呆れられた。あまつさえ、静かに距離を取られた。

 

けれども。

 

私は、その損失と引き換えに、“果て”に近づいてきたのだ。そう、少なくとも私は――その代償に納得していた。

 

「そんなことをしていると悪名が轟くばかりだぞ」

 

ふいに返ってきた彼女の言葉は、妙に優しかった。

叱責ではない。皮肉でもない。ただの忠告。

 

(……おもしろいな)

 

普通なら、もう少し呆れられてもおかしくないような話だった。

それでも彼女は、一定の理解を留保したまま、対話を切らない。

そこに私は、彼女の知性の奥行きを見る。

 

「とはいえコラテラルダメージというやつだよ。“果て”を見るために必要な犠牲に過ぎない。それに負傷者を出したこともない。その程度のものくらい許されるだろう」

「自分のことくらい自分の中でコントロールするべきだ」

 

ここにきてきっぱりとした反論がようやく帰ってきた。それならこちらから補足しよう。

同意の根拠となる“実例”を提示するのが、論証の初歩だ。

 

「必ずしも同意を得られていないままのことがあるのは申し訳ないと思っているよ。でも私だって全部が全部不同意ってわけじゃない」

「……同意する人間がいるのか」

 

そして、淡々と答えた。

 

「トレーナー君はよく協力してくれるよ」

 

事実だ。

彼は、私の試みに付き合ってくれる稀有な存在だ。同時に私がまだ学園に属していられる最大の理由でもある。

 

だが、ビワハヤヒデの表情は、その一言を聞いたとき――わずかに、引きつった。

 

(……?)

 

何か意外だったのか。あるいは、別の文脈で解釈されたのか。

彼女は、やや間を置いて、慎重な声音でこう返した。

 

「世の中には好き者もいるものだな……」

 

(好き者、か。なるほど、そういう風に言うのか)

 

肯定とも皮肉とも取れるその言葉に、私はふっと笑った。

 

「まったく同意だね」

 

実際、あのトレーナーが“狂気”の側にいるのは間違いない。

私のやることが、常に世間で言うところの正気の範囲にあると思っているとは到底思っていないし、何度かは「これは学園側に説明できるんですか?」と聞かれたこともある。

 

だが、彼は止めなかった。あくまで、「私がやりたいなら」その意志を尊重する。

たぶん、彼にとって私の知的活動もまた、“走り”の一種なのだろう。

 

競技場のトラックと、実験棟のドラフトチャンバーは、案外よく似ている。

それは外から見ればただの設備かもしれないが、本人にとってはどちらも限界を押し広げるための空間なのだ。

 

「……ところでシャカール君を知っているかい?」

 

私は、ふと話題を変えた。

 

思考の速度が合う者との対話は、つい構造の差異を比較したくなる。

ハヤヒデとシャカール。二人の“切れる”者が、どう違うのか。

その差異を、第三者評価によって明確化することで、より深く観測できる。

 

それに――もし彼女が乗ってきたなら、思考実験としても愉快だ。

 

「小耳にはさんでいるくらいだ」

「ああ、彼女も相当切れるよ、知っているかい?」

「ああ、……そうらしいな」

 

淡々とした返答だった。だが、“らしい”という言い方には若干の間があった。

 

その一瞬の沈黙――思い出そうとしていたような、あるいは評価の言葉を選んでいたような、微細な間。

 

私の耳には、それが伝聞情報をそのまま引き写しているだけの反応には思えなかった。

単なる知識ではなく、自身の観察経験を一度棚卸しし、それでもなお伝聞的な語彙を選んだように思える。

 

(つまり……彼女は、シャカールの知性に何らかの形で“直接触れた”ことがある)

 

ならば、次の問いを置く価値はある。

 

「私としてはぜひ彼女と比較させてほしんだが、どうだろう?」

 

言外に込めた意図は、“二人の知性の対話が見たい”という純粋な興味だ。

だが――返ってきたのは、期待とは異なる答えだった。

 

「……断る。そういう無益な優劣競争には、もう飽きている」

 

(ほう……?)

 

“飽きている”。つまり、過去にはあったということだ。

 

そして今は、そこから一歩引いた立場にある。

これはただの優等生的な回避ではない。“闘争”の果てに辿り着いた知性の境地――そう見なすのが妥当だ。

 

つまり彼女は、切れるという性能そのものを追う段階から、もう一つ上の段階へと歩を進めている。

 

興味深い。実に――興味深い。

 

凡百の知性は、自身の才覚を証明することに終始する。

模試の点数を競い、引用の正確さを誇示し、難解な用語で議論を制圧しようとする。

だがこのビワハヤヒデという個体は、それらを――“飽きた”と切って捨てた。

 

彼女が自信のなさから競争を避けているようには見えない。むしろ、それすら越えたところに立っている――そのように見える。

 

「なるほど。彼女ですらすでに比較の次元にはいないと」

 

私は自然な調子でそう返したが、これは探るための問いでもあった。

彼女がこの評価にどう応じるかで、彼女の自意識の輪郭がもう少し明確になる。

 

「まあそれもあるが。私は……平穏を望んでいるだけだ。衝突は、極力避けたい」

 

(……平穏を望む、か)

 

その言葉は、あまりにも静かだった。だが、そこにこそ本音の響きがあった。

 

「随分な自信だね。いや、事実か。そして衝突を避けたい、か――」

 

私は一度、言葉を切った。声色に熱は込めなかったが、言外に思想の輪郭が滲んだ気がする。

 

「……だが、私はむしろ、衝突の中に真実が存在することもあると思う」

 

その考えは、私の行動原理に近いものだ。

意見と意見の対立、命題と反証のせめぎ合い、仮説と現実の食い違い――それらは単なる混乱ではなく、真に新しいものを生む“場”だ。

 

弁証法的に言えば、正と反が交錯した先に、より高次の合意――子揚(アウフヘーベン)が生まれる。

それは単なる融合でも妥協でもない。質的な跳躍であり、知性の再構成だ。

 

私にとって、思考とはそのためにある。

ぶつかり合いを避けることは、進化の放棄とすら思える。

 

だから、彼女の「衝突は、避けたい」という言葉には、本能的な違和感すら覚えた。

だが――それでも、否定するつもりはない。

知のあり方は多様であるべきだ。私の流儀だけが唯一ではない。

 

彼女のように、衝突を避け、静けさのなかに知を磨こうとする者もまた、探求者のひとつの形だ。

 

それに、何より――

 

「私はもう、そういうのには疲れているんだ。穏やかに、静かに暮らしたいだけだ」

 

その言葉には、微かな重さがあった。

燃え尽きた者の言葉ではなく、“騒がしさ”を生き延びてきた者の静かな声。

衝突を避けるのではなく、衝突に付き合いすぎた者の、距離の取り方だ。

 

(沈黙の一年……そうか、それもまた、その延長線上にあるのか)

 

「ふゥん……沈黙の一年は、それに関係するのかな?」

 

問いかけは柔らかく。答えを強制しないよう、あえて視線は合わせない。

 

「そうだな」

 

 

彼女は、過去を語ることにはまだ抵抗があるのだろう。だが、それを否定するでも隠すでもなく、“肯定的に棚上げする”手続きを踏んだ。

 

(さて……だが、ならばなぜ今、“静けさ”から戻ってきたのか)

 

それを問わないわけにはいかなかった。

 

「でも今君は、その静かな暮らしを捨てて“三冠”に手を伸ばそうとしている。どういう心変わりがあったんだい?」

 

この質問には、矛盾の構造を自覚しているかどうかを確かめる意図がある。彼女は、答えに迷う素振りも見せず、しかしどこか俯くように言った。

 

「別に“手を伸ばす”だなんて大層な話じゃない。ただ……必要に迫られたというか、“流されるまま”というか……気づけば、そういう場所に立たされていただけだ」

 

(……外因か。内発的な意志ではなく、環境によって導かれた行動)

 

「なるほど、環境的因子が主体性に作用したわけだ。興味深い。君がさっき“常にそれは外部から誘引されるものだ”と言っていたことと合致するね」

 

言いながら、私は内心で頷いた。

 

彼女の発言は、一貫していた。

 

自己決定の否定ではない。むしろ“応答性の高さ”を表している。

 

これは非常に重要な資質だ。自ら意図せずとも、状況に最適化されていく知性――それは、環境変数との相互作用に長けた、極めて柔軟な知性のあり方だ。

 

「そうだな。あくまで私は、そういう反応に“なってしまう”だけで、自分から選んでいるわけじゃない」

 

その語尾には、どこか重力のようなものが宿っていた。

“なってしまう”――意志よりも先に反応があるということ。

 

(“なってしまう”……? 頭を働かせざるを得ない状況に置かれ続けていたということか)

 

私は、即座にそう解釈した。

外からの因子によって変化を強いられ続け、その中で意識的か無意識的かは問わず、思考が鍛えられていった――そういう類型。

 

「複雑な環境にいたんだねえ」

 

それは、半ば独り言のような響きだった。

同情ではない。感嘆でもない。ただ純粋に、その構築過程に興味が湧いただけだ。

 

彼女は返事をしなかった。

だが否定の素振りも見せなかったことが、私には十分な回答だった。

 

沈黙が、ほんの一拍。

 

やがて、彼女が静かに口を開いた。

 

「それは否定しない。しかし……そういう“複雑な環境”にしたのは主に自分自身のせいだと思っている」

 

逃げ道のない、自己帰属の言葉。

環境を嘆くでもなく、他者を責めるでもなく。

構造の責任を、静かに自分に引き受ける。

 

(なるほど……これは、構造認識の深さと倫理的中立性が共存している)

 

こういう発言が自然にできる者に、私は滅多に出会わない。

観測者としての冷静さと、内部当事者としての責任感が、極めて高次に統合されている。

 

もはや好奇心は満たされたというより、惹かれると言っても差し支えない知性だ。

 

……が、それでも今この場で深入りするのはやめておいた。

 

私はまばたきを一つ挟み、そして目を逸らすようにして言った。

 

「ほう? どういうことか気になるが……まあ、他人の家庭環境にまで首を突っ込むのはデリカシーがなさすぎる」

 

私は肩を竦めて、いつも通りの調子で返す。

 

「私だってそれくらいの良識はあるよ。……ああ、時間だ。次の予定があるからお暇するよ」

「良識、か。随分と狂っているようにしか見えなかったが。私には気が済むまで問答を吹っかけてくるたちのように見えた」

 

その皮肉めいた言葉に、私は笑った。

事実、否定のしようがない。

 

「いつの時代も求道者は狂っていると見られてしまうものさ。私は自分の道に準じているだけなんだがねえ」

 

それは決して、正当化ではない。

方法の違いはあっても、探求に従う意志は同じだという信念の表明。

 

「それに、これまでの会話で十分君が切れることは分かったから、これ以上の問答は必ずしも必要じゃない」

 

彼女の表情が、ほんの僅かに動いた。

まるで「何かを言いたいのに言えなかった」ような、そんな繊細な緊張が浮かんだ気がした。

 

(……おや?)

 

反応はあったが、意味は断定しない。観測とは、決して“わかった気になる”ことではない。揺らぎの中に可能性を保持することだ。

 

「では、また近いうちに」

 

踵を返して歩き出す。数歩先で、微かに風が頬をかすめた。

 

私は、心の中で小さく呟いた。

 

 

観測――継続の価値あり。

 




勘違いモノはですね、構成の難易度高い
プロがあまり手を出さない理由がようやく分かりました(激遅)

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