■中央倫理局の記録映像
重厚なデータパネルが並ぶ室内で、《海皇龍ポセイドラ》がカメラの前に座る。胸には【カード労働倫理委員会】の徽章が輝いていた
『ええ、あの制度――“@六花”――あれは最初から、危うい構造をしていました』
── ポセイドラ(カード労働倫理審査会・調査官)
『まず第一に、名称というアイデンティティに価格をつけたこと。“名を貸すこと”が、“力を貸すこと”と直結する構造を生みました。』
『カード名というのは、我々精霊にとって魂の一部です。それを“便利だから”“強くなれるから”という理由で書き換える――これは、倫理的に見て非常に危険な前例です』
『第二に、種族構造とサポート範囲の分離を強制的に進めたこと。本来、【六花】は【六花】の中で、植物族は植物族の中で完結することでバランスが保たれていました。』
『それが、“@六花”という名称一つで、爬虫類や獣戦士、果ては機械族にまで拡張されてしまった。これはつまり、“プレイヤーの都合で種族を再定義できる”という前例を作ってしまったということです。』
『それに対してはデッキ構築の自由化という声もありますが……。構造上、誰かが損をする形で成り立っていたのは事実です』
ポセイドラは映像越しに、少しだけ目を伏せた。
『ティアドロップ氏が“悪意”で始めたとは思っていません。彼女はむしろ、本当に“助けたかった”のだと思います。』
『けれど――善意で始めた制度が、そのまま正しいとは限らない。“助けたい”という動機は尊い。でもそれが、結果として他者の誇りを踏み台にし、“勝てない精霊たちを六花の名で囲い込む”ような構造になってしまったのです』
『最も恐ろしいのは、“それでも得をした精霊たち”がいたこと。人は恩を受けると目をつむります。“便利だし”“勝てるから”と、疑問を持たなくなる。“@六花”の本質は、まさにそこでした。』
『善意を装った依存の拡大、そして精霊社会における階層構造の固定化。誰かの名の下でしか力を得られないという幻想を、制度として肯定してしまったんです』
画面が徐々に暗転していく。
『あれは“救済”ではなく、“秩序構造の書き換え”でした。
それに気づいたときには、もう遅かったんです』
ティアドロップは、『六花ホールディングス』の執務室で忙殺されていた。
契約書の確認だけで一日に数十件。その多くが“六花”の名称使用に関する申請やトラブルで、判断を誤れば制度そのものが揺らぎかねない。
午前中は支援申請者との個別面談。未来への悪影響を訴える声、恩恵を受けた感謝、そして制度そのものへの疑問。すべてを受け止めなければならなかった。
昼からは会議がすし詰めだ。営業部、開発部、メタ予測チームとの調整、名称ブランド戦略室に数時間を費やす。
それらをすべてこなした後、夕方には各所から寄せられた「シナジー悪用」の苦情と、その対応方針の検討。
夜はプレミアム枠拡張案に関するレビューと承認作業。
いつの間にか、太陽はとっくに沈んでいた。
休憩時間はなく、食事はプロモ用の保存型スナックで済ませていた。
書類が積み上がった机の上で、ペンと端末を交互に持ち替えながら、ティアドロップは目の下のクマも隠しきれず、ただ黙々と作業をこなしていた。
そんな彼女に、《六花精スノードロップ》がそっと近づいてくる。手には今日の申請データが映った端末。
「ティア様。今日だけで、支援申請が420件。うち357件が他種族テーマから希望者です」
スノードロップの声は丁寧だったが、ほんの少しだけ、迷いが混じっていた。
彼女自身も目元に疲労の影が色濃く残っており、立っているのもやっとのように見える。
「……ティア様。ほんの少しだけ、休まれては……? ひどくお疲れに見えます……」
ティアドロップは答えず、無言のまま端末に目を通す。
スノードロップは執務机の端にハーブティーの入ったカップをそっと置いた。ティアドロップが好んでいた香りだった。
スノードロップの横で、《六花精ボタン》も書類を持って近づく。
「全員が《六花プレミアム》の規約に同意しています。こちらが関連書類です。でも、これ、明日に回してもいい案件もあります。ほんの少し、目を閉じるだけでも……」
ボタンは書類を差し出しながらも、ほんの一瞬、それを引っ込めかけた。視線はどこか、迷いと祈りが混ざったような色をしていた。
「……そう」
ティアドロップは短く答え、ペンを手に取った。承認印を押すその指先は、微かに震えていた。
一瞬だけ、スノードロップとボタンが目を合わせる。
“止めるべきなのかな”
“でも、ティア様はきっと聞かない”
言葉にならない葛藤が、二人の間に流れる。
それでも、彼女たちは席を離れず、黙ってその背を支えていた。
ティアドロップも、二人の気遣いに応える言葉は出せなかった。
甘えてしまえば、もう動けなくなる。そんな気がした。
「こんなのは、もうデュエルじゃない。経営よ」
それは誰にも聞かれるはずのない、独り言――だったはずだった。
だがその一言だけが切り取られ、歪められ、外へと広まっていく。
『デュエルではなく経営を』
――六花ホールディングスCEO
そして今やそれが、六花ホールディングスのスローガンになっていた。
街には看板が増えていた。
《アロマージ・ジャスミン@六花》がコンボ解説!
【六花ブランド導入キャンペーン】でDP10%還元!
《六花プレミアム・PROプラン》でランク帯突破支援!
ティアドロップは、看板を見上げて、そっと目を閉じる。
(これは……人助けだったはず。なのに……)
やがて彼女は、経営会議の席で気づく。
もはや自分に発言力がないことに。
「それではROIが低すぎます。投資家の方々は納得しません」
「その方策ですと、ブランド統一性が損なわれます」
「リーダーシップは取っていただいて結構ですが、経営判断は別です」
冷静な声。笑顔の仮面。
彼女の知らぬところで、歯車は回りはじめていた。
「救済は、制度になった瞬間に“運用”へと移行します。
そして運用される慈悲は、利益と結びつくかぎりでしか、存続しえない」
──
《@六花》の花は、咲きすぎていた。
《@六花》は、もはや戦術ではなかった。
それは、“構築における勝利のテンプレート”と化していた。
ランキングの上位10枠は、すべて@六花。
かつて植物族の支援札でしかなかった《六花深々》《六花精》たちは、今やすべてのカテゴリに対応する万能ギミックへと変貌を遂げていた。
「“六花”が、“植物族”である必要がなくなったんだ」
── 無名の構築勢(匿名掲示板より)
一方で、当然のように他勢力も動いた。
“成功例”があれば、それを模倣し、横展開するのは当然だ。
《
「@炎王」「@
【@青眼】は“高打点保証”が売り。
【@
【@イグニスター】は“豊富なエキストラデッキサポート”を前面に押し出した。
だが――どれも、定着しなかった。
ブランド構築における決定的な違いが、そこにはあった。
「六花は、最初から“本気の共感”で始まったのよ」
──六花精ボタン(社内ブリーフィングより)
他の多くの制度が「利益と接続性の効率化」を追ったのに対し、
“六花”だけは、始まりに「他者への救済」があった。
それがやがて、信頼と選択の連鎖を生む。そして何より、業界一番手であることによる制度の圧倒的知名度の高さが他のサービスを圧倒した。
模倣商品たちは、結局そこまではコピーできなかった。
模倣ブランドの失速が明らかになるにつれ、市場は明確な選別を始めた。
「すべてのビジネスが成功するわけではありません。新しい業界の場合、大抵は一番手が利益の大部分を総取りします。“咲く名前”は限られているのです」
──【オルフェゴール財閥】広報担当・イヴ
六花は、その“限られた成功”の象徴だった。
各種族の財閥、産業勢力、投資コミュニティ――あらゆるプレイヤー層が“利回りの見込めるテーマ”として六花へ投資し始めた。
──それは安全な資産形成だった。
──それは確実なリターンを生む錬金術だった。
程なくして“六花”は、単体で世界の覇権を握る。