今度こそお願いします!
たったったったっ……
「………ちゃん!ぎゅ〜〜〜!」
「きゃっ!?…もう甘えんぼなんですから。いい子いい子」
白髪の少年が薄い金髪の少女に飛びつき、顔を綻ばせて少女を抱きしめる。少女も優しい笑顔で少年にハグを返して頭を撫でてやっている。
「えへへ。……ちゃん大好きぃ〜」
「うふふ、私もナオくんのこと大好きですよ」
「ほんと?」
「ホントですよ」
「じゃあしょうらいケッコンしよ!あのね、大好き同士な二人ってケッコンしたらずっといっしょにいられるんだって!ぼく………ちゃんとずっといっしょにいたい!」
「いいですよ。大きくなったらケッコンしましょうか。小指を出して?約束しましょ?」
「はい!」
「「ゆーびきりげーんまんうっそついたらはりせんぼんのーます、ゆびきった!」」
幸せな記憶。きっと、コレまでの人生で一番幸せだった頃…
「ナオくん....一緒にお昼、食べませんか?」
「いっ、いいよ! ボク一人で食べるし、……姉ちゃんだって友達とかと食べればいいでしょ! ボクもう行くから!」
「あっ……」
二年生になってから一月経った最初の月曜日の昼休憩の記憶。そして、ずっと後悔してる記憶。胸の奥にずっと重くのしかかったまま、飲み下す事も消す事も出来ないでいる。小学生の頃は良かった。休み時間になる度に……姉ちゃんの教室まで遊びに行っては甘えていた。でも、……姉ちゃんが高学年になって、成長してだんだん大人の女の人の体になり始めた頃から、なぜか恥ずかしくて昔の頃の様にくっつけなくなった。今思えば、最初に歯車が狂ったのは、きっとその頃だったんだろう。
そのまま……姉ちゃんが小学校を卒業して中学生になって、更に関わりが減ってしまった。ボクが中学生になる頃には、ボク自身も思春期が始まって、さらに追い討ちをかけるように関わりが減った。小学校と中学校で離れていた一年の間にさらに成長して大人の女の人に近づいた……姉ちゃんにドキドキして、クラスの人に揶揄われるのが恥ずかしくて、……姉ちゃんは話しかけに来てくれたりしていたのに、ボクが一方的に逃げていた。そして、ボクが二年生に、……姉ちゃんが三年生になった頃には、もう殆ど関わりがなくなっていた。
あの日の……姉ちゃんの泣き出しそうな顔は、今でも目に焼きついて離れない。
◇
そして、最後で、同時に最悪の記憶。
その日は、……姉ちゃんの卒業式の日だった。ボクは三年生を除く全校生徒と一緒に、体育館で席について卒業生の入場を待っていた。しっかり話せるのは今日で最後かもしれない。だから、卒業おめでとうと、ごめんを言いたかった。許してもらえなくても、拒絶されても、気持ちを伝えたかった。でもそんな独りよがりな願いが叶うことはなかった。
突如慌ただしくなった先生たち、外から聞こえる救急車とパトカーのサイレン、未だ入場してこない卒業生たち、連動してにわかに騒がしくなる体育館。
耳に滑り込んでくる様々な憶測。何か事件でも起きたんじゃないか、近くで火事でもあったんじゃないか、近くにヴィランが出たんじゃ....
最後の言葉が耳に入ったとき、最悪の想像をしてしまった。ヒーローの到着が間に合わず、大好きな……姉ちゃんがヴィランの手にかけられて死んでしまう様を。居ても立っても居られなくなり、体育館を飛び出した。先生の静止の声は耳に入らなかった。最悪の想像と不安だけが胸の中で際限なく膨らんで、怖くて仕方がなかった。三年生の教室の場所は知っていたから、全力で走って向かって行った。
駆け込んだ校舎で最初に気付いたのは、思わず眉をひそめる様な血臭だった。恐れたことが現実になったんじゃないかという想像にさらに動悸がうるさくなった。そのまま血臭が濃い方に駆けて行った先には、よく知る彼女が両手と口元を赤く染めて妖しく佇んでいた。
「……、ねえ、ちゃん........?」
「....良かったです。出来れば最後に一目見ておきたかったので」
「........?」
「お別れです、ナオくん。もうじき警察の人達も来ちゃうと思うので私は逃げます。今の世界は私には生き辛い。私はこれから、生きたい様に生きる。だから、サヨナラ」
「まっ、待って、行かないで、やだ、……姉ちゃんに言いたいことが........」
かけられた“サヨナラ”が、錆びたナイフが食い込む様にボクの心を抉る。これまでの別れの言葉はずっと“またね”だったのに、初めて……姉ちゃんから言われた“サヨナラ”は、その温かさのない声色も相まって、絶対的な拒絶のように思えてならなかった。そのままボクに背を向けて歩き始めた……姉ちゃんを引き止めたくて喉から必死に絞り出した声は、空気を震わせても言葉にはならなくて、伸ばした腕も何も掴めずに空をきった。両足はこれ以上拒絶されることへの恐怖で根を張ったように動かない。
「そうだ、もう逢うことは無いと思うから最後に。お父さんもお母さんもセンセイも、みーんなキライでしたけど........ナオくんのことはキライじゃなかったですよ」
最後にもう一度だけ振り向いてそう言った彼女は、ボクがこれまでに一度も見たことのない表情を浮かべていた。顔いっぱいに笑ったその顔は、狂気的で、怖くて、恐ろしくて。それと同時にこれ以上ないほどに艶やかで妖しくて、二度と忘れられない程に綺麗だった。
◇
ボクは荒れた。ヒビだらけで辛うじて形を保っていたボクの心の器は、偶然見たニュースがトドメになって砕けてしまった。そのニュースは、とある中学校で起きたもので、一人の少女が同学年の少年を傷つけ、その血を啜ったという事件のものだった。犯人は逃走中との事で気をつける様に、とも報じられていたがそんなことは頭に入らなかった。ボクにとって大切だったのは個性の影響があったのではという個性関係の研究者の見解だ。思い至ったのは……姉ちゃんは、血に関係する個性を持って生まれたんじゃないか、という事だ。そういえば、……姉ちゃんと個性の話をしたことはなかった。ヒーローよりも……姉ちゃんのほうが好きだったから、ヒーローの話題から派生する事も無かった。具体的な個性は分からなくても、個性に何らかのコンプレックスがあったであろう事は想像出来たはずなんだ。それなのに、ボクは。後悔に呻いて虚空に謝り、自分で自分を傷つけた。喚いて呻いて怒って泣いて暴れて呪って自分を引っ掻いて噛みついて、疲労の果てに気絶して卒業式の日の夢を見てはまた同じことを繰り返した。ボクが避けたりしなければ、ボクが……姉ちゃんの個性について想像出来ていれば、ボクが……姉ちゃんの嗜好に気付けていれば、もっと……姉ちゃんの家のことを知ろうとしていれば、そうしていれば離れる事なんてなかったかもしれない。ボクも、連れて行ってもらえていたかもしれない。そんなタラレバの後悔だけが脳髄を巡っていた。
あの事件から半年以上経った今でも、……姉ちゃんが居なくなった日は夢に見る。両親は色々と話しかけたり慰めようとしたりしてくれていたけど、ボクが引きこもって一か月が過ぎる頃には1日三回食事を持って来てくれる以外関わりがなくなっていた。
そしてある日、ある事に思い至る。……姉ちゃんは、「今の世界は私には生き辛い。私はこれから、生きたい様に生きる」と言っていた。なら、ボクが世界を変えられれば? 個性や、嗜好により差別が無くなれば? 彼女は、……姉ちゃんは帰って来てくれるんじゃないか? ただここでうずくまって悔やみ続けるよりも行動して変えようとした方がきっと償いになる。
ヒーローはダメだ。時間がかかり過ぎるうえに上位層にならなきゃ影響力もない。何より、今現在こんな社会になっているんだ。ボク一人が声を上げたところで今はない。
だからこそ、ヴィランだ。一度社会を徹底的に破壊して、新しく世界を作り直す。強ければ、凶悪であればニュースにもなる。影響力はそこらのヒーローよりも大きいだろう。
ーーだから、待ってて、ひみ姉ちゃん。ボクが世界を変えるからーー