前世の因縁が恋へと変わるまで…… 作:六畳仙人(ハーメルン)
神聖ルドベキア帝国皇太子、コレウス・マラカイト・ルドベキアが初めて戦場に出たのは彼が十二歳の時だった。
元々、軍事国家として名高いルドベキアの皇族に生まれたコレウスには、生まれながらにして剣の才が備わっていた。
それは天から与えられた賜物。
さらにコレウスは、幼少より絶え間ない鍛錬を重ね、その剣才を磨き続けていた。
十二歳の時点で、その腕前は彼の師であり帝国最強と謳われる剣士さえも一目置くほど。
そしてある日、コレウスは戦場で自らの剣の実力を試したくなった。
己が力を示し、武勲を立てたいという衝動が抑えきれなかったのだ。
本来、帝国では十五歳に達するまで戦場に立つことは禁じられている。
だが、若きコレウスは掟を破り、周囲の制止を振り切って戦場へと足を踏み入れた。
当時、帝国は隣国のサンビタリア王国と戦争をしていた。
きっかけは、サンビタリア王国による一方的な侵攻。
とはいえ、その戦争はすでに帝国軍の圧倒的な軍事力により形勢が決していた。
徴兵されたばかりの農民兵で構成されたサンビタリア王国軍を瞬く間に蹴散らした後、帝国はすぐさま反撃に転じていた。
王国領への侵攻に参戦した軍勢の数およそ十万。
その進軍は破竹の勢いだった。
このまま十五歳になるまで待っていたら戦争が終わってしまう。
コレウスがそう思わずにはいられないほどに、帝国軍の王国領への侵攻は順調だった。
実際コレウスが侵攻軍に合流した時には、帝国軍は既に最終侵攻目標の王都にまで迫っていたほどだ。
しかし、
「あのお……」
帝国軍の快進撃は、突然終わりを迎えた。
「大人しく退いてもらえませんか」
コレウスの初陣の戦場。
敵国サンビタリア王国の王都の目の先に広がっていた平原に——突然少女の声が響いた。
その透き通った声はあまりに静かで、戦場に響くには似つかわしくなかった。
声が耳に届いた瞬間、コレウスは思わず眉をひそめた。
何を言っているのか、一瞬理解できなかった。
視線を向けると——いた。
陽光の差し込む丘の上に、風に揺れる銀髪と、薄く透けるような白い衣をまとう少女がひとり。
——まるで御伽噺の世界から出てきた妖精みたいだ。
それが、少女に対するコレウスの第一印象だった。
「……敵兵、でしょうか?」
傍らの騎士も困惑の色を浮かべる。
「いや、違う。だが——あれは、只者じゃない」
ただ、生来の直感が告げていた。
あの可憐な少女は、恐ろしく危険だと。
だがそれでも、
「ふざけるな。進軍を止める理由などない」
コレウスは唇を噛み、剣の柄を強く握りしめた。
コレウスは少女の言葉に従って退くつもりはなかった。
初陣だ。
この戦いで、自分が帝国の未来を担う器であることを証明する。
その決意を、ただの少女の言葉ひとつで揺るがせるわけにはいかない。
コレウスに率いられていた帝国軍の将兵たちも同様に各々武器を手に構えた。
掟破りとはいえ皇太子の初陣。そんな大事な戦で敵国の小娘の戯言に従って進撃を止める理由などあるはずがなかった。
すると——
「無理……ですよね。わかりました。それでは——」
進軍の準備が整い、少女を捕虜にしようとしたその瞬間——
「神託に従い、あなたたちを倒します」
風が凍った。
空気が、世界そのものが音を失った。
目に見えない“何か”が、確かにこの戦場全体を覆ったのだ。
そして、それはコレウスの首筋に鋭い鎌を押し当てたかのような、ぞっとする死の感覚をもたらした。
思わず息を詰めた。
膝が震えそうになるのを、かろうじて堪える。
すると、少女が、剣を抜いた。
その刃はまばゆい光を放ち、あらゆる法則を超越した“何か”を秘めていた。
そして、一振り。
速く、鋭く、そして一切無駄のない——しかしあまりにも洗練され過ぎていて美しさよりも悍ましさを感じさせる一振りだった。
一振りだけだった。
だが、その剣が振るわれた瞬間——
空間が裂けた。
光が捻じれ、重力すら歪んだ。
「なっ……!」
コレウスは見た。見てしまった。
兵士たちが、音もなく消えていく光景を。
一陣の斬撃が放たれたその刹那、戦場にいた者たちは、まるで紙のように、薄氷のように砕け散っていった。
「……嘘だろ……っ!」
悲鳴を上げる間もなかった。
後方の騎士が、隣の兵士が、次々と肉体を保てずに崩れていく。蒸発するように、爆散するように、断絶するように。
気づけば、将兵も、護衛に付いていた精鋭の騎士たちも、誰もいなかった。
残されたのは、焦げた地面と、光の名残と、立ち尽くす自分自身。
いや、自分もまた、既に——。
「——ぐ、ぁ……!」
胸元に走る激痛。
視界が、黒く染まり始める。
——オレは……斬られたのか……?
信じられなかった。
自分は、剣才を持ち、帝国の未来と称され、帝国最強の剣士からも認められた存在だ。
そんな自分が、何もできないまま……反応することさえできず、ただの一太刀で……?
意識が沈む。
空も、音も、重さも失われていくその果てで——
——まさか、あの女が伝説の……
♠︎♠︎♠︎
サンビタリア王国に伝わる聖女の伝説。
それは隣国である神聖ルドベキア帝国にも伝わっていた。
いわく、聖女は"奇跡"と呼ばれる女神から授けられた力を使う。
奇跡とはいわば神の力そのもの。聖女とは、人でありながら唯一神の力の代理行使を認められた者なのだ。
聖女が剣を振れば世界が裂ける。聖女が祈れば星が降り注ぐ。聖女が望めば死者でさえ蘇る。
それはこの世界の人間が使える魔法——生命力を消費して使うことができる神の御業の猿真似とは次元が違う人知を超えた力だ。
その力がもしも人を害するために向けられたなら、抗う術など存在しない。
その日、王都にあと一歩まで迫った帝国軍の精鋭十万は一瞬にして壊滅した。
一方的な蹂躙だった。
帝国軍の先陣にいたコレウスも、彼を護衛していた精強な騎士たちも、彼に続いて進撃していた将兵たちも、たった一人の少女が放った一振りの斬撃によって屠られた。
けれど、コレウスの人生はそこで終わらなかった。
「……奇跡よ。人々を蘇らせなさい」
声が響いた。
次の瞬間、激痛と共に意識が戻った。
「——っ!」
息が詰まるほどの衝撃。
滝のような冷や汗。
焼けるような胸の痛み。
目を見開いたとき、コレウスの視界に映ったのは——同じく地面に倒れ、呻いている騎士たちや兵士たちの姿だった。
「生きてる……?」
間違いなく、彼らは跡形もなく消し飛ばされたはずだ。
それでも確かに、彼らは生きていた。
全員が、体のどこかに剣で斬られたような痕を刻まれた状態で。
——いや、生き返らされたのだ。
誰の手でか、それは明白だった。
「これは“警告”です」
声が降る。
銀の髪の少女が、静かに言葉を響かせる。
「もしまだ戦を続けるというのなら、今度こそ、“死”を与えます」
殺し、そして蘇らせ、恐怖を刻み込む。
その理不尽なまでの力は、もはや“奇跡”ではなく、“神罰”だった。
聖女による理不尽な宣告。
その宣告をもって、帝国軍の戦意は一人の犠牲者も出すことなく完全に折られてしまった。
「こんな化け物に勝てるはずがない」「もう死にたくない」「今度こそ殺される……」
帝国軍の兵士たちは皆、口々に呻く。
誰もが心を折られ、膝をつき、武器を捨てていく。
だが唯一人。
「ふざけるな……」
コレウスの心だけはくじけなかった。
恐怖はある。
死の感触はまだ胸に残っている。
だが、それでも——このまま終わるわけにはいかない。
そう決意を固めたコレウスは、唯一人、剣を手に再び銀の少女——聖女へと向き直った。
サンビタリア王国の聖女——前世のライラと神聖ルドベキア帝国の皇太子——コレウス・マラカイト・ルドベキア。
二人の因縁はこの日から始まった。