前世の因縁が恋へと変わるまで……   作:六畳仙人(ハーメルン)

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皇太子コレウスの追憶②

 

 

 

 

 聖女が戦場に現れてから——たった一人の少女の活躍で戦争の状況は一変した。

 

 それまで、帝国軍の進軍はまさに破竹だった。

 

 十万もの精鋭が、雪崩のごとく王国領を蹂躙し、王都までも目前に迫っていた。

 

 だが——彼らが“彼女”を目にした瞬間、すべてが崩れた。

 

 ただ一人の少女。

 銀色の聖女。

 

 その姿を目にしただけで、無敵と謳われた帝国軍は恐慌をきたし、軍の形すら保てないまま壊走するようになったのだ。

 

 戦場で何が起きたのか。

 なぜ、十万の軍勢が、たった一人の少女相手に敗れたのか。

 

 帝国の将たちは、報告書の意味を理解できず、信じようとしなかった。だが、実際に目にした兵士たちは皆、同じ言葉を繰り返すばかり。

 

 ——神を見た。勝てるわけがない。

 ——殺されたのに、生き返った。

 ——もうだめだぁ、おしまいだぁ……

 

 彼らの戦意は完全に失われていた。

 

 この事態を受けて、帝国軍はやむを得ず一時的な撤退を選ぶ。

 

 そして、すぐさま本国に向けて緊急報告が飛ばされた。

 

『聖女を排除せよ』

 

 恐怖と焦燥に駆られた帝国は、策を講じた。

 

 まず送り込まれたのは、新たに編成された計五万の別動隊。戦術も編成も見直され、万全の状態で再侵攻を試みた。

 

 ——しかし、失敗。

 

 続いて選ばれたのは、少数精鋭の暗殺部隊。夜陰に紛れての奇襲。誰にも知られぬまま、聖女を屠る計画だった。

 

 ——しかし、それもまた失敗。

 

 どちらの作戦でも、帰還した兵士たちは皆、共通して“癒えることのない傷”を抱えていた。

 

 肉体に深く刻まれた剣傷と、それ以上に深く刻まれた“死”の感覚。誰もが武器を握ることができなくなり、もはや兵としての機能を失っていた。

 

 帝国は悟った。

 

 ——これは、ただの戦争ではない。

 

 そうして、ついに最終手段が講じられる。

 

 帝国の切り札。

 “十二の魔剣”と、その担い手たちの投入。

 

 神話の時代より伝わる十二本の魔剣——帝国の“国宝”として厳重に保管されてきた伝説の剣たち。

 

 その剣を振るうことを許されているのは、帝国最強と認められた十一人の剣士たち。

 

 その存在こそが、神聖ルドベキア帝国を「軍事大国」たらしめる最大の根幹だった。

 

 中でも、帝国最強の名を冠する老剣士、剣聖エルシッドは別格である。

 

 彼は皇太子コレウスの剣の師であり、二振りの魔剣を同時に操る唯一の二刀流の魔剣使い。

 齢六十を超えてなお、戦場で未だ不敗。

 かつて、たった一人で敵国の城を落としたという武勇伝は、今や伝説として語られているほど。

 

 そしてついに——その剣聖を含む五人の魔剣使いが、“聖女討伐”の名のもとに戦場へと送り込まれることになった。

 

 本国の防衛を考慮した上で投入可能な全戦力の投入。

 

 その五人には、後に転生したライラの父となるローズクオーツ伯爵の若き日の姿。帝国の舞踏会で再会することになるオニキス男爵の姿も、そこにあった。

 

 すべては、たった一人の少女を“脅威”として排除するため。

 

 帝国は、ありとあらゆる誇りと戦力を、その少女——聖女ライラへと向けたのだった。

 

 

 

 

 だが——結果は、惨敗だった。

 

 帝国の威信を賭けた戦力。

 伝説の魔剣を携えし五人の精鋭。

 その中でも頂点に立つ剣聖エルシッドでさえも、聖女の前では無力だった。

 

 あの帝国最強の老剣士が倒れたという報せは、まさに帝国全土を震撼させた。

 

 それは、軍神が膝をついたも同然だった。

 

 剣聖エルシッド——二本の魔剣を振るう、帝国の象徴にして“帝国最強”とまで讃えられた剣士。その彼が敗れ、二振りの魔剣の片割れは跡形もなく砕け散った。

 

 他の魔剣使いたちも例外ではなかった。

 

 “神罰”のように振るわれる剣閃の前に、誰一人として抗う術はなく。

 

 聖女との戦いで計五本の魔剣が破壊され、担い手たちは生きて帰還こそしたものの、剣士としては完全に心を折られていた。

 

 ただ、実力者ゆえ、魔剣士たちは聖女に対して他の兵士たちとは違う感情を抱いていた。

 

 それは、恐怖ではなく一種の悟り。ある種の諦観。

 

 ——格が違い過ぎる。

 

 ——人間では、勝てない。

 

 ——勝てるビジョンが見えない。

 

 ——あの剣は人の剣技の到達点の遥か先にありますな。天賦の才を持つ者が神から剣を教わり、神と同じ肉体で剣を振るい、神が持つに相応しい剣を手にしてようやくあの領域に至れるでしょう。

 

 それが彼らが持ち帰った結論だった。

 

 この結果を受けて、神聖ルドベキア帝国は、ついに戦略的撤退を決断する。

 

 王国領からの、完全撤退。

 

 この決定は、帝国にとって屈辱の選択だった。軍事的には無敵を誇ってきた帝国が、初めて一人の“少女”によって退路を選ばざるを得なかった。

 

 しかし、撤退は逃亡ではない。

 後退には、必ず“殿”が必要だ。

 

 ただの王国軍なら撤退ついでに蹴散らせばいい。

 

 だが、どうしようもない敵が——聖女が追撃にやって来たならば、その進撃を一時でも食い止めるための盾——囮——犠牲が必要だった。

 

 殿部隊は精鋭の中の精鋭から選出された。

 既に恐怖に呑まれていた兵士たちの中から、なお戦える者たちが無理やり選ばれた。

 

 そして、誰もが選ばれるのを恐れていたその部隊の中に——

 

 誰も気づかなかった“ひとり”が、紛れ込んでいた。

 

「よし。誰にも気づかれずに済んだな……」

 

 兜の奥、鉄の面の下で、青年が静かに笑う。

 

 神聖ルドベキア帝国皇太子、コレウス・マラカイト・ルドベキア。

 

 一度死を味わい、蘇らされ、敗北の屈辱と恐怖を叩き込まれた少年。

 実は再び聖女に挑もうとした矢先、彼は部下たちの手で一度、無理やり本国に連れ戻されていた。そして皇帝の命で皇宮にて軟禁されていた。

 

 だが、もう一度戦場で聖女と相見えるため、成長したコレウスは、密かに皇宮を抜け出し前線に戻ってきていた。

 

 初めて聖女と出会った日——あの日の敗北の記憶を胸に焼き付けたまま。

 

 ——何もできずに死んで、それで終わりだなんて、認められるはずがない。

 

 たとえ誰に止められようとも。

 

「今度こそ、負けてたまるかよ」

 

 己の敗北を、ただの敗北で終わらせないために。

 奪われた誇りを、この手で取り戻すために。

 

 コレウスは、“殿”となる覚悟を秘め、聖女と再び相見えるために戦場へと足を踏み入れる。

 

 何より気にくわなかった。

 

「絶対にお前を倒してやる。聖女ライラ……!」

 

 戦場に似つかわしくない、妖精のように可憐なあの少女に自慢の剣技で敗れたことが。

 

 

 

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