前世の因縁が恋へと変わるまで……   作:六畳仙人(ハーメルン)

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皇太子コレウスの追憶④

 

 

 

 

 コレウスが聖女——ライラと剣を交えてから。

 

 帝国軍の撤退は、嘘のように順調に進むようになった。

 

 それは、皮肉にも“敵”であるはずの聖女ライラのおかげだった。

 

 彼女に女神から下された神託は、戦争を終わらせ、王国を救うこと。

 

 帝国軍、ひいては神聖ルドベキア帝国という国を亡ぼせというものではなかった。

 

 だからこそ、聖女ライラは明確に見定めた。

 

 ——帝国軍にもはや戦意はない。

 

 その事実を確認してから、彼女は決して王国軍に手出しをさせなかった。

 

 あくまで帝国軍が退却中に略奪や暴虐を働かないよう、王国軍を率いてその“監視”に徹するという、あまりに理知的で慈悲深い姿勢を見せた。

 

 勿論、王国の上層部は納得しなかった。

『いまこそ好機』『敵を殲滅せよ』『その勢いで帝国へ侵攻を』と、次々に命令と催促を突きつけてきた。

 

 だがライラは静かに首を横に振った。

 

 ——これ以上、血を流すべきではない、と。

 

 そのたった一言で、最前線に立つ王国軍の兵たちも剣を納めた。彼女の言葉には、それほどの力があった。

 

 こうして戦場は、異様なまでに静まり返った。

 

 戦争の終結が近づいている。

 だが——その沈黙の戦場の只中で、ただひとつだけ続いている戦いがあった。

 

 いいや、ただ“二人だけ”が、剣を交え続けていた。

 

 

 

 

「また今日も皇太子殿下が、聖女に挑みに行くらしいぞ」

 

「今日こそ勝ってくださいよ、殿下!」

 

 帝国軍の兵たちが、少しだけ笑みを浮かべながら見送る。

 

 それは嘲笑ではない。

 

 もはや“儀式”のようになった、若き皇太子の挑戦に送る、心からの声援だった。

 

 朝日が昇り、今日もまた撤退の一日が始まる。

 

「……ああ。今日こそ勝つさ」

 

 コレウスは、いつものように剣を携え、兵たちの声援を背に受けて歩き出す。

 

 目指すのは、両軍の中心——

 静寂が支配する戦場の中央。

 

 そこに、彼女は立っていた。

 

 今日もまた、変わらぬ姿で。

 

 銀の髪が風にたなびき、澄んだ宝石のような青い瞳がこちらを見つめている。

 

 ——サンビタリアの聖女、ライラ。

 

 コレウスが勝ちたいと願ってやまない相手。

 

 心を焦がすほどに、その剣を超えたいと想う存在。

 

「今日こそ、お前に勝つぞ。……ライラ」

「今日も勝つのは私だよ。剣馬鹿皇太子さま!」

 

 両軍が睨み合う戦場の空白地帯。

 

 二人のためだけに空けられた舞台で、今日も二人は剣を交える。

 

 

 

 

 

 

 ♠︎♠︎♠︎

 

「どうやって……それほどの剣技を手に入れた!」

 

 鋼がぶつかり合う音が、平野に響き渡る。

 両軍が沈黙する戦場の中心——たったふたりだけの、静かなる決闘の場で。

 

 何度目の交錯だっただろうか。

 刃と刃がすれ違うたび、空気が震え、時間が切り裂かれていく。

 

「女神様から祝福を受けるとね、実際には一瞬のはずなのに、永遠にも感じる時間の中で“聖女”として必要な力の使い方を教えてもらうの。……その中に、剣術もあったんだよ」

 

 軽やかな声が、剣戟の合間にこぼれる。

 まるで舞うように身を翻しながら、ライラはあっけらかんと言った。

 

 神に選ばれし存在——その力は、ただ与えられるだけのものではない。

 神そのものから直に教えを受けたのだと、そう告げる。

 

「女神から、直接、剣を……教わったのか」

 

 コレウスは、息を切らしながらその言葉を繰り返した。

 幼い頃から剣を握り続けてきた男にとって、それはもはや羨望を超えた、憧れに近い感情だった。

 

「いいな、それ……」

 

「ふふ、そうかもね。剣バカ皇太子さまにとっては。でも私は……もう二度と教わりたくないなぁ」

 

 ライラがくるくると笑う。

 その顔は汗に濡れてもなお、どこまでも透明で、綺麗だった。

 

 剣を振るう。

 剣が振るわれる。

 

 銀閃が走り、刃が空を切る。

 

 そのひとつひとつが、かつては到底届かなかったはずの“距離”を埋めていく。

 今では、たしかに自分の剣が、彼女の剣に近づいている。

 

 その実感が、コレウスの胸を熱くした。

 痛みも、息切れも、その一歩の進歩にすべてが報われる気がした。

 

「……なあ、もしオレが勝ったらさ、その“女神の剣”ってやつ、オレにも教えてくれよ!」

「えぇー……それ、めんどくさいよ」

 

 ライラが口を尖らせて返す。

 

 冗談のようなやりとり。

 だけど、それができる今の関係が——この“逢瀬”が、愛おしいとすら思えた。

 

 振るう剣も確かに美しい。

 だがそれ以上に、剣を振るう彼女自身が——美しかった。

 

 帝国の宮廷で顔を合わせてきた婚約者候補たちの誰にも、こんな気持ちは抱かなかった。

 

 彼女を見るだけで、胸の奥がざわつき、火が灯るように熱くなる。

 

 ——ああ……この時間が、ずっと続けばいいのに。

 

 剣を交えるたびにそう思った。

 朝が来て、挑みに行って、そして——また敗れて。

 

 それでも、また会いに行けるなら、それでいいとさえ思えてしまう。

 

 だが。

 

 終わりは、必ず訪れる。

 

「くっ……!」

 

 鋭く叩き込まれた一太刀。

 コレウスの魔剣が、大きく弾き飛ばされた。

 

 がしゃん、と硬い音を立てて、地面に転がる。

 

 一瞬の沈黙。

 

 今日の勝負が、決まった。

 

 今日もまた——コレウスの敗北だった。

 

 

 

 

 だが、それでも。

 

 ——また、明日がある。

 

 この戦争が続く限り。

 彼女が戦場に立ち続ける限り。

 自分は何度でも剣を握るだろう。

 

 敗北の痛みを知っても。

 命の重さを噛みしめても。

 この胸に灯った想いが尽きぬ限り——

 

 いつか必ず。

 この手で、彼女の剣を超えてみせる。

 

「……今日も、オレの負けだ」

 

 静かに、コレウスはそう告げると、ゆっくりと服を脱いだ。

 

 無防備に晒されたその身体には、数え切れぬほどの傷跡があった。

 

 そのどれもが、敗北の証。

 勝者である少女——ライラの剣が刻んだ“しるし”。

 

「さあ……刻めよ。今日の勝利を、オレに刻みつけろ」

 

 どこか誇らしげに、どこか照れくさそうに。けれど、真剣な目で。

 

 この儀式のようなやり取りは、もう何度目だろうか。

 

 だが今日は、様子が違った。

 

「……ねえ、もう、それ……やめにしない?」

 

 小さな声。

 風に消えそうなほど、控えめで。

 

「……? お前、敗者に斬り傷を刻むのが趣味じゃなかったのか?」

 

 冗談半分で返したつもりだった。

 

 しかし——

 

「違うよ!」

 

 ライラが、少し頬を赤らめながら強く否定した。

 

「それは……女神様に言われたから仕方なくやってただけなの」

 

 青い瞳が、真剣に揺れていた。

 

「“殺さずに済ませたいなら、敵の争う意志を絶ちなさい。死の感覚を、疼き続ける傷と共に刻みなさい。そうすれば、二度と戦場に立つことはなくなるでしょう”——って」

 

 その言葉に、コレウスは苦笑しながら肩をすくめた。

 

「……はは。やっぱりお前の剣の師は、女神様は恐ろしいな」

「と、とにかく!」

 

 ライラは小さくむくれたように頬を膨らませ、ぷいと顔を逸らす。

 

「あなたには……意味ないって言ってるの! 死の恐怖も超えてくるし、癒えない傷まで何だか嬉しそうにしてるし……も、もしかして本当に、ご褒美か何かだと思ってるんじゃ……?」

「思ってねえよ!?」

 

 コレウスは即座に突っ込んだ。

 だが確かに、こうして斬り結び、敗北し、傷を受け取るこの時間を——

 どこか、楽しんでしまっている自分がいた。

 

 それは剣のためか。

 彼女のためか。

 その両方かは、わからない。

 

「……とにかくだ」

 

 冗談を流すように肩を竦めながらも、コレウスは真っ直ぐに彼女を見た。

 

「いつかお前に勝った時……その時に、勝者としてこれまでの傷はお前に治してもらう。そのために、今日も刻んでおけ」

「えぇ〜、傷が一生治らないまま増えてくだけだよ?」

 

 ライラは困ったように眉を下げ、苦笑をこぼす。

 その口ぶりは、まるで”あなたが私に勝てるわけないじゃない”と言いたげで。

 

 ——だからこそ、コレウスは言いたくなった。

 

「言ってろ。……いつか絶対、オレはお前に勝つ。絶対にな」

 

 それはまだ届かぬ剣の高みにいる、彼女に向けた誓い。

 

 同時に、それを信じようとする自分自身への約束でもあった。

 

「また明日、お前に挑みに来る。だから……明日も、そこにいろ」

「わ、私はあくまで……剣バカ皇太子が暴走して王国の兵士を斬りつけないか、見張りに来ているだけだからね!」

 

 ぷいっと背を向けながらも、ライラの声はどこか弾んでいた。

 

 傷は増え続ける。

 だが、それと同じだけ——彼女と重ねた時間の証が、身体に刻まれていく。

 

「じゃあな——ライラ」

「バイバイ、剣バカ皇太子」

 

 それでいい。

 今はまだ、それで——

 

 

 

 

 

 

 

 その日の決闘を終え、殿部隊の陣に戻ったコレウスに、伝令が駆け寄ってきた。

 

 そのまま、息を切らし、目を輝かせながら、伝令の男が叫ぶ。

 

「戦争が……戦争が終わります! 王国との間に、正式な終戦条約が締結されたそうです!」

 

 その言葉が耳に入った瞬間、時間が、ひとつ終わった気がした。

 

 何事にも——終わりは、必ず訪れる。

 

 そして今、それが——来てしまった。

 

「……そうか」

 

 ぽつりと漏らしたコレウスの声は。

 どこまでも静かで、どこまでも寂しげだった。

 

 終わってしまうのだ。

 この戦争も。

 そして——彼女と剣を交わし続ける、このかけがえのない日々も。

 

 

 

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