前世の因縁が恋へと変わるまで……   作:六畳仙人(ハーメルン)

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皇太子コレウスの追憶⑤

 

 

 

 ついに、長く続いたサンビタリア王国と神聖ルドベキア帝国の戦争も終結を迎えようとしていた。

 

 帝国は、聖女という存在を前にしてなす術もなく押し戻され。

 王国もまた、戦勝の喜びと共に、これまで棚上げされていた国内問題が次々に噴き出し始めていた。

 

 互いに、これ以上戦いを続ける余力はなかった。

 だから、終戦条約は驚くほどあっさりと結ばれた。

 

 そして今日——

 

 国境地帯から、帝国軍の最後の部隊が撤収する。

 

 コレウスが忍び込んでいた殿部隊が、ようやく国境を越える。

 

 この撤収が完了すれば、戦争は正式に、完全に終わる。

 

 だというのに。

 

 コレウスは、国境とは逆の方へと一人だけ歩き出していた。

 

 向かう先は、国境を挟んだ王国軍の陣地。

 

 兵たちは驚き、戸惑った。

 だが、誰も彼を止めることはできなかった。

 なぜなら、コレウスが向かうその先には——

 

 

 早朝。

 両軍が睨み合う、空白地帯。

 

 その中央に、ただ一人。

 

 銀の髪を風に遊ばせ、静かに待っている少女の姿があった。

 

 ——ライラ。

 

 帝国を退けた救国の聖女。

 そして、コレウスが何度も何度も挑み、敗れてきた、特別な存在。

 

「今日で、最後だ」

 

 コレウスは立ち止まり、剣を引き抜いた。

 その声は、どこか寂しげだった。

 

「うん……ようやく、終わるね」

 

 ライラも応じた。

 その声は少しだけ震えているように感じられた。

 

 改めて、思い知る。

 

 今日が、最後なのだと。

 

 もう、これまでと同じ明日は来ないのだと。

 

「この戦争は……お前の国の——」

 

 そう言いかけて、コレウスは言葉を呑み込んだ。

 

 いまさら、そんな感傷はいらない。

 

「いや——お前の、勝ちだ。だが……」

 

 ほんの少し、苦笑して。

 そして、真っ直ぐに少女を見据える。

 

 その青い瞳を。

 その銀の髪を。

 

「この勝負にだけは、勝たせてもらうぞ!」

 

 今はただ、目の前にいる彼女だけを見ればいい。

 余計なものなどいらない。

 

 この最後の逢瀬に、すべてを懸ければいい。

 

「そっか……今日で最後、なんだね」

 

 ライラも剣を引き抜いた。

 

 その刃は、彼女の力を受けて淡く煌めいている。

 

 けれど珍しく——その顔には、どこか複雑な色が浮かんでいた。

 

「でも……負けないよ。私は」

 

 だがすぐに、彼女の表情も引き締まる。

 

 剣を構えた彼女は、いつも通り凛として、まっすぐだった。

 

「いくぞ、聖女ライラ」

 

「受けて立つよ、剣バカ皇太子……コレウス・マラカイト・ルドベキア」

 

 風が、二人の間を吹き抜ける。

 

 朝焼けの中、静かに。

 

 最後の戦いが始まった。

 

 

 

 

 ♠︎♠︎♠︎

 

 世界のすべてが、止まって見えた。

 

 広がる空白地帯。

 朝焼けに染まる空。

 戦争の終わりを見届ける者たちのざわめきさえ、遥か遠くへと消え去る。

 

 この瞬間、この場所に存在するのは、ただ——二人だけ。

 

 ——勝つ。今日こそは、必ず……ッ!

 

 コレウスは剣を振るった。

 

 音すら置き去りにして、一瞬で間合いを詰める。

 

 鋭く、研ぎ澄まされた一閃。

 その刃で——彼女の剣を弾こうとした。だが——

 

 流された。

 

 僅かに、しかし決定的に。

 彼女の剣は、柔らかな動きでその一閃を受け流す。

 

 相も変わらず、完璧で卓越した技量だった。

 

 コレウスは、悔しさではなく、ただ素直に感嘆する。

 そしてすぐに、次の手を考え、また剣を振るった。

 

 この“逢瀬”の時間は、長くは続かない。

 

 コレウスは、この一戦のために自らの生命力を、限界を超えて燃やしている。

 魔法による身体強化。

 それも後先を考えず、命を削るほどに。

 

 さらに——

 

 師である剣聖から託された魔剣。

 

 かつて神話の時代を生きた伝説の剣。

 

 その剣に秘められた魔力すら惜しみなく注ぎ、

 コレウスはようやく——ようやく、ライラと“同じ世界”に立っていた。

 

 だが、それは一時の奇跡にすぎない。

 

 魔剣も魔力を失い、ただの鋼へと回帰しつつあった。

 

 生命力も目に見えぬ煙のように、恐ろしい早さで内側から流れ出していた。

 

 一方で、ライラは違う。

 

 彼女が行使するのは、神の力そのもの。

 

 神から授けられた、真なる奇跡の力。

 

 その強化は、魔法とは次元が異なる。

 

 音速すら置き去りにし、剣速は、光の速さすら超えかねない。

 

 さらには——

 

 それを、彼女が望む限り、永遠に持続させることができる。

 

 もし、それだけの力を持つライラと同じ次元で渡り合おうとするならば——

 

 当然、そのためには、相応の代償が、必要だった。

 

 ほんの一瞬。

 ほんの刹那。

 

 それだけを再現するために。

 コレウスは、帝国最高の魔剣と、己の命を、燃やし尽くそうとしている。

 

 だが、それでも。

 

 そのほんのひとときだけでも。

 

 ——コレウスは確かに、ライラと同じ条件で、同じ速さで、剣を振るうことができていた。

 

 あとは——ただ、技量の問題だ。

 

 女神が授け、永遠のような一瞬の時間をかけて教え込まれたライラの剣。

 

 人の身を超越した、神の剣。

 

 その剣に、どこまで迫れるか。

 

 いや、迫るだけでは意味がない。

 

 剣が、また交錯する。

 

 一瞬のうちに幾度も、幾度も。

 

 その度に、己の剣技が洗練されていくのがわかる。

 

 空気が震え、光がきらめき、音が遅れて耳を打つ。

 

 永遠のように思える、刹那の時間。

 

 心の底から願ってやまない、ずっと続いてほしい時間。

 

 それでも、今日だけは。

 

 コレウスは決めていた。

 

 この手で——この剣で。

 必ず、自分自身の手で、この時間を終わらせると。

 

 ——お前の剣を。神の剣を。必ず超えてみせる!

 

 たった一度の——勝利という形で。

 

「……あっ!」

 

 剣戟の最中。

 

 コレウスの気迫が込められた剣撃が、ライラの体勢を崩した。

 

 驚愕した、彼女の瞳が見開かれる。

 

 ——今だ。ここしかない!

 

 最後の力を振り絞り、コレウスは剣を振り抜く。

 

 身体はもう限界だった。

 魔剣も、この一撃を最後に、ただの鋼の塊へと堕ちるだろう。

 

 だが、それでも、構わない。

 

 ——この一振りに、すべてを賭ける!

 

 幼き日より鍛え続けた剣才。

 帝国最強の剣聖から授かった技術。

 そして——ライラと斬り結んできた、すべての経験。

 

 そのすべてを、たった一振りに乗せて。

 

 ライラが咄嗟に構えた光剣へ、魔剣が振るわれ——

 

 

 

 鋼が折れる鈍い音が響き渡った。

 

 

 

 ——届かなかった……か。

 

 

 

 敗因は、ただひとつ。

 

 魔剣の魔力が、ライラの光り輝く剣と接触する直前、ほんの数瞬だけ早く尽きたこと。

 

 かつて魔剣と呼ばれていた、ただの鋼の塊は、ライラの光り輝く剣に触れた瞬間、弾くことも拮抗することもできず、脆く砕け散った。

 

 もしも——

 

 もしも、ほんの僅かでも。

 魔剣の魔力が残っていたなら。

 

 あるいは、魔力が尽きるより先に、剣の一閃を完了できていたなら。

 

 勝敗は、また違ったものになっていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 勝敗が決した。

 

 剣を失ったコレウスは、敗者として静かに顔を上げる。

 その視線の先には、なおも光剣を手に佇むライラの姿があった。

 

「……俺の、負けだ」

 

 滲む悔しさを押し殺し、コレウスは振り絞るように告げた。

 

 届きそうだった。

 あと一歩、ほんのわずかで、超えられそうだった。

 

 だが、結果は敗北。

 

 この敗北を、剣のせいにするつもりはない。

 最後に一歩届かなかったのは、わずかな剣速の遅れ、己の未熟さがゆえだ。

 

 分かっている。

 それでも、この胸を焼く悔しさだけは、どうしても拭えなかった。

 

 その時だった。

 

「ううん……今回は、私の負けだよ」

 

 勝者であるはずのライラが、あっさりとそう言った。

 

「……は?」

 

 コレウスは思わず、間抜けな声を漏らす。

 

「負けは負けだろう」

 

「違うよ。ちゃんと見てよ」

 

 ライラは、自らの肩を指さした。

 

 そこには、小さく、それでも確かに、薄紅に染まった傷があった。

 

「あなたの剣は砕けたけど……その破片が、私に届いてたの」

 

 ——届いていた。

 

 聖女に。

 ライラに。

 たしかに、剣が——届いていた。

 

「だから、今回は私の負け」

 

 ライラは優しく微笑むと、そっと手を翳した。

 

 瞬間——

 

 コレウスの身体が、淡い光に包まれる。

 

 聖女の奇跡の力。

 

 酷使した肉体の痛み、絞り尽くしたはずの生命力までもが、みるみる蘇っていく。

 

「……言ってたでしょ?」

 

 彼女は言う。

 どこか、懐かしむような声音で。

 

「いつか勝者になったら、私に傷を治してもらうって。だから——」

 

 光は、これまでコレウスの身体に刻まれてきた無数の傷跡まで癒していく。

 

 彼女と……ライラと剣を交わし続けた、あの日々の、あの証たちが——消えていく。

 

「……待て」

 

 気づけば、コレウスは叫んでいた。

 

 この瞬間を待ち望んでいたはずだった。

 

 聖女に、ライラに勝ち、認めさせるその瞬間を。

 

 勝者として、敗北の証を消し去るその時を。

 

 けれど——

 

 胸の奥に湧き上がったのは、歓喜でも安堵でもなく。

 

 ただ、抗いがたい不満と焦燥だった。

 

「今回は引き分けだ。だから……やり直しだ」

 

 息を切らしながら、コレウスは叫ぶ。

 

「今から別の魔剣取ってくる。それまで待ってろ!」

 

 こんな中途半端な結果では、満足できない。

 

 こんなものでは、納得できない。

 

 これでは、神の剣を……ライラの剣を超えたとは、到底言えない。

 

「……ほんと、へんな人」

 

 すると、ライラは呆れたように、けれどどこか嬉しそうに、笑った。

 

「なら……次は、戦場じゃなくて」

 

 そっと、静かに言った。

 

「平和になった世界のどこかで。命を懸けないで済む方法で……剣闘でも、剣舞でもいいから、純粋に剣の腕を競う何かで……今度こそ、ちゃんと決着をつけましょう」

 

「……ああ」

 

 その言葉に、コレウスも頷いた。

 

「お前と剣を交わせるなら、どんな場所でも構わない」

「ふふっ、相変わらず剣バカなんだから。じゃあ約束ね」

 

 そして、二人は約束を交わした。

 

「——いつか。また会った時に」

「ああ、約束だ」

 

 コレウスは力強く応じた。

 

「その時こそ、俺はお前に勝ってみせる」

「むぅ、次は油断しないからね。絶対に勝って、『まいりました、ライラ様』って言わせてあげるんだから!」

「……なら、オレが勝ったら——」

 

 言いかけて、コレウスはふっと笑った。

 

 最初は、かつて考えていたように、『まいりました、皇太子殿下』とでも言わせてやろうかと思った。

 

 けれど、せっかくなら。

 

 せっかく勝者として、真に認められたなら。

 

 もっと、別の——

 

「……いや、またその時、考えるさ」

 

 こうして、コレウスは——

 

 長きに渡る聖女ライラとの戦場での関係に、ひとまず幕を下ろした。

 

 いつか、必ず。もう一度。

 

 彼女とまた会える日を想いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから——

 

 半年と少しばかりが過ぎた頃だった。

 

 聖女ライラが、サンビタリア王国で処刑されたと。

 

 その報せが、コレウスのもとに届いたのは。

 

 

 

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