こんにちは、対ホロウ特別行動部第0課です。~新エリー都の影だった少女は、自分探しに行くようです~ 作:俺がいれば、他はいらん
『先日起きた赤牙組による襲撃事件ですが、治安局の捜査による進展はなく──』
あれから数日後、0課オフィス内。
ひと仕事を終えたシルエットには、数日の休暇を取る権利が与えられた。とはいえ、素直にそんな休暇を享受するほど、彼女は楽観的な性格ではない。
「……すみません、しくじりました」
今日は上座のデスクにゆったりと座っている課長──「ノワール」に、シルエットは頭を下げる。
ノワールはシルエットを一瞥すると、あまり興味なさそうにゲテモノジュースの缶をきゅっと傾け、椅子をくるりと回転させて彼女に向き直る。
「別に構わないのよ、『シルエット』。病院から出てすぐ謝罪なんて。今回の失敗は確かに残念だったけれど、上層部からも特にお咎めはなかったわ……まるで、
「……」
「まだ全快じゃないのだから、しばらくは『チェンバレン』と私が対処するわ。あなたはもうしばらく休養すること」
「ですが……」
「あら、私の命令が聞けないの?」
「……分かりました」
「今日は帰って大丈夫。その右目も
「そうですね。……そうします」
あまり軽くない足取りでデスクに戻り、上着を羽織る。
向かいのデスクにいるチェンバレンが、
「『シルエット』、君、
と紙袋を渡してきた。
「あそこですか?」
「そうそう。店長くんたちによろしく言っておいてくれ。今回のやつも最高に面白かったとな」
「分かりました。じゃあ、行ってきます」
そう言って、彼女はオフィスを出た。その背中を見送ってから、ノワールはチェンバレンへ言う。
「それじゃあ、チェンバレン。あの子の代わりに、あなたに仕事を頼もうかしら」
「構いませんよ、マダム」
「ヴィジョン・コーポレーションの件についてよ──」
***
のどかな街、六分街。
新エリー都住みたい街ランキング上位の常連で、ルミナスクエアほどではないが商業施設などもそれなりに充実した住みよい街だ。唯一の欠点はいつまで経っても工事が終わらないことだが、それは新エリー都のそこかしこで言えることだろう。
シルエットが地下鉄の駅から地上へ出ると、そこにはいつもと変わらぬ景色が広がっていた。
数日前にも仕事で来たが、仕事で来るのとプライベートで来るのとではやはり趣が違う。
彼女はこの街の雰囲気を気に入っていた。ここだけは、新エリー都のきらびやかさとも、影の淀みとも隔絶されたような感じがするのだ。最も、この街と都市の影は、無縁というわけでもないのだが。
例えば、左手側の店ではホロウレイダー向けの「音動機」が販売されているし、目的地の一つであるカスタムショップでは、ホロウ内での戦闘を見越したボンプの改造を請け負っている。
「逆に言えば……光と影の調和とも言えるのでしょうか」
街をゆっくりと歩きながら、彼女は誰に言うでもなく呟いた。
彼女は、この街のそういうあり方が自分に合っていると思っている。
喫茶店『COFF CAFE』の前を通りがかると、そのテラスに見知った人物が座っているのが目に入った。
向こうも、こちらの存在に気づいたようだ。ひらひらとこちらに手を振っている。
「やあ、こんにちは。久しぶりだね。今日はグレゴリーさんと一緒じゃないのかい?」
「ええ。今日は叔父の代わりにビデオを返しに来ました」
そこに座っていたのは、白髪で華奢な青年。名前はアキラと言う。六分街の一角で『Random Play』というビデオ屋を経営しており、そこに二人いる店長の片割れだった。
チェンバレンはそこの常連で、そのよしみでシルエットも彼、そして彼の妹とも知り合いなのだった。
「そうなのかい? 珍しいね。あの人はいつも……こう言うのは失礼かもしれないけど、かなり気ままな生活をしているような感じがしたんだけど」
「実際そうですよ。今日はわたしのほうが暇になったので、出向いてきただけですから」
「そうだったのか。……」
アキラはそういうと、シルエットの服装をちらりと見る。
(しまった、私服に着替えるのをすっかり忘れていました)
「君ばかり立っているのもあれだし、よかったら座ってゆっくり話さないか? もちろん、無理強いはしないけれど」
「うーん……」
とシルエットは少しだけ考え、
「たまにはコーヒーも良いかもしれません」
「それなら僕が奢るよ。誘ったのは僕だからね」
「お構いなく。奢られるのは性分に合わないので」
彼女は断って、ティンズ・スペシャルを注文し、アキラの向かいに座った。
一口含むと、飲み慣れていないコーヒーの苦みが直接舌を刺激する。
「ひとつ、聞いてもいいかい?」
「どうぞ、答えられる範囲でお答えします」
「はは、まるで芸能事務所の人みたいだ。その……初対面みたいで申し訳ないんだけれど、君の名前を教えてくれないか?」
「わたしは……スキアーです」
「スキアーさん。うん、覚えたよ。いつもグレゴリーさんと一緒にいて、なかなか話す機会がなかったものだから」
そういうと、アキラもコーヒーに口をつける。
スキアーというのは、偽名だ。
シルエットには本名というものがない。ないというより、覚えていないというのが適切だ。
コードネームを名乗る必要のない相手には、いつもこの名を名乗っている。公的書類にも、この名前が書かれていることがほとんどだ。
「わたしのことなど覚えていただかなくて結構ですよ」
「そんなことないさ。こうして来てくれた以上、君もうちの大切なお客さんだ。せっかくだし、会員カードを作っていかないかい? サービスするよ」
(覚えていただかないほうが、お互いのメリットになると思うのですが……どうしたものか……)
とは思っているものの、彼女も彼の厚意を無碍にするほど冷酷な性格ではなかった。
少し考える素振りを見せたあと、少しだけ笑ってこう答える。
「では、せっかくですし。とは言っても、わたしはあまり映画には興味が湧きませんが」
「そうかな。僕からすれば、君はきっと気にいるはずだ。例えば……スパイアクションとか」
スパイアクション、というのを聞いて、シルエットは一瞬、少しだけ動揺した。
彼女のやっている仕事も、それに似通ったものだ。なにか勘付かれた? とアキラの表情を伺うが、特にそんな様子はない。
(偶然、ですか)
「スパイアクションは見たことがありません」
「面白いものを各種取り揃えているよ。リンにも聞いてみてくれ、彼女のほうが、そのジャンルには詳しいはずだ」
「ご丁寧にありがとうございます。では、わたしはこれで」
「え、いつの間に?」
気がつけば空になっていたコーヒーカップを机において、彼女は席を立った。
「さようなら、……アキラさん」
彼女はほんの一瞬、このビデオ屋の店長に記憶処理を施すべきか逡巡し、そっと目を反らした。
彼は一市民だ。無闇矢鱈に、記憶を奪っていい相手ではない、と、そう思ったからだ。
(それに、スキアーという名前くらいなら、知られても大丈夫でしょう)
喫茶店から少し歩くと、『Random Play』はすぐそこにある。
扉を開けると、カウンターには一人の溌剌とした少女が退屈そうに座っていた。
彼女はアキラの妹、リン。名前の通り、鈴のような少女だ──よく笑い、よく喋る。
「いらっしゃいませ! あ、グレゴリーさんの!」
「叔父がお世話になってます。今日は返却に来ました」
といって、シルエットはビデオの収納ケースをカウンターに差し出す。
はいはーい、とリンはそれをカウンターの下にしまい込んだ。
「それと……今日は、一本ビデオを借りたいのですが」
「えぇ~? 珍しいね……えっと……」
「スキアーです。どうぞよろしく」
「スキアーさん、だね! これからもよしなに~」
と冗談めかしてリンは笑い、手際よく会員カードを発行し、シルエットに手渡した。
「それで、何を借りるの?」
「……アキラさんから、スパイアクションをおすすめされました。リンさんのほうが詳しいともおっしゃっていたのですが、なにかおすすめはありますか?」
リンはきょとんとした顔をする。
どうやら目の前の客が、自分の兄と会っていたことに驚いているようだった。
カウンターを出て陳列棚のほうに向かいつつ、彼女は話を続けた。
「お兄ちゃんが? いつ?」
「先ほど、喫茶店でお会いして」
「ふ~ん、そんなところでのんびりしてたんだ……まあいいけど。それで、スパイアクションだったよね。それなら……これがおすすめかな。入門にはぴったりだと思うな~。みたことある?」
差し出されたのは、少し古い映画だった。
旧都を舞台にしたスパイもので、世間を揺るがすほどの発明が盗み出されたところから始まる潜入劇のようだ。
先日の仕事と少し似ている、と思いながら、シルエットはそれを受け取った。
「いえ、見たことはありません。面白そうですね」
「じゃあ、決まりっ! 返しに来るとき、感想教えてね」
こくり、と頷き、シルエットは会計を済ませて店を出た。
***
表の店で、生活必需品以外の買い物をしたのは久しぶりだ、と彼女はふと考えた。
この仕事を始めてから──といってもこの仕事を始める前のことはほとんど覚えていない──食料品と家具以外の買い物はしたことがなかったのだ。
新鮮な気持ちになりながら、本来の用事であるカスタムショップへと立ち寄る。
そう、シルエットの本来の用事は右目のデバイスの調整なのだ。H.A.N.Dの技術者が調整することもあるが、数年前から彼女はここ六分街にある、エンゾーという男のカスタムショップに世話になっていた。
「こんにちは……」
店の扉を開けると、いかにも技術者といった男が作業台から顔を上げた。
作業台の上にはボンプが寝転がっており、なんらかの調整中だったことが見て取れる。
「おお、あんたか。久しぶりだな。いつもの調整か?」
「ええ、お願いします。お忙しければ、あとでも大丈夫ですが」
「いや、暇してたところだ。どれ、見せてみな」
右目のデバイスを取り外し、エンゾーに渡す。
侵蝕を受けた右目が、顕になる。
その瞳には光は入っていない。左目の瞳と違い、その色はエーテルのゆらぎと同じ色に揺らめいていた。
彼は、デバイスを接続するための金属端子が埋め込まれた目の周囲を軽く拭い、
「たまには外したほうがいい。侵蝕のせいで見えないだろうが……その周囲はまだ生身で無事なんだからケアが必要だ」
「……どうも」
「しっかし、またひどく壊したな。なんだこりゃ……電子部品がいくつかダメになってる。在庫あったかな……」
ぶつぶつとつぶやきながら、彼は一度店の奥へと引っ込み、「あったあった」と上機嫌で戻ってきた。
「すぐ直せそうだ。ちょっと待ってろ」
頷いて、シルエットは店内の椅子に座り込んだ。
彼は、何も聞かない。
彼の客に何かを聞くということ自体が危険なことであって、不必要なことだと理解しているからだ。
しばらく機械の駆動音だけが響いていたが、やがてそれも止み、
「できたぞ」
と彼がデバイスを持ってきた。
「おまけで電磁パルスにもある程度耐えられるようにしておいた。その分料金は上がるが構わないな?」
「ご親切にどうも。領収書も切ってください。宛名はいつもの通りで」
「おう」
そして、彼女は店を出た。
休暇とはいえ、こんな長閑な日はいつぶりだろうか。
逆に、彼女は落ち着かなかった。
どこか焦燥感や罪悪感を感じながら、彼女は家路に着くのだった。
***
そんな休日から幾日か経ったある日。
十四分街の自宅で、彼女は警報を聞いた。
『共生ホロウが発生。ホロウ災害が発生しました。住民の皆様は避難を──』