外宇宙探査機作ろうとしたらギレン閣下に呼ばれた件 作:煤けた人
執務室の照明が落とされ、壁面モニターの光がギレン・ザビの顔半分を白く照らしている。
その眼はいつものように冷たい。だが、内には揺るがぬ意思が宿っていた。
――慣性制御理論。
その単語が映し出された電子論文のタイトルを、彼はしばし黙読していた。
「これは技術というより、もはや…」
「……技術の論文ではない。“概念”の設計図だ」
「無数の力を一点に収束させる――まるで、世界そのものを“制御”せんとする意志がある」
静かに、椅子の背もたれに体を預ける。
ミノフスキーが遺した理論ではなく、“未知を制御する知”――それこそがジオンの勝利を決定づけると確信していた。
ミノフスキーが“壁を壊した”なら、ノヴァは“扉を作る”事のできる存在だと、ギレンは1人思う。
ザビ家は力を、ガルマは民心を、キシリアは情報を、ドズルは兵を、
――だが、“真に戦況を覆す者”は、往々にして異端の才だ。一部の天才こそが、真に新しい時代を作るのだと、ギレンは確信していた。
ディスティ・ノヴァ。
ジオンの孤児から突如として現れた“知”で戦況を変える存在。制御できぬ“異分子”か、得難い“旗印”か。
「見極めねばならん」
ギレンは静かに立ち上がると、卓上の通信端末を取った。きっかり1コールの後に、相手が通信に出る。
向こうに出たのは親衛隊幕僚。合成音声のような返事が返る。
「MIP第2班に、新規開発枠を割り振れ。コードは“Z案”……地球降下作戦を想定した水中戦機動兵器の試作開発だ」
「了解しました。担当技術者は――?」
「ディスティ・ノヴァ。彼の応答を受けて直ちにデータを送れ。……この任務において、彼が“有用”か“単なる幻想”かが分かるだろう」
それは、ギレンによる試験であり、挑発であり――あるいは、忠誠の徴である。
ギレン・ザビはそれ以上何も語らず、モニターを閉じた。
その瞳には、まだ戦火を知らぬ“世界の構造”を壊す確信があった。
♦︎
親衛隊の黒服が、書類を机に置く。手袋越しの動きすら、訓練され尽くしたように滑らかだった。
「閣下は仰いました。地球表面の七割が海である以上、水中機動戦力は戦略の要となる、と」
僕は一瞬だけ視線を上げ、彼の無機質な表情を見た。
資料の端にホログラムで表示された設計案は、まるで命のない外骨格のように浮かんでいる。
少しだけ息を吸って、僕は静かに言葉を探す。
「確かに海は広いです。でも、補給も整備も出撃も、結局は陸で行われる。……戦線が伸びたとき、複数の水中機を運用するのはロスが多すぎます」
言いながら、机の上のラフ案に指を伸ばし、一枚だけ引き寄せる。装備仕様案に書かれた過剰なバリエーション。書いた本人すら、これを量産できるとは思っていないだろう。
「物資の多くも陸路から供給されます。仮に海中戦を制しても、陸地を押さえなければ意味がありません。水陸両用機は……少数の種類に留めておくべきです」
ホロパネルの表示がゆっくりと切り替わる。その一瞬に、僕はほんのわずかに視線を落とした。
――この提言が、どこまで届くのか。測りきれない不安が喉元に滲む。
「それに、水中用MSをバリエーションごとに開発してしまえば、整備・補給・訓練すべてが崩壊する可能性すらあります。……全ての機体が別言語で動いているようなものです」
言い切ったあと、少しだけ口元に手を添えて黙る。言葉を重ねすぎれば、誤解を生む。
対面の親衛隊員は、微動だにせず僕を見ていた。
「ジオンと連邦の国力差は数十対一とも言われています。今のジオンの国力とインフラで、多様な水陸両用機を支えられるとは思えません」
やがて、モニターの隅に投影された「連邦軍降下ルート予測」の図に目をやる。青い軌跡が、世界各地に広がっていた。
「連邦は衛星軌道からの降下補給が可能です。彼らには、物量と補給を重ねて行うことができる。我々が少数精鋭で挑むなら、整備ラインの共通化と、機体の役割統合こそが肝要です」
「……そうお考えか?」
黒服の声が静かに返る。問いというより、確認。
「はい。“勝ち筋”があるなら、それを読み違えないことが重要です」
――静寂。
そして、親衛隊員はわずかに眉を上げ、何も言わずに一礼して去っていった。
残された書類には、“水中機動兵器:試作バリエーション候補群”のラフ案が複数添付されていた。
どうやら――僕の言葉は、無視されなかったらしい。
「……肝を冷やしましたよ、ほんとに」
Z案の初期設計案を提出した翌日、ロスコーは半分笑いながら溜息をついた。
「ギレン閣下の“親衛隊”直々の視察とか、冗談じゃないですよ。下手すりゃ俺たち研究室ごと吹っ飛んでた」
「けど、悪くない反応だったよ」
「悪くない? あれで?」
「設計は通った。開発予算も増額された。つまり、次の手が打てるってことだね」
ノヴァはZ案のホロ設計図に目をやる。
「――あの水冷式の関節構造、もっとシンプルにできる。それにあのクロー、潜水艦に直接攻撃できるのはいいが、抜けなくなる可能性をはらんでいる。着脱式にすべきだ」
「……それ、親衛隊に聞かれたら怒られますよ?」
ロスコーが苦笑する。
「でも、まあ。先輩がそう言うなら、たぶんそうなんでしょうね」
ノヴァは目の下にうっすらと隈を浮かべたまま、ホロ端末を起動した。
「Z案を出しつつ、並行して……こっちも進める」
ロスコーはその画面を覗き込んで目を細める。
「R-1……まだやってたんですか。…またずいぶん、骨組みだけって感じの設計ですね」
「装甲はとりあえず後回し。これは推力制御系とリアクター応答性の試験母体にすぎないよ。……いずれ“それ”を搭載する母体になるだろうね」
「“それ”?」
「……“慣性制御システム”」
言い終えて、しばし沈黙が落ちる。
ロスコーがぽつりと呟いた。
「……先輩、宇宙科学研究所じゃあんなに無邪気に“波動制御”の話してたのに。俺も、“宇宙開拓の推進力”になるって、本気で信じてた」
「でも、現実は“戦争の現場”だった」
ノヴァの言葉は乾いていたが、責める調子はなかった。
しばし視線を交わす二人。その背中越しに、Z案の機体とR-1の開発画面が並んで光を放っていた。
けれど、それでも――
彼らは諦めていなかった。
“未来を変える技術”は、たとえそれが兵器であっても、未来そのものを閉ざす理由にはならない。
二人とも、まだどこかで信じているのだ。“その先”に意味があると。
♦︎
報告書の束を読み終え、ギレン・ザビは無言のままペンを置いた。
室内には総帥直属の幕僚のみが控えていたが、誰も声を発しようとしない。全員がギレンの次の言葉を待っていた。
「水中機動兵器のZ案、初期試作の設計評価……そして、その設計者であるノヴァからの進言か」
ホロモニターに浮かぶのはノヴァのコメント文。
「海が広いとはいえ、戦線維持は陸地で行われる。水中用兵器の多様化は、後方支援と補給の足枷になる。さらに、水中用兵器の多様化により資源と整備も圧迫される、か」
簡潔でありながら、的を射た進言だった。
ギレンは手を組み、沈黙の中で数秒だけ考えた。
「合理的だ。感情に流されず、自己の任務に忠実である」
そこには、反抗心も迎合もない。ただ、戦略と技術を突き詰めた視座があった。
自らの兵器が否定される可能性を孕みながらも、その事実に即した助言を行うという胆力。
それを“無礼”と切り捨てることも、“独断”と咎めることも、ギレンにはできなかった。
「……使える。いや、使い甲斐がある」
低く呟いたその言葉に、幕僚の一人が小さく首をかしげた。
「閣下、ご指示は?」
「あの機体の開発は続行させろ。バリエーション機の開発は凍結。……ノヴァには伝えよ。進言、確かに届いたとな」
「承知しました」
ギレンは静かに背もたれに体を預けた。
冷徹な選別を経てなお、残る者こそ真に“使える”。その信念は変わらない。
――あの男、“戦後”にも通用するかもしれん。
そう思った瞬間、ギレンの瞳に一瞬だけ光が灯った。
それは栄光か、利用か、あるいは粛清の対象としての記憶か――
それを決めるのは、まだ先の話だ。
ギレンはゆっくりと瞼を閉じ、数週間前の記憶を呼び起こす。
──初めて“あの論文”に触れた夜のことを。
あれは一ヶ月前のことだった。
夜、軍務省より回された“技術審査資料”の束の中に、一際異質なものがあった。
表紙には、こう記されていた。
『空間慣性流の非対称性制御理論――“慣性傾斜制御”による運動応答の最適化について』
最初は、ありふれた学生論文の延長と思った。だが数ページ読み進めた時点で、ギレンは眉をひそめ、そして……顔を上げた。
その論文には、現代物理学の制約を当然のごとく乗り越える“思考”があった。
理論の前提として――この宇宙が本来持つ対称性と、それに付随する「無意識的慣性」を打ち消すための制御アルゴリズム。
それは兵器開発に応用すれば、MSの反応速度を数倍に跳ね上げ、ミノフスキー粒子下での制御系を根本から刷新しうるものだった。
だが、ギレンの目を惹いたのはその“応用可能性”ではない。
――思想だった。
この理論がもし真実であるならば、戦争は“機体性能”ではなく“空間の設計思想”を奪い合うものへと変質する。
戦場を動かすのは、機械ではなく空間の定義そのものになる。
力の支配が終わり、“知の支配”が始まる。
その思想は、まるで新しい宗教にも似ていた。
(これは――兵器の論文ではない。“世界の書き換え方”の設計図だ)
ミノフスキーが「既存の秩序に風穴を空けた」ならば、この“ディスティ・ノヴァ”なる男は、「秩序そのものを書き換える者」なのかもしれない。
ギレンはその夜、論文の最後の数行を何度も読み返した。
『秩序とは、支配のための言語である。だが、支配の主体が変われば、その言語もまた変わらねばならない。』
(……貴様は、どちらだ? 秩序の支配者か、革命者か?)
あの夜、ギレン・ザビは確信していた。
この男は、使える。だが、使いこなせなければ――いずれ排除せねばならない。