デート・ア・ライブIF 【エラー】   作:セルヴェイエ

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というわけで第…何話?

質問でもありましたが、こちらとしては考察だろうが展開予想だろうがなんでも大丈夫ですよ。





物語の考察をして当たると嬉しいですからね。少しでも観ている方たちが面白くなれるようにしていますのでね、何でもジャンジャン書き込んじゃって下さい。



それでは、始まりです。







黎明の刻動 【十八】

 

 

 

士道は、フラフラと公園のベンチまで歩くと、どすん、と力無く腰を落とした。

 

「…………」 頭の中には、今さっき目の前で繰り広げられた光景がぐるぐると渦巻いていた。

 

狂三が、人を殺し、真那が、狂三を殺す光景。 頭の中ではわかっていたのだ。十香と折紙だって──極論すればそんな関係性だった。 十香にその気がなくて、 折紙に精霊を殺す力がなかっただけ。

 

この二ヶ月間で十香がこの世界に慣れ、士道の緊張感が抜けていたことは否めない。 ほんのわずかでもバランスが崩れていたなら、今のような光景をもっと早くに目にしていた可能性だってあるのに。 殺意を持った十香と、精霊を殺すだけの力をもった折紙。

 

狂三と真那は──まさに、最悪の可能性を選んでしまった十香と折紙のようだった。

 

 

「なんなんだよ……そりゃあ……ッ」全てに、納得がいかない。 なぜ、狂三はあんなにも簡単に人が殺せるのか。

 

なぜ、真那はあんなにも簡単に狂三が殺せるのか。 頭のどこかで甘えがあった。口先では危険と叫びながら、精霊はみんな十香や四糸乃のように本当はいい奴に違いないだなんて、都合のいい思考があった。結局ASTには精霊を殺せるはずなんてないという傲りがあった……!

 

 

 

と。

 

 

『浮かない顔だな。』 そこに、聞き慣れた呼び声がかけられて、士道はハッと顔 を上げた。

 

 

「佐藤……」

 

 

『大方、あの精霊の本性でも見たんだろう?』

 

 

「……ああ」

士道は力なく首肯した。

 

 

『今は帰れ、いつまでもこんな所にいる訳にもいかないだろ?』

 

 

 

士道は言葉を返す余裕もなく、ベンチから立ち上がると歩き出した。佐藤がどんな顔をしたかは…分からない。

 

 

そして、人気のない道に差し掛かったところで、士道は奇妙な浮遊感に包まれるのを感じた。

 

 

「……っ、これは──」 覚えがある。これは、〈フラクシナス〉の転送装置だ。

 

予想通り、一瞬のあと士道の視界は、人通りのない公園の一角から、〈フラク シナス〉の内部に変貌していた。

 

「──無事で何よりよ」 と、士道の背に、そんな声がかけられる。振り向くと、そこには深紅の軍服を肩がけにした琴里が、難しげな顔をしながら立っていた。

 

 

「……琴里」

 

「ようやく転送可能な位置に移動したわね。何度も呼びかけたのだけれど?」 言われて士道は右耳に手をやり、目を見開いた。

 

 

「……インカム、ねえや」 そう、そこには、任務中はいつも付けているインカムがなかったの である。どこかで落としてしまったらしい。……今の今まで気づいていなかった。

 

 

「落としたの? いつ?」

 

「……悪い、よくわからん」 士道が答えると、琴里は小さくうなるようにのどを鳴らしてからあごに手を置いた。

 

 

「……考えられるとしたら、狂三に襲われたとき……? じゃあさっきの声は──」

 

「どうかしたのか……?」 士道が訊ねると、琴里は小さく息を 吐 は いて首を横に振った。

 

 

「何でもないわ。──それより、怪我の手当てをしましょ。つ いてらっしゃい」

 

 

「……っ、ああ……」

士道は力なく答えると、琴里のあとをついていった。

 

 

「……なあ」 道中、士道は琴里の背に声をかけた。

 

 

「何よ」

 

「俺の──俺たちのしてることは、正しいんだ よな……?」

琴里は通路に靴音を響かせるのを止めると、士道の方にキッと目を向けてきた。

 

 

「それって、どういう意味?」

 

「……俺は、精霊が……自分の意思とは関係なく空間震を起こしちまう存在が、理不尽に襲われるのが許せなくて、おまえたちに協力してるんだ」

 

「……ええ、そうね」

 

「でも……狂三は、人を──」

人を、殺していた。空間震ではなく、自分の手で。自分の意思で。 それが、どうしようもなく、悲しくて、恐ろしかった。

 

「何が言いたいのよ」

 

「俺には……無理だ……」

 

 

士道は──ついにその言葉を吐き出した。

 

 

「今まで上手くいってたのは、十香や四糸乃が偶然いい奴だったからなんだよ……。結局……俺には、何も──」

 

と、そこで士道は言葉を止めた。──正確には、止めさせられた。 琴里が士道の襟首を引っ張り、見事な平手打ちで士道の頬を叩いたからだ。

 

「え、あ……」

 

「……随分と根性がなくなったものね……ッ」

 

士道が呆然としていると、琴里が顔をしかめて言った。あるいはそれは、今にも泣き出してしまいそうな表情なのかもしれなかったが ──今の士道には判別がつかなかった。

 

 

「俺には? 無理だ……? ふん、あの程度で泣き言言ってるんじゃあないわよ! まだ昔の方が度胸があったんじゃあないの……ッ!?」

 

 

「何の、話──」

琴里が言っていることがよくわからず、頬を 押さえながら訊き返す。

 

しかし琴里は答えず、士道の胸ぐらを掴むようにして続けてきた。 「あなたは……っ、もっと恐ろしい精霊にだって立ち向かってみせたじゃない! 救ってみせたじゃない! 無理だなんて軽々しく言わないで。あなたが諦めたら、狂三はもっとたくさんの人を殺すわ。真那は狂三と──自分の心を殺し続けるわ……! あなたにしか──止められないのよ……ッ」

 

「……っ──」 言われて、士道はごくりと唾液を飲み込んだ。 琴里の言った『もっと恐ろしい精霊』というのが、十香を指しているのか四糸乃を指しているのかはわからなかったが──言葉の後半は、速やかに脳に染み渡っていった。

 

そう。殺しても死なない狂三が人を殺し、そのたびに真那が狂三を殺す。 真那は言った。それは、ずっと前から繰り返されていたことだと。 そしてそれはきっと……これからもずっと繰り返されるのだろう。── 狂三に、精霊の力がある限り。 そして、その精霊の力を封じることができるのは、士道しかいないのだった。

 

 

「…………」 士道は無言で、手を額に当てた。 もう絶対に、狂三に人を殺して欲しくない。

 

そして──真那に狂三を殺して欲しくない。

 

それは本当だった。士道の真意だった。そしてその意思を成すためにどうしなければいけないのか──これも、わかりきったことだった。

 

「……そうだな」 言って、ふらふらする足取りで先に進んでいく。 「あ、ちょっと……!」 すると琴里が慌てた様子であとを追ってきた。

 

 

「……狂三にこれ以上人を殺させないためには、力を封印しなきゃならないもんな。真那にこれ以上狂三を 殺させないためには……俺がやるしかないもんな。わかったよ。……それで満足だろ?」

 

「…………ええ」

 

なぜだろうか、琴里の声は少しだけ、不安そうだった。

 

 

 

〜〜〜◆〜〜〜

 

 

その日の夜。士道はリビングのソファで横になり 、ぐるぐると思案を巡らせていた。

 

 

「…………」

天井に設えられた白熱灯の輝きをぼんやりと眺めながら、細く、長く息を吐き出す。

 

きっと明日も、狂三は学校に登校してくるだろう。 そうしたならば、仕事の再開だ。 狂三の好感度を上げて、キスをして、力を封印する。

 

 

そうすれば、全てが解決する。 狂三が人を殺すことはなくなるし、そうなれば自然、真那が狂三を殺すこともなくなる。 士道に許された、唯一のパーフェクトでハッピーなエンディングへ至る方法は、それしかない。──の、だけれど。

 

「…………」 重りを乗せられているかのように、全身が重い。士道は陰鬱な空気を肺から絞り出した。

 

 

 

と──そこで、ピンポーン

 

 

そんな軽い音が聞こえてくる。

 

 

「ん……?」 士道は重い身体をどうにか起こすと、リビングの入り口の方に目をやった。

 

 

───呼び鈴?だれだろうか。

 

そう思いつつ足を動かすと、そのまま玄関の前まで来て、鍵をカチャリと動かすと、扉を開けた。

 

 

 

『また、そんな顔してんのか』

 

 

来訪者は佐藤だった。

 

 

 

「佐藤…?」

 

 

『ああ、入るぞ。』

士道に構うわけもなく、佐藤はズカズカと玄関に入ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜◆〜〜〜

 

 

 

 

 

 

『なるほど、な。』

士道の話を聞くと、佐藤は深い為息を吐いて頷いた。

 

 

 

『なぁ士道。』

 

 

「……?」

ふと、佐藤は口を開いた。今までとは違う…何か優しい声音に士道は顔を上げた。

 

 

 

『前は聞けなかったけどさ。十香を救った時、どう思った?』

 

 

「………」

士道は答えない。しかし、それでも佐藤は言葉を紡いでいく。

 

 

「俺は……嬉しかったさ。あんなに孤独で目には絶望しかない子を救えて…、誰かを幸せにできて、…あんなに笑顔になってもらえると…こっちも嬉しかったんだ。」

 

いつもは琴里のように皮肉家で、十香などを心配しているのか分からなくなる佐藤だが……まるで、本当に嬉しそうに微笑みながら言葉を並べていく。

 

 

 

『四糸乃って奴を俺は知らないけど、五河琴里の話を聞く限り可哀想な境遇だったんだろうな。』

 

 

「ああ…」

士道はようやく口を開く、……佐藤とは全く違う声音で力なく肯定を示した。

 

 

 

『お前はさ、狂三を……〝本当に救いたいのか?〟』

 

 

 

「………どういう意味だ?」

 

 

 

『自分には力があるから、自分には役目があるから、それが……自分の選んだ道だから。───そんな義務感で動いてるんじゃないのか?』

 

 

 

 

「………っ」

 

 

 

『狂三は…、きっと…。〝悪い奴じゃない〟』

 

 

「何で…っ…。そう思うんだよ…」

思わず士道は吐き捨てるように唇を開いてしまっていた。佐藤がその言葉を言い切るのに…妙に苛立ちが募ってしまったのだ。

 

 

 

『俺さ、お母さんを殺されたって話…しただろ?』

 

 

「………」

何と返していいか分からずに、顔を俯かせる。

 

 

 

『最初はさ、お母さんを殺した奴を……〝ぶち殺してやりたいと思ってたんだ〟。』

 

 

「……」

 

 

『でも、さ。無理だったんだよ。』

 

 

 

「む…り…?」

そんな、言葉に佐藤は軽く笑う。

 

 

『ああ。──俺が意気地なしなだけかもしれないけど。大切な人がソイツに殺されても……、ソイツを殺せなかったんだよ。人を殺すってさ、とんでもない決意と覚悟が必要って…わかるんだ。』

 

 

佐藤は自嘲のように笑みを作ると、その…結論を口にした。

 

 

『狂三は……凄い決意の下に動いてるんだよ。』

 

「……」

士道は顔をうつむかせながらも、唇を噛み締めた。

 

 

『だから何だよ…って、反応だな。確かに、悪人で有る無いの理由付けにはならないかもしれないな。』

 

 

士道はゆっくりと顔を上げる。

「でも…、狂三は────」

 

 

『変わらねぇよ。狂三は…何にも十香たちと変わらねえ。』

 

 

「え…?」

 

佐藤はゆっくりと口を開く。

 

『アイツが何かを決意して最初の人間を(ころ)した時、ソイツの命乞いを聞いた時、ソイツの命を奪った時、自分の手が血に汚れたと自覚した時。…狂三はもう戻れなくなったんだ。───自分が決意した何かが終わるまでその歩みを止めず、自分がどれだけ悪徳だと罵られようとも止まられず、自分が背負った業に押し潰されようとも戻るだなんてもう考えられないんだよ。……アイツは、ただの可哀想な少女なんだ。』

 

 

 

「………」

 

 

「俺が保証してやる。アイツは〝救える〟。だから、もう一度狂三を見てやってくれ、アイツにこれ以上……心を擦り減らしてやらないでくれ。……頼む、士道。」

 

膝に手を当てると、そのまま佐藤は頭を下げてきた。

 

 

 

「…………っ」

言われて。士道は、ごくりと唾液を飲み込んだ。

 

 

──ああ、ようやく、理解した。 士道は、狂三が人を殺すのがたまらなく嫌だった。 真那が狂三を殺すのが絶対に許容できなかった。 その輪廻を終わらせるために、狂三を止めるのだと、そう決意していた。 だけれど、それには重要なピースが一つ欠けていたのだ。

 

 

「……ありがとう、佐藤」

 

『……礼を言われることのほどでもねぇよ。』

 

「……いや、おまえのおかげだ」

そう。狂三にキスをして力を封印せねばならな いのに、士道が考えていたのは狂三に殺される人や、真那のことばかりだったのだ。

 

 

あまりにもショッキングなシーンを目にしてしまったものだから、『狂三を救う』という当たり前のことが、頭から抜け落ちていた。 確かに狂三は何人もの人間を殺した精霊だ。

 

それはどんな償いをしたとしても決して許されることではない。

 

 

でも。 十香の力を封印するとき。士道は、十香を救おうと心から思っていた。理不尽に殺意を向けられる少女をどうにかして助けたいと願っていた。

 

 

四糸乃の力を封印するとき。士道は、四糸乃を救おうと心から思っていた。 敵意を向けられてなお相手のことを慮る少女が報われないのは嘘だと思った。

 

だから、士道は行動できた。 確かに士道は、人智を超えた回復能力と、精霊の力を封印する力を持っている。

 

だが、平均程度の体格と筋力と頭しか持たない男子高校生が、 血反吐を吐きながら目的に手を伸ばすことができたのは、その一心があったからなのだ。

 

 

狂三を、救う。 殺しの連鎖と輪廻に囚われた少女を、救い出す。 そして──真那も。 士道の妹だというあの少女にも、もう狂三は殺させない。あれ以上、心を摩滅させたりはしない。妄想でもいい。空想でもいい。 それができると信じなければ、士道が手を伸ばすことなど不可能だったのだ。

 

 

 

「佐藤──もう、大丈夫だ。」

 

佐藤はふっと軽く笑う。

『やっとマシな顔になったな。これで、尻尾巻いて逃げ出すようなことはないだろ?』

 

 

「ああ」

苦笑しながら頬をかいた。

 

 

佐藤はそうかい、と…微笑むとスッと立ち上がり…踵を返して歩いていく。

 

 

そして、去り際。背中を向けながら佐藤は止まる。

 

 

『十香も四糸乃も、お前には救われている。───だから、〝頑張れよ〟』

 

そう言うと佐藤は玄関のドアを開けて出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜◆〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「令音」

 

琴里は〈フラクシナス〉艦橋で、艦長席から比較的近い位置に座った令音の名を呼んだ。

 

 

 だが、返事がない。不審に思って令音の手元を覗き込み──小首を傾げる。 令音の手元にあるディスプレイには、なぜか真那の顔が、画面いっぱいに拡大されていた。

 

そしてそれを見つめながら、令音がいつになく難しげな顔をしていたのである。

 

「令音? 真那がどうかしたの?」

 

「……!」 そこでようやく琴里の存在に気づいたのだろうか、令音が隈に彩られた目を向けてきた。

 

 

「……琴里か。──ん、少しね」

言って、慣れた手つきでコンソールを操作する。

 

 

すると画面がズームアウトし、真那の顔が小さくなっていった。

 

「……それより、シンの様子はどうだい?」

 

「ええ──ちょっと不安だったんだけど、佐藤と話して吹っ切れたみたい」

 

「……そうか」

令音は小さくうなずいてから、ふっと顔を上げた。

 

 

「……ああ、そうだ。頼まれていた解析が済んだよ」 令音の言葉に、琴里はぴくりと眉を動かした。

 

先日入手した真那の毛髪と唾液を渡し、令音にDNA鑑定を依頼していたのである。

 

「で……どうだったの?」

 

「……ん、真那は、シンの実の妹とみて間違いない」

 

「──っ、そ、そう……」

琴里はこくんと唾液を飲み下し、胸の辺りに手をやった。 予想していなかったわけではないのだが……やはり、少し胸がざわつくのだった。

 

 

「本当の……妹、か。一体どうしてそんな娘がASTに……」

 

「……いや」

琴里の言葉を遮ぎるように、令音が声を上げてくる。

 

「……少し調べてみたが、正確には違う」

 

「どういうこと?」

 

「……彼女はもともと自衛隊員ではなく、DEMインダストリーからの出向社員だ」

 

「──っ、D E M (デウス・エクス・マキナ)社……?」

 

 

 

────DEMインダストリー社。 英国イギリスに本部を置く世界屈指の大企業であり──〈ラタトスク〉の母体を除けば、この世で唯一顕現装置(リアライザ)を製造することのできる会社メーカーである。

 

自衛隊AST及び、世界中の軍や警察に秘密裏りに配備されている顕現装置(リアライザ)は、全てこのDEM社製と考えていい。

 

精霊を狩ることにも非常に積極的であるため、琴里たち〈ラタトスク〉の商売敵ということもできた。

 

 

無論、同社にはCR-ユニットを扱う魔術師(ウイザード)も在籍しているのだが──その練度は、各国の特殊部隊員を上回るとさえ言われている。

 

「ちょっと待ってよ。余計意味がわからなくなってきたわ。士道の妹が、なんでDEMなんかで魔術師(ウイザード)やってるわけ?」

 

「……それはまだわからない。だが……」

令音は言葉を切ると、ギリと奥歯を噛み、怒りに震えるように拳を握った。

 

琴里は訝しげに眉をひそめた。長い付き合いになるが──こんな令音は初めて見る。

 

「一体何があったの?」

 

「……これを見てくれ」 言って令音がコンソールを操作すると、画面に真那の写真と、細かな数値が表示された。

 

 

「っ……これは──」

 

「……ああ、全身に魔力処理が施されている。彼女の異常な強さはこれのためだ。……だが、代償も大きい。恐らく、あと一〇年ほどしか生きられないだろう」

 

「──っ、何よ、それ──」 琴里は忌々しげにうめいた。 そもそも、DEM社製の顕現装置(リアライザ)は完璧ではない。未だ演算核の処理性能が追いついていないため、人間の脳でそれを補わねばならないのだ。 ゆえに脳波を増幅するため、外科手術で頭に小さな部品を埋め込むことが必要とされている。折紙たちAST隊員も、髪に隠れて角のような突起が頭から出ているはずだ。

 

だが──真那の身体からだはそんなレベルを遥かに超えていた。 それこそ……身体の数割が精霊になってしまっていると言ってもいいような状態だ。

 

「……彼女がどんな決意でこれを受け入れたのかはわからない。だが……まだシンには明かさない方が……いいだろう」

 

令音が重々しい口調で言う。琴里は、ごくりと唾液を飲み込み、唇を噛んだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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次の日の朝、士道が教室に入ると、既に狂三が席に着いているのが目に入った。 明らかな異常。一度体験していることとはいえ、やはり違和感があった。

 

 

──死んだはずの少女が、何食わぬ顔をして登校してきている、なんてのは。 士道の姿を認めるなり穏かな微笑を作り、狂三がぺこりと頭を下げてくる。

 

 

「あら、士道さん。ごきげんよう」

その姿は、昨日と何ら変わりなかった。 昨日この少女が路地裏で、両足を潰され腹を貫ぬかれ、首を切断されただなんて訴たえたなら、間違いなく士道の方が頭を心配されることになるだろう。

 

 

「……おう、おはよう」 だが、そこまでの驚きはない。予想していた事態だ。士道は静かに挨拶を返した。

 

 

「昨日は楽しかったですわね。また是非誘ってくださいまし」

 

「そう……か。楽しかった、か」

 

 

「ええ、とても」

狂三が、再びにこりと微笑む。それは士道とのデートのことを言っているのか、それとも路地裏でのことを言っているのか。士道には判別がつかなかった。

 

 

狂三はそんな士道の思案に気づいているのかいないのか、可愛らしい微笑を顔に貼り付けたまま言葉を続けてきた。

 

 

「でも、少し驚きましたわ」

 

「……? 何にだ?」

士道が訊き返すと、狂三は微かに目を細めた。

 

「てっきり士道さんは、学校をお休みになると思っておりましたので」

 

一瞬、言葉を途切れさせてしまう。だがすぐに思い直し、唇を動かした。

 

「そいつは……悪かったな。来ない方がよかったか?」

 

「いえ、士道さんがちゃんと登校してきてくれて、とても嬉しいですわ」

 

 

屈託のない笑顔でそう言う。 士道は動悸を抑えるように胸元を軽く叩いてから、狂三の真ん前に足を進めた。

 

 

「──狂三」

 

「? なんですの?」

 

「俺は──おまえを、救うことに決めた」

 

「……? 救う?」

 

 士道が言った瞬間。狂三の表情から温度が失われるのがわかった。

 

 

「……おかしなことを仰いますのね、士道さん」

 

「もういいだろう、そういうのは。──もうおまえに、人を殺させない。もう真那に、おまえを殺させない。それが、俺が昨日出した結論だ」

 

 

「価値観を押しつけないでいただけます? わたくし、甘っちょろい理想論は嫌いですの」

 

「そうかい。それは残念だ。──でも悪いが、もう決めた。おまえは、俺が救う。何をしようと、絶対に」

 

士道が言うと、狂三は眉をひそめた。 だが数瞬の間何か考え込むような仕草をしたあと、唇を開いてくる。

 

 

「──なら、あなたが言っていることが本当かどうか、確かめて差し上げますわ」

 

「あ……?」

 

「今日の放課後、屋上に来てくださいまし」

 

狂三はそうとだけ言うと、士道から視線を外した。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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来禅高校の屋上に立った狂三は、妖しく笑ってトン、トン、と軽快な足音を響かせた。

 

空は雲ひとつない快晴。真夏さながらの強烈な日差しが狂三に注ぎ、いつもよりその影を黒々と地面に映し出している。 

 

 

時刻は九時一〇分というところだろう。もう一限目の授業が始まっているためか、校舎から響いてくる喧噪は幾分か収まっていた。その代わり、音楽室からまばらな楽器の音が、体育館からボールの弾む音が聞こえてくる。

 

 

狂三は、踊るようにステップを踏んでいた。地面に円を描くように、くるくると。

 

「もう少し、士道さんとの学校生活を楽しんでもよかったのですけれど──」

 

もし上空からその光景を見た者がいたなら、その異常に気がついたかもしれない。 狂三が通った場所が、薄暗くなっているのである。

 

 

 そう──まるで、狂三の軌跡から、影が消えないように。

 

 

「そろそろ、潮時ですわね」 そして、カッ、と踵を地面に突き立てる。 すると屋上の中央に薄暗い線で描かれた円が、じわじわとその面積を広げていった。 屋上の全域を覆い尽くし、校舎の外壁を伝い、校庭を侵食し、やがて学校を中心とした街の一区画を覆わんばかりに。

 

 

 

「──きひひ、ひひひひひひひひひ」 唇を歪んだ三日月の形にし、笑みを漏らす。

 

「ああ、ああ、士道さん、士道さん。愛しい愛しい士道さん。あなたはこれでも私を救うだなんて仰いまして? 私を助けると仰いまして?」

 

 

 

『なーにやってんだお前。』

 

 

ピタリと、狂三は動きを止めた。

 

 

「……よく、わたくしの前に姿をあらわせましたわね。ロキさん」

 

 

『何のことやら。』

ロキは鼻で笑い飛ばすと、大仰に肩を竦める。

 

 

「計算通り……ということですの?」

狂三が問うと、ロキは笑みを浮かべたまま口を開く。

 

 

『さぁ?悪いが僕は誰かさんほど頭が回らないからね。何かを画策するほどの事なんて出来ないよ。』

 

 

「昨日。あんな訳の分からないキーホルダーで士道さんをわたくしの元まで向かわせ、自分が作った人形をわたくしに喰わせる事で士道さんに恐怖心を植え付けた。……そして、士道さんにその後何かを吹き込んだ。……全て狙い通りなのでしょう?」

 

 

『まぁ、そうだね。あの人形にもう気づいたんだ。』

 

 

「…消化中に気付きましたわ。ただの霊力の塊ということに」

 

 

『質問に答えるなら、全部合ってるよ。適当にでっち上げた理由で士道を追わせて、作った人形と作った猫をぶつけ合わせて…まるで…男たちが猫を虐めてるみたいな状況を作り出す。そしたら、お前は男たちを殺すだろ?それを士道が見るって想定だよ。』

 

その答えを聞くと、忌々しげに狂三は舌を打った。

 

 

「それで?ただの答え合わせの為に来た訳ではないのでしょう?何が狙いですの?」

 

 

佐藤は目を丸くすると、ああ…と、笑いながら両手を挙げた。まるで…降参を示すように。

 

 

『別に俺は何もしないさ。ただ……〝忘れてもらおうと思って〟』

 

狂三が反応をする前に佐藤は…挙げた両の掌を打ち合わせ、拍手した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……?」 一限目・世界史の授業中、士道はふっと窓の外に目をやった。

 

 なんとなく、辺りが暗くなった気がしたため、空に雲がかかったのかと思ったのだ。 だが、窓から見える空は未だ快晴。雲なんて影も形も見えなかった。「……まさか」 ふと、狂三の方を見やる。つい一〇分ほど前に不穏なことを言っていたので、もしやと思ったのだ。

 

だが、狂三におかしな動きは見られなかった。真面目に授業を受けている。

 

「気にしすぎか……」 小さく息を吐き、姿勢を直す。

 

何にせよ、正念場は放課後である。士道は気合いを入れるように大きく深呼吸をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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錆び付いたノブを回し、ドアを押し開ける。老朽化したドアはパラパラと剥がれた塗装の砕片をその場に落としながら、耳障りな悲鳴を上げた。

 

 

「……ち」

琴里は眉をひそめながら小さく舌打ちをし、その建物の屋上に出た。

 

今琴里が訪れていたのは、天宮市の南端に位置する廃はいビルの一つだった。

 

別に廃墟探索の趣味があるわけではない。こんな辺鄙な場所に来たのには理由があった。

 

と、「──お待ちしていました、琴里さん」

 

先に屋上で待ち構えていた少女──真那が、琴里に声をかけてきた。

 

そう。今日の朝琴里が家に戻ってみると、琴里の部屋の窓に、時刻と場所、そして真那の名前が書かれた紙が貼ってあったのである。

 

琴里は不機嫌そうな心地を隠すでもなく、フンと鼻を鳴らした。

 

「……まったく、何なのよここは。私を呼び出そうっていうんなら、美味しいお茶とケーキくらい用意してからになさい」

 

「これは失敬。──ですが、お互いに人の目と耳はねー方がいいと思いやがりまして」

 

「……ふん。それで、一体何の用だっていうの?」  

 

「少し、お話がしたいと思いまして」 と、真那がポケットから何かを取り出し、琴里に向かって放り投げてきた。

 

緩やかな放物線を描いて迫ってきたそれを、両手でキャッチする。

 

「これは……」

琴里は眉をひそめた。真那が放ってきたそれは、〈ラタトスク〉が使用している超高感度の小型インカムだったのである。──そう。昨日、士道がなくしたものだ。

 

 

「──〈ラタトスク機関〉」

 

「……っ」

琴里は、真那の口から出た言葉にぴくりと片眉を動かした。

 

「噂には聞いていました。精霊を武力で殲滅するのではなく、対話によって懐柔することを目的とした組織。──初めて聞いたときは都市伝説かと思っていやがったのですが……」

 

真那が、キッと琴里を睨み付けてくる。

 

「──まさか、あなたと兄様が」

琴里はインカムをポケットにしまい込むと、チュッパチャプスの棒をぴこぴこ動かした。

 

「……なるほど、昨日のあの通信はあなたの仕業だったわけね」

 

そう、士道がインカムを紛失したと判明する前に一度、〈フラクシナス〉は妙な通信を受け取っていたのである。確かに士道の声ではあったものの、琴里の名前や現在の状況などを幾か確認すると、急に回線が閉じ、それきり何も聞こえなくなったのだ。

 

琴里は真那に聞こえないくらいの大きさで舌打ちをした。油断。たぶんそのときの返答で、真那は〈ラタトスク〉という組織の実在を確信したのだ。

 

真那が、小さく肩をすくめる。「随意領域の中でなら声を変えるくらい造作もねーですから」

 

「……そ」

琴里は髪をかき上げると、不敵に目を細めた。

 

「何が目的? わざわざ私を呼び出したってことは、何か狙いがあるんでしょう?」

 

真那は視線を動かさないまま、唇を開いてきた。

 

「──私は、この件を上に報告するつもりはねーです」

 

「……ふうん?」

 

「そのかわり。兄様を今すぐに、〈ラタトスク〉から解放しやがってください」

 

真那の言葉に、琴里は眉をひそめた。

 

「どういうこと?」

 

「どういうことも何もねーです。──琴里さん、なぜあなたは、兄様にあんな危険な真似をさせていやがるのですか。顕現装置はおろか、通常の武器一つ持たせずに精霊と相対させやがるだなんて、とても正気の沙さ汰たとは思えねーです」

 

 

「これから口説き落とそうって相手に、銃を突きつけながら喋れっていうの? それじゃあ強姦魔と何も変わらないじゃない。もしかしてあなた被虐快楽者?」 琴里が言うと、真那はさらに目つきを鋭くし、語気を強めた。

 

 

「ふざけねーでください。あなたは兄様を何だと思っていやがるのですか。あのとき私がいなかったら、今頃兄様は〈ナイトメア〉に殺されていやがりましたよ」

 

 

「…………」

さすがに、これ以上情報を提供してやる義理はない。琴里は口をつぐんだ。

 

だが真那は琴里の態度をどう受け取ったのか、奥歯を噛み締め、あとを続けてきた。

 

「琴里さん。──いえ、五河琴里。とても残念です。あなたは兄様の妹失格です。あなたのような人に、兄様は任せられねーです」

 

 

「……っ」

琴里は頬をぴくりと動かすと、チュッパチャプスの棒をピンと立てた。

 

「へえ、それで、私が妹失格だったらどうするっていうの?」

 

「私が兄様の身柄を引き受けることも考えなければなりません」

 

真那の言葉に、琴里は顔を歪めた。「冗談じゃないわ。DEMみたいな悪徳企業に士道を預けろっていうの?」

 

言いながら琴里が肩をすくめると、真那が驚愕したように腕を解き、肩を揺ゆらした。

 

 

「……っ、なぜそれを」

 

「優秀な友人がいてね。情報を握っているのはお互い様さまってこと」

 

琴里が不敵に言うと、真那はふうと息を吐いた。

 

「──まあ、割れているのなら隠す必要もねーですね。そう、私はもともと自衛官だったわけではねーです。DEMインダストリー社から出向してくるに当たって、必要だったから適当な階級を得たに過ぎねーです」

 

しかしそう言うと、またすぐに視線を研ぎ澄ます。

 

 

「しかし、DEMが悪徳企業というのは聞き捨てならねーですね。あそこは記憶喪失の私を受け入れてくれて、存在理由を与えてくれやがりました。感謝してもしきれねーです」

 

「……本気? 狂ってるとしか言いようがないわ」

 

「失礼な。何を言っていやがるのですか」

 

琴里は真那の口ぶりに、違和感を覚えた。もしかして彼女は──「あなた、もしかして、知らないの……? 自分の身体のことを」

 

「身体……? 何の話ですか」

キョトンとした様子で、真那が首を傾げてくる。

 

琴里は戦慄に唾液を飲み込んだ。

 

「……っ、なんてこと」

まったく予想していなかったわけではないが……まさか令音の懸念通りになるとは。

 

琴里は渋面を作り、真那の方にツカツカと歩いていくと、その肩を掴んだ。

 

「な、何をしやがるのですか」

 

「……悪いことは言わないわ。あなたこそDEMを抜けなさい。〈ラタトスク〉が面倒を見たっていいわ。だから──」

 

「はぁ……? いきなり何を……」

 

と、真那が眉をひそめて言いかけた瞬間、琴里と真那の携帯電話がほとんど同時に着信音を鳴らし始めた。 苛立たしげに顔をしかめてから、通話ボタンを押す。

 

 

「──私よ。何?」

 

『し、司令! 来禅高校に凄まじい霊波反応が!』

 

「なんですって……?」 琴里はちらと真那の方を見やった。どうやら──表情からして、彼女もまた、琴里と似たような報告を受けているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

士道はすぅ、と深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。 肺の中の空気を全て入れ替え、身体を一度リセットするかのような感覚。

 

 

「……よし」

時刻は一六時三〇分。辺りからは、部活に向かう生徒たちの声が響いていた。

 

結局今日はあれきり、狂三と会話を交わしていない。帰りのホームルームが終わったあとも、狂三は士道の方に視線を送ることすらなく、すっと教室から出て行ったのだった。

 

 

『……大丈夫かね、シン』 と、右耳に装着したインカムから、やたら眠たげな声が聞こえてくる。令音だ。

 

 

 

「はい、意外と……落ち着いています」

 

 

『……それは何よりだ。しかし、十分気をつけたまえ』

 

「──はい」 ごくりと唾液を飲み込む。と、そこで士道はふと疑問を覚えた。

 

「令音さん? そういえば琴里の声がしませんけど……」

 

 

『……ああ、琴里は今少し席を外している』

 

「いや、席を外してるって、こんな大事なときに……」

 

『……それは琴里も重々承知している。だがそれを考慮した上で、こちらの方が作戦の成功率が上がると判断したのさ。……今は邪魔者の横槍が一番厄介だからね』

 

「は……? ど、どういうことですか?」

 

『……今は狂三に集中したまえ。気を散らしながら籠絡できるほど甘い相手ではないよ』

 

 

「……っ、そ、そうですね」

令音の言っていることは気にかかったが、確かに今は狂三以外のことを考えている余裕などないはずだった。もう狂三は屋上で待っているだろう。

 

士道は階段に足を向け──「……なッ!?」

 

 

その瞬間辺りを襲った異変に、眉をひそめた。

 

 

具体的に何が起こったのかはわからない。だが周囲がふっと暗くなったかと思った刹那、全身を途方もない倦怠感と虚脱感が襲ったのである。

 

まるで空気が粘性を持ったかのように、重くドロッと手足に絡みつく。

 

 

「こ、れ、は……」

士道はその場に膝を突きそうになるのをなんとか堪え、姿勢を保った。

 

周囲に残っていた生徒たちが、次々と苦しげなうめき声を発し、その場にくずおれていく。有り体に言って、異様な光景だった。

 

 

「お……っ、おい、大丈夫か……!?」 慌てて、すぐ近くに倒れ込んだ女子生徒の肩を揺する。

 

しかし気を失ってしまっているのか、反応はなかった。

 

「令音──さん、これは……!?」

 

『……高校を中心とした一帯に、強力な霊波反応が確認された。この反応は──間違いない、狂三の仕業だ。広域結界……範囲内にいる人間を衰弱させる類のもののようだ』

 

 

「な、なんでそんなことを……」

 

『……それは、本人に訊いた方が早いだろう』

令音が言ってくる。確かにその通りだった。士道は唾液をごくんと飲み下すと、その場から立ち上がった。少し動きづらい気はするが、倒れてしまうほどではない。

 

「あれ……そういえば、俺はなんで……」

 

『……忘れたのかね、シン。君は十香や四糸乃の霊力をその身に封印している。自覚症状はないかもしれないが、君の身体は精霊の加護を受けているに等しい状態なんだ』

 

 

「霊力……」呟くように言ってから、士道はハッと目を見開いた。

 

 

先ほど出てきたばかりの教室の扉を開き、叫ぶように声を上げる。

 

 

「十香ッ!」

そう、教室にはまだ十香が残っているはずだった。用があるから先に帰っていてくれと言ったのだが、士道が戻ってくるまで待つと聞かなかったのだ。

 

教室には一〇名ほどの生徒が残っていたが、それら全てが床に、もしくは机にもたれかかるようにして気を失ってしまっていた。

 

──だが、そんな中、「おお、シドー……」 十香は軽く頭を押さえながらも、士道に声を返してきた。力の大部分を封印されているとはいえ、やはり精霊。人間よりも霊力に耐性はあるようである。

 

「大丈夫か、十香!」

 

「うむ……。だが、どうも身体が重い……どうしたのだ、これは……」

 

まるで高熱にうなされるかのような調子でうめき、気け怠だるそうに頭を揺らす。

 

『……シン』 インカムから、令音の呼び声が響く。詳しよう細さいは聞かずとも察することができた。

 

「っ、十香、ここで休んでろ。すぐに何とかしてやるからな……!」

 

「シ、ドー……?」

 

「大丈夫だ。俺が──助ける」

士道は十香の頭を優しく撫でるようにしてから、頭を振って…教室を見渡す。

 

 

そこで気づく。

 

 

「佐藤…?」

そう、佐藤が居ない。できれば十香の近くで休ませたかったのだが……仕方ない。

 

 

意を決して廊下に出て行く。

 

狂三がいるのは──屋上。 重くまとわりつく空気を裂きながら階段を上り、士道はやたら疲労する手足を叱咤しながら、どうにか屋上へと続く扉の前までたどり着いた。

 

 

扉に、鍵はかかっていない。 否──正確にはドアノブの下辺りが、銃で撃ったかのようにボロボロになっていて、鍵としての役割を成していなかった。

 

 

よく考えずとも狂三の仕業だろう。士道は深呼吸をしてからノブを握り、扉を開けた。

 

 

「く……」 顔をしかめる。屋上に出ても、ドロリとした空気は少しも晴れなかった。

 

否、それどころか身体を襲う虚脱感が強くなった気さえする。

 

 

左右に目をやる。背の高いフェンスに囲まれた、殺風景な空間。

 

 

その、中心で。「──ようこそ。お待ちしておりましたわ、士道さん」

 

 

狂三がフリルに飾られた霊装の裾をくっと摘み上げ、微かに足を縮めて見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜◆〜〜〜

 

 

 

 

「……っ」 折紙がその異常を感じたのは、東校舎一階の廊下を歩いているときだった。

 

瞬きをする前とあとで、世界が一変してしまったかのような感覚。

 

体表から空気に精気が吸い取られていくかのような、途方もない脱力感が全身を襲った。

 

 

実際、周囲にいた生徒たちが、次々にバタバタと倒れ伏ふしていく。

 

「く──」 このままでは意識を失ってしまいかねない。折紙は咄嗟の判断で、ポケットから手の平に収まるくらいのデバイスを取り出すと、表面のセンサーに指を当てながら唇を動かした。

 

「識別・AST・鳶一折紙」

一瞬で指紋、声紋照合を完了。ピピッ、という電子音がして、デバイスが展開される。

 

「基礎顕現装置──起動承認」 折紙はそう言うと、デバイスを頭部からわずかに顔を出した送信角に触れさせた。

 

瞬間、折紙の周囲に、身体を辛うじて覆う程度の随意領域が形成され、全身を苛む虚脱感が緩和された。

 

だがそれと同時に、脳の中心で炸薬を爆発させたかのような凄まじい頭痛が折紙を襲う。

 

奥歯を噛んでそれに耐え、折紙は唇を動かした。

 

「ワイヤリングスーツ──展開」 すると随意領域の中が淡く輝き──次の瞬間には、折紙の纏った来禅高校の制服は、ASTの標準装備であるワイヤリングスーツに変貌していた。

 

「……っ、……っ」 ようやく頭痛も消え去ったものの──一瞬、その場に膝を突いてしまう。

 

通常、基地で着装を行うスーツを、一瞬で展開する緊急用デバイス。もしものときに備えて携行許可を取っていたのはいいが、やはりこの感覚は慣れそうになかった。

 

この小型デバイスには基礎顕現装置(ベーシック・リアライザ)が搭載されている。つまり理論上は、随意領域を展開することができるのだ。そして随意領域の中であれば、衣服を一瞬で展開、変更することなど造作もないことだった。

 

しかしそのためには、一瞬とはいえワイヤリングスーツなしで随意領域を展開する必要がある。その際脳にかかる負担は、筆舌に尽くし難いものがあった。

 

……まあ、真那などはこの作業を事も無げにやってのけてしまうのだったが。

 

 

「…………」 折紙は呼吸を整えると、随意領域を通常の半径三メートルクラスにまで広げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

精霊やASTのことは、基本的に秘匿事項であるが、今は非常時である。それに、皆が気絶しているのならば目撃される心配もないだろう。

 

 

学校に何が起きているのかはわからない。だが──それに時崎狂三が関わっているであろうことは容易に想像がついた。

 

 

「……っ」 脳に指令を発し、重力中和。折紙は床を蹴けると、凄まじい勢いで廊下を駆けた。

 

 

と、それと同時、ヘッドセットに搭載されている通信機から、燎子の声が聞こえてくる。

 

 

『──折紙!? こっちの回線が開いてるってことは、緊急着装を使ったのね? 今あんたの学校の周囲に、強力な霊波反応が観測されてるわ! 状況は!?』

 

 

「広域結界が張られている。このままでは非常に危険。応援を──」

と、折紙はそこで言葉を止めた。

 

 

「……っ」

理由は単純。折紙の進行方向上に、影を凝縮したような少女が立っていたのである。

 

装いは高校の制服ではない。赤と黒で構成されたゴシック調のドレスだった。

 

「うふふ、折紙さん。そんなに急いでどちらへ行かれますの?」

口元に手を当てながら、くすくすと笑う。

 

 

「時崎──狂三……」 折紙は視線を鋭くすると、腰に手を回し、レイザーブレイドの柄を握った。

 

『何、一体どうしたのよ、折紙っ!?』

 

「──精霊と接触した。交戦する」

 

『……っ、なんですって!? 危険よ、離脱し──』 気が散る。折紙は脳内に指令を発し、通信を遮断した。

 

狂三がくすくすと微笑みながら、言葉を発してくる。「ふふ、今は邪魔をして欲しくありませんの。ここから先へは行かせませんわ」

 

「……?」

狂三の言っている意味がわからず、小さく眉をひそめる。

 

だが、それも一瞬のこと。戦場で精霊の妄言に耳を貸す必要などはない。

折紙はレイザーブレイド〈ノーペイン〉の柄を、強く握り直した。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜◆〜〜〜

 

 

 

 

 

 

「シ、ドー……シドー!!」 十香は、今し方教室から出て行ってしまった士道の名を呼んだ。

 

だが──士道が戻ってくる様子はない。十香は重い足を引きずり、歩き始めた。

 

「シドー……っ」 頭の中には、士道が残していった言葉が渦巻いている。

 

 ──大丈夫だ。──俺が、助ける。

 

なんとも頼もしくて、心強い言葉だった。士道がそう言ってくれるだけで、十香の心に蟠っていた寂しさや不安は吹き飛んでしまった。

 

でも、それと同時に、別の不安が顔を出してきたのである。 

 

 

だってその言葉を発したときの士道は、ふた月前、十香に手を差し伸べてくれたときや、先月、四糸乃の結界に向かっているときと、同じ感じがしたのだ。

 

きっと士道は、みんなを助けてくれる。でも、そのために身を投げ出すようなことが必要なら、士道は躊躇わずそうしてしまうだろう。

 

十香を救ってくれたのは──そういう男なのだ。

 

「うぁ……っ」 と、十香はバランスを崩し、机と椅子を巻き込んでその場に倒れてしまった。

 

「ぐ──ぬ……っ」

再び立ち上がろうとするが、足に力が入らない。 ──駄目だ、駄目だ。こんなところで這い蹲っている暇はないのに。

 

 

一刻も早く、士道のもとに行かねばならないのに。「シドー……シドー……シドー……っ!!」 と──叫んだ瞬間、十香は頭の中がシェイクされるかのような感覚を覚えた。

 

 

「っ、な、なんだ……?」

言いながらも──十香はこの感覚に覚えがあった。 先月。士道が死んでしまう…そんな幻覚のようなものを見た時。頭がぐらぐらと揺れ──霊装と天使が顕現したのである。

 

 

「……これは……っ!」 十香は自分の装いを見下ろし、声を上げた。──そう、完全ではないものの、十香の身体にはあのときと同じく、光の膜で構築された霊装が顕現していたのである。

 

身体も、一瞬前からは考えられないくらいに軽くなっている。これならば── 十香は勢いよく跳とび上がると、二本足でバッとその場に直立した。

 

「よし……いけるぞ!」 ぐっと拳を握り、教室を出る。

 

「シドー! どこへ行ったのだ、シドー!」

叫ぶも──返事は聞こえてこなかった。

 

 

こうなったら、手当たり次第に捜すほかない。十香は廊下を駆け出した。

 

だが、その瞬間。「──っ!?」 十香は息を詰まらせ、その場から飛び退いた。

 

 

理由は単純。廊下の先から十香目がけて、銃弾のようなものが、黒い軌跡を描きながら迫ってきたのである。

 

 

「な……っ、誰だ!」 十香が叫ぶと、影になっていた廊下の先から、ゆっくりとした足音が響いてきた。

 

やがて、その音の主の姿が見取れるようになる。

 

「……っ、おまえは──」

 

「うふふ。ごきげんよう、十香さん。少しわたくしとお付き合いいただけませんこと?」

 

ドレスを纏い銃を握った少女──時崎狂三が、にぃ、と唇の端を上げながらそう言った。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜◆〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

「狂三……おまえ、一体何をしたんだ!? 何なんだ、この結界は……!」

 

来禅高校の屋上で、士道はバッと両手を開き、狂三に問いかけた。

 

狂三は、士道の反応が楽しくて仕方ないといった様子で、さらに笑みを濃くする。

 

 

「うふふ、素敵でしょう? これは〈時喰みの城〉。わたくしの影を踏んでいる方の『時間』を吸い上げる結界ですわ」

 

「時間を……吸い上げる……?」士道が怪訝そうに言うと、狂三はくすくす笑いながらゆっくりと歩み寄ってきた。

 

 

そして、優雅な仕草で髪をかき上げる。常に前髪に隠かくされていた左目が露になった。

 

 

「な……」それを見て、眉をひそめる。 明らかに、異様だった。無機的な金色に、数字と針。

 

 

そう──狂三の左目は、時計そのものだったのだ。 しかもおかしなことに、その時計の針が、くるくると逆方向に回転しているのである。

 

 

「それは──」

 

 

「ふふ、これはわたくしの『時間』ですの。命──寿命と言い換かえても構いませんわ」

 

 

言いながら、狂三がその場でくるりとターンする。「わたくしの天使は、それはそれは素晴しい力を持っているのですけれど……その代わりに、ひどく代償が大きいのですわ。一度力を使うたびに、膨大な私の『時間』を喰らっていきますの。だから──時折こうして、外から補充することにしておりますのよ」

 

 

「な……っ」 狂三の言葉に、士道は戦慄した。

 

だってそれが本当だとするのなら、結界の中で倒れている人たちは今、狂三に残りの命を吸い上げられているということになる。

 

 

狂三はそんな士道の表情を見ると、なぜだろうか、少し寂しそうな顔をした。

 

 

だがすぐにその顔に凄絶な笑みを貼り付けると、指先で士道のあごを持ち上げてくる。

 

 

「精霊と人間の関係性なんて、そんなものですのよ。皆さん、哀れで可愛い私の餌。それ以上でもそれ以下でもありませんわ」

 

士道を挑発するように眉を歪め、続ける。

 

「ああ──でも、でも、士道さん。あなただけは別ですわ。あなただけは特別ですわ」

 

「……俺、が?」

 

「ええ、ええ。あなたは最高ですわ。あなたと一つになるために、わたくしはこんなところまで来たのですもの」

 

 

「何だって……?」

 

士道は眉をひそめた。

 

「一つになるって……どういうことだよ」

 

「そのままの意味ですわ。あなたは殺したりなんてしませんわ。それでは意味がありませんもの。──わたくしが、直接あなたを食べて差し上げるのですわ」

 

その『食べる』という表現が文字通りの意味なのか比喩的なものなのか──それに判別はつかなかったが、士道の胃に冷たいものを広げるのには十分だった。

 

 

だが、そんなことで怯んではいられない。拳をぐっと握り、のどを震ふるわせる。

 

 

「俺が、目的だっていうなら、俺だけを狙えばいいじゃねえか! なんでこんな──!」

 

士道が叫ぶと、狂三が愉快そうに言葉を続けてくる。「うふふ、そろそろ『時間』を補充しておかねばなりませんでしたし──それに」

 

 

狂三はふっと、鋭い視線で士道を射貫いてきた。

 

「──あなたを食べる前に、今朝方の発言を取り消していただかないとなりませんもの」

 

 

「今朝の……?」

 

「ええ。──わたくしを、救うだなんて世迷い言を」

 

 

「……っ」

狂三の、あまりの視線の冷たさに、思わず唾液を飲み込んでしまう。

 

「──ねえ、士道さん。そんな理由で、こんなことをするわたくしは恐ろしいでしょう? 関係のない方々を巻き込むわたくしが憎いでしょう? 救う、だなんて言葉をかける相手でないことは明白でしょう?」

 

 

狂三が、役者のように大仰に手振りをしながら続ける。

 

 

「だから、あの言葉を撤回してくださいまし。もう口にしないと約束してくださいまし。そうしたなら、この結界を解いて差し上げても構いませんわよ? もともとわたくしの目的は、士道さん一人なのですもの」

 

 

「な……」

目を見開く。その条件は、あまりに簡単だった。狂三が士道をたばかっているのではないかと疑ってしまうほどに。

 

 

『……狂三は本気だ』

士道の懸念を察したのか、インカムから令音が言ってくる。

 

『……彼女の精神状態に、嘘を吐いている形跡は見受けられない。シン、君が条件を呑んだなら、狂三は本当にこの結界を解くだろう』

 

 

令音が言うと同時に、狂三は薄気味悪い笑みを浮かべて身をくねらせた。

 

 

「きひひ、ひひ。さあ、早く止めなければなりませんわねぇ。急がないと手遅れになってしまう方もいらっしゃるかもしれませんわよォ?」

 

「……っ」

士道は、狂三と目を合わせた。 士道が、言葉を撤回する。たったそれだけ。何も難しいことはない。

 

逆に、そうしなければ、結界の中にいる幾人もの人の命が危険に晒さらされることになる。

 

選択の余地は無かった。意を決して、唇を開く。

 

 

「……結界を、解いてくれ」

狂三が、ふうと息を吐く。まるで、安堵したかのように。

 

 

「なら、言ってくださいまし。もうわたくしを救うだなんて言わないと」

 

士道はごくりと唾液を飲み下してから、言葉を続けた。

 

 

「それは……できない」

 

「は────?」

 

士道がそう言った瞬間、狂三はポカンと瞼と口を開いた。

 

何とも間の抜けた有り様である。少なくとも、今まで士道は、狂三のそんな顔を見たことがなかった。

 

 

「……あら、あら、あら?」

だが、すぐに狂三の顔が、不機嫌そうに曇っていく。

 

「聞こえませんでしたの? それを撤回しない限り、私は結界を解きませんわよ」

 

「……っ、それは、解いてくれ。今すぐ!」

 

「なら」

 

「でも、駄目だ! 俺はその言葉を撤回できない!」 士道は叫び、首を振った。だって、それを撤回してしまったら、何も変わらない。きっと士道はもう二度と、狂三に手を伸ばすことができなくなる。

 

 

「──聞き分けがない方は嫌いですわ……ッ!」

狂三はそう叫ぶと、トン、トン、と軽やかにバックステップし、士道と距離を取った。そして、右手をバッと頭上に掲げる。

 

 

するとその手を中心として、ビリビリと空気が震えだした。

 

 

──瞬間。

 

 

ウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ──── 

 

 

そんなけたたましい音が、街全域に鳴り響いた。

 

「──っ、空間震警報……ッ!?」 顔を戦慄に染め、うめく。嫌というほどに聞き慣れたそれは、この世界を蝕む突発性災害──空間震の発生を知らせるものだった。

 

一瞬、士道は街のどこかに、狂三とは別の精霊が現界しようとしているのかと思った。

 

空間震は精霊がこちらの世界に現れる際の空間の歪みが原因で引き起こされるからだ。

 

 

だが──狂三の狂気に満ちた笑みが、それを暗に否定していた。

 

そう、この空間震は、狂三が意図的に起こそうとしているものなのだ。

 

そんなことができるだなんて、聞いたことがない。 だが──今のこの状況が全てを証明していた。

 

「きひ、きひひ、きひひひひひひひひひひひひッ、さぁさ、どォうしますの? 今の状態で空間震が起こったなら、結界内にいる方々は一体どうなりますでしょうねぇ」

 

 

「……!」

言われて、士道は言葉を失った。

 

通常、空間震の前震が観測され、警報が発されると、近隣の住民は皆地下のシェルターに避難する。だが──今、高校を中心とした狂三の結界範囲内にいる人々は皆、気を失っているのである。

 

避難などできるはずがない。 ──の、だけれど。 ふと……士道の頭に一つの疑問が浮かんだ。

 

 

そんな士道の様子に気付いたふうもなく、狂三が、勝ち誇ったように唇を舐める。

 

「──さあさ、士道さん? いかがですの? わたくしが恐ろしいでしょう? わたくしが憎いでしょう? これでも同じことが言えまして? 弱き肉が! 強き捕食者に!」

 

「…………」

なぜだろうか。心臓はバクバク鳴って、呼吸は荒くなっているのに、士道の頭の中は信じられないくらいに冷静になっていた。

 

一つの疑問。 

 

──なぜ、狂三はそんなにも、士道に言葉を撤回させようとするのだろう。

 

だって、それはそうだ。士道が何を言おうが、言葉は言葉。狂三の目的が士道を『食べる』ことだというのなら、そんな言葉に構わず、そうすればいいだけの話なのだ。

 

それなのに、なぜ、そこまで気にするのだろうか。

 

──彼女曰いわく強き捕食者であるはずの狂三が。弱き肉であるはずの士道の言葉を。

 

『……シン』 と、そこで、右耳の鼓膜を令音の声音が震わせた。

 

『……狂三の精神状態が変化している。まるで君を……恐れているかのような数値だ』

 

「ぇ……?」

士道は、狂三に聞こえないくらいの声を発し、微かに眉をひそめた。

 

──狂三が、士道を恐れている?

 

そのあまりに現実味のない言葉に士道は一瞬混乱し──すぐに、納得した。

 

 

「ああ──そう、か」 士道は細く息を吐き、狂三を見直した。

 

怖くて恐ろしくて仕方のない、精霊。

 

 

だけれど──「さあ! 士道さん、どうしますの? あなたが言葉を撤回しなければ、何人もの人が死ぬことになりますわよ!?」

 

狂三が士道から視線を逸らさないまま、高く掲げた右手をくっと握ってみせる。

 

瞬間、きぃぃぃぃぃ──ん……という耳鳴りのような音が、辺りに鳴り響いた。

 

 

まるで、空間が悲鳴を上げているかのように。

 

「く……」 狂三にかけなければならない言葉がある。狂三と話さねばならないことがある。だが今はそれより先に、この空間震をなんとかせねばならなかった。

 

 

無論──言葉を撤回することなく。

 

士道は必死に思考を巡らせ、ふと先ほどの狂三の言葉を思い出した。

 

「……狂三」

 

「何ですの? ふふ、ようやく取り消す気になりまして?」

狂三が、不敵に笑いながら言ってくる。士道は構わずあとを続けた。

 

「おまえは、俺を食べるのが目的って……言ってたな」

 

「ええ。そうですわ。殺したりしたら意味がありませんもの。あなたはわたくしの中で、ずっと生き続けますのよ。うふふ、素敵でしょう?」

 

 

「…………」

その一言で、確信を持った。小声で令音に話しかける。

 

「……令音さん。俺、──────ても、助かりますかね」

 

『……? ああ、君の回復能力があれば、よほど運が悪くない限りは大丈夫だと思うが……一体何をするつもりだい』

 

「そうですか」

士道はその場から駆かけ出し、屋上の端まで辿り着くと、背の高いフェンスをガシャガシャと登っていった

 

 

そしてその頂上に足をかけ、狂三の方に顔を向ける。 狂三は、士道のとった行動がよくわからないといった表情をしていた。

 

「……っ、何のつもりですの?」

 

「空間震を止めろ。さもないと──」

 

ビッ、と校庭側を指す。

 

「俺は、ここから落ちて死んでやるぞ……!」

 

「は……はぁ……っ!?」

 

さすがにこれは予想外だったのだろう、狂三が素っ頓狂な声を上げる。

 

「な、何を仰ってますの……? 気でも触れまして?」

 

「悪いが正気だ。やっぱり俺は、朝の言葉を引っ込められない。──それじゃあ、おまえを助けられなくなっちまう」

 

狂三が、不快そうに顔を歪める。士道は構わず口を開いた。

 

「でも、おまえに空間震を起こさせるわけにはいかない。だから──」

 

「それで自分を人質に? 短絡的にも程がありますわ。追いつめられた逃亡犯ですの!?」

言われて、士道は小さく笑ってしまった。映画や海外のニュース映像なんかで、犯人が自分のこめかみに銃を突つき付けているシーンが思い起こされたのだ。

 

最後の最後、他に手段がなくなった人間の、クレイジーな行為だ。

 

だが、狂三の目的が士道であるという以上、決して無意味な行動ではないはずだった。

 

 

そう──狂三は士道を取り込むために、高校にまで転入してきたというのである。士道の命に、人質としての価値がある可能性は十分にあった。

 

しかし狂三は顔をしかめると、ハン、と小さく息を吐いた。「……そんな脅しが効くとお思いですの? やれるものならやってご覧なさいな!」

 

 

「……ああ」 士道は静かに言うと、身体をフェンスの向こうに投げ出した。 目も眩む高さだというのに、不思議と恐怖感はない。もしかしたら脳内物質の分泌による興奮状態で、恐怖心が麻痺しているのかもしれなかった。

 

 

「────っ!」

 

『……シン!?』

狂三が息を詰まらせる音と、令音の声が聞こえてくる。

 

ふわっという浮遊感。士道の身体は、凄じいスピードで地面に落下していった。

 

 

「──っ、……っ」

意識が飛びそうになる。感覚としては、ジェットコースターの急降下に似ていた。

 

呼吸ができなくなって、手足が痺れて、思わず失禁しそうになる。

 

だが、落下の途中、士道の身体は何者かに支えられ、ガクンと揺れた。

 

「……うぇッ!?」

突然の衝撃に、間の抜けた声が出る。──校舎の壁に這った影から狂三が上半身を現し、お姫様だっこのような格好で士道を抱き留めていた。

 

「お……おう、狂──」 士道が狂三の名を呼ぼうとした瞬間、狂三は影から全身を出現させ、士道を抱きかかえたまま校舎の壁を垂直に登っていった。屋上に戻り、乱雑に士道の身体を放る。

 

 

「あー……」

士道は、大きく息を吐いた。

 

「死ぬかと思った……」

 

「あっ……たり前ですわ……ッ!」

すると狂三が、興奮した様子で声を荒らげてきた。

 

「信じられませんわ! 何を考えていますの!? 何を考えていますの!? わたくしがいなかったら本当に死んでいましたわよ!?」

 

「あー……その、なんだ……ありがとう」

 

「命を何だと思ってますの!?」

 

「いや、おまえが言っちゃ駄目だろそれ……」

士道が言うと、狂三はハッとした顔を作り、頭をわしわしとかいた。

 

「あああああああ、もうッ! 馬ッ──鹿じゃありませんの……ッ!」

 

士道はその場に立ち上がると、狂三に向かって声を上げる。

 

「狂三。おまえ、なんで俺を助けてくれたんだ?」

 

 

「……っ、それは──あなたに死なれると、わたくしの目的が達せなくなるから……」

 

「そうか。じゃあやっぱり、俺には人質の価値があるんだな?」

 

「……っ」 士道は、狂三にビッと指を突き付けた。「さあ、じゃあ空間震を止めてもらおうか! ついでにこの結界も消してもらう! さもないと舌噛かんで死ぬぞ!」

 

 

「そ、そんな脅し──」

 

「脅しだと思うか?」

 

「ぐっ……」 狂三は一瞬悔やしそうな顔を作ったあと、指をパチンと鳴らした。

 

すると、周囲に響いていた耳鳴りのような音が止やむ。次いで、辺りを覆っていた重い空気が消えていった。

 

「ま──まあ、構いませんわ。どうせもともと、わたくしの狙いは士道さんだけなのですもの。何も問題ありませんわ。何も問題ありませんわっ!」

 

狂三は自分に言い聞かせるように叫ぶと、バッと両手を開いて士道の方に向いた。

 

だが、士道とて黙だまって食われるわけにはいかない。

 

「じゃあもう一つ──聞いてもらおうか」

 

「ま、まだありますの……っ!?」 狂三が困惑したように言う。

 

士道は「ああ」とうなずくと言葉を続けた。

 

「一度でいい。──狂三。おまえに一度だけ、やり直す機会を与えさせてくれないか」

 

「え……?」 狂三が驚いたように目を見開き、すぐに眉をひそめる。

 

「……まだそれを言いますの? いい加減にしてくださいまし。ありがた迷惑でしてよ。私は、殺すのも、殺されるのも、大ッ好きですの! あなたにとやかく言われる筋合いなんてどこにもありませんわ!」

 

 

士道を拒絶するように、狂三が叫んでくる。その声には、今までのような底知れぬ恐ろしさはなく──どちらかというと、何かに怯えているようにさえ聞こえた。

 

 

先ほどの令音の言葉が蘇る。 そう……きっと、狂三は怖がっているのだ。今まで一度も手を差し伸べられたことがなかったから、その得体の知れない行動に怯えているのだ。

 

 

「狂三。おまえ……誰も殺さず、命も狙われずに生活したことって……あるか?」

 

士道が静かに言うと、狂三は小さく肩を揺らした。

 

 

「……っ、それは……」

 

「じゃあ、わかんねえじゃねえか。殺し、殺される毎日の方がいいだなんて。もしかしたら──そんな穏やかな生活を、おまえも好きになるかもしれないじゃねえか……ッ!」

 

 

「でも、そんなこと──」

 

「できるんだよ! 俺になら!」

士道が叫ぶと、狂三は気圧されたように息を詰まらせた。

 

「おまえのやってきたことは許されることじゃねえよ。一生かけて償なわなきゃならねえ! でも……ッ! おまえがどんなに間違っていようが、狂三! 俺がおまえを救っちゃいけない理由にはならない……ッ!」

 

「っ──」狂三が、数歩後ずさる。士道はそれを追うように、一歩足を前に踏ふみ出した。

 

「わ、わたくし……わたくしは──」

狂三が混乱したように目をぐるぐると泳がせ、声を発する。

 

「士道さん、わたくしは……本当に……っ──」

 

と──狂三が何かを言おうとした瞬間。

 

 

「──駄ァ目、ですわよ。そんな言葉に惑されちゃあ」

 

 

どこからともなく、そんな声が響いた。

 

 

士道は訝しげに眉をひそめた。だって鼓膜を震わせたその声は──「ぎ……ッ!?」

 

と、士道の思考を遮るように、前方に立っていた狂三が、奇妙な声をのどから漏らす。

 

「狂三……?」

士道はそちらに目をやり──凍り付いた。

 

「ぃ、あ、ぁ……」 狂三が、眼球が飛び出さんばかりに目を見開き、苦しげな声を響かせている。

 

視線を下へ。狂三の胸から、一本の赤い手が生えていた。

 

「え……」 そこまで見て、ようやく士道は状況を理解した。

 

 

いつの間にか何者かが狂三の後方に現れ──狂三の胸を貫ぬいたのだ。

 

 

「わ、たく、し、は」

 

「はいはい、わかりましたわ。ですから──」

狂三の胸から、手が引き抜かれる。瞬間、狂三が纏っていた霊装が空気に溶け消え、彼女の白い肌が露になった。

 

「──もう、お休みなさい」

 

「……ぃぐッ」

あまりに小さな断末魔を残し、狂三の身体が人形のようにくずおれる。

 

そして、一度身体がビクンと跳ね──それきり、動かなくなった。

 

「な……」

士道は、動けなかった。突然すぎる事態に思考がついていかない。

 

だって、狂三の後ろに立っていたのは。

 

「あら、あら。いかがいたしましたの、士道さん? 顔色が優れないようですけれど」

 

──時崎狂三、その人だったのだから。

 

「く、るみ……? は? なんで……」

 

士道は、今の今まで話していた狂三を見てから、新たに現れた狂三に視線を向けた。

 

それは間違いなく、狂三だった。

 

影のような黒髪も、真珠のような肌も──左目に光る時計も、今までと同じである。

 

ただその表情には、先ほどまで倒れ伏した狂三が浮かべていたような混乱は見受けられなかった。

 

余裕に満ちた妖しい微笑である。

「まったく、この子にも困ったものですわね」

狂三が血に濡れた右手をビッ、と払う。

 

すると、影から無数の手が生え、狂三の死体を、影の中に引きずり込んでいった。

 

「あんなに狼狽えて。──まだ、この頃のわたくしは若すぎたかもしれませんわね」

 

「な──」

 

「ああ、でも、でも。士道さんのお言葉は素敵でしたわよ?」

 

冗談めかすように身をくねらせ、狂三が笑う。

 

 士道は、言葉を失って立ち尽くした。 ──意味が、わからない。

 

 

今。確かに士道の視界の中には、狂三が二人存在していた。

 

狂三が、狂三を殺して。

 

 

最初の狂三が、影に喰われていった。

 

 

 

「何、が……」 士道が呆然とのどから声を漏らすと、狂三はさらに可笑しそうに笑った。

 

 

「さあ、さあ。もう間怠っこしいのはやめにいたしましょう」

 

 

狂三がそう言うと、士道の足下から手が生え、両足をがっしりとホールドした。

 

 

「うわ……っ!?」

 

 

「あなたの力……いただきますわよ、士道さん」

言いながら狂三が士道に近づき、右手を伸ばしてくる。

 

そして、ひんやりと冷たい手が士道の頬を撫でた瞬間、「ぎ……っ」

 

 

狂三が、そんな声を発した。

 

 

天から目の前に白い影が降ってきたかと思った瞬間、士道に触れていた狂三の右手が切断され、くるくると宙を舞ってから地面に落ちたのである。

 

「──あら……あら」

痛みに耐たえるように眉をひそめながら、狂三が身を翻して後方に飛び退く。

 

一瞬あと、士道は自分と狂三の間に、人間が一人増えているのを認識した。

 

「真那!」

 

「はい。──また、危ねーところでしたね」

 

ワイヤリングスーツを纏い、両の手に巨大なレイザーブレイドを装着した真那が、ちらと士道の方を見て言ってくる。

 

しかし真那はすぐに光の刃を構え直すと、後方へ逃にげた狂三に鋭い視線を放った。

 

「随分と派手なことをやってくれやがったようですね、〈ナイトメア〉」

 

「──く、ひひ、ひひ、いつもながら、さすがですわね。わたくしの〈神威霊装・三番〉をこうも簡単に斬り裂かれるだなんて」

 

「ふん。わりーですが、そんな霊装、私の前では無意味です。大人しく──」

 

と、真那が言いかけたところで、狂三が大仰に手を広げ、その場でくるりと旋回した。

 

「でぇ、もォ……わたくしだけは、殺させて差し上げるわけには参りませんわねぇ」

 

狂三はそう言うと、カッ、カッ、と、ステップを踏むように両足を地面に打ち付けた。

 

 

「さあ、さあ、おいでなさい──〈刻々帝(ザアアアアアアフキエエエエエル)〉」

 

 

瞬間──狂三の背後の影かげから、ゆっくりと、巨大な時計が姿を現した。

 

狂三の身の丈の倍はあろうかという、巨大な文字盤。そしてその中央にある針は、それぞれ細緻な装飾の施された古式の歩兵銃と短銃だった。

 

「……っ、これは──天使……っ!?」

 

士道は思わず声を上げた。 ──天使。『形を持った奇跡』。精霊が持つ唯一にして絶対の力を誇る武器である。

 

「うふふ……」狂三が笑うと、巨大な時計の文字盤から短針に当たる銃が外れ、狂三の手に収まった。

 

そして、「〈刻々帝(ザフキエル)〉──【四の弾(ダレット)】」

 

狂三がそう唱えると、時計に刻まれた『Ⅳ』の数字から、じわりと影のようなものが漏れ──一瞬のうちに、狂三の握る短銃の銃口に吸い込まれていった。

 

と、士道はその様子を見て目を細めた。

 

時計の数字から影が漏れ出た瞬間、狂三の左目の時計が、恐ろしい速さで正方向に回った気がしたのである。

 

だが、そんな疑問は、すぐ頭の中から追い出されることになった。

 

狂三は短銃の口を頭蓋のこめかみに押し当てたのである。

 

……狂三はニヤリと笑うと、何も躊躇ことなく引き金を引いた。

 

 

ドン!

 

という音が辺りに響き、狂三の頭部がぐわんと揺れる。どう見ても、自殺したとしか思えない光景だった。

 

だが。士道は一瞬あと、その感想を強制的に訂正させられることとなった。

 

 

「は……?」 自分で、阿呆面をしているのが自覚できる。

 

 

だがこの光景を見たならば、誰もが同じ顔をしてしまうに違いない。

 

 

何しろ、狂三が自分を銃で撃った瞬間、地面に転がっていた狂三の右手が、まるで映像を巻き戻すかのように宙に浮き上がり──狂三のもとに飛んでいったのである。

 

そして右手は狂三の右腕に触れると、まるで何事もなかったかのように綺麗に接着・復元された。

 

腕に纏った長手袋さえも、完璧に。

 

「うふふ、良い子ですわ、〈刻々帝(ザフキエル)〉」

 

「……それは初めて見ましたね、やはり。なるほど、〝時間操作〟──あの子の言っていた言葉も強ち間違えではなかったということですか」

 

真那が忌々しげに言うと、狂三はくっくっと笑いながら口を開いた。

 

「ええ、ええ…。これは…時間を戻しただけですわ」

 

真那がやはり…と、眉を歪める。

 

 

しかし狂三は不敵に笑うだけでそれ以上答えず、右手を高く掲げた。

 

 

背後の時計〈刻々帝(ザフキエル)〉に残っていた長針──歩兵銃が、その手に収まる。

 

「──ああ、ああ。真那さん、真那さん。彼も居ないようですし、今日ばかりは、勝たせていただきますわよ」

 

言いながら、針のない文字盤の前で、二丁の銃を構えてみせる。

 

 

──まるで、時間を示すかのように。

 

 

「さあ、さあ。始めましょう。わたくしの天使を見せて差し上げますわ」

 

「──ふん、上等です。すぐに殺してやります」

 

 

真那が言うと、狂三はおかしくてたまらないといった様子で笑った。

 

「きひ、ひひ、ひひひひひひひひひッ、まァァァァァだわかりませんのぉ? あなたにわたくしを殺しきることは絶ェェェェェッ対にできませんわ」

 

「そんなのは関係ねーです。倒れないのなら倒れるまで、死なないのなら死ぬまで、貴様を殺し続けるのが、私の使命であり存在理由です」

 

 

「ひひひひひッ、あぁ、そうですの。そうですわよね。あなたはそういうお方ですわ。ふふふ、ふふッ、嗚呼、嗚呼、いいですわ、たまりませんわ。──それで、どういたしますの? 首を刎ねまして? 胸を貫きまして? 四肢を断ちまして?」

 

「ふん、そのいずれからも生き返った化物を一人知っていやがるもので。──欠片すら残さず、粉微にしてやります」

 

 

「! へぇ? それは初体験ですわね。素敵ですわ。最高ですわ」

 

 

「相変わらず、狂いやがってますね」

 

「ひひひ、それは、お互い様ではございませんこと? もう眉ひとつも動かしてくれませんのね。わたくしを初めて殺したときは、まだ可愛げがありましたのに」

 

「黙りやがってください。それとも、口とのどから消し飛ばして欲しいですか?」

 

「うふふ、ふふ。できますかしら?」

 

言って、狂三が左手の短銃を掲げる。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉──【一の弾(アレフ)】」

 

すると先ほどのように文字盤の『Ⅰ』の部分から影が染みだし、狂三の握る短銃に吸い込まれていった。そしてまたもその銃口を自分のあごに当て──引き金を引く。

 

 

瞬間。「ぐ……ッ!?」 その場から狂三の姿が掻き消え、それと同時に、真那が横に吹き飛ばされた。

 

「あッはははははははははははははは! やはりィ…見・え・ま・せんでしたかしらァ?」

 

「っ──」

真那は空中で方向を転換すると、虚空を蹴るようにして狂三に猛進した。

 

 

だが狂三の身体がまたも霞のように消え去ると、次の瞬間には真那の後方に出現して、その背に踵を振り下ろす。

 

「く……!」 しかし真那がキッと視線を鋭くすると同時、一瞬狂三の動きが鈍くなった。恐らく随意領域で狂三を捉えたのだろう。

 

真那が狂三の腹部を両断するように、レイザーブレイドを横に滑らせる。だが狂三はすんでのところで身をかわすと、くるくると回りながら給水塔の上に着地した。

 

 

「ふふッ、さすがですわ! もう時間を早めたわたくしの動きに対応するだなんて!」

 

「ふん……面白い能力ですが、随意領域を持つ私には相性がわりーんじゃねーですか? こっちは知覚さえできれば、貴様の動きを捉えることができやがるんです」

 

「ああ、ああ、そうでしたわねぇ。じゃあ──」

 

再び、狂三が目にも留まらぬスピードで真那に向かっていく。

 

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉──【七の弾(ザイン)】!!」

 

と、その途中、文字盤の『Ⅶ』から染みだした影が、狂三の歩兵銃に吸い込まれていった。

 

 

そして即座にその銃口を真那に向け、放つ。「無駄と──言っているでしょう……ッ!」

 

 

随意領域を持つ真那にその程度の銃弾が通るわけがない。

 

だが──「え……?」 士道は呆然と声を発した。 ──真那の身体が、空中に飛び立った状態で、完全に停止していたのである。

 

「真那……っ!」 士道が呼びかけるも、真那は動かない。反応を示すこともない。まるで、その場で真那の時間が止まってしまったかのように。

 

 

「あァ、はァ」

狂三が笑い、真那の身体に何発もの銃弾を放っていく。

 

狂三が握っているのはどちらも、単発式の古式銃である。しかし一発銃を撃つたびに、狂三の足下から影が滲み出、弾となって銃口に装填されていったのだ。

 

 

そして数秒のあと、狂三が地面に降り立つ。それと同時に、「が──ぁ……ッ!?」

 

その身に幾発もの弾丸を受けた真那が、全身から血を流して地面に落ちていった。

 

「きひひひひひひひひひ、あらあら、どうかしましたのォ?」

 

「な──、今の、は……」

 

「真那!」

士道は叫ぶと、地面に膝を突いた真那に駆け寄った。「兄──様、危険です。離れやがってください……」「馬鹿、何言ってやがる!」

 

 

と、そこで士道の後方から、バン! と扉を開け放つ音が響き──

 

「シドー!」

 

「──士道」

 

士道を呼ぶ声が新たに二つ、屋上に現れた。

 

「十香──折紙……!?」 振り向き、名を呼ぶ。 なぜ狂三の結界内で二人が動けるのかと思ったが、その姿を見て疑問は消え去った。十香は霊装を、折紙はワイヤリングスーツを、それぞれその身に纏っていたのである。

 

「大丈夫か、シドー!」

 

「怪我は」

 

二人は同時にそう言うと、鬱陶しげに睨み合ったあと、士道に視線を戻してきた。

 

 

だがすぐに、その先にいる狂三と、血塗れで膝を突いた真那に気づいたらしい。

 

二人も士道の前に回り込むと、狂三に向かってそれぞれ剣とレイザーブレイドを構えた。

 

「鳶一一曹……十香さん。ご無事でしたか。しかし……十香さん。その姿は一体……」

 

苦しげに息をしながら真那が言うと、十香が怪訝そうな声を上げた。

 

「シドーの妹二号。おまえこそ、その格好は何だ? まるでAST──」

 

真那と十香は互いに怪訝そうな視線を交わしたが、すぐに狂三の笑い声が響いてきて、言葉を中断した。

 

「あら、あら、あら。皆さんお揃いで」

 

狂三が言うと、十香と折紙がほとんど同時に口を開いた。

 

「狂三……! いきなり逃げたと思ったら、こんなところにいたか!」

 

「あなたの行動は不可解。一体何の真似」

 

「え……?」

士道は眉をひそめた。一体二人は何を言っているのだろうか。

 

「逃げた、って……?」

士道が問うと、十香は狂三から視線を外さないまま、「うむ」と首肯してきた。

 

「狂三が邪魔をしに現れたのだが……先ほどの爆発のあと、どこかへ逃げていったのだ」

 

しかし十香の言葉に、折紙が異を唱える。

 

「それはおかしい。時崎狂三は、私と交戦していた」

 

「何だと?」 十香は一瞬訝しげな顔をしたが──すぐに首を振ると、狂三に視線を向け直した。

 

「……残念だ、狂三。だがおまえがシドーに危害を加えようとする以上、容赦はしない」

 

 

「一部にだけ同意する」

折紙もまた、狂三に向き直る。

 

狂三が、またも楽しげにくるりと身体を回転させた。「うふふ、ふふ。ああ、ああ、怖いですわ。恐ろしいですわ。こんなにもか弱いわたくしを相手に、こんな多勢で襲いかかろうだなんて」

 

微塵もそんなことは思っていない様子で、くすくす、くすくす、と笑う。

 

 

「でも、わたくしも今日は本気ですの。──ねえ、そうでしょう? 〝わたくしたち〟」

 

 

「は──?」 奇妙な物言いに眉をひそめる。──だが、次の瞬間。

 

 

「「「「な……っ!?」」」」

士道と、十香と、折紙と、真那。四人の声が被った。 しかしそれも当然だ。屋上を覆い尽くしていた狂三の影。

 

 

その中から、幾本もの白い手が一斉に顔を出したのだから。

 

しかも、それだけではない。今まで肘程度までしか姿を現さなかった白い手が、徐々に徐々に、その根本を地面の上に現していったのである。

 

「なん……だよ、こりゃあ……っ!!」 思わず、のどを絞って叫びを上げてしまう。

 

だがそれも当然だ。何しろ、その白い手たちは── 全員が、『狂三』だったのだから。

 

広い屋上を埋め尽くさんばかりに、何人も、何人も。 霊装を纏った時崎狂三が、影の中から這はい出てきた。

 

 

 

「くすくす」    「あら、あら」 

 

 

       「うふふ」     

 

 

                   「あらあらあら」

 

 

     「驚きまして?」

 

 

 

 「士道さん」  

 

             「さあ、どうしますのォ?」

 

 

 

     「あはははははッ」 

 

 

                  「いひひひ」        

  

「美味しそうですわねえ」     

 

 

   「さあ、さあ」      

 

               「遊びましょう?」  

 

 

     「いかがでして?」

 

  

                 「ふふっ」     

 

    「ひひひ」

 

 

                「ふふふふふふ」     

 

 

 

         「どうしましたの?」

 

 

無数の狂三が、思い思いの笑いを、声を発する。

 

 

「こ、ッ、れは……ッ」 真那が声を発すると、銃を握った狂三が両手を広げながらくっとあごを上げた。

 

「うふふ、ふふ。いかがでして? 美しいでしょう? これはわたくしの過去。わたくしの履歴。様々な時間軸のわたくしの姿たちですわ」

 

 

「な──」

 

「うふふ──とはいえあくまでこの『わたくしたち』は、わたくしの写し身、再現体に過ぎませんわ。わたくしほどの力は持っておりませんので、ご安心くださいまし」

 

ねェ、と狂三が続ける。

 

「真那さん、わかりまして?わたくしを殺せない理由が」

 

「──っ……」 真那が、息を詰まらせる。それは、十香も、折紙も──士道も、同じだった。

 

 

「さあ──」 狂三が、くるりと回る。

 

「終わりに、いたしましょう」

 

「……ッ、舐めんじゃ──ねーです……ッ!」 叫んだのは、真那だった。随意領域で無理矢理傷ついた身体を持ち上げて空に舞い、ユニットを可変させて幾条もの光線を放つ。

 

 

降り注ぐ光は周囲に蠢く狂三を幾体も貫き、その身体を地面に跪かせた。

 

しかし、攻撃を逃れた周囲の狂三たちが空に飛び上がり、真那に襲いかかる。

 

「ふん……っ!」

真那がユニットを可変、迫り来る狂三たちの首を、腕を、胴を切り裂さく。屋上に、バラバラと狂三の『部品』が撒き散らされた。

 

 

だが〈刻々帝(ザフキエル)〉の前で銃を握った狂三が、【七の弾(ザイン)】を装填し、真那に放つと──先ほどのように、真那の身体が一瞬空中で停止してしまう。

 

 

その隙に、無数の狂三たちが真那に群がっていった。

 

「真那──!」

士道は声を上げる。だが、どうしようもなかった。 十香と折紙は士道を守るように展開し、剣を振るっていたが──数に差がありすぎた。

 

後方から、左右から取り囲まれて攻撃を加えられ、その場に取り押さえられてしまう。

 

そうなったなら、もう士道に為す術はなかった。両手をそれぞれ狂三に取られ、その場に押さえつけられる。

 

 

時間にして、五分にも満たない出来事だった。

 

 

しかし、それも当然だ。十香は力を十全には発揮できていない状態であるし──折紙もまた、十分な装備を持っていない。

 

唯一完全な精霊に対抗できるであろう真那が、天使によって無力化された瞬間、勝敗は決していたのだ。

 

 

「十香──折紙……真那……ッ!!」

両腕を取られ、地面に押さえつけられながら、士道はなんとか言葉を発した。

 

 

「ぐ……」

 

「────」

近くには、十香と折紙も士道と同じように取り押さえられている。双方、身体の至る所に傷を作り、苦しげに呼吸を漏らしていた。

 

 

士道の位置からだと、真那の姿だけが確認できない。空から屋上に落ちてきたのだけはわかったが、夥しい数の狂三の姿によって、視界が遮られていたのだ。

 

 

「うふふ、ふふ」

 

そんな中、悠然と微笑みながら、銃を握った狂三が士道の方に近づいてきた。

 

「ああ、ああ、長かったですわ。ようやく、士道さんをいただくことができますのね」

 

「や……っ、やめろ狂三! シドーに近づくな!」

 

「……っ、放して──」

 

十香と折紙がもがくも、狂三たちの拘束から逃れることはできなかった。

 

狂三はくすくすと笑うと、士道の目の前で足を止めた。

 

 

と、そこで狂三は、何かを思いだしたように眉をぴくりと動かした。

 

「ふふ──そうですわ」言って、左手に銃を預け、右手を頭上に掲げる。

 

 

すると、先ほどと同じように、街に空間震警報が鳴り響ひびいた。

 

「な……っ、狂三、おまえ何を──」

 

「うふふ、ふふ。先ほどできなかったことをして差し上げますわ。まだ皆さん目覚めておられないでしょうし──うふふ、きっとたくさん死んでしまいますわねえ」

 

 

「や、やめろ……ッ! そんなことしやがったら俺、舌噛んで──」

 

そう言いかけた瞬間、士道を取り押さえていた狂三たちが、左右から士道の口に細い指を差し入れ、顎と舌を押さえつけた。

 

「ふぐ……ッ!?」

 

「舌を……? どうするんですの?」

狂三が笑い、右手を握る。すると先ほどのように、周囲に耳障りな高音が響き始めた。

 

 

「ふふ、ひひひ、ひひひひひひひッ! さあ! もう二度とわたくしを誑かせないよう、絶望を刻み込んで差し上げますわ!」

 

「やえお──!」 まともに言葉を発音できない。だが、のどを震さずにはいられなかった。

 

狂三はそんな士道の懇願を無視し、右手を振り下ろした。

 

狂三が──笑う。けらけら、けたけたと。

 

 

「あ────ッはははははははははははははははははははははははははは────っ!!」

 

 

 

だが。〝何も起こらない〟。

 

 

「あ──はァ……?」数秒のあと、その笑い声は疑問符によって上書きされた。

 

 

狂三が、怪訝そうに辺りを見回す。

 

 

 

そして、突如。士道は身体にかかっていた拘束が取れ、口の苦しさもなくなっていた。

 

 

 

「あな…た…は。」

狂三は狼狽を隠せずに…漏らすように呟く。

 

 

 

 

────そこには、一人の少年が立っていた。折紙などのAST隊員と大して変わらないユニットを装着した…少年。

 

 

 

 

『まったくもう…、本当にまったくもうですよ。危ないって言ったのに…勝手に出ていくんですから。』

 

 

 

 

ポツリと……少年──【佐藤鷹禾】は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





というわけで終わりです。


次で狂三編は終わると思います。その代わりに少し短くなるかも?


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