デート・ア・ライブIF 【エラー】   作:セルヴェイエ

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狂三編の戦闘シーンから琴里編に続きます。


それではどうぞー



第四章 ■■ トラジディー
ホノオのセイレイ 【二十】


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『精霊…?』

〝それ〟を見て認知して確認して鷹禾はそんな単語を零した。

 

 

なぜ今精霊が…?しかもあれは────

 

 

 

 

 

■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どォなたですのォ?」

と、不意に前方から声が響いた。 

 

巨大な時計を背にし、右手に歩兵銃、左手に短銃を握った狂三が、不機嫌そうに眉を歪めながら上空の琴里を睨んでいる。

 

「邪魔をしないでいただけませんこと? せっかくいいところでしたのに」

 

 

「悪いけれど、そういうわけにはいかないわね。あなたは少しやりすぎたわ。──跪きなさい。愛のお仕置きタイム開始よ」

 

右手に出現させた巨大な戦斧を肩に担ぐようにしながら、少女が鼻を鳴らす。

 

 

狂三は今の言葉がさぞ予想外だったのだろう、しばしキョトンと目を丸くしていたが、すぐに堪えきれないといった様子で哄笑をのどの奥から漏らした。

 

「く、くひひひ、ひひひひひひひッ……面白い方ですわねぇ。お仕置き、ですの? あなたが? わたくしをォ?」

 

「ええ。お尻ペンペンされたくなかったら、天使を収めて大人しくなさい」

 

琴里が言うと、狂三はさらに可笑しそうに嗤った。再び影から現れ、立ち並んだ無数の狂三たちも、それに合わせるようにけたけたと身を捩る。

 

 

「ひひひ、ひひ。随分とご自分の力に自信がおありのようですけれど、過信は身を滅ぼしますわよォ? わたくしの〈刻々帝(ザフキエル)〉は──」

 

「御託はいいから早く来なさい黒豚」

琴里が面倒そうに息を吐くと、楽しげに笑っていた狂三の頬がぴくりと動いた。

 

 

屋上中に展開した無数の狂三が、一斉にぎろりと上空の琴里を睨め付ける。

 

「上等ですわ。一瞬で食らい尽くして──差し上げましてよォッ!」

狂三がのどを震わせる。瞬間、屋上を埋め尽くしていた狂三の分身体が一斉に脚を縮め、空高く跳躍して琴里に迫せまった。

 

空に向かって放たれる、無数の黒いシルエット。それは突進と突撃というよりも、無慈悲な機銃掃射や散弾銃の連射といった方が適当に思えた。

 

圧倒的な物量で相手を圧殺する暴虐なる数の悪魔。人間大の巨大な弾頭が、次々と琴里に迫る。

 

 

「──ふん」

しかし琴里は鬱陶しげに鼻を鳴らすと、担いでいた戦斧をゆっくりと持ち上げた。

 

琴里の身の丈を優に超える漆黒の棍の先端に、空気を焦がす焔が蟠り、刃の形を作っている。

 

それは琴里の動作に合わせて赤い軌跡を残しながら、さらにその輝きを増した。

 

「──〈灼爛殲鬼(カマエル)〉」

そして狂三の大群が目前にまで迫った瞬間、琴里は静かに言葉を発し、焔の戦斧を凄まじい勢いで前方に振り抜いた。

 

風を薙ぐ音が、士道のところにまで響いてくる。

 

「あッははははは! 無ゥ駄ですわよう!」

それに応ずるように、狂三がまたも哄笑を上げた。

 

 

如何に巨大な戦斧とはいえ、全方位から迫った何人もの狂三を薙ぎ払うことなどできるはずがない。

 

前方の数体を屠ったところで、一瞬あとにはその他の狂三に噛み付かれてしまうであろうことは想像に難くなかった。

 

 

だが。「きひひ──ひィ……?」

 

不意に、狂三の笑みが歪んだ。

 

琴里が〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を振り抜いた瞬間、その先端に生えた焔の刃が揺らめき──それと同時に、琴里に迫っていた無数の狂三の首が、あるいは腕が、あるいは上半身そのものが、一斉に宙に躍ったのである。

 

 

「「「「「「ぁ、ぇ……?」」」」」」

幾人もの狂三が切り離された自分の部品を見つめ、呆然と声を発する。

 

 

次の瞬間には、それら全てが炎に包まれ、地に触れる前に燃え尽きた。

 

「…………」

琴里が無言で視線を下──佐藤たちの方に落とし、口を開いた。

 

「あら、随分みっともない姿ね。傷は大丈夫かしら?」

 

『大丈夫なわけねぇだろ、クソいてぇんだよ…。』

 

「毒づき余裕があるなら大丈夫そうね。」

 

『もう下がっても大丈夫だよな…?』

 

「ええ」

 

そんな会話を佐藤と交わすと次いで琴里は気絶している士道を一瞥し、…小火を服に当ててきた。

 

 

「ぅ熱っつ……!」

思わずそんな言葉を反射的に叫びながら士道は跳ね起き、制服に落ちた火の粉をバンバンとはたき落とした。

 

 

 

 

と、現状をよく理解できていない士道と…狂三の間に、空からゆっくりと琴里が降り立ち、狂三に向かって〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を構えた。──まるで、士道を守るかのように。

 

「ぇ…あ、…こ、琴里…?…これは一体──」

 

 

「大人しくしてなさい、士道。可能なら狂三の隙を衝いて佐藤たちと一緒にこの場から逃げて。今のあなたは──簡単に死んじゃうんだから」

 

 

「は……? それは…どういう……」

 

しかし士道の問いは、前方から響いた狂三の哄笑によって掻き消された。

 

「ひひ、ひひひひひひひひひ……ッ! やるじゃあありませんの」

 

銃を握った狂三が眉を撥ね上げ、唇の端を歪める。

 

「でェもォ、まさかこれで終わりだなんて思ってはおられませんわよねえ?」

 

言って、狂三が巨大な文字盤の前で二丁の銃を構えてみせる。

 

士道は息を詰つまらせた。そうだ。狂三にはまだあの天使が──時を操る〈刻々帝(ザフキエル)〉があるのである。

 

 

「琴里、気をつけろ、あれは……!」

 

「ふふッ、士道さん、無粋な真似はよしてください──ましッ!」

 

言うと狂三は〈刻々帝(ザフキエル)〉の『Ⅰ』の文字盤から漏れ出た影を装填した短銃で、自分のこめかみを撃った。

 

瞬間、狂三の姿が霞のように掻き消える。

 

と、その動作と同時に琴里が〈灼爛殲鬼(カマエル)〉をバッと頭の上にやった。

 

すぐに、その位置から甲高い音が鳴り、微かに〈灼爛殲鬼(カマエル)〉が震える。

 

先刻──狂三と真那が戦っていたときにも見た光景だ。〈刻々帝(ザフキエル)〉【一の弾(アレフ)】。

 

 

撃った対象の時間を早める弾である。

 

 

影すら追いつかないような速度で、狂三が幾度も琴里に猛襲を仕掛ける。

 

しかし琴里の〈灼爛殲鬼(カマエル)〉は、焔の刃を俊敏に蠢かせると、その目にも止まらぬ攻撃をことごとく防いだ。

 

 

「あッはははははは! 素晴らしいですわ! 素晴らしいですわ! さすがは天使を顕現させた精霊──ッ! 高鳴りますわ、高鳴りますわッ!」

 

 

「ふん……! 鬱陶しいわね。あなたもレディなら、少しは落ち着きを持ったらどう?」

 

棍を薙ぐように振り抜き、琴里が言う。そこでようやく士道の目に、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉に吹き飛ばされた狂三の姿が見えた。

 

空中に躍った狂三は不安定な姿勢のままけたけたと笑うと、銃を構え、叫びを上げる。

 

「ご忠言痛み入りますわ。ではご要望にお応えして、淑やかに殺らせていただくとしましょう。〈刻々帝(ザフキエル)〉──【七の弾(ザイン)】!」

 

 

すると、〈刻々帝〉の『Ⅶ』から影が飛び出し、狂三の銃口に吸い込まれていった。

 

そして狂三が引き金を引くと同時、漆黒の弾丸が軌跡を描きながら琴里に迫る。

 

姿勢、速度、距離、どれを見てもかわせるような一撃ではないが、琴里の〈灼爛殲鬼(カマエル)〉はその弾丸をも焔の刃で打ち落とした。

 

「琴里!」 が──駄目だ。士道は思わず叫んでいた。【七の弾(ザイン)】。それは先ほど、狂三が真那を仕留めた最悪の一撃である。

 

防ごうと打ち落とそうと関係ない。その弾は触れた瞬間に──「ふふ、あはははははははッ!」

 

狂三の笑い声とともに、琴里の身体がぴくりとも動かなくなった。

 

手足はもとより、幻想的に揺らめいていた霊装の袖や〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の刃、髪の毛の先さえも、空中に躍ったままその場に制止してしまっている。

 

「ふふふッ、如何な力を持っていようと、止めてしまえば意味がありませんわよ?」

狂三が言うと同時、周囲に残っていた無数の狂三が一斉に銃を構え、琴里に向かって引き金を引いた。

 

「やめ──」

士道の制止が間に合うはずもない。狂三たちの放った弾丸は無慈悲に琴里に吸い込まれていった。その柔肌に、痛々しい銃痕が刻まれていく。

 

 

「それでは、ごきげんよう」 そして最後に、【七の弾(ザイン)】を放った狂三が琴里の目の前に立ち、琴里の眉間に銃口を押し当て、何の逡巡もなく引き金を引いた。

 

次の瞬間、琴里の身体が動きを取り戻す。

 

「……ッ!」

琴里の全身に刻まれた傷から、一斉に血が噴き出す。だが琴里には、それに反応を示す暇さえ与えられなかった。最も至近距離から放たれた最後の一撃を眉間に受け、小さな身体を仰向けにその場に倒す。

 

 

「琴里……ッ!!」

悲鳴じみた声を上げてその場に駆かけ寄り、倒れた琴里の身体を抱き起こそうとする。

 

だが、できなかった。全身を狂三の弾丸で穿たれ、夥しい量の血の海に沈んだ琴里の身体は、触れるだけで崩れてしまうのではないかと思えるほどにぼろぼろだったのである。

 

生存の望みなど一縷とてない惨状。士道は妹の変わり果てた姿に呆然と手を突いた。

 

「あ、あ……」

 

「うふふ、ふふふふふふッ、ああ、ああ、終わってしまいましたわ。せっかく見えた強敵でしたのに。無情ですわ。無常ですわ」

 

狂三が、芝居がかった調子でくるくると回りながら、可笑しそうに嗤う。

 

「さあ、さあ、今度こそ士道さんの番ですわ。わたくしに──」

 

と。そこで狂三は言葉を止めた。

 

訝げな顔をして、仰向けに倒れた琴里の方を見つめている。

 

狂三の視線を追って琴里を見やり、士道もまた、目を見開いた。

 

 

「こ、れは──」

呆然と、声を漏らす。琴里の身体に刻まれた無数の銃痕から焔が噴き出し、全身を舐めるように広がっていたのである。

 

この光景には見覚えがあった。否、正しく言うのであれば──体感したことが、あった。

 

 

「……まったく。派手にやってくれたわね」

踵を支点にするように、ぐん、と琴里が不自然極まる動作で身を起こす。

 

焔が通ったあとには、傷も、血のあとも、霊装の綻びさえも、一切がなくなっていた。

 

一瞬前まで瀕死の重傷を負っていたとは思えない。

 

今攻撃を受けたのが士道の錯覚だったのではないかと思ってしまうくらいに平然と、頭を数度左右に倒してみせる。

 

 

「な──」

さすがにこれには驚いたらしい。狂三が一歩後ずさりながら眉を歪める。 それに気づいたのか、琴里が〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を構え直し、狂三を睨み付けた。

 

「私としては、あなたが恐れ戦いて戦意をなくしてくれるのがベストなのだけれど」

 

「……ふん、戯れないでくださいま──しッ!」

狂三が身を反らし、両手の銃口を背後に向ける。

 

 

すると狂三の左眼の時計がくるくると高速回転し、〈刻々帝(ザフキエル)〉の『Ⅰ』の文字盤ばんから連続して影が漏れ出て、狂三の銃に吸い込まれていった。

 

「【一の弾(アレフ)】……ッ!」

狂三は叫ぶと、両の手に握った銃の引き金を連続して引き絞った。屋上に残った狂三たちに、【一の弾(アレフ)】が吸い込まれていく。

 

数十発の【一の弾(アレフ)】を撃ったのち、狂三は自らに銃口を押し当て、引き金を引いた。

 

 

「──ちッ」

琴里は面倒そうに舌打ちをすると、左足を後方にブンと振り、士道の脇腹を蹴った。

 

 

「ぐぇ……っ!?」

突然の衝撃に間の抜けた声を発しながら、後方に蹴り飛ばされる。

 

士道は背中と後頭部で地面を擦ってなんとか停止したのち、頭をさすりながら身を起こして声を上げた。

 

「な、何すん──」

だが、非難の言葉を最後まで吐くことはできなかった。

 

恐ろしい速度を得た何人もの狂三たちが、琴里を囲うようにびゅんびゅんと飛び回り、拳打を、脚襲を、あるいは弾丸を浴びせかけていたからだ。

 

そう。琴里は【一の弾(アレフ)】の力で高速化した狂三たちの猛もう攻こうが届く寸前に、貴重なワンアクションを消費して、士道を安全圏まで逃したのである。

 

 

 

『士道さん、随意領域(テリトリー)で守ります!こっちに来てください!』

 

 

「悪いッ…!」

炎と分身体の狂三が飛び交う戦場の後方で、十香たちを守るように随意領域を展開している鷹禾の元に士道はそう言うと走った。

 

 

『真那さんも十香さんも、このASTの人も気絶してるだけです。命には別状はありませんよ』

 

 

「良かっ…た…」

 

 

『俺は両腕折られたけどな。』

 

 

「…って、佐藤!?」

 

 

 

『これ治るんだろうな。めっちゃ痛いんだけど……』

 

 

 

『これでも鎮痛はしてるんですよ…?』

 

 

 

『お前は喋んな』

 

 

 

『ぇぇ…?』

 

 

 

 

■■■■■■

 

 

 

 

「切り裂け──〈灼爛殲鬼(カマエル)〉ッ!」

 

琴里が吼えると、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉はその刃の体積を何倍にも膨れ上がらせ、さらに広範囲にその身を伸ばしていった。

 

次々と、無数の狂三が焔の刃に薙がれ、裂かれ、貫かれ、その身体を灰と化されていく。

 

 

「くッ……」

と、そんな苦悶とともに、狂三が琴里の周囲から離脱する。

 

どうやら〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の攻撃がヒットしたらしい。肩かたから腹に掛けて、火傷のような切り傷のような、奇妙な痛々しい傷跡ができていた。

 

 

「一体──なんなんですの……あなたはァッ!」

すぐに短銃を掲げ、叫ぶ。「〈刻々帝(ザフキエル)〉──【四の弾(ダレット)】!」

 

同時、〈刻々帝〉の『Ⅳ』の文字盤から、狂三の握る銃に影が放たれる。

 

 

そして狂三が自らのこめかみに銃口を当てて引き金を引くと、まるで時間を巻き戻すかのように、狂三の身体から傷が消えていった。

 

 

それとほぼ同時に、琴里の周囲に飛び交かっていた狂三の分身体たちが、悉く燃やし尽くされ、灰となって風に消えていく。

 

 

「あら、もう打ち止めかしら? 案外少なかったわね。もう少し本気を出してくれてもいいのよ?」

 

琴里が戦斧を肩に担ぎながら、ふふんと鼻を鳴らす。 その物言いに狂三が顔を凄せい絶ぜつに歪ませ、歯をぎりと噛かみしめた。

 

 

「その言葉──後悔させて差し上げますわッ! 〈刻々帝(ザフキエル)〉……ッ!!」

 

言った瞬間、狂三の左眼が、今までよりもさらに速く回り始めた。

 

「ッ! させるかっての……!」

その様子に不穏なものを感じたらしい。琴里が〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を振りかぶる。

 

 

だが──「──ぁ」 小さな、本当に小さな声をのどから発して、その場に膝をついた。

 

灼爛殲鬼(カマエル)〉の柄を杖のようについてどうにか身体を支えながら、もう片方の手で苦しげに頭を押さえる。

 

 

「く……こ、これは……」

 

 

「こ、琴里!?」

一体何が起こったのかわからないが、それが琴里の窮地であることは容易に理解できた。

 

思わず叫んでしまう。

 

「あッはははははははははは! 悪運尽きましたわ・ねェ!」

 

狂三が高らかに笑い、〈刻々帝(ザフキエル)〉の弾が込められた歩兵銃を琴里に向ける。

 

 

「く──」

士道は考えるよりも先に駆け出していた。

 

 

 

『士道さんッ!駄目です!』鷹禾が叫ぶが士道は止まれなかった。

 

 

今狂三の銃に込められている弾にどのような力があるのかはわからない。しかし、それが琴里の命を刈り取ろうとする必滅の一撃であることは想像に難くなかったからだ。

 

 

狂三が引き金を引く瞬間、琴里の身体を掴んでどうにかその弾から逃れさせる。それが叶わないのであれば、最悪、士道が盾になれればそれでいい……! ──だが。

 

 

「…………」

狂三が琴里に照準を合わせた瞬間、琴里がすっとその場に立ち上がった。

 

 

「っ、琴里! 大丈夫なのか!?」

問うも、琴里は答えなかった。

 

 

ただ静かに──爛々と光る真っ赤な眼で、狂三をジッと睨め付つける。

 

 

見慣れたはずのその顔は、なぜだろうか、まったく士道の見知らぬ少女に見えた。

 

 

「琴、里……?」

琴里は〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を天高く掲げると、その手を離した。

 

 

すると〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の刃が空気に掻き消え、棍部分のみがその場に静止する。

 

「〈灼爛殲鬼(カマエル)〉──【(メギド)】」

琴里の声に応えるように、刃を失い棍のみになった〈灼爛殲鬼(カマエル)〉が蠢動した。

 

 

柄の部分が本体に収納され、琴里が掲げた右手を包み込むように着装される。

 

 

肘から先を長大な棍に覆われた琴里は、その先端を上空の狂三に定めた。

 

──その姿はまるで、戦艦に備えられた大砲を思わせた。〈灼爛殲鬼(カマエル)〉がその体表を展開させ、赤い光を放つ。

 

そして琴里の周囲にまとわりついていた焔が、その先端に吸い込まれていった。

 

 

「────!?」

その様子を見てか、琴里に銃口を向けていた狂三は眉をひそめた。今までに見たことのない表情。士道の知識と語彙から相応しい表現を充てるとするなら──それは、恐怖とか戦慄に近いのかもしれなかった。

 

 

 

「わたくしたち!!」

狂三が叫ぶと同時、狂三の影から分身体たちが、二人の間を遮るように這い出てきた。

 

琴里が、静かに口を開く。

 

「──灰燼と化せ、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉」

その声は、何年も一緒に暮らしている士道が一度も聞いたことのないような、冷たく、平坦なものだった。

 

次の瞬間──琴里の構えた〈灼爛殲鬼(カマエル)〉から、凄まじい炎熱の奔流が放たれた。

 

巨大な火山の噴火を数十センチの範囲に凝縮したかのような圧倒的な熱量が、高校の屋上から空の彼方にまで一本の線を引く。

 

辺りが一瞬、一足早い夕日に彩られたかのように真っ赤に染まった。

 

「ぐ……」

士道は思わず腕で顔を覆った。わずかに空気を吸っただけでも、鼻から口から入った熱気が粘膜を灼き、呼吸を阻害する。琴里の背後にいるにも拘わらず、肌が火に炙られているかのようにちりつき、目を開けているのも困難なほどだった。

 

 

数秒ののち、空を灼く炎熱の光線が段々とその体積を減らしていき──琴里の右手に装着された大おお筒づつが、過酷な作業を終えた機械のように白い煙けむりを勢い良く吐き出した。

 

「けほ……っ、けほ……っ」

軽く咳込んでから視線を上げる。

 

視界を覆う煙が晴れ──士道は小さく肩を揺らした。 屋上の床やフェンスが凄まじい熱によって融かされ、砲の通ったあとには何も残っていなかったのだが──そこには未だ、狂三と〈刻々帝(ザフキエル)〉の姿があった。

 

だがその狂三を護るように這い出た分身体たちは一体残らず灰燼と消え、狂三自身もまた、左腕を失っていた。恐ろしい熱量で消し飛ばされたからだろうか、断面は黒炭のように煤け、血一つ流れてはいない。 また、狂三の背後に浮遊していた〈刻々帝〉も、その巨大な文字盤の四半を貫かれていた。

 

 

『Ⅰ』『Ⅱ』『Ⅲ』の数字があったと思おぼしき場所が、綺麗に抉り取られている。

 

「く──ぁ……」

狂三が絞り出すように息を吐き、その場にがくりと膝をつく。

 

誰だが見ても、戦闘が続けられるような状態ではなかった。 ──しかし。

 

 

「……銃を取りなさい」

琴里が、低い声で唱えながら、再び大砲となった〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を狂三に向けた。

 

 

「まだ闘争は終わっていないわ。まだ戦争は終わっていないわ。さあ、もっと殺し合いましょう、狂三。あなたの望んだ戦いよ。あなたの望んだ争いよ。──もう銃口を向けられないというのなら、死になさい」

 

 

「琴里……? な、何を言ってるんだ?」

士道は琴里のもとに駆け寄よると、その肩を掴んだ。

 

「それ以上やったら、本当に死んじまうぞ! 精霊を殺さずに問題を解決するのが〈ラタトスク〉なんだろ!?」

 

しかし、琴里は士道の言葉に耳を貸さなかった。再び〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の砲門に、焔を引き込んでいく。

 

 

「……! お、おい、琴里!」

士道は琴里の前に回り──息を詰まらせた。

 

「な……」 冷たく歪んだ双眸に、妖しく光る紅玉の眼。そして口元に浮かんだ、愉悦か恍惚にも近い表情。

 

 

──違う。士道は戦慄した。明らかに、いつもの琴里ではない。

 

それを察した瞬間、士道は駆け出していた。──力無く膝をついた狂三の方へ。

 

「狂三!」

 

 

 

「士──道、さん……?」

 

狂三を連れて逃げるような猶予はない。せめて少しでも狂三へのダメージを減らそうと、狂三の前にバッと立ちはだかる。

 

それと同時に、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉から、再び万象を灼き尽くす紅蓮の咆吼が放たれた。

 

瞬間──「っ!」

 

灼爛殲鬼(カマエル)〉を構えた琴里が、ハッと目を見開いた。

 

「おにーちゃん……ッ! 避けてっ!」

叫び、右手の〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を上空に向ける。

 

だがそこから放たれた火は完全にはその軌道を変えられず──「────」

 

目の前が真っ赤に染まったところで、士道の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜◆〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 燃える。燃える。家々が燃える。

 

 燃える。燃える。町々が燃える。

 

 燃える。燃える。世界が燃える。

 

 士道の視界の中で焔が躍り狂う。

 

 

 ぱちぱちと。めらめらと。ごうごうと。

 

 

 

それでも、士道は足を止めなかった。

 

(琴里……っ! 琴里!)

妹の名を呼びながら、ただひたすらに、地獄の底と化した街を走っていく。

 

 

そうしていながらも、士道はまだその状況を理解しきれていなかったのかもしれない。

 

 

だが、それも仕方のないことだった。何しろ家に戻ろうとしたら、見慣れた街が丸ごと炎に包まれていたのだから。

 

今日は、琴里の九歳の誕生日だった。そのプレゼントを買いに、士道は駅前まで出かけていたのである。

 

 

そのおかげで火災を免れたのだから琴里に感謝せざるを得ないが──肝心の琴里がまだ、家に残っているはずだったのだ。

 

忙しい両親は娘の誕生日だというのに、いつものごとく仕事で家を空けている。

 

 

今、家には琴里が一人きりなのだ。

 

泣き虫な琴里のことである。

 

 

きっと、逃げることもできず一人泣いているだろう。 その姿が頭を掠かすめた瞬間、士道は駆け出していた。

 

 

琴里。士道の可愛い妹。何もなかった士道の家族になってくれた、優しい女の子。

 

 

昔。実の母に捨てられ、絶望に沈んでいた頃ころ、士道は父母に、そして琴里に救われた。

 

 

だから、今度は士道が救わねばならないのだ。琴里のためならば、士道は自らの命を投げ出すことさえ厭わなかった。

 

 

(琴里──ッ!!)

幾度も幾度ものどを震わせながら、家の方に走っていく。

 

だが、そこで士道は足を止めた。目の前の街並みが、ところどころに燻ぶった炎の残滓を残し、綺麗に舐め取られたかのように消え失せていたからだ。

 

そして、その中に。一人の小さな女の子が、力無くへたり込んで泣きじゃくっていた。

 

 

(あれは──)

奇妙な出いで立ちをした少女だった。袖や裾の広がった和装に、頭部の角。

 

そしてそれに括られた白いリボン。身体の周囲には、ゆらゆらと焔が揺らめいている。

 

だけれど士道には、その女の子が可愛い妹であるとすぐにわかった。

 

琴里が、泣いている。──士道の身体が動くのに、それ以外の理由など必要なかった。

 

 

(琴里!)

 

手にしていた鞄をその場に放り、名を呼びながら、琴里の方に走っていく。

 

 

(ぅ、ぁ、ぁ、お、おにぃちゃん……っ、おにーちゃん、おにーちゃん……ッ!)

 

 

涙でぐしゃぐしゃになった顔を両手で拭いながら、琴里が士道のことを呼んでくる。

 

が──士道が琴里の近くに寄ろうとした瞬間、琴里の身体にまとわりついていた焔が急に大きく膨れ上がった。

 

 

琴里が、ハッとした様子で目を見開き、肩を震わせる。

 

 

(おにーぢゃん! 来ぢゃだめぇぇぇぇぇっ!!)

涙に濡れた声で、のどを潰さんばかりの大声を上げてくる。

 

 

 

(──え?)

士道は呆然と声を発した。

 

 

だがそれも仕方のないことだろう。何しろ気付いたときには士道の身体は、体積を増した琴里の焔の奔流を受け、軽々と吹き飛んでいたのだから。

 

 

(ぁ────)

 

どさ、と背中から地面に落ちる。背中に強烈な激痛が走り、全身の肌が火傷を負ったように悲鳴を上げる。

 

 

だが、士道は痛みに身を捩ることも、叫びを上げることもできなかった。

 

ただぼんやりとした視界と意識の中、空を見上げながら短い声をこぼす。

 

まだ意識がない方がよかったのかもしれない。指を動かすことさえ叶わず、ただ痛みに苛まれながら、遠くなる意識を冷静に認識している自分が、どこか空恐ろしかった。

 

 

(おにーちゃん……っ!)

すぐに、這うようにして琴里が駆け寄ってくる。

 

数瞬前に意識がない方がよかったという考えが頭を掠めたばかりだというのに、脳は容易すく意趣を返した。

 

今の士道にとって、琴里の顔を見取ることができるのは、何にも代え難い報奨だったのである。

 

琴里の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。それは士道の焼け爛れた肌に触れると、さらなる激痛となって襲いかかってきた。

 

だが、どうにかうめきを上げぬように奥歯を噛む。

 

 

ただでさえ泣き虫な琴里をこれ以上泣かせてしまったら、士道はお兄ちゃん失格である。

 

霞む視界。滲む琴里の顔。薄れゆく空の色。

 

 

すべてが、どんどん実像を失っていく。

 

だが……そのとき。【──ねえ、彼を助けたい?】

 

 

そんな声が、士道と琴里の上から響いてきた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜◆〜〜〜

 

 

 

 

 

 

「──つっ……」

士道の頭に蟠っていた微睡みを切り裂いたのは、鈍い痛みだった。

 

額を押さえ、小さな声を発する。

 

触れた限り、外傷はない。切り傷はもとより、こぶのようなものも確認できなかった。

 

 

どちらかというと頭の奥底からじんわりと鈍痛が湧いてくるかのような感覚である。

 

しばしの間うなりを上げてから目を開くと、視界に大小さまざまな配管ののたくった天井じが広がっていることがわかった。

 

 

そこでようやく、自分がベッドに横になっていることに気付く。

 

 

「ここは……」

士道は数度目をしばたたかせ、辺りの様子を見やった。ベッドが等間隔に並べられており、それぞれの周囲に、間仕切り用のカーテンが纏まとめられている。

 

覚えのある空間。士道は前にも一度、今と同じようにここに寝ねていたことがあった。

 

そう。〈ラタトスク〉の所有する空中艦〈フラクシナス〉の医務室である。 士道はぼうっとする頭を覚醒させるように、軽く側頭部を叩きながら身を起こした。

 

 

「あいたた……」

頭だけではなく、身体の節々が痛んだ。小さく顔をしかめる。

 

ついでに、なぜだろうか、唇に微かな違和感がある気がした。気を失う前に何かが触れでもしたのだろうか。

 

 

だが、すぐにそんなものは気にならなくなった。

 

理由は単純。士道のベッドにもたれ掛かるようにして、見知った顔の少女が眠っていたからだ。

 

美しい夜色の髪に、陶器のように滑らかな肌。顔の造作は、これまた作り物のように端整で、その寝姿はまるで童話のワンシーンを思わせた。……まあ、口の端からひとすじ垂れた涎が、それを台無しにしてはいるのだが。

 

 

「十香……?」

士道が名を呼ぶも、少女──夜刀神十香は反応を返してこなかった。ただ規則的に肩を上下させ、静かに寝息を立てるのみだ。

 

「なんで十香がこんなところに……いや、それよりなんで俺は──」 と、士道の呟きは途中で止められた。

 

不意に医務室の入り口が開き、二人分の足音が入ってきたのである。

 

「……ん? ああ、目覚めたかい、シン」

栗り鼠す色の軍服を纏った二〇歳くらいの女が、士道の姿を見るなりそう言ってくる。

 

分厚い隈に飾られた双眸と、長年のインドア生活を示すような生白い肌が特徴的な〈ラタトスク〉の解析官、村雨令音である。

 

「令音さん? それに──」 士道は令音に返しながら、ふとその後ろに目をやった。

 

ようやくティーンエイジャーに指を引っかけたくらいの少女が、令音の陰に隠れるように立っている。

 

およそ自然には生まれ得ないであろうブルーの髪と、綺麗な蒼玉(サファイア)の瞳を、つばの広い麦わら帽子で隠した女の子である。左手にコミカルな意匠が施されたウサギのパペットなんぞを着けており、時折その小さな手をわきわきと動かしていた。

 

『おー、士道くん。なぁーによ、元気そうじゃないの。心配して損しちゃったわぁよー』

 

「無事で……よかった、です」

 

パペットが大仰な仕草で言ったのち、少女が蚊の鳴くような声を発してくる。

 

 

「四糸乃まで。一体どうしたんだ……?」

 

『むー』

 

「……あ、ああ、悪い。よしのんもいたな」

 

 

士道は不服そうなパペットに苦笑しながら返してから、視線を令音の方に戻した。

 

 

 

「それで、令音さん。なんで俺、こんなところに……?」

 

「……ん。昨日、時崎狂三との交戦のあと、気絶した君をここに搬入してね」

 

 

「……っ!」

時崎狂三。士道の学校に突如として転校してきた少女であり──精霊。

 

その名前が令音の口から発された瞬間、士道の頭に薄らぎかけていた鈍痛が戻ってきた。 

 

 

昨日の光景が、頭の中に鮮明に思い出される。

 

「そ、うだ……! あ、あれからどうなったんですか!? 十香は眠ってるだけなんですよね? 何ともないんですよね? それに琴里は!? あいつ、急に現れて……っていうか、あの姿は一体……! あと折紙は!? あいつもかなり手酷くやられてたはずなんです!」

 

 

「……落ち着きたまえ、シン」

 

 

「っ──そうだ、真那はどうなったんですか!? とんでもなく怪我してて! 無事なんですよね!? 佐藤は?!佐藤もあの後来ていてそれに鷹禾も──」

 

 

と、士道はそこで言葉を止めた。正確に言うのであれば、止められた。 令音が狼狽える士道の頭を抱えるように、ぎゅっと抱きしめてきたからだ。

 

 

「んー! んー!?」

 

「……よしよし」

言いながら、令音が頭を優しく撫でてくる。

 

 

だが士道はどちらかというと、顔に押し付けられた温かな胸元の感触に気が行ってしまっていた。

 

 

令音の腕うでをタップして降参を示す。すると令音は数秒後、ようやく身を離した。

 

 

「……落ち着いたかい?」

 

 

「は、はぁ……」

大きく息を吐いてから問いかけるように視線を上げると、令音がそれに応じるように首肯してくる。

 

 

後ろでは四糸乃が手で赤い顔を覆い、でも指の隙間からしっかり見ていた。

 

 

「……安心したまえ。皆無事だ。私の知る限り死者は出ていない。近隣の病院はパンク状態だがね。鳶一折紙と崇宮真那と佐藤鷹禾、それに佐藤はあとから現れたAST隊員に回収されていった。多分自衛隊天宮病院に搬送されただろう。あそこには医療用の顕現装置(リアライザ)が配備されているからね。──狂三は、隙を衝いて逃げたよ。十香は見ての通りさ。自分も傷を負っているというのに、君を看病すると言って聞かなくてね。疲れて眠ってしまっただけだろう。」

 

 

 

「……っ」

令音の言葉を聞いて、士道は奥歯を噛みしめ拳を握りしめた。

 

 

 ──結局、士道は何も解決できなかった。 佐藤から背中を押され……狂三を救ってみせると、真那を救ってみせると言いながら、何もできはしなかった。

 

 

狂三に、真那に重傷を負わせ、折紙や十香、佐藤や鷹禾すら巻き込んだ挙げ句、狂三の力を封印することは叶わなかったのだ。

 

 

「く──そ……っ」 悔しげに毒づき、ベッドを殴る。

 

 

「……君はよくやった。あまり自分を責めないことだ」

 

 

「で、でも……!」

 

 

「……狂三があんな力を隠しているとは、誰も予想できなかったろう。むしろあの一件で死者が出なかったことを喜びたまえ。これで終わりではないんだ。まだ狂三を救いたいと思っているのなら、その手は彼女の頬を叩いて叱りつけるためにとっておきたまえ」

 

 

「……はい……」

 

 

士道は押し殺すようにしてそう言い──ハッと目を見開いた。 令音の言葉の中には、一人、重要な人物が欠けていたのである。

 

 

「令音さん……! 琴里は。琴里は今、どこにいるんですか?」

上体を起こしながら問うと、令音は想定通りの質問を受けたといった様子でうなずいた。

 

 

「……案内しよう。立てるかい?」

 

「は、はい」

士道は布団を足元に畳むと、ベッドの脇に揃えてあった靴を履いて立ち上がった。

 

が──長い間横になっていたからだろうか、軽い立ちくらみを感じ、姿勢を崩してしまう。

 

「……!」

と、そこで令音の脇から四糸乃が駆け寄り、士道の身体を支えてくれた。

 

「お、おう、悪い。ありがとうな、四糸乃」

 

「い、いえ……」

苦笑しながら士道が言うと、四糸乃がどこか恥ずかしそうに顔をうつむけた。

 

左手の『よしのん』が、『ひゅー』だなんてわざとらしい口笛(?)を吹く。

 

「……大丈夫かい? もう少し休んでいた方が──」

 

「や、大丈夫です。それより、早く琴里のところに」

令音は士道の様子を見るように目を細めたが、すぐに小さく息を吐き、首肯した。

 

 

「……ついてきたまえ」

言って、ゆらりと踵を返す。士道は十香をちゃんとベッドに寝かせてから、その背を追うように足を踏ふみ出した。

 

 

と、四糸乃が士道の腰元を支えたまま、一緒に歩くようにしてくる。

 

 

「四糸乃? もう大丈夫だぞ?」

 

「……っ、あ、はい……でも、その、あぶない、ですから」

四糸乃の目にはそんなにも士道が弱々しく見えたのだろうか。 しかしわざわざ厚意を振り払う理由もない。

 

 

士道は苦笑しながら「……じゃあ、お願いするよ」と言ってともに歩みを進めていった。

 

なぜかウサギのパペットが器用にニヤニヤしていたが、まあそんなのはいつものことなのでさして気に止めなかった。 四糸乃に伴なわれながら、〈フラクシナス〉の狭い通路に足音を響かせていく。

 

 

そんな道中で、士道は不意に眉根を寄せた。てっきりいつものように艦橋に向かうものだと思っていたのだが、令音が途中で進路を変えたのである。

 

 

そのまま歩みを進め、数分後。「……ここだ」 足を止めた令音の前の扉を見て、士道は思わず息を呑んだ。

 

 

士道は別段、〈フラクシナス〉の内部構造について詳しいわけではない。幾度か足を踏み入れたことはあるが、丁寧に案内をされたわけでもないし、行くところといえば転送装置のある機体下部と艦橋、医務室、あとはトイレや食堂、レストルーム程度である。

 

正直、今自分が艦のどの位置にいて、この部屋がどういった役割を持っているのかなんてことも正確にはわからない。

 

しかしそれでも、その銀行の大金庫を思わせる如何にも頑強そうな扉が、どのような意図を持って設らえられているかは容易に推し量れた。

 

「ここって……」

問うように視線を送るも、令音は答えず、扉の横に備えられた電子パネルの前に立つと、番号を入力してから手の平をかざした。

 

 

「……解析官・村雨令音」

そして名を言うと、パネルが小さな音を鳴らし、その大きな扉が左右に分かれて開いていった。

 

「……さ、来たまえ」

令音が部屋に入っていく。士道はごくりとのどを鳴らしてからその背を追った。

 

そしてすぐに、士道は眉をひそめた。なんとも奇妙な部屋である。部屋の手前と奥がガラス製の壁で仕切られており、それを境として内装がまったく異なっている。

 

 

士道たちのいる手前側が、様々な機械が所狭しと並べられた薄暗い実験室のような風情なのに対し、奥は普通に人間が生活を行うマンションの一室のように調のえられていた。 まるで、猛獣を閉じこめ監視しておくための檻のような空間である。

 

そしてその部屋の奥。ガラスを隔てた場所に、琴里の姿はあった。瀟洒な椅子に腰掛け、優雅に紅茶なんぞを飲んでいる。

 

 

もう霊装は纏っておらず、いつもの私服姿である。見慣れた妹の姿に、士道は思わず放念の息を吐いた。

 

 

 「琴里!」 名を呼んでみる。が、琴里は答えなかった。

 

 

「……こちらの音声はあちらには届いていない。──シン。ここからは君一人だ」 

 

 

言って、令音が歩いていく。ガラスの壁の一角に、扉のようになった場所があった。

 

四糸乃が士道から身を離す。士道は短く礼を言ってから、令音の方に足を進めた。

 

令音が先ほどと同じように指紋、声紋認証をし、扉を開ける。士道は小さく頭を下げてから奥の部屋に入っていった。

 

 

その際、部屋を隔てるガラスの壁の異様な分厚さが視界の端に入り……弛みかけていた緊張の糸が、再びピンと張り詰めた。

 

 

「……ん? あら、士道じゃない。目が覚めたのね」

 

と、士道の闖入に気付いたのだろう、琴里が視線を上げてくる。

 

 

「お、おう……」

 

どうしてだろうか、少し気まずい気がして、ぎこちない調子でそう返す。

 

 

「突っ立ってないで座ったら? 案山子志望だっていうのならその夢応援するけれど」

 

「あ、いや……ん、そうだな」

言われるままに、琴里の向かいに置かれた椅子に腰掛ける。

 

 

その際ちらと令音たちのいる方に目をやったが、その姿を認めることはできなかった。向こう側からはガラス張りに見えていた部屋の仕切りが、こちらからは白い壁面にしか見えなかったのである。

 

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

テーブルを挟んで、しばしの間無言で向かい合う。

 

訊きたいことは山ほどあるはずなのに、いざ当人を前にしてみると、何と言っていいかわからなかった。

 

 

琴里はさして緊張したふうもなく、シナモンスティックでミルクティをかき混ぜ──スティックをぱくりと口に放り込んだ。

 

 

「……って、それもチュッパチャプスかよ!」

 

士道は思わず叫んでいた。そう。紅茶に浸かっていたのはシナモンスティックでもスプーンでもマドラーでもなく、琴里の大好物の小さな棒付きキャンディだった。

 

「何よ。文句ある?」

 

「いや、別にねえけど!」

士道は叫びを上げてから、はあと息を吐いた。……なんだか、図らずも肩の力が抜けた気がする。心の中でほんの少しだけチュッパチャプスに感謝しながら、唇を動かす。

 

 

「琴里。──おまえは一体、何者なんだ」

 

 

「士道の可愛い妹よ」

 

 

「……自分で可愛いとか言うかフツー」

 

 

「可愛いでしょう?」

 

 

「……まあ、否定はしねえけど」 

 

士道は髪をくしゃくしゃとやってから、膝に手をつき、軽く頭を下げた。

 

 

「琴里……おまえは、精霊、なのか」

単刀直入に。単純明快に。もっとも気になっていることを問う。

 

すると琴里が、肩をすくめながら鼻を鳴らしてきた。

 

 

「ふん、違うって言ったら信じてくれるのかしら?」是非もない。士道はこくりとうなずいた。

 

 

「ああ。おまえが違うって言うんなら、信じる」

 

「……正気? 自分の目より他人の言葉を信じるだなんて、とても賢明な人間のすることとは思えないけれど」

 

「可愛い妹の言うことを信じられなくなっちまったら、人間としては上等でもお兄ちゃんとしちゃ終わりだろうよ」

 

「…………」

琴里はカップをソーサーの上に落ち着けると、無言で士道の目を見つめ返してきた。

 

そして数秒の間視線を交わらせたあと、はあと小さく吐息をこぼしてくる。

 

「……私は、人間よ。少なくとも、自分ではそのつもり。──でも、きっとそうはいかないんでしょうね。観測装置の数値は今、私のことを精霊と判断しているんだから」

 

「どういう……ことだ?」

琴里の言っている意味がよくわからず、眉をひそめる。いつもなら憎まれ口の一つでも叩いてくる琴里だったが、今回ばかりはその疑問も当然といった様子で言葉を続けた。

 

「私は、五河家に生まれた人間。それは間違いないわ。でも、今から五年前。 ──私は、精霊になった

 

 

「は……?」

士道は目を点にし口をぽかんと開けて、呆然と声を発した。 精霊とは、隣界と呼ばれる領域に存在する、特殊災害指定生命体のことである。少なくとも士道は琴里や令音にそう聞いていた。

 

「どういうことだよ。人間と精霊って、そもそも種が違うんじゃないのか?」

 

「まあ……そうね。正確には、精霊の力を持った人間っていった方が適当かもしれない」

 

「っ、そんなことが……」言葉の途中で、士道は不意に眉をひそめた。 頭の中に、ふっととある情景が思い出されたのである。

 

「あ──」

それは、夢だった。先ほど目覚める前に見ていた、夢。 燃え盛る街の中で、霊装を纏まとった琴里が一人泣いている──夢。

 

 

「どうしたのよ、士道」

 

「い、や……俺は──それを……知って、る……?」

 

 

「っ、どういうこと?」

琴里が問うてくる。その真剣な表情に、士道は思わず身体を反らしてしまった。

 

 

「ど、どういうことって言われてもな……」

 

「だって、士道は五年前の火災のときのことを──私が精霊になったときのことを、全く覚えていなかったじゃない」

 

 

「や、そう……なん、だが。……ええと、笑うなよ?」

 

「笑わないわよ」 琴里が憮然とした様子で腕を組む。士道は後頭部をかきながら口を開いた。

 

 

「その、さっき、夢……で」

 

「夢? どんな夢?」

 

「あ、ああ……」

士道が掻い摘んで夢の内容を説明すると、琴里がほんのりと頬を染めて顔を逸らした。

 

「……まあ、私が泣きながらおにーちゃん連呼してたかどうかは異議を唱えたいところだけど……概ね私の記憶の通りよ」

 

琴里はふうむとあごに手を当てると、チュッパチャプスの棒をピンと立ててみせた。

 

 

「……もしかしたら、私が士道から霊力を引き戻した影響で、経路(パス)を通って記憶が流れ込んだのかしら。それとも、それが原因で士道自身の記憶が呼び起こされた……? ふむ、どっちにしろ興味深いわね」

 

何やら思案するように、琴里が小刻みにうなずく。

 

 

「……一人で納得しないでくれよ。それより琴里」

 

「ん? 何よ」

琴里が顔を上げて士道の方を見返してくる。

 

 

「精霊になった──って言ったよな。五年前、一体何があったんだ?」

 

精霊と人間は、そもそも種が違う。人間が途中から精霊になるだなんてことが──あるいは、人間が精霊に相当する霊力を手に入れるだなんてことがあるとしたなら、それは一体どんなことだというのだろうか。 しかし琴里は、あっけらかんと首を振った。

 

 

「それが、ほとんど覚えてないのよね」

 

「は……? 覚えてない……って」

 

「んー、漠然と何かがあった気はするんだけど、どうも思い出せないのよ。いや、精霊になったことは覚えてるのよ? でも何が原因でそうなったのかが今ひとつ」

 

「……そんな重要なこと忘れるかフツー」

 

「妹が精霊化したことすら忘れてた兄に言われたくないわね」

 

 

「ぐ……」

そう言われては何も言い返せなかった。が、そこで疑問が一つ浮かんでくる。

 

「って……その割には随分戦い慣れてたみたいだったけど」

士道は屋上での光景を思い起こしながら言った。そう、琴里は、逃げられたとはいえ、あの狂三を圧倒していたのである。

 

 

「不思議よね。一応シミュレーターで訓練を受けていたとはいえ、実戦は初めてだったのだけれど。……でもまあ、精霊になったときの記憶が曖昧だから、そのときに何かあったのかもしれないわね。まるで身体が戦い方を知っていたみたいに動いたから驚いたわ」

 

 

「な……じ、じゃあ、天使を出したのは──」

 

「ああ、あれもぶっつけ本番。霊装も纏ったのもあれが初めてよ」

 

事も無げに言う琴里に、汗を滲ませる。 すると、琴里がはあと息を吐いてから言葉を続けてきた。

 

 

「でも……まあ、士道の言うことももっともなのよ」

 

 

「っていうと?」

 

「そんな重要なことを忘れるはずがない。それに関しては私も同意。士道ならまだしも、自分の存在がひっくり返るような大事件を、この私がうっかりで忘れるはずがないわ」

 

 

「まだしもってなんだ、まだしもって」

半眼を作って不満げに言う。が、琴里は無視して言葉を続けた。

 

「五年前、あの場にいた二人が揃って記憶を失っている。……何かだとは思わない?」

 

「……っ、それって……」

 

「たとえば、誰かが私たちの記憶を消したとか」

 

「な──」 ──誰かが、二人の記憶を消した? なんとも気味の悪い話に、士道は眉を歪めた。

 

確かに顕現装置を用いれば──あるいは人智の及ばぬ力を持つ精霊ならば、そういうことも可能なのだろう。

 

しかし、一体誰が、何のために。

 

そんな士道のリアクションを見てか、琴里が肩をすくめてきた。

 

「ま、あくまで可能性の一つだけれどね」

補足をされるも、士道の背はじっとりと湿しめったままだった。

 

確かにそう考えると、話に筋が通る気がしたのである。

 

 

だが、思い出せない以上今それを考えても詮ないことである。士道はもう一つ気になっていることを問うた。

 

 

「でも……そのあと、琴里はいつもの生活に戻ったんだよな? 一体どうやったんだ?」

 

少なくとも、五年前の火災から今まで、五河琴里は士道と一緒に日常を過ごしてきた。

 

それはしっかりと覚えている。

 

しかし、琴里は「はぁ?」といった調子で口を開いてきた。

 

 

「そこは思い出してないの? 士道が私の力を封印したからに決まってるじゃない」

 

 

「え?」 士道は素頓狂な声を発した。

 

 

「お、俺が……?」

 

 

「ええ。──昨日言わなかった? 返してもらうわよ、って」

そういえば、確かに昨日琴里が現れたとき、そんなことを言っていた。

 

 

「俺、が……」 士道は軽く額に手を触れ、小さくうなった。琴里の霊装を見たとき頭の奥底に生まれた、疼くような痛みが再び現れたのである。

 

 

どうも──思い出せない。他のことは朧気ながら思い起こすことができるのに、五年前のその事件に関してだけ、上手く記憶を手繰ることができなかった。

 

 

 

「そう。……そして士道に力を封印されたあと、私は〈ラタトスク〉に見出されたのよ。そして──世界の裏側で起こっていたこと、精霊というものの存在を知って……精霊を、救いたいと思った」

 

 

「…………」 まだ一四にもなっていない琴里がなぜ〈ラタトスク〉だなんて秘密組織の司令官をやっているのか、今までずっと疑問だったのだが……ようやく腑に落ちた。

 

だから、と琴里が続ける。

 

 

「精霊の説得役に士道が選ばれたのは、それが理由よ。原因はわからないけれど、あなたには精霊の力を封印する力があったの」

 

 

「あ──」

士道は目を丸くした。 確かに疑問だったのだ。士道にそんな力が備わっていたとしても、なぜ〈ラタトスク〉がそれを発見することができたのだろうか、と。

 

何のことはない。琴里という実例が、五年も前にあったのだ。

 

 

そういえば思い当たる点はあった。狂三の銃撃を受けるたびに、琴里の肌に刻まれた傷は炎に覆われ、治癒していったのである。

 

それは紛まれもなく、士道の身体に備わっていた再生能力そのものだった。

 

「って、ことは──」 士道の表情から思考を察したのだろうか、琴里が深く首肯してくる。

 

 

「そう。士道の回復能力は、もともと私の力よ。 ……と、いうわけで。士道、ちょっとそこに立ちなさい」

 

「は? な、なんでだよ」

 

 

「いいから、早く」

 

士道は琴里に言われるままに立ち上がった。 瞬間、琴里の鋭い拳が鳩尾に放たれ、士道は身体をくの字に折って悶絶した。

 

 

「ぐは……ッ!?」

 

 

「言ったわよね、私、言ったわよね? 気を付けなさいって。今のあなたは簡単に死んじゃうって。なのに何? 私の前に飛び出してこようとするわ、挙げ句狂三を守ろうとして〈灼爛殲鬼(カマエル)〉の前に飛び出してくるわ……ッ! 私がすんでのところで意識を取り戻して砲撃を逸らしたからいいようなものの、もし一瞬遅かったら今頃消し炭よ……!? 結局その隙に狂三にも逃げられちゃうし! ねえ、聞いてるの!?」

 

 

「き、聞いてる……聞いてるから揺するな……」

なんとか首を縦に振る。しばしのあと、ようやく呼吸が戻った士道は椅子に腰掛け直し、ほうと息を吐いた。

 

 

「ってて……いきなり何しやがるんだよ」

 

 

「ふん。言ってわからない犬には躾をするしかないでしょう」

士道は言い返そうとして、言葉を収めた。それよりも、気になることがあったのだ。

 

 

「琴里。今、意識を取り戻したって言ったよな」

 

 

「……っ」

琴里が、ぴくりと眉を揺らす。 士道は屋上での出来事を思い起こした。狂三に砲と化した〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を向けた琴里。あれは、どう見ても普段の琴里ではなかった。

 

 

琴里が、観念したようにはあと息を吐いてくる。

 

 

「……言ったわよ」

 

「でも、ちゃんと喋ってたし、正確に狂三を攻撃してた。あれは──」

 

 

「……わからない。精霊の力を士道から返してもらってから一日……時折、何かを壊したくて、誰かを殺したくて堪らなくなって──身体が言うことを聞かなくなるの。今はどうにか薬で抑えてるんだけど……あのときの私は、間違いなく狂三を殺そうとしていたわ」

 

 

「な……」

 

 

「……もしかしたらあのときも、士道が狂三の前に出てくれたから、正気に戻れたのかもね。それに関しては、ほんの少しだけ感謝しといてあげる」

 

 

自嘲気味に肩をすくめながら、琴里が苦笑する。

 

だが、士道はそれに返すことができなかった。今し方琴里から聞かされた情報が、無茶苦茶に士道の頭の中を叩く。

 

だから、と琴里は続けた。

 

「……怖いのよ。自分が何をしてしまうのかわからないの。自分で、自分が、抑えられない。もしかしたら、記憶に残っていないだけで、五年前にも何かしてしまったのかもしれない。──それこそ、私の記憶がない部分で、誰かを殺してしまっている可能性だってある。もしそうだったら、私は──」

 

 

「琴里……」

と、琴里はそこで言葉を止めた。恐怖を払うように、首を振る。

 

 

「忘れてちょうだい。らしくないことを言ったわ」

 

 

「あ、ああ……。でも……おまえの精霊の力は、まだ俺からおまえに戻もどったままなのか?」

 

 

「ええ。でなければ、こんな厳重な隔離エリアに収まっている理由もないでしょう?」

 

言いながら、部屋の中を見回すように首を動かしてみせる。

 

 

ここから見る分には上等な内装の部屋ではあるが、そこに至るまでの道を通ってきた士道には、ここが居い心地の良い空間とは全く思えなかった。

 

 

「で、でも十香の力が逆流したときは、自然にもとに戻ったじゃねえかよ。なんで──」

 

 

「十香に逆流した力の絶対量が少ないからよ。十香の精神状態さえ落ち着けば、経路を通って自然に士道に戻ってくるわ。──でも、私の場合は違う。ほぼ一〇〇パーセントの力を士道から引き出しちゃったからね。こうなるともう、自然にはもとに戻らないわ」

 

 

「じゃ、じゃあどうすれば──」

士道が何とか言葉を絞り出す。その様がよほど可笑しかったのか、琴里が苦笑しながら口を開いた。

 

「まあ、再封印をするしかないでしょうね」

 

「さ、再封印……? それって一体」

 

「簡単な話よ」

琴里はそう言うと、口からチュッパチャプスを抜き、ビッと士道に突き付けてきた。

 

「──私を、デレさせてちょうだい」

 

「は……はぁっ!?」 琴里の言葉に、士道は呆然と声を発した。

 

 

「で……デレさせろって……それは、どういう……」

困惑気味に士道が訊ねると、琴里は再びキャンディを口に放り込み、カップを持ち上げながら小さく肩をすくめた。

 

 

「十香や四糸乃にした通りよ。──精霊の力を封印するには、それしかないの」

 

 

「そ、それってつまり……」

士道は十香、そして四糸乃との出会いを思い起こした。

 

 

デートして、好感度を上げ──そして、最後に。

 

 

「…………」

士道の視線は無意識のうちに、琴里の唇に向いていた。

 

だって、十香や四糸乃のときと同じ方法ということは──

 

 

 

 

「……っ!」 と、そこでけたたましい音が響き、士道はビクッと身体を揺らした。

 

 

どうやら琴里が、手にしていたカップをその場に落としたらしい。陶製の白い器が割れ、中程まで残っていたミルクティーが床に弾ける。

 

 

「こ、琴里? 大丈夫か、怪我は?」

士道が眉をひそめながら心配そうに言うと、琴里は目を伏せ大きく息を吸いながら、首を横に振ってきた。

 

 

「……大丈夫よ。気にしないで」

言って、琴里がカップを取り落とした右手を左手で掴み、士道の視線を避けるようにテーブルの下へ持っていった。

 

 

「気にしないでって……」

 

「平気だって言ってるでしょう。それより、少し疲れたわ。一人にしてくれるかしら?」

 

 

「いや、そうはいかないだろ。ほら、切ってるかもしれないから手を見せ──」

 

 

「……シン」

と、士道が琴里に手を伸ばしたところで、背後からドアを開ける音と、そんな声が聞こえてきた。令音が、黒い鞄を携さえながらこちらのスペースに入ってきたらしかった。

 

 

「令音さん? どうかしましたか?」

 

 

「……ああ。悪いが、今日はここまでだ。先に向こうに戻っていてもらえるかな?」

 

 

「え? で、でも……」

 

 

「……琴里の方はこちらで何とかしておく。さ、早く」

令音の声に合わせるように、琴里も顔をうつむかせてうなずいた。

 

 

「は、はあ……」

そこまで言われては仕方ない。士道は大人しく指示に従い、扉 を通って四糸乃のいる部屋に戻った。

 

 

と、そこで違和感に気付く。琴里のいるスペースに目を向けると、先ほどまではガラス張りのようになっていた壁が白く色づき、向こうの様子が窺えなくなっていたのである。

 

 

「なんだ……?」

数分経った頃だろうか、令音が扉を通って士道たちのいるスペースへと戻ってきた。

 

「令音さん、琴里は……」

 

 

「……ああ、大丈夫だよ。心配ない。今のところはね」

 

 

「い、今のところって……」

 

 

「…………」

令音は無言で椅子に腰掛けると、ふっと目を伏せた。

 

 

「……二日後だ」

 

 

「え?」

 

 

「……二日後。六月一一日。君には琴里とデートをしてもらう」

 

 

「はあ。それは……まあ、聞いてますけど、なんで二日後なんですか?」

 

 

「……その日しかないのさ。恐おそらくあと二日しか、琴里は自身の霊力に耐たえられない」

 

 

「──っ!?」

令音の言葉に、士道は身体を緊張させた。

 

 

「ど、どういうことですか……!?」

 

 

「……段々と、発作の間隔が短くなっている。今は精神安定剤ざいと鎮静剤で抑えている状態だが……多分、あと二日が限界だろう。その日を過ぎれば、琴里はもう、君の知っている琴里ではなくなってしまう可能性がある」

 

 

「────」

今度は声すら出なかった。のどがカラカラに渇いて、指が小さく震える。

 

突然。何の前触れもなく突き付けられた最悪の事態。あと、たった二日で。琴里が、琴里でなくなる。──士道が、力を封印できなければ。

 

 

「じ、じゃあ、今すぐにでも──!」

 

 

「…………」

令音は何やら考え込むようにあごに手を当てたのち、諦めたようにため息を吐いた。

 

「……本当は、その方がいいのだろうけれどね」

 

 

「え?」

 

「……いや。それはできないんだ。言ったろう? 今は薬で症状を抑えていると。状態が安定するまで待たなければならない」

 

 

「で、でも、二日後には──」

 

 

「……だから、二つの条件が唯一合致するのがその日なのさ。明後日を逃せば、もうチャンスはないと思いたまえ」

 

 

「く……」

士道が歯噛みすると、令音は小さく息を吐いてコンソールに向かった。

 

 

「……とりあえず、今は私に任せてくれ。シンは真那や佐藤の様子でも見てきてやってくれたまえ。今からならまだ、ぎりぎり病院の面会時間にも間に合うだろう」

 

令音が、士道と四糸乃を追い払うように扉の方を示す。

 

 

「で、でも──」

 

 

「……お願いだ。今は、言うとおりにしてくれ」

 

 

「……わかりました」 令音の態度にただならぬものを感じ取って、士道は大人しく指示に従い、四糸乃とともに部屋を出た。最後に、琴里を頼みます、と礼をして。 そして、そのまま艦の下部──地上への転送ゲートがある場所へと歩いていく。

 

 

「……琴里を、デレさせろ……って」

隣となりを歩く四糸乃に聞こえないくらいの声で、その言葉を呟く。 そうしなければ、琴里は琴里でなくなってしまう。

 

 

……だが。

 

琴里を。妹を。あの苛烈で強気な五河琴里司令を、デレさせる。

 

 

それを改めて言葉にしてみると、なんとも難易度の高い作戦に思えてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『炎……か。』

 

 

 

 

 

 

 

 

佐藤は病院のベットに寝っ転がりながらそんな言葉を呟いていた。

 

 

 

因みに両腕の骨折は帰りがけに鷹禾の随意領域によってヒビ程度に治されていた。

 

 

 

自然治癒で完治はするだろう。特段考えが必要な傷でもない。

 

 

 

 

『やっぱり……炎は良いな…』

先ほどまでの琴里の戦闘を思い出しニヤケを隠そうともせずに佐藤は笑った。

 

 

 

『【獄炎六王(ミカエル)】………』

 

そうして、指先からほんの少しだけ〝それ〟を迸らせる。

 

 

 

─────青い炎。

 

 

 

 

『ひひっ…。…炎は赤より青だよな。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─・─・─・─・─・─・─・─

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『よう、■■』

 

 

とある道の中での世界。

 

 

 

佐藤は縁側に座る白い髪の青年に話しかけていた。

 

 

 

ここはとある家の庭。はたから見れば佐藤は勝手に家に侵入している犯罪者だろう。

 

 

 

 

しかし、

 

 

「……テメェかよ」

青年は佐藤を認知した後に落胆の息を漏らすと視線を地に戻した。

 

 

 

『まぁまぁ、そんな言うなって』

ヘラヘラと笑ったまま佐藤は青年の隣に腰掛けた。

 

 

「で?この世界を救った英雄様が俺に何のようだ?」わかりやすい皮肉をぶつけてくる。

 

 

 

『別に俺が救ったわけじゃないさ。ただ俺は……本来の未来をお前らに教えてやっただけだろ?』

 

指をパチンッと鳴らしながら佐藤は続けた。

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 

 

『はは…っ。でも、これだけ成功するとは思わなんだ。どうだ?弟さんは』

 

 

「ああ、仲良くしてる。本当に…〝嫌ってほどにな〟」

 

 

『それぐらいお前が大事なんだろ。そうだ、■■たちは?』

 

 

「知らねぇよ。俺たちは記憶を持ってるだけだ、アイツラがどうなったかなんてこの世界じゃ繋がりもねぇんだから知るわけねぇだろ。」

 

 

 

『そりゃそうか』

そう言ってもう一度パチンッと指を鳴らしてカラカラと笑った。

 

 

 

「本当に何の用だ?ただ雑談してきたわけじゃねぇだろ」

 

 

『いや何…、〝お前の炎が欲しくてね〟。』

それを聞くと青年は今度こそ深いため息を吐いた。

 

 

 

「この〝個性〟の消えた世界で何で俺だけ力が残ってると思ったら……そういう事かよ」

 

 

『丁度炎の欄だけ抜けててさ。欲しかったんだよ』

 

 

「俺より向いてる奴多くねぇか?」

 

 

『いや、〝蒼い〟炎のほうが俺好きだからさ。』

 

 

その言葉に「バカかよ」と言って舌打ちで返してきた。

 

そして、青年は暫しの間思考を巡らせた後。

 

「…ま、お前には色々されてきたからな。良いぜ?くれてやるよ」

 

ニヤリと笑みを作りながら佐藤に向かって手を差し出してきた。

 

 

『ふふっ…ありがとな。 それと、最後に良いか?』

 

 

「何だよ」

 

 

『〝今……幸せか?〟』

そうして、佐藤は何百回言った分からないほどに言ってきた言葉を青年にも聞いた。

 

 

 

 

 

「…………………ああ」

重々しい口を開いて青年は首肯を示してきた。

 

 

「やっと……向き合えた気がするよ。こんな事を言うのは柄じゃねぇかもしれねぇが……〝感謝してる〟」

 

 

『はは…、そっか。』

 

 

 

そうして、佐藤は青年の蒼い炎を貰い受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過去を振り返りながら指に迸る小さな炎を見つめながら佐藤は呟く。

 

 

 

 

 

 

 

『やっぱりお前は不良品でもなんでもないさ。〝轟燈矢〟』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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