TS魔法少女 響 作:ときんときん
水の流れる音とともに、洗面所に小さな泡立ちの音が重なる。鈴宮キョウは、歯ブラシを口の中で動かしながら、鏡に映る自分の姿をじっと見つめていた。
――もう、だいぶ慣れてきたな。
白銀の髪。薄い水色の瞳。あの日を境にして変わってしまった、自分自身の姿。最初は違和感しかなかった鏡の中の少女が、今では「自分」として自然に目に入るようになってきた。自身の姿を見るたびに動揺していた頃を思うと慣れたのは良いことのはずなのだが、それでも男でなくなったことに対しては複雑な気持ちである。
「……キョウ?」
おずおずとした声が、静かな朝の空気を揺らす。背後から、控えめにルミナが呼びかけていた。
「んー? おはよ、ルミナ。どうかしたか?」
「あー、いや、なんでもないよ。おはよう。」
「おぉ?」
こちらを盗み見るようなルミナに首を傾げつつも、キョウはガラガラと口をゆすぐ。
(昨日のネットニュースの事、引きずってなくてよかった。寝たら忘れるタイプなのかな……。)
昨日、ネットニュースで自分のことが取り上げられていると知ってから、キョウはずっと機嫌が悪かった。傍目からはプリプリと可愛らしい怒り方をしていたが、昨日は寝るまで口も聞いてくれなかった。
しかし朝起きたらキョウはすっかり機嫌を戻していた。これが続いたらどうしようと思っていたルミナの心配は杞憂であったのだ。
キョウは歯ブラシを洗い終えると、髪をかき上げるようにして背筋を伸ばした。
「じゃあ魔物が出てくるまで待機だな〜っと。」
「君は家にいる時はゲームばかりしているねぇ。」
「会社員の時に積んでたゲームがあるんだよ。今は時間がたっぷりあるしな〜♪」
「自堕落だなぁ……。」
キョウが魔法少女になって1ヶ月が経つ。魔法少女としての仕事を積極的にこなしている彼だが、私生活は家に引きこもりゲーム三昧の生活をしていた。
「それで、今日は何をするんだい?」
「これやる。死にゲーでめっちゃむずいらしいけど、こういうダークな世界観好きなんだよな。」
キョウの自堕落さに小言を言うルミナであったが、その実キョウがゲームをプレイしているのを横で見るのを最近の楽しみにしていた。ある意味似たような2人である。
「だぁーーっ!! またやられたぁ!! こんなバカデカいヤツ倒せるわけないだろぉ!!」
テレビ画面ではゲームオーバーの表示の裏で、牛頭の悪魔が咆哮をあげている。
「そのボスまでの道中の雑魚で消耗させられるから、尚更難しくなってるねぇ。」
「そうなんだよ!! なんならその雑魚にやられることもあるし!!」
「焦って雑に対処するからだよ。こういう時こそ冷静に対処するのさ。」
「うるせーなぁー! じゃあお前もやってみろよ!」
「えぇ? まぁいいけど……。」
————————————
「あぁ!! そこ邪魔!! 通れない!!」
「あっ終わった。」
「そんなこと言うなよぉ! よし、盾で防いで……。やばいっ! 後ろから敵が!! 怯んで動けな……あああぁぁぁぁ……。」
画面の操作キャラクターは周囲をモンスターに囲まれてリンチに遭い、ゲームオーバーとなった。ぼんやりと俺のプレイを見ていただけのルミナだったが、実際にゲームをするとかなりのめり込んでいるようだった。
「ぷっ……。お前もボスに辿り着く前にやられてんじゃ〜ん。や〜いや〜い。」
「う、うるさい! キョウが変なことを言うから気が散ったんだ!」
「はぁっ!? 俺のせいにすんなよ!」
「なんだい、キョウだってクリアできていないくせにっ!!」
「お前言ったな!? 今日中に絶対クリアしてやるから見てろよ!!」
ギャアギャアと騒ぐ2人を止められるものは無いかのように思えた。しかし——
ピンポーン——
騒がしい部屋に、電子音が響く。突然の訪問に部屋の喧騒が一瞬で止まる。
「キョウ、出なきゃだよ。」
「おぉ、配達来るの今日だったっけな……。」
キョウは先日ネットで注文していたものがあったため、それが届いたのかと思い玄関口へ向かい扉を開ける。
「はーい……うぉっ……。」
扉を開けると見上げるような巨体の男が佇んでいた。魔法少女になったことにより背が低くなったキョウが見上げるほどの背の男は仏頂面を浮かべてこちらを凝視している。
「……あ、あの〜?」
キョウは恐る恐ると言った様子で男に伺うと、男は固く結んでいた口を動かす。
「……突然の来訪、申し訳ございません。鈴宮響さんでお間違いないでしょうか?」
「え? あー、はい、そうですけど……。」
キョウは遅れながら肯定で返す。響(ひびき)という名前が自分のものであると認識しきれていないと同時に受け入れきれていない面もあるため、キョウの表情は少し複雑だ。
そんなキョウの心境を置いてけぼりにして、男が続ける。
「私は魔導保全局から来ました、望月大和と申します。こちらをどうぞ。」
キョウはおずおずと名刺を受け取った。そこには「魔導保全局・研究員・望月大和」と書かれていた。
「えっと、すみません。魔導保全局ってなんなんですかね?」
「……魔導保全局では、国が主導して魔法少女の保護や研究を行っております。率直に申し上げますと、今日は貴方を魔導保全局にて保護させていただきたく参りました。」
「俺を、保護、……?」
突然の事態にキョウは困惑する。魔法少女の保護というのはわかるが、なぜそれを俺に?
「保護って、俺そんなに困ってるわけじゃないですし、大丈夫だと思うんですけど……。」
「……本当にそうでしょうか。魔法少女になって、お困りになっていることが多いかと思われますが。」
「いやぁ、別にそんなに……。」
俺が断り文句を考えていると、望月は驚愕の言葉を投げかけてきた。
「……魔法少女にと言うよりかは、少女になって、と言うべきでしょうか。」
「……は?」
一瞬頭が真っ白になる。
少女になって? 魔法少女ではなく、少女になって、と望月は言っている。つまり……。
「あ、あの、もしかして、俺の状況とか、把握してたり……?」
「……少なくとも、貴方が元は男性であったことは把握しています。契約による影響で自身や身の回りのものものの多くが変化したことで、さぞかし苦労されたことでしょう」
「まぁ、そうですね……、いや、マジか、マジか!! わかるのか!! あんた!!」
キョウは興奮して声をあげる。キョウはこれまで、自分が男であった証拠を探し続けてきた。しかし、過去に撮った写真やビデオ、家族や旧友の記憶に至るまで、すべてが鈴宮響(ひびき)に置き換わっていた。
そんな中、自分が男だと知っている人物に出会ったのだから、キョウが興奮するのも無理ない話であった。
「はい。ですが申し訳ありません。貴方のことで、失念していたことがありました。」
「えっ。失念って、なにかあったんですか?」
変わらず仏頂面で喋る望月が軽く頭を下げる。訳が分からず尋ねた俺に望月は答える。
「契約による変化は、何も記憶だけにとどまりません。整合性を保つために、身の回りにある物の多くも以前とは違うものになっているでしょう。」
「……えっと、つまり?」
「……男性である貴方に、いま着ているような女性物の服はお辛いでしょう。着替えの服を用意していませんでした。気が回らず、申し訳ありません。」
「えっ……、あっ!!??」
そこでようやく気づく。今俺は、俺を元男だと知っている人の前で女物の服を着ているのだと。
黒のリブニットセーターが小さくも確かにある胸と細い腰を強調している。腰より少し上をベルトで締めたワイドパンツ。どう見ても女物の服であった。
魔物の発生がいつ来てもいいように、家にいても外着用の服を着るようになっていた。最初は女物の服に抵抗があったが、それも次第に薄れていた。
俺はいつの間にか、女物の服を着ることに抵抗が無くなっていたのだ。
「あぁーーー!! 確かにね!? これしか着る服がなかったのでね!? 仕方なく着てたんですよぉ!!! もう困っちゃいますよ本当!!!」
嘘だ。
男物の服を手に入れる機会なんていくらでもあった。お金も十分にあったし、なんなら通販で買ったりしたって良かった。
それなのに、俺は女物の服を着ていたのだ。しかし、服を買うことまで気が回らなかっただけ。そのはずだ……。
「……。」
誤魔化すような俺のハイテンションぶりに対して、望月は相変わらずの仏頂面である。しかも無言でこちらを見つめてくる。
「うぅ……。」
呆れているのか、軽蔑しているのか。どちらにせよ、俺は羞恥で顔が熱くなるのを感じていた。ひとまずこの場から逃げたかった俺は望月に畳み掛けるように話す。
「というか、玄関で話し続けるのも何ですよね少し部屋が散らかってるのでちょっと待っててくださいそれでは!!!」
「……わかりまし……。」
バタンッ!! と返事も聞かずに玄関の扉を閉じてしまった。失礼なことだが、俺はそれどころではなかった。
「……はぁああぁぁ。」
深くため息を吐きながら居間への扉をあける。するとゲームを中断していたルミナがこちらを見てきた。
「キョウ、遅かったね。なんだったの。」
「なんか、魔導保全局、の人がきた。」
「えっ、なにそれ。というか凄く顔赤いけど……。」
「うるさい。部屋上がってくるから片付けるぞ。」
「う、うん……。」
有無を言わさずに2人で片付けを始める。それでもキョウの頭にあるのはこの服装のことであった。
(もっとマシな服に着替えるべきか? いやそれだと気にしてるって言ってるようなもんじゃんか!? いやでも……。)
キョウは難しい顔をしながら淡々と片付けをして、ルミナはそれに触れないように片付けに集中した。
再び玄関口の扉が開けられる。
「お待たせしました。どうぞ……。」
「……はい、失礼します。」
結局着替えないことにした。望月が何も触れずにいてくれることを願って扉を開けたキョウだが、望月は何も言わずにただキョウについていって部屋へと進んでいく。
居間のソファに座ってもらって、キョウは引っ張り出した座布団に座る。
そういえばルミナが消えている。ルミナはキョウが誰かといる時は基本的に姿を消すのだ。しかし近くにはいるのだろう。
「それでは、まずは貴方の現在置かれている状況について説明させていただきます。」
「あ、はい、お願いします。」
俺の置かれている状況。それは俺自身把握しきれていないことであり、それらを知っているであろう目の前の男に聞きたかったことでもあった。
「それは、響さんのお名前を伺ってもよろしいでしょうか。」
「はい。鈴宮響一です。」
「では鈴宮さんとお呼びします。鈴宮さん、貴方は妖精との契約により魔法少女になっています。契約の内容については聞かされていますか?」
「はい。えっと、たしか『魔法少女になる』だったと思います。」
キョウはルミナが言っていたことをそのまま伝える。
「そうでしたか。その契約内容は一般的な魔法少女が交わす契約内容と相違ありません。しかし、貴方は他の魔法少女とは違う点がある。それは男性であるということです。」
望月の言うことをキョウは静かに聞く。望月の言い方からして、男であることが自分に起こっていることの原因なのだろうとキョウは考える。
キョウの考え通りに望月は言葉を続ける。
「少女ではない男性である貴方に、本来『魔法少女になる』という契約は効果を発揮しません。同様に、一般的な魔法少女も10代後半ほどで魔法少女になることができなくなります。"少女である"ことが魔法少女になる条件なのです。」
「なるほど……。じゃあ俺、なんで魔法少女になってるんですか?」
「……前例は少ないのですが、"少女である"という条件を無理矢理クリアするために、妖精が契約相手を少女にする事例があります。おそらく、貴方にも同様のことが起こったのでしょう。」
「無理矢理……そうなんですか。」
「この少女化は妖精の中でも力を持つ存在にしかできないことのようです。魔導保全局にて支援を行っている魔法少女が契約している妖精に対してアンケートを行ったのですが、多くの妖精はできないと言っています。できると言う一部の妖精達も、やろうとはしないと言っています。そのため、少女化は妖精達にとってもイレギュラーなことには変わりないのでしょう。」
たしかに、契約相手が少女じゃないなら少女にすればいいじゃない、とは随分脳筋な話である。いや、そうして少女になったことで契約を結ぶことができ、命を救われた身としてはバカにできない話であるが。
「妖精は見初めた相手に契約を持ちかけます。貴方にも妖精の琴線に触れる何かがあったのでしょうね。」
「……。」
キョウはルミナとの会話を思い出す。そういえばルミナは、"君の勇姿に惚れた"だとか言っていた気がする。見初めた、というのも合っているように思う。
「それで、男に戻る方法はわかっていないんですか?」
「現段階では元の姿に戻す手段は見つかっていません。……やはり、元の姿に戻りたいとお考えですか?」
「そりゃまぁそうですね……。」
「なるほど……。」
ここに来て初めて望月が考えるような仕草をとった。
「……ここまでお話ししてきましたが、加えて貴方にお聞きしたいことがあります。」
「は、はい。なんでしょう。」
望月は仏頂面のままこちらを見つめている。表情は変わらず威圧的でありながら畏まったような様子に、キョウは背筋が伸びるのを感じた。
「……妖精と契約を結んだ前後の記憶を、きちんと覚えていますか? その時、意識ははっきりとしていましたか?」
記憶を結んだ前後の記憶? キョウはできる限りのことを思い出してみる。
魔物の発生に巻き込まれて、魔物に吹き飛ばされて、死にかけのとこにルミナの声が聞こえて、そのまま気を失った。
おそらく気を失う直前に契約を結んだはずだ。その前後の記憶や意識の有無と言うと……。
「えーっと、意識ははっきりしていなかったですね。契約を結んだ後の事も、俺は知らないです。」
「……!!!」
「うおっ!?」
俺の言葉を聞いて、望月は目をカッ!! と見開いた。これまで仏頂面で一切表情が動かなかったのに、今は目の周りに力がこもっているのが感じられる。ぶっちゃけ怖い
「な、なにか、まずかったですか?」
「いえ……。やはり、そうだったか……。」
「あ、あの……?」
恐る恐る尋ねたキョウに対して、望月は短く返事をしてから納得したように小さく独り言を呟いており、キョウはそれを不安げに見つめる。
思案を終えたのかこちらに向き直した望月は神妙なようで変わらない仏頂面をして話し出す。
「鈴宮さん。我々魔導保全局は、すべての魔法少女の味方です。つまり、貴方の味方でもある。」
「は、はぁ……。」
「その上で、落ち着いて聞いてください。……おそらく、貴方は妖精から洗脳を受けている。」
「は……?」
望月の突拍子もない発言にキョウは固まってしまう。
「男に戻りたいのに契約を結んでいる事が不自然に思いました。契約時の貴方の状況からして、契約内容の説明を受けずに契約を結んでしまったのではないのですか?」
確かに、契約を結んだ時は死にかけだったキョウは時間がなくて、話をする余裕もなかった。
「そ、それは確かにそうなんですけど……。」
「やはり……! 意識がはっきりしていない所に漬け込んで契約を強要されたのでしょう。」
望月は確信を持ったようだが、勘違いである。キョウはそれが自身の発言による語弊であると気づく。
意識がはっきりしていないのは死にかけだったから。契約後の記憶がないのはそのまま意識を失ったから。望んだ契約でないのも確かだが、キョウはその契約によって命を救われている。
なによりも命を救ってくれたルミナが疑われていることから、キョウは少し声を張り上げて返す。
「あの、違くて! 契約は俺が……!」
すると望月はテーブルに身を乗り出して両手でキョウの手を包むように握った。
「鈴宮さん。落ち着いてください、落ち着いて。」
「え、は……?」
望月の大きな手が、キョウの手を覆い隠した。望月の手は無骨で固く筋肉質であり、包まれたキョウの手はビクともしなかった。
望月は落ち着かせるためにやったことなのだろうが、キョウはその望月の固く大きな手が、少し恐くなった。
(い、いや!! なにビビってんだ俺!! 男の手ぐらいで!!)
キョウは内心で自身を奮い立たせ、なんとか言葉を紡ぐ。
「いや、あの!! 本当に違くて、実は……。」
————————————
「……そうでしたか。申し訳ありません、早とちりをしてしまって……。」
「いえ、誤解が解けてよかったです……。」
キョウは契約に至るまでの経緯を説明して、なんとか望月を納得させることができた。
この説明も洗脳されているため信じられない、と言われたらどうしようもなかったキョウは内心安堵する。
「それで、どうでしょうか。魔導保全局による保護を受けていただけますでしょうか。」
「え、うーん。そうですねぇ……。」
キョウは保護というものに乗り気ではなかった。少なくとも、今は自分の力で生活することができているし、戸惑うことはあっても困ることはさほど無かった。それに、魔導保全局は魔法少女の研究もしていると言う。保護された先で自分自身を研究されるのは、なんだか怖かった。
しかし、それをはっきりと口にするのも目の前の男に悪い気がしたため、キョウは言葉を探していた。
すると望月はおもむろにスマホを取り出して画面を表示させた。
「ちなみに、魔導保全局で保護をする際、貴方は魔導保全局に雇用される形となります。その場合、もちろん給料が発生します。これがその額面です。」
「ふ〜ん……えっ?」
その額面はキョウが見た事もないような金額であった。少なくとも、これまで社会人としてもらってきた給料や、この前初めて貰った魔法少女としての給料を大いに上回る額であった。
「高額であるのには訳があります。組織の業務に加えて、貴方には希少な事例として研究に協力していただくことになります。そのため、よく考えてから答えを……。」
「やりまぁす!!」
「………………了解しました。それでは魔導保全局にて貴方を保護させていただきます。後日改めてお迎えにあがりますので、今日はこの辺りで失礼します。」
額面に釣られ即決したキョウに、望月は長い沈黙からの肯定を返した。
そのままキョウは望月を玄関口まで見送る。
望月がいなくなると同時にルミナが姿を現した。
「安請け合いしてよかったのかい?」
「あ、ルミナ……まぁ大丈夫だろ! んなことよりゲームしようぜ!」
「……まぁいいか、わかったよ。」
2人は中断していたゲームを再開した。
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