石魔竜の成り上がり 作:唐揚げであー
自室に戻ったカイは、寮の硬いベッドの上に胡坐をかき、エルミナに教わったばかりの精神統一法を試していた。
(呼吸を整えて…精神を集中…『石』の感覚…)
言われた通りにやってみる。ゆっくりと息を吸い、吐き出す。意識を自分の内側へ、特に石の鱗に覆われた右腕や、時折ズキリと疼く背中の中心へと向ける。
(石…不動…恒常…質量…)
意味の分からない単語を頭の中で繰り返す。だが、雑念がすぐに邪魔をする。今日の訓練のこと、ゼノンのムカつく顔、リリアの心配そうな瞳、そしてエルミナの狂気じみた好奇心…。
(クソッ、集中できねぇ…!)
何度か試すうちに、ようやくほんの少しだけ、意識が深まったような気がした。
その瞬間、奇妙な感覚がカイを襲った。
自分の体が、まるで周囲の空気と隔絶されたかのように、重く、冷たくなっていくような感覚。皮膚が、特に鱗の部分が、さらに硬質化していくような…。
(…なんだこれ…体が、重い…冷てぇ…)
それは、決して心地よい感覚ではなかった。むしろ、自分が人間ではない何か、無機質な物体に近づいていくような、漠然とした恐怖を伴う。
さらに意識を深く沈めようとした、その時だった。
ズンッ!
体の中で、何かが脈打ったような感覚。右腕の鱗が一瞬、鈍い灰色に明滅したかと思うと、制御不能な力の奔流が、ほんのわずかに外へ漏れ出した!
机の上に置いてあった空のカップが、ガタガタと激しく揺れ、床に落ちて甲高い音を立てて割れた。
「うわっ!?」
カイは慌てて意識を引き戻し、大きく息を吸い込んだ。心臓が早鐘のように鳴っている。額には冷や汗が滲んでいた。
「…危ねぇ…! ちょっと集中しただけで、これかよ…。やっぱ、この方法はヤバいんじゃねぇか…?」
エルミナは『自己責任』と言っていた。下手をすれば暴走を誘発するとも。
制御への道は、思った以上に険しく、危険らしい。カイは深いため息をついた。
その時、寮の廊下から、やけに陽気で、少し調子の外れたような大声が聞こえてきた。
「配達であー! 特殊魔法生態研究室のエルミナ博士からのお届け物であー! えっへへ、ご指定のカイ様のお部屋はこちらであかー!?」
(…んだ? 変な声…配達?)
エルミナが言っていた、鉱石のことだろうか。それにしても、なんだその語尾は。
カイは訝しみながら、しぶしぶドアを開けた。
そこに立っていたのは、予想通りというか、なんというか…見るからに暑苦しい男だった。
少しよれた運送会社の制服を着ているが、あちこちに油染みのようなものが付いている。体格はそこそこ良いが、無精ひげを生やし、髪もボサボサだ。そして何より、片手に大きな、厳重に封印された金属製の箱を抱えながら、もう片方の手には、紙袋に入った唐揚げを持ち、それを美味そうに頬張っている。油と香辛料の匂いがぷんぷん漂ってきた。
「おお、カイ様であね!」
男は口の中の唐揚げを飲み込むと、ニカッと人懐こそうな(しかし、どこか胡散臭い)笑顔を向けた。
「これ、エルミナ博士からであ! 例の『石』、今日採れたての特級品であ! いやー、こいつがまた重いのなんのって! 腰に来るであー! はい、ここにサインお願いするであ!」
男は差し出した電子パッドにサインを求めながら、まだ口の周りに唐揚げの衣をつけている。
カイは、そのあまりのキャラクターの濃さに若干引きつつも、言われるがままに自分の名前をサインした。語尾も気になるが、それ以上に唐揚げの匂いが強烈だ。
「……ああ」
「毎度ありであー!」
男はサインを確認すると、満足げに頷いた。
「あ、そうだ、博士から伝言であ! 『例のブツは無事届けた。手間賃に例のメッコールも忘れずにな!』って言付かってたであ! ささ、これも受け取って欲しいであ!」
男は、背負っていた大きな配達用バッグをごそごそと漁ると、一本の奇妙なデザインの缶を取り出した。茶色い液体に、ハングルのような文字と、麦の穂のイラストが描かれている。
「…メッコール?」
カイは眉を寄せた。なんだそれは。聞いたこともない。
「なんだこれ…」
「えええっ!?」
男は、カイが強盗でもしたかのような、心底驚いた顔をした。
「カイ様、メッコールを知らないであか!? それは人生の半分以上を損してるであ! この、麦の香ばしさと炭酸の絶妙なハーモニー! 一度飲んだらやみつきになる、魂の飲み物であぞ!」
男は熱弁を振るいながら、メッコールの缶をカイに押し付けた。
「まあ、今回は博士からのサービスってことだから、是非とも飲んでみるであ! 世界が変わるであ!」
(こいつ、何なんだ一体…)
カイは、その熱量に気圧され、反射的に缶を受け取ってしまった。
「じゃ、これで失礼するであー!」
男は目的を果たしたとばかりに、にぱっと笑う。
「次の配達まで、しばしお待ちかねの唐揚げタイムであー!」
そう言うと、彼は再び紙袋から唐揚げを取り出して口に放り込みながら、どこか陽気な鼻歌交じりに、廊下の角へと消えていった。後には、唐揚げの匂いと、「であー」という奇妙な余韻だけが残された。
カイは、手に残された重い箱と、謎の飲料「メッコール」の缶を交互に見つめながら、静かに自室のドアを閉めた。
箱は、見た目以上にずしりと重い。表面には『取扱注意』『高エネルギー反応物質』といった物騒なラベルが貼られている。
カイは、恐る恐る箱の封印を解き、蓋を開けた。
厳重な緩衝材に包まれていたのは、拳ほどの大きさの、黒曜石のように黒く、それでいて内部に鈍い光を宿したような結晶質の鉱石だった。それはただの石ではなく、明らかに異質な、濃密なエネルギーの塊であることを肌で感じさせた。
(これを…食えってのか…?)
エルミナの言葉が頭の中で反響する。
目の前にあるのは、どう見ても食べ物ではない、危険なエネルギーを秘めた物体だ。
制御の糸口は、まだ掴めない精神統一法。
エネルギー源は、この怪しげな鉱石の摂取?
そして、あの唐揚げ臭い配達員と謎の飲料メッコール…。
(…俺の進む道は、どうなってんだ…)
カイは、深く長いため息をつくと、とりあえずメッコールの缶は机の隅に置き、問題の鉱石が収められた箱に、そっと蓋を戻した。
前途多難。その言葉が、やけに身に染みる夜だった。