あの後、落ち着いたなのははリスティに連れられ病院に来ている。といっても、どこかが悪いというわけでもなく、そこの方が都合が良いという理由で訪れたのである。
「邪魔するよ」
とある部屋の前まで来ると、リスティは徐に扉を開けて中に入った。なのはもその後に続いた。
「邪魔するなら帰って下さい」
中から声を掛けて来たのは、リスティを長髪にしたような、物腰の穏やかそうな白衣の女性だった。言ってる事は辛辣だが、その言葉に険はなく、寧ろ歓迎しているかのようになのはには聞こえた。
「そう言うなって」
「また集りに来たんでしょ」
「いや、それもあるが……」
そう言ってリスティは後ろにいるなのはに視線を向ける。
「あら、その子は?」
「例の子だよ。……本人も知ってるみたいだから、ね」
リスティと白衣の女性は何やらアイコンタクトを交わしていたかと思うと、今度は白衣の女性がなのはの方へと近づいてきた。そしてなのはの前でしゃがみ、目線を合わせてから挨拶をしてきた。
「こんにちは。私はフィリス・矢沢。そこのリスティの妹って事になるかな。よろしくね」
「あ、はい。こんにちは、高町なのはです」
そうしてなのははフィリスに促されるまま椅子に座った。
「聞きたい事があるんだろ?」
リスティが煙草を右手で弄りながらなのはに聞いてきた。
「はい。お姉さんもなのはの事を知ってるんですか?」
なのはは今一番聞きたかった事を質問してみた。
「ん。知ってるってのは語弊があるけど、答えはYesだ。後、僕の事はリスティで良い」
「あ、私もフィリスで良いわよ。……はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
奥で作業していたフィリスがなのはにマグカップを手渡してきた。湯気の中から漂う甘いカカオの香りがなのはの鼻腔を擽った。
「僕はココアよりコーヒーが良かったな」
「ここにそんな物はありません」
「お子ちゃまめ」
リスティは悪態を吐きつつも渡されたココアを口にした。
「なのははもちろんそうだけど、僕達も
「え? それって……」
リスティの思いもよらぬ発言になのはは疑問符を浮かべた。
「あれ? なのはちゃんって……」
「ああ、
またしても2人だけで話し合うリスティとフィリスになのはは怪訝な気持ちになった。
「あの!」
「ああ、ごめんごめん。ちゃんと話すよ」
「ごめんなさいね」
そしてリスティは語るのである。
「なのはもあのサイト『原作改変』は知ってるだろ?」
「はい」
「なのはが見たのはその中の『魔法少女リリカルなのは』シリーズだと思う」
「はい、そうです。でもその中には……」
「ああ、
「?」
「なのはちゃん、あのサイトには『魔法少女リリカルなのは』以外にももう1つ
「!? はい! 覚えてます。お兄ちゃんが登場してたと思いますが……恥ずかしながら途中で断念してしまったのです」
「まぁ、それは仕方ないのかもね。
「いえ、そうでは無く……難しい漢字ばかりで読めなかったのです…………」
なのはは自分の不甲斐無さに少し落ち込んでしまった。
「確かに
なのはを慰める傍ら、リスティはある事に気が付いた。それは『魔法少女リリカルなのは』のルビについてである。
『魔法少女リリカルなのは』はそのタイトルからもちろん、子供向けの話であると思われた。そのため、ルビが振られている事に不思議はないが、問題はそのルビの量にあった。
大人でも難しい漢字にはもちろん、子供でさえ簡単に読めるだろう漢字にもそれはもう、鬱陶しいまでにルビが振られていたのである。ルビが無い漢字と言ったら、人物名くらいのものであろうが、作中の登場人物の大半はカタカナ表記か、名前自体がひらがな表記である。
しかしその丁寧なルビ表示の反面、内容は当時の子供向けと言うには斬新な設定が数多く盛り込まれていた。それは、『魔法少女』でありながら、戦闘を主体として物語が展開していく点である。
当時にも『魔法少女』ものというのは存在していた。それはまさしく、少女向けの話であり、夢見る女の子を描いた物語で、魔法という未知の力を用いて数々の難事件を解決、というのが主流であった。その中には荒事もあったが、魔法を使った戦闘というのは稀であった。
もちろん、魔法=非戦闘ではなく、少年向けの話では普通に魔法を用いた戦闘も行っている。魔法を使う少女もいるが、それは『魔法少女』と言うにはどこか違和感があった。そしてその人物はヒロインか脇役としての登場であり、話の主人公は大抵男なのである。
しかしそれは、読者の嗜好を反映させた結果なのであり、自然な帰結である。それを踏まえた上で『魔法少女リリカルなのは』について考えてみる。
主人公の『高町なのは』は小学3年生である。それがただの『魔法少女』であれば、それは少女向けの作品であっただろう。しかし、戦闘を主体とした作品は当時の少女には受けは悪く、少年向けの話となってしまう。ところが、主人公が女の子という事から、少年では物語の主人公に感情移入がし難く、これもまた好まれ難い。そして一番考えて欲しい点は、そもそもこの『魔法少女リリカルなのは』がネット小説であるという点である。
インターネットをする少年、少女というのは果たしてどれほどいる事だろう。そう考えると、読者層は青年層から中年層であると想像に難くない。そうなると、このジャンル的に青年向けの話という事になる。
そうすると、作者である『転生者』がそこまで考えていたかは分からないが、多くの読者にとってこのルビは不要のものであると感じる事だろう。
しかし、『転生者』の狙いが原作改変であると考えると、このルビも意味のあるものとなってくる。無関係の不特定多数の人物より、当事者に見てもらう方がそれは確実に行えるだろう。
つまり、『転生者』は初めから高町なのはにこの小説を読んでもらおうと、執拗なまでにルビを振ったのではないか――。
リスティは驚愕の真実に戦慄した。『転生者』はいったいどこまで見越しているのか――。
「リスティ、何か分かったの?」
フィリスの問い掛けにリスティは思考の海から戻ってきた。
「ああ、それは後で話すよ。それより……」
なのはが不思議そうな顔でリスティを眺めているのだった。
「話を続けよう。『魔法少女リリカルなのは』以外でなのはの兄さんも登場する『
「主にリスティが、だけどね」
ここに来てやっとなのはにも得心が行った。
「フィリスなんてただの戦闘員Aとしての登場だけだったしね」
「もう、それをあなたが言う?」
「ごめんごめん」
そう和やかな会話が展開されていくが、なのはは耳を疑った。この穏やかそうな人と戦闘員という単語がどうしても結びつかないからである。話を聞く限りではどうやら本当の事のようであるが……。
「さっきも言った通り、僕達が当事者っていうのは何も作品に登場していたからってだけじゃないんだ。僕達が登場する『とらいあんぐるハート』の
「え?」
「そう。その通り、とまではいかなかったけど、概ね小説の通りの出来事が起こったよ。僕がこの小説の事を知ったのは、殆ど終わった後だったけどね」
「だからこそ、私達はあの小説が現実の、それも未来の出来事を綴ったものだって分かったの」
「と言っても、『とらいあんぐるハート』は幾つかの分岐したシナリオが描かれてるから、完全に現実に一致するって事はあり得ないんだけどね」
そう、『とらいあんぐるハート』は各作品に決まった主人公が設定されており、その主人公と特定のヒロインとの恋愛事情が描かれた作品なのである。それは、同じ時系列の中、ヒロイン毎に物語が展開していく内容となっている。
なのはが見たと言う兄の『高町恭也』はこの
そう、どういうわけか、『とらいあんぐるハート』シリーズは1作目が3で、2作目が2、3作目が1と、掲載された順番と作品の番号が逆なのであった。
最初に掲載された『魔法少女リリカルなのは』シリーズのスピンオフ作品としては、その掲載順は理解できるが、3から始まっているのは謎であった。単純に、作品内での時系列順とみる事ができるが、そこからも、作者である『転生者』は未来の出来事を全て分かった上でこの作品を掲載したのではないかと思えてくる。
『転生者』が最も意識しているのは『魔法少女リリカルなのは』であると推測できる。なぜなら、この作品は『とらいあんぐるハート』とは違い、1つのシナリオしか描かれていないからである。
まるで『とらいあんぐるハート』シリーズは『魔法少女リリカルなのは』シリーズに対するヒントであるかのような錯覚を覚える。
2と1は主人公の『高町なのは』が生まれる前の話で、直接的な関わりは当然持てないが、間接的に大きな関わりを持つ事になっている。
そして最も関わりのありそうな3は『高町なのは』の兄『高町恭也』が主人公である事も加え、『魔法少女リリカルなのは』の開始1年前であるという点に、勘繰りを持ってしまうは自然な流れである。
といっても、作品内での前提条件と現実では最初から幾つかの違いが生じている事から、これは真実を知った読者を迷わす罠であるという可能性も否定できない。
「来年が『とらいあんぐるハート3』で再来年がいよいよ『魔法少女リリカルなのは』ね……」
「そうだね、これからなのはには今日みたいな出来事が増えるかもしれないから1人で出歩くのは控えるように」
「はい!」
「ちょっとリスティ、今日みたいってどういう事?」
「ああ、実は――」
リスティは今日の臨界公園での出来事をフィリスに説明していく。
「そう……これはもう啓吾さんに協力してもらうしかなさそうね」
「ああ、そのつもりだ」
なにやら事が大きくなっていく様子になのはは不安になっていく。
「あ、あの! なのはもその『とらいあんぐるハート3』を読んでいた方が良いですか? 今なら少しは読めると思いますが……」
「……いや、読まなくても良いよ。それにはたいして
リスティは一瞬考え込んだが、すぐに返事を返した。しかしその返事の内容はまるで、なのはに『とらいあんぐるハート』を読んでほしくないといった印象だったが、なのはは素直にリスティの言を聞き入れたのだった。
そうして幾つかの話をしたなのはには1つの懸念事項が存在していた。それを聞こうか聞くまいか悩んでいると――、
「そうだね。この話は両親にもしておこうか」
またしてもリスティはなのはの心を読んだかの如く、話を切り出した。
「なのはのその考えは正しいよ。僕達の事をなのはに明かすよ」
「そうね。なのはちゃんには知っておいてもらった方がいいかもね」
「変異性遺伝子障害って聞いた事はあるかい?」
「はい。ニュースとかで何度か……」
「でも、それがどんな病気かは知らないはずだ」
「はい」
「それだけなら、たいした病気ではないの。でもその中に稀にHGSと呼ばれる高機能性遺伝子障害者というのが生まれるの」
「それが僕達というわけさ」
「!?」
重大発表になのはは驚くが、それがどのような病気なのかはいまいちピンと来ない。
「そうね、所謂超能力が使えるという認識で良いわよ」
「超能力……魔法とは違うんですか?」
「魔法とは違う……けど――」
しかしリスティはその先を語る事は無かった。
「HGSの特徴はこれさ」
リスティがそう言うと、一瞬辺りが眩しくなったがそれはすぐに収まった。そしてなのはの目の前には――、
「わー、妖精さんみたい」
リスティとフィリスの背中に笏状の淡く輝く透明な羽が出現した。
「なのはは良い子だな。性根の曲がった奴なら虫みたいだと言いやがるからな」
そう言ってリスティはなのはの頭を撫でる。
「この羽はリアーフィンって言うんだけど……まぁ、関係ないわね」
「すごいです! お空を飛べたり出来るんですか?」
フィリスが説明を続けようとしたが、なのははそれどころでは無く、興奮した面持ちであった。
「ああ、飛べるね。他にもいろんな事が出来るんだ。だから何かあったら遠慮せず僕達を頼ってほしい」
そして2人は羽を消失させた。
そのあと、3人で昼食を取り親睦を深めた。その時、お互いの連絡先も交換しておいた。そして、フィリスは仕事があるからという理由で一同解散となった。
「じゃあ、なのはは僕が家まで送っていくよ」
そしてなのははリスティと2人で家に帰るのだった。家に帰る途中、リスティがなのはに話し掛けて来た。
「両親に話す時は日を改めて僕も一緒に行くよ。1人だと話し辛いだろ?」
「はい。お願いします」
「あー、でもこの話は出来れば両親だけで、兄さんと姉さんには内緒に出来ないかな」
「え? どうしてですか?」
「2人も当事者になるからね。変な先入観は持たない方がいいしね」
「その方が良いならそうしますが……」
「まぁ、その事も踏まえて両親と相談すれば良いよ」
その後も様々な話をしていく。自分の話。仕事の話。家族の話。そして神社の狐の話になるとなのはは異様に食いついた。それに関しては今度
そうこうしていく内になのはの家の前までやって来た。ここでお別れ、という時にリスティが最後の話を切り出した。
「ああ、そうそう、なのはの兄さんに伝言良いかな?」
「? はい」
「
「約束、ですか……」
「ああ、といっても、僕は関係ないよ。僕の
そうしてなのははリスティと別れた。その日の夕方、なのははリスティに頼まれた伝言を恭也に伝えた。恭也は少しだけ考え込んだが、思い出す事が出来なかったようだ。しかし、何か思う所があったのか、寝るまで1人道場で座禅をして過ごしたのだった。
『とらハ』について触れました。が、そこまで長く触れません。メインはあくまで『リリなの』です。
ちなみに作中の『とらいあんぐるハート』は全年齢対象です。
これからの展望が何となくでも伝わっていたら幸いです。