俺は今だかつてないほどの尋常ではない殺気を目の前の黒い外套の男にぶつける。
しかし目の前の男は一切動じることなく、両腕を前に掲げ五指の先端を左右対称に合わせるような構えを取っていた。以前見たことがある構えと同じ。これが例の猛毒生成の業か。
一方で男の背後で目を見開く小柄な女は俺の殺気に威圧されたのか後ずさりをしている。
酷く青ざめた表情でその女は毒使いの男に説得を試み始めた。
「下呂さんっ!! 早く逃げてくださいっ!! 貴方を欠いては万が一無惨を薬で無力化できなかった時に取り返しがつかないことになりますっ!! 時間稼ぎなら私がしますから・・・!!」
「胡蝶、俺に近づくな。うっかり毒血に触れたら大惨事だぞ。そもそも丸腰のお前がどうやって猗窩座の足止めをするんだ?
お前にそんな無理をさせて逃げるよりも、ここでこいつを殺す方が生き残れる確率が高い。それに・・・もう少しで溜めも終わる。」
奴の五指の先端から赤黒い血が滲み始めた。このまま座して待てば、俺は童磨や妓夫太郎の二ノ舞三ノ舞を演じることになりかねない。
いや、本当はそんなことなどどうでも良かった。
今の俺はただ、師範や恋雪の命を奪った卑劣な手段にこのまま屈すること、ただそれが心底我慢ならないだけだった。
「ウオオオオオオッ!!!!!」
俺は雄たけびを上げて立ち上がる。毒の分解はできていないが、この毒で俺が死ぬとも思えなかった。
全身の倦怠感など気合で無視すればいい。目の前にいる毒使い二人が、どちらも真正面から俺を迎え撃てるだけの実力を残していないことはわかっている。猛毒さえなければ殺すことなど容易だ。
「た、立ち上がったっ!!?? そんな・・・下呂さんの血から新しく作った分解不能な薬なのにっ!!!」
「マジかっ!? だがもう間もなく溜めが終わるっ!! タッチの差でこっちの勝・・・」
ー破壊殺・空式ー
俺は離れた距離から虚空を打つことで毒使いの男の腹部に空圧正拳を直撃させる。
「がふっ!!??」
男は目を見開いたのち、そのまま盛大に吐血し、力尽きるように後ろへと倒れ込んだ。
「えっ・・・げ、下呂さんっ!!!!!」
毒使いの男はそのまま動かなくなり、俺は玉のような汗を流しながら満足げに笑みを浮かべる。
「ふっ・・・終わりだな・・・毒使い・・・その吐血量なら放っておいてもすぐに死ん・・・」
「猗窩座ぁああああああ!!!!!」
俺の背後から頭部を血まみれにしたままの状態で炭治郎が斬りかかって来る。俺はその怒号に一瞬驚くも羅針で動きを感知し、難なく躱す。
「しのぶさんっ!!! 俺が猗窩座を食い止めるので下呂さんの治療をっ!! 絶対に死なせないでくださいっ!!!」
「え・・・ええっ!! もちろんです!!」
馬鹿が。鳩尾に一撃入れたんだぞ。直接なぐった訳でなくとも内臓破裂しているに決まっているだろうが。奴の吐血量を見ていなかったのか?
あの女も物分かりの悪い奴だ。治療薬のようなものを取り出しているが、あんなもので破裂した内臓を修復できる訳ないだろうが。
毒使いの鬼狩りが呼吸を使えないのは把握済みだ。他の鬼殺の剣士のように呼吸で内臓の出血を抑えることもできないだろう。あの女はそんなことすらも理解できていないのか?
この炭治郎とかいう鬼狩りもそうだ。実力差は明確。今まで殺してきた柱達に比べて数段劣る実力しかない。彼我の力量も推し量れぬ程未熟者なのか?
俺はつい呆れてしまい炭治郎を嘲笑する。
「全く持って理解しかねる。やはり弱者は醜い。虫唾が走る反吐が出る。淘汰されるのは自然の摂理に他ならない。そんな単純なこともわからないのか?」
俺は炭治郎の剣撃を素流の技術で捌いて行く。今の俺は毒の分解がままならない状態で、四肢を欠損する訳にはいかなかったからだ。
皮肉なことに、人間時代の記憶を取り戻したことで、俺は攻守隙のない技術を鬼の身体能力で存分に発揮することが出来るようになった。
今ならそこで死にかけている毒使いが万全だったとしても、拳の勝負で引けを取ることもないほどに。
「猗窩座ぁああああああ!!!!!」
「ふっ、未熟者め。いくら骨身を削る思いで戦っても無駄でしかない。それほどまでに今の俺とお前には圧倒的な武力の差がある。これだけ刃をいなされてもまだわからないのか?」
「あぁアアアアア!!!」
「もはや人語ですらない喚き声しか出せないとは・・・どうやらお前のその大きな頭には本当に脳味噌がつまっていないようだ。竈門炭治郎っ!!」
「ぐあっ!!??」
俺は隙を突いて炭治郎を殴り飛ばす。凄まじい衝撃を受け、床を跳ねて遥か遠くで動かなくなる。
とっさに刀身を盾にして受けていたようだから死んではいないだろうが、あれ程全身を損傷しているのだ。もう歯向かう気力も体力もないだろう。
そう思い、俺は毒使いの男に念のためにとどめを刺しておこうと思い、背後を振り返る。
やはりというべきか、俺の目の前で刀の切っ先を向けて構える女の隊士が痛みを堪えたまま立っていた。
「ふっ・・・背後から斬りかかってこなかったのは正解だったな。不意打ちなど俺には通じん。もしかしてお前は俺の血鬼術の正体に気が付いているのか? まあどちらにしてもお前が俺に勝てるはずもないが・・・」
「五月蠅い・・・私は・・・師範を・・・下呂さんを・・・炭治郎を守るっ!! ・・・例え・・・この命に代えても・・・!!」
「黙れ、小娘。いくら俺が毒で弱体化してるからと言って、貴様一人で戦えるとでも思っているのか? そもそも頸を刎ねたところで今の俺は死なんのだぞ?
情けをかけてやる。後ろで甲斐甲斐しく治療をしている小柄な女と一緒にこの場を去れ。そうしたらお前ら二人だけは殺さないでおいてやろう。」
「・・・ふざけるな・・・誰が鬼を前にして仲間をおいて逃げるものかっ!!!」
「そうか。なら仕方ない。せめて一思いにあの世へ送っ・・・」
俺がそう言いかけると、突如後ろから凄まじい闘気と殺気をぶつけられ背筋が凍る。
「っ!!??」
「猗窩座・・・お前の言ってることは全部間違っている・・・!!」
俺は反射的に振り向く。そこには血まみれの炭治郎が刀を構え立っていた。その瞳には一切の戦意の衰えが感じられない。
炭治郎はそんな満身創痍な状態でも腹から響かせるように声を絞り出す。
「猗窩座・・・お前が今そこに居ることがその証明だよ。生まれた時は誰もが弱い赤子だ。誰かに助けてもらわなきゃ生きられない。
お前もそうだよ猗窩座。記憶にはないのかもしれないけれど、赤ん坊の時お前は、誰かに守られ助けられ今生きているんだ。」
俺は驚き、目を見開く。そんな炭治郎の目が声が言葉が、かつての俺の師範の姿と重なる。
「強い者は弱い者を助け守る・・・! そして弱い者は強くなり、また自分より弱い者を助け守る・・・!! これが自然の摂理だ!!
猗窩座!! 俺はお前の考え方を許さない!! これ以上お前の好きにはさせない!!!」
ふいに俺の師範が肩に手を置いてなだめるように語り掛けてくるような錯覚を覚える。
『何をするにも初めは皆赤ん坊だ。周りから手助けされて覚えていくものだ。
他人と背比べしてるんじゃない。戦う相手はいつも自分自身だ。重要なのは昨日の自分より強くなることだ。
それを十年二十年続けていれば立派なものさ。そして今度はお前が人助けしてやるんだ。』
「・・・・・・」
すると今度は、脳裏に毒使いの声が響き渡る。
『俺は人を殺すよりも本当は人助けの方がしたかったんだ!!! 困ってる奴らの力になってそいつらに命一杯笑ってほしかったんだよ!!!』
「・・・五月蠅い・・・癇に・・・障る・・・不快だっ!!」
「っ!!」
俺の怒気に炭治郎も背後の女も気圧されている。
「なぜ・・・なぜっ!! 毒物に頼るようなお前が師範と同じようなことを言うんだっ!! 存在自体が癪に障るっ!!!!!」
鳴りやまない頭痛に吐き気が止まらず、俺は両の手で頭を抱え顔を顰める。
俺は背後に目線だけを移す。今にも死にそうな毒使いの男を恨めし気に見下ろし、俺は思わず歯を食いしばった。
続く
炭治郎が自然の摂理について言い返す場面は原作で一番好きかもしれません。あの考えって子育てや下の子たちの面倒見たことないと出力できない内容だと思うんです。やっぱり吾峠呼先生って素晴らしい感性の持ち主なんだなぁとしみじみ思います。まあこの小説だと猗窩座を曇らせてるだけで感動もへったくれもないのが残念ではありますが(泣)
さて、次回の更新は一週間後になります。もしよろしければお気に入り登録してお待ち頂けると嬉しいです。