「師範・・・大丈夫・・? その・・・具合が悪いんじゃ・・・」
「大丈夫ですから今はほっといて下さい。」
扉の奥からカナヲの震える声が聞こえる。私は薬剤室に一人閉じこもったままそう返答する。
はあ・・・何してるんだろう・・・私・・・
継子のカナヲに心配かけた挙句、部屋に引き篭もってるなんて・・・
感情の制御ができないのは未熟者の証。それは重々承知してるのに、私は日に日にイライラするようになった気がする。
やはり服毒の影響なのだろうか。下呂さんが挙げていた副作用は心当たりしかなかった。
吐き気、嘔吐、眩暈、下痢、胃痛。加えて呼吸機能の低下なのか時々息が苦しくなる。本当は常中を維持するだけでも相当苦しい。
恐らく服毒をあと数ヶ月続ければ死ぬという下呂さんの見立ても本当なのだろう。
でも死ぬのは怖くない。今一番怖いのは、このまま姉さんの仇に遭遇することもできずジワジワ毒で死ぬこと。
そんな死に方だけは耐えられない。きっと死の間際なんて気が狂ってしまうだろう。カナヲやアオイに心無い言葉をぶつけてしまうかもしれない。
お願い神様・・・どうか・・・どうか私の命が燃え尽きるその前に・・・姉さんの仇だけは討たせてください・・・お願いします・・・お願いします・・・
そう私は目を瞑ったまま、明かり一つない部屋で必死に祈っていた。
「しのぶ様。お館様からお手紙が届いています。」
「・・・え・・・お館様から!?」
どうやら私は眠ってしまっていたようだ。既に日は落ちてしまっている。まさかこんな失態を晒すことになるなんて。
部屋の外にはなほたちが心配そうに立っていた。私は部屋から出ると必死に穏やかな笑みを浮かべて彼女たちのことをなだめようとする。
「ごめんなさい。どうやら疲れが溜まって寝落ちしてしまったようです。皆には悪いことをしましたね・・・」
「その・・・しのぶ様・・・本当にお身体は大丈夫なんでしょうか・・・血色が殆どありませんよ?」
普段は手洗いのついでにこまめに化粧をし直して誤魔化していたが、この時の私はそれを失念していた。寝起きでそこまで気が回らなかったのかもしれない。
「大丈夫です。心配いりません。それより、お館様のお手紙を至急確認しなければなりません。渡してもらえますか?」
私はなほが持っている封筒を受け取り、書面を確認する。
そこにはお館様より、重ねての対無惨用の共同研究の打診の旨が記載されていた。
医者とは言え、鬼との共同研究なんて死んでも御免だけど、お身体の調子が悪いお館様にこれ以上心労を掛ける訳にはいかない。
正直今は、珠世と名乗る鬼の医者と会うことよりも、昼間喧嘩したばかりの下呂さんと会う方が気が重かった。
でもこれ以上、私の我儘で周囲に迷惑をかけるわけにはいかない。私は観念して手紙を折りたたみ、目の前のなほに微笑みかける。
「すみません。至急産屋敷邸に赴かなければならなくなりました。隠の人を呼んで下さい。」
私は身支度をし、化粧直しをして、そのまま産屋敷邸へと移動した。
お館様のお屋敷を歩いていると、突如下呂さんの鎹烏が現れた。
「毒使イ下呂ヒカル!! 上弦ノ弐ト遭遇ゥウウ!! 至急応援求ムゥウウ!!! 頭カラ血ヲ被ッタヨウナ出デ立チニ対ノ扇ヲ持ツ鬼ィイイ!! 柱複数名デ向カワレタシィイイ!! カアアア!!!」
私は驚愕に声を荒あげる。下呂さんが姉さんの仇と遭遇するなんて。でもこの時の私は彼を心配する以上に安堵の気持ちの方が強かった。
良かった・・・間に合った・・・私が死ぬ前に仇と遭遇することができた・・・
これで姉さんの仇討ちも果たせず無意味に死ぬこともないんだ。本当に良かった。早くその童磨に私の血肉を食わして殺してやろう。
これで漸く姉さんの元へ逝ける・・・これでもう・・・服毒で苦しい思いなんてしなくて済むんだ・・・
絶対姉さんの仇を・・・生まれてきたことを後悔するぐらい苦しめてから殺してやるっ!!!!!
・・・そう思っていたのに・・・
「毒じゃなく頸を斬れたら良かったのにね? それだけ速かったら勝てたかも。あー、でも無理かあ。君小さいから!」
私の開発した毒は何一つ童磨の命には届かなかった。私が鍛え上げた蟲の呼吸は何一つ童磨の技には通用しなかった。
毒も通用せず、頸も切れない。それは私が小さな体で生まれて来たから。
童磨の笑い声と言葉を聞いて、今まで我慢してきた涙腺が決壊してしまった。涙がとめどもなく零れ落ちる。
もういい・・・私のやってきたことは何一つ価値なんてなかったんだ・・・このまま童磨に喰われて死のう・・・そうすればこの後駆け付けるカナヲが必ず奴の頸を斬ってくれるはず・・・
この場には下呂さんだっているんだ。きっと少しぐらいは私が死んだことに怒りを覚えて仇討ちをしてくれるに違いな・・・
「胡蝶。肺までは斬られてないだろ。呼吸使いなら止血して立てるはずだ。しっかりしろ。仇を前にして泣いたままでいいのか?」
私は思わず下呂さんの声に反応する。
「姉ちゃんの仇をお前自身の手で討つんじゃなかったのか? 倒すと決めたなら倒せ。勝つと決めたら勝つまで戦うんだ。お前は柱だろ?」
ふいに下呂さんの背中と姉さんの背中が重なって見える。
「柱のお前一人で倒せねぇって言うなら、俺が力を貸してやる。お前一人で立ち上がれねぇっていうなら俺がお前の傍で支えてやる。聞かせろ、胡蝶。お前はどうしたい? お前はそのまま膝を着きっぱなしでこんな奴に屈したままでいいのか?」
諦めたはずの私の心に灯がともる。
「わ、私・・・私は・・・!!」
下呂さんは不思議な人だ。悲鳴嶼さんのように全ての脅威から守ってくれるような安心感があるわけではないし、冨岡さんみたいに放っておけないような愛着が湧くわけでもない。
今、確信した。この人は・・・私を支えて立ち上がらせてくれる人なんだ。私の力を信じてくれる人なんだ。
ここまでしてもらって、このまま何も果たせないまま終われない・・・!!
「私は・・・こいつを倒したい!! 姉さんの仇を討ちたい!! だから・・・お願いです・・・下呂さん・・・私に力を貸してください・・・!!」
私がそう言葉を絞り出すと、下呂さんは毒血解離という奥の手を授けてくれた。
私が開発した毒とは一線を画すほどの猛毒。下呂さんはあくまでも私の仇を討ちたいという気持ちを否定することもなく尊重してくれた。背を押してくれた。
本当は下呂さん一人でも勝てたのかもしれない。それでも・・・下呂さんは私に手を貸すという・・・力になってくれるという選択肢を敢えて取ってくれたんだ。
その結果、私は自分自身の手で、姉さんの仇を、童磨をうち滅ぼすことができたんだ。
私は下呂さんのおかげで命を捨てることもなく姉さんの仇を討って、無事蝶屋敷に戻ることができた。
本当に感謝しかない。他ならぬ私自身の手で悲願を達成することができたのだから。
だから私は少しでも下呂さんの行いに報いたくて、その後、必死に珠世さんとの共同研究に打ち込んだ。
鬼との共同研究が嫌だなんて言ってられない。そんなことより今は下呂さんの力になることの方が、鬼殺隊の勝利に貢献することの方が大事だ。
だから私は一切妥協することなく、無惨をうち滅ぼすための薬の開発に没頭した。
そんな中、城崎さんが私と下呂さんを連れて日本橋の魚河岸に連れてってくれた。
本人は『江戸前寿司食べたくてさ~』と言ってたけど、本当は私たちの息抜きのためにと気を遣ってくれたのだろう。
確かに鬼との最終決戦ももう近い。もしかしたらこれが最期の息抜きになるかもしれない。
そう思い、私は英気を養うために二人について行った。
けど、童磨との戦いで、私の左手は肩より上にあがらなくなってしまっていた。
正直、今の私が無惨を討伐するのにどれだけ皆の力になれるかわからなかったのも事実だ。
下呂さんなら兎も角、私が英気なんて養ったところで一体何の意味があるんだろうと心の底で自嘲していたが・・・
「そんなことねぇよ。実戦闘ができなくたって、鬼殺隊医療機関の責任者を務める胡蝶は間違いなく鬼殺隊に必要不可欠な要だ。それに対無惨用の薬の開発だって、胡蝶の見解がなかったらあそこまでのものはできなかった。鬼殺隊で一番貢献してるのは間違いなくアンタだ。誇っていいと思う。」
下呂さんはそんな風に私に言葉を投げかけてくれる。自信を喪失していた私にそんな前向きになれるように声を掛けてくれる。
本当に嬉しかった。こんな風に正面から自分のことを肯定してくれる人がいるなんて思ってもいなかったから。
「その・・・ありがとうございます、下呂さん。今の言葉でなんだか自信が持てた気がします。私、これからも頑張りますね。」
私は下呂さんの真っ向からの善意が気恥ずかしくて、そう答えるだけで精一杯だった。
今までの人生で一番、胸の内が温かみを覚えた日だった。
続く
以上でしのぶさんの心情については終わりです。
次回は薬の開発エピソードです。漸くネタ晴らしですね。かなり引っ張ってしまいましたが、最後の結末を練ったらしのぶさんの回想は書きたくなったエピソードなのでお付き合い頂きました。
本小説もついに佳境に差し掛かってきましたので、最後まで読んで下さると嬉しいです。