「さて、いい加減気は済みましたか?」
「うるせぇ!!」
俺はコートの懐から注射器を取り出し、首筋に打ち込む。そしてそのまま全力で拳を振るうが、俺の拳打は寸でのところで見切られ、クロスカウンターをお見舞いされる。
「がはっ!!!」
「下呂さんっ!!!」
俺が壁に叩きつけられると、傍まで嬉野が慌てて駆け寄ってくる。しかし俺はそれを手で制す。
「嬉野っ! 逃げろっつったろ!?」
「で、でもっ!!」
俺が必死に立ち上がるまでの間、那須は笑みを崩さず俺の様子を見つめていた。
「嬉野シオリさん。もし宜しければ貴方の方からも説得願えませんか? ヒカル様では到底歯が立たないと・・・」
「うるせぇっつってんだろ!!」
俺は新たに毒を注入し、そのまま全速力で突進する。しかし一瞬で奴の姿は消え、気が付けば俺の頭部は奴に踏みつけられ、地面に顔面を叩きつけられていた。
「ごっ!!」
「下呂さん・・・っ!」
那須はすぐに俺の頭部を踏みつけるのを止め、そのまま踵を返して後ろ姿を見せる。
「ここまで打ちのめされても尚、未だにお気づきになっていないとは。がっかりです。」
俺は立ち上がり、すぐさま
振り返る奴の更にその背後に高速移動し、繰り出した上段回し蹴りが見事入るかに見えた。しかし、完全に攻撃のタイミングを見切っていたのか、ドンピシャで回し蹴りを顔面に返される。俺はそのまま吹き飛ばされる。
「忘れてしまいましたか? ヒカル様に古武術を一から叩き込んだのが誰だったかを。」
俺はその事実を苦々しく思う。俺はこの男から幼少の頃より『
「悲しいですね。元教え子がそんなことも分からず刃向かってくるなんて。ヒカル様でなければ即始末しているところですよ?」
「ハア・・・ハア・・・スウ~・・・」
俺は再び立ち上がり呼吸を整え、研ぎ澄ませる。体内の血液循環を高め、全身に酸素を行き渡らせる。その様子を見て、那須は心底残念な表情で俺を見る。
「加えて、なぜ下呂家の次期当主ともあろう者が『呼吸』などに頼っているのですか? それは変性血統を持たない凡百の『護り手』風情の苦肉の策でしょう。そんなものに頼らなくとも、ヒカル様の毒使いの才なら比べるべくもない力を発揮できるはずです。無意味な努力はおよしなさい。」
「無意味・・・だと・・・!!」
胡蝶が付きっ切りで俺に習得させてくれた『全集中の呼吸』を無意味なモノと言い捨てられ、俺は思わず頭に血が昇った。
「胡蝶が使う呼吸の練度はこんなもんじゃねぇよ。弱く見えんのは俺が不甲斐ないからだ・・・!!」
「何をおっしゃる。ヒカル様が必死になって習得したにも関わらずこのような脆弱な力しか振るえぬ業など、初めから程度の知れたモノだったと言うだけですよ。そんな紛い物の力に頼る必要など御座いません。ヒカル様は毒使いとしての正統な力のみ磨けば良いのです。じきに私など簡単に追い抜けることでしょう。」
「そこまで言うなら見せてやるよ。俺の
俺は呼吸を整え、血の巡りを加速度的に高め、全身の細胞の至るところまで
「素晴らしい。流石はヒカル様です。」
俺は一瞬で那須の背後に回り、右拳を打ち込もうとする。ところが、
「がっ!?」
「無駄です。どれだけ速く動いても同じことなのです。ヒカル様の動きのパターン、好む手、思考の癖、全てお見通しなのですから。私がこの手で何年ヒカル様を教育してきたと思っているんですか?」
俺はものの見事に振り向きざまの裏拳でカウンターを喰らい壁へと叩きつけられる。その余りの衝撃に全身が強張る。加えてせり上げる不快感と共に一気に吐血した。
「ごほっ!!!」
まずい。眩暈がする。ふら付く。すぐに立てない。これは恐らく打撃だけのダメージではない。
その様子を見た嬉野が、もう我慢ならないと言わんばかりにすぐさま携帯を取り出した。
「もしもし! 鳴子さんですか!? 今下呂さんがピンチなんです! 場所は・・・」
「おっと。それは困りますね。」
那須がすぐに増援要請の気配を察し、静かに片手を嬉野にかざす。するとどういう訳か、嬉野は糸の切れた人形のように突如その場で意識を失い倒れてしまった。
「う、嬉野っ!?」
「大丈夫です。ヒカル様。少々眠ってもらっただけですので。後ほど閨へと運んでおきます。」
俺は立ち上がろうとするが全身の痛みで硬直する。どうやら反動がまだ収まっていないようだった。
不意にその様子を見て那須は酷く落胆したのか、突如として俯き涙を流し始めた。
「ううっ・・・こんな・・・こんなのはあんまりじゃないですか・・・ヒカル様と共に歩んだ21年間の研鑽の結末がこの程度なんて・・・私には到底受け入れられません・・・!!」
「・・・・・・は?」
「毒血解離の極致に達する努力を怠るだけでなく、あまつさえ『呼吸』と言う凡百の技能に無駄なリソースを割くなど。正に愚の極み。やはり大正時代にヒカル様がタイムスリップしたことは、私たち下呂家にとって多大なる損失だったのです。」
「余計なお世話だ。少なくともお前は下呂家じゃねぇだろ。那須。」
「ああ! おまけに大した才もない少女一人にヒカル様が惚れ込んでしまう始末! そのせいで私が綿密に練って来た
「は? ちょっと待て。お前今何っつった? マルチウェディング・・・? は・・・?」
「ああ! どうしてですかヒカル様! なぜあのような何処ぞの馬の骨ともわからぬ少女一人にそこまで固執してしまったのですか! きらら様もあんまりです! 私がご用意した女性たちだってとても魅力的なのに! 私の用意した閨で! 彼女たち全員と愛し合うことこそがヒカル様の最善なのに! そうでもしなければ下呂家繁栄の為に丈夫な赤ん坊をドバドバ産み落とせないじゃないですか! ああ! 皆私の苦労を知らないで! 本当にあんまりです!」
「は? え? ちょっと・・・マジで何言って・・・は???」
俺は過去一困惑した。那須はさっきから何を言っている? 正直意味が理解できなかった。俺が呆れていると那須はやがて正気を取り戻し、困ったように笑った。
「失礼。ヒカル様の前で取り乱すなど私もまだまだですね。兎に角、私はヒカル様の御子達を数えきれない程誕生させたいのです。そしてあわよくばヒカル似の子どもたちのお世話を・・・」
「悪い。ちょっと何言ってるかわからん。いや、もしかしたら無自覚に生理的に理解を拒んでるだけかもしれねぇ。那須、お前今までずっとそんな気色の悪いこと考え続けていたってのか?」
「滅相もない。私はただ、ヒカル様のような純粋で愛のある子供たちを愛でたいだけなのです。私は今でもヒカル様が手作り遊具菓子を一緒に食べようと言ってくれた時のことが忘れられません。使い手という血塗られたこの世界の中で、ヒカル様のような穢れなき純心を保てる者は稀なのです。私にとって、ヒカル様こそがこの穢れた世界を僅かに照らす光なのです。どうか悪く思わないで下さい。私の言う通りにしてさえ下されば、必ず私がヒカル様を幸せにして差し上げますので。」
「・・・・・・」
俺は過去、先生に遊具菓子を振舞おうとしたことがある。あの時の先生の表情。どう考えても困惑か、下手すると言いようのない嫌悪感を見せるかのような表情だった。
でも本当はそうじゃなかったっていうのか?
先生は寧ろあれを好意的に捉えていたっていうことか? 暗躍ばっかしていた那須家の使い手が? 信じられねぇ。いやそれ以前に・・・
「悪い。話を聞いていたら悪寒が。テルアキならまだ分かるが、ひょっとして先生もそういう激重感情持ちなのか? 正直困るんだが・・・」
「ご無体な。私はただヒカル様とその子孫の安寧を切に願っているだけですよ。わかって頂けませんか?」
「いやわからん。そもそもお前は他所の家の人間だろ? なんで下呂家の結婚事情にそこまで干渉を許されてんだよ。」
「そうですね。ヒカル様には伝えてもいいかもしれませんが、きらら様との密約があるので今は言えません。ただ、どうしてもと言うなら今ここで私に納得のいく答えを見せてくれませんか?」
「納得のいく答え・・・だと?」
「ええ。私が最も懸念していることは、ヒカル様の才が開花せずこのまま一生を終えてしまうこと。そのような下呂家当主に相応しくない事態に陥って欲しくないのです。加えて、ヒカル様が固執する『胡蝶しのぶ』という少女。彼女と合切関わるなとは言いません。何せきらら様も認めていることですので。しかし彼女一人では、下呂家の将来を思えばこそ跡継ぎを残すと言う意味では心元ないのです。ヒカル様を中心とした一人残らず幸せな重婚生活。それを認め、且つその『管理』を私に任せることを、今ここで了承いただけますか? そうしたら私がなぜ下呂家に関わっているのかもお教えしましょう。」
「・・・断る。」
俺は那須の提案を断った。
「一人残らず幸せな重婚生活? 無理に決まってんだろ。んなモンただのご都合主義の絵空事だろうが。じゃあ仮に想像してみろよ。俺と結婚する奴らの一人一人の気持ちをよ。俺がどれだけ一緒に居る間、真心込めて接したとしても、俺が他の奴と会いに行ってる間は孤独に感じ痛みも感じる奴だって出てくるはずだ。自分以外の奴に同じことやそれ以上のことやってるかもって思ったら、『一人残らず幸せ』になんてなれる訳がねぇだろ。どうしても軋轢は避けられねぇ。那須。もしテメェが本気で俺に重婚を求めるなら、それで幸せになれるって宣うお前は愚か者としか言えねぇぜ。」
「はい! ここにいます! その『愚か者』が! ですが私なら『管理』をすることでそれを限りなく理想的なモノにすることができます!」
「管理・・・だと?」
「ええ。そのための『閨』ですよ。いいですか? 私は霧島家の変性血統『呪い使い』としての業もあるんですよ? そしてその力を使えば、『本物』のヒカル様に会えない間、彼女たち全員に『
「那須・・・お前何言って・・・」
「他にも私の操る『人形』でヒカル様を増やす案も考えたのですが、こちらは余りに可哀そうです。温かみのない傀儡を彼女たちに愛でさせるなど見ていられませんよ。しかし『本物』のヒカル様に会えない間、『
「もういい黙れ。」
俺は凄まじい怒気を那須にぶつける。那須は俺の様子を見て発言を中断する。
「あいつらをテメェの『人形』にだと? ふざけるなっ! 何度も言ってんだろ! あいつらには一人一人尊重されるべき人生があるんだよっ!! あいつら全員の気持ちに応えられないのは正直心苦しいが、それでも俺は胡蝶一人と結婚するって誓ったんだよ!! だから那須。俺がお前を納得させるのに重婚の了承なんてできねぇ。だから代わりに今ここで、俺が次の下呂家当主にさえなれば将来家は安泰だって証明してやるよ。仕切り直しだ。この場でお前をぶちのめすっ!!」
「やれやれ。ここまで綿密な案を提示しても受け入れてはくれないとは。なら致し方ありません。こちらも実力で従わせるまでです。どの道今のヒカル様に、私に抗う力は残されてなど・・・」
「いや、一つだけあるぜ。お前が知らないはずの俺の新たな『技』がよ。」
那須は俺の言葉を聞き、あっけに取られる。そうして俺は呼吸を整えた後、構えを変える。
「無駄です。ヒカル様の武芸、変性血統、思考力まで私は全てお見通しです。手の内を知り尽くした相手に無駄なことはおよしなさい。」
「言ったろ? 新たな『技』を見せるって。」
「『呼吸』を使った『業』でも同じことです。仮に『胡蝶しのぶ』の扱う『蟲の呼吸』の型を身に着けていたとしても、私は既に対処法を把握済みです。私の知らない『業』など、ヒカル様が身に着けているはずなど御座いません。」
「いや、ある。一つだけ。これはかつて、俺が大正時代で骨肉の死闘を交わした強敵が磨き上げた『技』だ。生憎見様見真似の再現だから、器用に手加減なんて真似はできねぇ。そこんところは覚悟して喰らえよ?」
そこまで言って、俺は床を踏みつけ、腰を落とし、右手の掌をかざして左拳を引く構えを取る。
「借りるぜ、猗窩座。今この瞬間だけでいい。お前の『技』を俺に預けてくれ。」
続く
下呂君が那須に勝とうと思ったら、彼から教わってない武芸&現代に伝わってない技じゃないと歯が立たないでしょう。原作だと毒血解離すら通じず成すすべなく敗れた下呂君ですが本作では果たして。結末は最終話で明らかになります。乞うご期待。
尚那須が下呂君に激重感情抱いているかは原作だと不明です。不明ですが・・・それっぽい描写は原作でも割と散りばめられています。何なら下呂君の親か親戚の可能性をほのめかす発言も原作では描写されてますからね。そもそも那須は一体何がしたくて『マルチウェディング大作戦』なるものを企てているんでしょう。只々下呂家に尽くすためなのか、他に狙いがあるのか、それとも本作みたいに下呂君に執着している故なのか。その答えはいずれ原作の連載の中で明らかになることでしょう。
本作完結まで残り2話となりました。次回でしのぶさんサイドは決着です。そちらのオチ(え?)も楽しみにしていて下さい。