私───鈴代獅乃は、重いまぶたを擦りながら、寮の入り口を出た。
周りには同じように寮から出てきた女子生徒たちがいて、朝特有の静かな喧騒が聞こえてくる。
「ふぁあ~~~~……」
「あ、獅乃ちゃ~ん」
「あ!」
呼ぶ声に反応して前を見れば、入り口の柱付近でこちらに手を振っている子が一人。
私は駆け足で彼女に寄ると、その手を取って笑顔を浮かべる。
「
「おはよう~おっきな欠伸だったねぇ」
「あはは、ついついここあちゃんと夜更かししちゃって」
言い訳をしながら、私は八千代ちゃんに軽く抱き着く。
そして背中に手を回せば、八千代ちゃんも背中にある翼を慣れた感じで前に持ってきてくれた。
「今日もふわふわだ~~~」
「ふふ、本当に好きなんだねぇ」
彼女は、翼を持つ翼人───その中でも鴉の性質を持つ、鴉人という異種族だ。
腰まで届く黒髪に黒い瞳。背中の黒い翼。
『大和撫子』という言葉を辞書で引いたら名前が出てきそうなほどに綺麗な子だった。
「こーら」
「いてっ」
八千代ちゃんの翼をもふっていた私の後頭部に、小さなチョップが落ちる。驚いて振り返れば、ここあちゃんが眠そうな顔をして立っていた。
「私が忘れ物を探してる間に何をしているかと思えば……なんで朝っぱらから翼を触ってるのよ」
「もふもふして暖かい」
「感想は聞いてないわよ! というか八千代も断りなさい」
びしっとここあちゃんが人差し指を突き付ければ、八千代ちゃんは首を傾げた。
「え? なんで? 嫌じゃないよぉ? それに、友達ならハグぐらい普通なんじゃないの?」
突き付けた指がへにゃった。
「……はぁ。お嬢さまねぇ」
八千代ちゃんは所謂お金持ちの家の娘で、どうやら高校に上がるまで私生活も制限されていたらしい。その結果出来上がったのが、同年代とのスキンシップを全く知らない今の八千代ちゃんだ。
そして私はそれに付けこんでよく翼を触る同級生です。
「まぁ嫌じゃないならいいわ」
「嫌な訳ないよ! むしろ獅乃ちゃんは私の『黒い翼』を好きって言ってくれて、嬉しい」
八千代ちゃんは、ここあちゃんが入学式前に仲良くなった───つまりここあちゃんが喧嘩する理由となった、黒い翼を持つ女の子だ。
彼女のような異種族、特に黒い翼などを持つ人は、野生動物の鴉の印象に引っ張られて『不吉の象徴』とされてしまう事も少なくない。
「こんなに綺麗で暖かいのにね~」
「ありがとう、獅乃ちゃん」
そんな私と八千代ちゃんもまた、出会ってすぐ意気投合して。数日前から、自然と三人で登校する事になったのだ。
「もうっ、都合がいいんだから。そんな事してないでそろそろ行くわよ」
「「は~い」」
先を行くここあちゃんに追いつくようにして、私と千代子ちゃんは駆け出した。
■
───『北米三合会』の襲撃から、早一週間。
私を含めた負傷者たちも異能医学によって完治し、崩壊した建物も同様に元通り。騒動も落ち着き、月桜学園は正常に新学期を迎えていた。
「それでは一時間目、『異能学』を始めていくぞ」
私たち一年B組の担任───『異能学』担当の
男性にしては長い黒髪に、鋭い瞳と丸眼鏡。背中に生えた黒い片翼を持つ先生は、その眼光で授業の開始を告げた。
大きな黒板とチョークの匂い。窓から差し込む朝日と、一時間目のまだ眠そうな雰囲気。
秋田でまともに学校へ行っていなかった私にとっては、全てが真新しかった。
「『異能』について熟知している者もいれば、反対に知識がない者もいるだろう。まずはその認識の差を埋めるために、初歩から。───『異能』とは、
愛染先生は黒板に『異能』と書いた。
「その多くは渇望や希望、夢やトラウマ……今までに経験した強い感情が元になっている場合が多い。法則性は少なくとにかく千差万別だが、唯一明確に分かっている事は『人間にしか発現しない』という点だ。さて、その点について様々な説が存在するが、最も有力な説はなんだ? ───御神楽」
御神楽、と呼ばれた金髪の男子生徒は自分を指さす。
「オレっすか?」
「月桜の関連施設で育ったお前ならば分かるだろう」
「まぁもちろん。『
「その通りだ」
先生は頷いた。
「獣人が尻尾と耳を持つように。翼人が翼を持つように、あらゆる種族はそれぞれ特有の特徴を持っている。だが人間に外見的な特徴はない。だからこそ人間にだけ発現する『異能』こそが、その種族特性に当たるのではないかという説だな」
「へぇ……」
単純に知らなかった私は感心して声を漏らす。
あれ? だとしたら、ここあちゃんとかは何で異能を使えるんだろう?
「人間とのハーフであれば、異種族でも『異能』は発現する。クォーター以上では発現しない。混血でも異能を持つ者と持たない者がいるのは、その血の濃さ故だ。このクラスにも何通りもいるな」
愛染先生は、私とは遠くの席に座るここあちゃんを含めて、何人かに視線をやった。
「反対に異種族の種族特性は精神こそ反映しないが、制御できなければ暴走する事もある。分かりやすい例は吸血鬼だ」
先生は黒板によくある蝙蝠の絵を描いた。割とポップで可愛い。
「彼らは血を主養分とするが、栄養が足りなくなった場合は他種族の血を吸いたいという衝動に襲われる。そうなれば他者を襲う危険性があるが、きちんと体調管理をすれば、その身体能力や血液を操作する力は武器となる」
思い出すのは雨ノ宮くんの事だ。
後で私は知ったが、彼は吸血鬼と人間のハーフだった。しかし彼が暴走したところを見た事はないし、むしろ異能も種族特性も上手く扱っていた。
「『異能』も『種族特性』も扱い方次第。この『異能学』の授業では精神や己と向き合い、各々の持つ力を成長させていく事が目的だ」
異能者である私は異能を、獣人(?)と人間のハーフであるここあちゃんは両方を、異種族の人は特性を。それぞれ追及していくのだろう。
「この授業は両方の知識を付ける『座学』と、身につけた知識を実際に活かす『実技』で構成される。座学を担当するのはもちろんこの俺、愛染輝夜。そして───」
目を瞑れば、突然先生の髪と片翼が脈打つように震えた。
右肩の翼が消滅したかと思えば、今度は左肩に翼が出現する。しかしその色彩はチョークのような真っ白で、というか髪色もいつの間にか白で。
いつの間にか、教卓に立っていたのは、愛染先生によく似た女の人だった。
「───実技を担当するのはこの私!
微笑み、愛染先生|(!?)は私たちに手を振った。
教室中が混乱に包まれて、少しざわつく。
「混乱しないように言っておくと、これは私の……私たちの『異能』。『
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【
『両性の鳥となる』異能。男女両方の人格が存在し、顕現している方の人格によって肉体や得意とする物事が変化する。男性時は男性の肉体に黒髪と黒い片翼、女性時はその反対となる。肉体を無数の鴉に変換する、空中飛行を行えるなど汎用性に優れている。どちらが主人格、どちらが本来の性別という決まり事はなく、どちらも『愛染輝夜』本人である。元々は、愛染輝夜が性同一性障害に悩んでいたが故に発現した異能。
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「どちらも私である事に変わりはないから、気軽に輝夜先生って呼んでくれると嬉しいな! 担任だし!」
ウィンクをして、愛染先生はそうしめた。
入学したばかりだけど、なんとも月桜学園に相応しい奇天烈な始まり方だと思った。
「うへぇ~……つ、疲れた……」
なんだかんだ授業を受けてお昼を迎えた時、私は既に疲労困憊だった。
「ちょっと獅乃、だらしないわよ?」
「だってぇ。知らない世界の授業過ぎて覚える事多いよぉ」
私が超常の存在にちゃんと触れたのは約一年前で、それまではニュースとかで知識だけはあったけど、縁遠い世界の話だと感じていた。でも世界の裏側では異能や異種族に関連する出来事が盛んに起こっていて、例えば事件や著名人にしても全く知らない事ばかりだった。
私の席に来たここあちゃんに手を伸ばせば、彼女は力強く引っ張って立たせてくれる。
「楽しいけど混乱……」
言葉は通じるのに理解が追い付かない。最近はやりの異世界転生とかこんな感じなのかな?
そんな事を考えながら教室の外へ二人で出て行く。
「あ、やぁ二人とも」
入り口から少し出たところで声をかけてきたのは、見覚えのある男子生徒……雨ノ宮くんだった。
よく見れば、彼の後ろにはアルテンブルク君もいる。
「あら、雨ノ宮じゃない。アルテンブルクも」
「……おっす」
「二人ともやっほー。どうしたの? 教室へ行く途中?」
「いや、二人にお昼の誘いをしに来たんだ。どうかな?」
雨ノ宮くんは相変わらず爽やかな笑みで話す。
けどここあちゃんは首を横に振った。
「悪いけど、先約があるのよ。隣のクラスの子と───」
「あ、八千代ちゃん同じクラスの子と食べるって」
「……本当ね」
二人でグループのメッセージを確認する。
『ごめん! 同じクラスの子と課題一緒にやるからお昼そっちで食べるね!』と来ていた。
「お、ラッキー! じゃあ決まりだね。学食でいいかい?」
断る理由も特になく、私とここあちゃんは頷いた。
■
月桜学園の学食は、流石広大な敷地を持つからというべきか、設備の整った綺麗な学食だ。
常に百種類近くのメニューが並び、生徒の文化や種族ごとの性質に配慮してか、全世界の料理が選択できる。お昼時の学食は、まるでテーマパークみたいに騒がしかった。
「……アルテンブルク君、それで足りるの?」
「まぁ……」
彼が食べているのは、その豊富なメニューから選んだ豊かな食事ではなく、何の具も載っていない『かけそば(温)(税込み220円)』だった。
もちろんそれも美味しいし、否定するつもりはないけど、大柄な彼にその量はとてもではないが足りそうにない。
「駄目だよ栄養バランスは考えないと! ほら、私のお弁当ちょっと分けてあげる!」
「いやっ、別にいい……!」
拒否するアルテンブルク君を無視して、私は野菜の肉巻き何個かをお皿に乗せると、彼に渡した。それもあまり量は多くないけど、全く食べないのに比べればいいはずだ。
「……ってなんで鈴代さんも学食利用せずにお弁当なんだい!?」←海鮮たっぷりちゃんぽん
「牧場生活が染みついてるから早起きが習慣で、朝暇だからつい作っちゃうんですって。ふふ、言っておくけど獅乃の料理はかなりおいしいわよ!」←ふわとろオムライス(デミグラスソース)
「へぇ、家庭的でいいね」
「ま、学食利用すればいいのにとは私も思うけれど」
「ほらほら、あげちゃったから食べてよ!」←お弁当(五穀米、前日に仕込んでおいたハンバーグ、卵焼き、ほうれん草のお浸し、野菜の肉巻き)
「わ、分かったよ……」←かけそば(+野菜の肉巻き)
私の気迫に押され、アルテンブルク君は野菜の肉巻きを頬張った。
咀嚼をすると彼は目を見開いて、そのまま飲み込む。
「……うめぇ」
「おいしいなら良かった!」
「初めて食べる物だ。持った時の感触的に硬いのかと思ってたら、良い食感だった。野菜の肉焼き……日本料理なのか?」
「どうなんだろ? 確かに外国の人が食べてるところ見た事ないかも」
少なくとも、イギリス出身であるアルテンブルク君は知らないらしい。とはいえ気に入ってくれたみたいで、彼はものの数秒であげた野菜の肉巻きを全て食べきってしまった。
「美味かった」
「お粗末様でした」
そうやって食事もひと段落した頃、ここあちゃんは。
「で。一体何の用なのよ」
「何の用って、理由がなければお昼に誘っちゃダメなのかい?」
「そうじゃないけど、気になるじゃない。その感じからして、何の理由もなしって訳でもないんでしょ?」
「まぁね」
渋めのお茶を飲みながら、雨ノ宮くんは肯定した。
「いやなに。僕たち四人は全員、銀狼隊志望の新入生だ。……一人は少し事情が異なるけれど」
彼が視線を向けたのは、既に勧誘を受けている私だった。
けどそこは本題ではないみたいで、軽く流す程度に終わる。
「つまり僕たちはみんな銀狼隊に入隊したいし、合格すれば同期になる。そして妙な共闘を経て、色々と互いの事を既に知っているだろう? だったら仲良くして情報交換を行ってもいいんじゃないか、と思ったんだ」
この学園は複雑だ。新入生一人が情報戦において有利になれるとは到底思えない。だから、その提案はとても合理的に思えた。
「……一理あるわね」
「ま、っていうのは実は建前なんだけどね」
「建前?」
私が尋ねれば、雨ノ宮くんは頷いた。
「本当はフェアが二人と仲良くしたいけどこの前迷惑かけちゃったし、普通に食事に誘うのは怪しまれるかもしれないから、それっぽい理由を作って、その上僕に任せる事でカモフラージュした結果なんだよね。ね、フェア」
「あぁ、そういう事だ」
「「……」」
沈黙が訪れた。
アルテンブルク君が水を飲む音だけが聞こえてくる。
「……………………………………………………………………ん?」
アルテンブルク君がゆっくりと、隣に座る雨ノ宮くんを見る。
「あれ、お前いま全部言った?」
「うん。全部言った」
「何してくれちゃってんのぉ!!!?!?」
アルテンブルク君は飛び上がって、雨ノ宮くんの両肩を掴む。
そして勢いよく前後に揺さぶった。
「お前ッ、言ったら意味ねえだろうが!! せっかくお前に頼んだ意味全部パーなんだが!!?」
「あははははは。大丈夫だって」
「何がだよ!?」
「ほら、見てみなよ」
そう言って雨ノ宮くんが差したのは、私たちの方。
笑顔を浮かべた私……いや、ジト目で腕を組むここあちゃんの方だった。
「……どういう事よ。自分で説明してみなさい」
「うっ……」
アルテンブルク君は狼狽えたように顔を顰めたが、逃げられない事を悟ったのだろう。若干顔を赤くしたまま、弁明を始めた。
「…………その、この前鈴代が言ってくれただろ。『次、頑張ろう』って」
「あっ」
それは、病室で謝ったアルテンブルクに対し、私が言った言葉だ。
「だからその言葉を信じて、その『次』ってやつの機会を作りたかったんだよ……」
「アルテンブルク君……」
「でも俺が直接誘ったんじゃ警戒されるかと思って、燐世に頼んだんだ。クソッ、結局バラされてこうなったけどな……!」
雨ノ宮くんは彼が話している間、ずっとひらひらと手を振るばかりだった。でも確かにアルテンブルク君が直接誘ってきたら、私はどうか分からないけどここあちゃんは警戒するだろう。彼女はアルテンブルク君にあまり良い印象を抱いていない。
雨ノ宮くんというクッションを挟み、真実を知った事で私たちは今、なんとなく受け入れていて……あぁ、今回の事は最初から雨ノ宮くんの掌の上なのだと気づいた。
「私は嬉しかったよ」
「本当か?」
「うん! 普通にご飯食べるのも、遊ぶのとかも、情報交換も全部やろうよ!」
ね? と隣のここあちゃんに投げれば、彼女はいつも通り口を『へ』の字に結んでいた。
「……ま、いいわよ。獅乃がそう言うのなら」
「やったっ」
「少なくとも悪意と下心はないみたいだし」
「ばッ、そんなのねえよ……!」
ジロリとここあちゃんは視線を強めた。
「下心抱く価値もないって言いたいのかしら??」
「ちがッ、か、勘弁してくれ」
「あはははは!!」
腹を抱えて笑う雨ノ宮くんの声で、空気が緩んだ。
結局私たちは火曜日と木曜日、週二回お昼を一緒する事となった。お昼に異性の友達と一緒にお昼だなんて、なんだか青春っぽくてとても楽しい!
■
───五、六限目をやり過ごして、迎えた放課後。
同級生たちとの雑談を切り上げて、私は独り、中庭の端にある地下へと続く階段を下りた。
下った先に現れたのは、無機質で、それでいて近未来な雰囲気に溢れた訓練場だ。
「よく来たね」
訓練場の中央。雑に置かれた椅子に座っていた男性が、物音に気付いたのか立ち上がって振り向く。
端正な顔をしたその人は、私を視界に収めると笑みを浮かべた。
「わざわざこんなところまでありがとう。前向きな返事を聞けるって事でいいのかな」
「はいっ、よろしくお願いします。───二階堂先輩!」
そう。
あの日、医務室での話を受け、二階堂先輩の弟子となった私の訓練が、今日この日から始まるのだ。